「さっさと帰るだよ、ブルマさ。ベジータのやつ、またすぐどっか行っちまうかもしれないだべ」
ブルマの気持ちを察してチチが言った。
「いいのよ。たまにはあたしのありがたみを思い知らせてやんなくちゃ」
「何言ってるだ。ベジータをとっちめてやるだよ。地球の女の恐ろしさを思い知らせてやるだ!」
握り拳を突きだしてけしかけるチチの顔を、一瞬キョトンとした顔で見つめると、ブルマはプッと吹きだした。
まったくチチにはかなわない。
「チチさんはどうするの?」
「携帯電話貸してけれ。悟飯と悟天を呼び出すだ。夜は長いだ。今夜は両手に花で息子たちとデュエットするだよ」
「まだ歌うつもりなの!?」
チチはすまして答えた。
「さっきのはウォーミングアップだ」
チチが電話すると、孝行息子たちはすぐこちらへ向かうと言う。ブルマは近くのカラオケボックスへチチを案内した。
「悟飯たちが来るまで、おらは軽く流してるだ」
チチは手早く選曲するとリモコンを操作し、部屋を出るブルマを見送りながら言った。
「ブルマさ、誘ってくれてありがとな。おら、すっごく楽しかっただよ。飲んでて飛行機の操縦、大丈夫け?」
「うん、自動操縦にするから平気よ。あたしも楽しかった。また二人で遊びましょうよ。じゃあね、チチさん」
前奏が流れ出す。足どりも軽く、ブルマはカラオケボックスをあとにした。
翌朝――
ベッドでブルマは枕の下に頭を突っ込んで呻いていた。トランクスが心配そうにのぞきこむ。
「お母さん、大丈夫?」
「ああ、頭いたぁい。気持ちわるーい」
「しょうがないなあ。飲み過ぎるからだよ」
ブルマは自分がゆうべの服のままでいることに気づいた。玄関を入ってからの記憶がすっぽり抜け落ちている。
広い玄関ホールを横切り、エレベーターに乗ったあと、長い廊下を歩いてやっとのことで寝室にたどり着いたものの、そのおかげで服を脱ぐ体力も気力も使い果たしてベッドに倒れ込んだらしい。こういうとき広すぎる家というのはやっかいだ。
「ねえ、ベジータは?」
「知らないよ。オレが起きたときにはもういなかったもん。重力室使えないってきのう怒ってたから、またどっか行っちゃったんじゃないの」
「ええっ、また出ていったの!?」
思わず失望の声がブルマの口からもれた。
(そんな……やっと戻って来たと思ったのに。ベジータはあたしに会えなくても平気なんだ)
ブルマはのろのろと起きあがるとバスルームに行き、バスタブに湯を張った。みじめな気持ちで服を脱ぐと、熱い湯に体を沈め、目を閉じた。
(あたしやトランクスはあんたの家族じゃなかったの? この家はあんたにとって、重力室がなければハイさよならって出ていける程度のもんだったの?)
視界がぼやけてくる。ブルマはシャワーの栓をひねると、頭からざあざあ湯をかけた。
素肌にバスローブをひっかけたブルマは、濡れた髪をタオルで拭きながら、着ていた服をランドリーシュートに放り込み――こうしておけば洗濯され、プレスされて、部屋までロボットが届けてくれるのだ――破れたストッキングを丸めてゴミ箱に投げ入れた。
風呂に入ったおかげで頭がすっきりした。くよくよしてたって始まらない。元気を出さなくっちゃ!
「あれ、おかしいな。どこいっちゃったんだろう」
ブルマはイヤリングを探していた。1つはベッドの中に落ちていたが、もう片方がなかった。この部屋には見あたらないようだ。外で落としたのならどうしようもないが、、家に帰ってからなら、玄関から寝室までのルートに落ちてるはずだった。
ブルマはバスローブのまま――ベジータがいれば眉をしかめるところだ――部屋を出て、ゆうべ歩いた道筋をくまなく目で追いながら逆にたどった。
ちょうど玄関ホールを入ったところの廊下の隅にそれはあった。
「よかったあ。お気に入りの靴に続いてイヤリングまでなくしたんじゃ踏んだり蹴ったりだったわ」
安堵の溜息をつきながら、彼女は落ちていたイヤリングを拾い上げた。それにしても、こんなにたやすく落っこちるなんて金具が緩んでいたのかしら。
そこまで考えた時、彼女はハッとして顔を上げた。
(あたし……あたし……自分でベッドまで歩いて行ったんじゃない。ここで、この場所でぶっ倒れて寝ちゃったんだ! イヤリングはその時にはずれて落ちたんだわ、きっと)
忘れていた記憶が足並みをそろえてすべて舞い戻ってきた。夢見心地にふわりと抱き上げられた感覚。逞(たくま)しい腕、厚い胸板、頬に伝わってくるぬくもりと心臓の鼓動。それらが次々とフラッシュバックのように蘇ってくる。
そのあとは……どうしても思い出せなかった。
ちょっとだけ元気を取り戻してブルマが自分の部屋に戻ってみると、思いがけない顔がそこにあった。
「そんな格好でうろうろするな」
いつもの調子で彼は言った。
ブルマはドアのところで立ちつくしたまま夫の顔をまじまじと見つめた。
「なんだ」
「あんたの顔、長いこと見てないからもう少しで忘れるところだったわ」
「ふん、相変わらず口の減らない女だ」
ベジータは外から戻ってきたばかりらしく、入ってきた窓を無造作に閉めた。「どこ行ってたの?」という言葉をブルマは飲み込んだ。聞くまでもないことだった。彼はうっすらと汗をかき、トレーニングウェアはあちこち汚れている。いつもなら家でやる朝食前のトレーニングを、重力室が使えないので外でやってきたのだろう。
彼はまた長いこと家を空けるつもりではなかったのだ。
「新しい技を開発する時は荒野の方がいい。ここはいろいろと気の散るものが多すぎる」
「どういう意味よ」
ベジータはブルマの腕をつかんで引き寄せ、強く抱きしめると、彼女の唇にキスした。長い長いキス。
「こういう意味だ」
唇を離しながら彼は低く囁いた。それからちょっとバツが悪そうに目をそらした。もう完全にブルマのペースだった。
「あたしのことベッドまで運んでくれたんだ」
「たまたま通りかかったら、おまえが廊下のド真ん中で大の字になって寝てたんだ。邪魔だからついでに拾って行っただけだ」
「ついでに……ね」
ブルマはクスッと笑いをもらした。
「そんなことより、ブルマ、重力装置が故障だ。早く直してくれ」
「わかってるわよ」
ブルマはいきなりバスローブを脱いだ。下には何も着けていない。ベジータはうろたえて叫んだ。
「な、なんだ。何をするつもりだ!」
「なに焦ってんのよ」
彼女はクローゼットを開けると、作業着を取り出し、下着を着けながら言った。
「着替えないと修理できないじゃない」
「つ、慎みのない女だ」
「イヤなら見なきゃいいでしょ」
彼女の言う通りだった。言い返すことも出ていくことも出来ずに、憮然とした表情で腕組みをしたまま、ベジータはあらぬ方を向いている。
「お待たせ。さ、行くわよ」
着替えをすませたブルマは工具箱を抱えると、夫にとびきりの笑顔を見せた。
(おしまい)
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