ふたりの休日
  

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第6章

「まずいわ。チチさん、逃げるわよ!」
「なんで逃げるだ? 悪いのはこいつらのほうだべ」
「警察もそう思ってくれればいいけど」
 テーブルや椅子がひっくり返り、グラスや皿がいくつも粉々に割れている店内の惨状と、気絶しているふたりの男――どう見ても過剰防衛でこちらが不利だった。

 ブルマはチチを追い立てるようにして店から脱出した。が、ちょうどパトロールでこの近くにいたのか、入り口のところで駆けつけた警官たちとぶつかってしまった。
「あら、失礼。ほほほ」
「おい、ちょっと待て!」
 愛想笑いをして行き過ぎようとするブルマを警官が呼び止めた。職業的カンで怪しいと思ったらしい。しかし、その時にはすでに二人とも全速力で駆けだしたあとだった。

 警官たちが追って来るのを見て、二人は必死になって駆けて駆けて駆け抜けた。走っているうちにブルマは排水溝の蓋の格子にヒールを取られてすっころんだ。
 転んだ拍子に靴が脱げたので足を挫かずにすんだが、ヒールは格子にがっちりと食い込んでしまってどうしても外れない。そうこうするうちに追っ手が迫って来る。

「ブルマさ、靴なんかどうでもいいだ。おまわりが来るだよ。走るだ!」
「お気に入りの靴なのよ!」
 未練がましく靴を引っ張っているブルマを引っ立てると、チチは走った。もう片方の靴を脱いで手に持ち、ブルマも裸足で走りだした。ストッキングが足の裏で裂け、伝線が太股まで伝ってゆくのを感じながら、彼女はやけくそで走った。
 そんなブルマの姿を見てチチがからかった。
「シンデレラみたいだな!」
「王子様はいないけどね!」
 二人は同時に吹き出した。そのうち、必死の形相で逃げる自分たちの姿がどうにも滑稽でたまらなくなって、大笑いしながら走り続けた。

 ようやく繁華街を抜け、サタンシティ駅前のロータリー広場にたどり着いた。二段ばかりある階段を登ると、テラコッタのタイルが貼られた広場の中央には噴水がある。そこまで来ると二人はベンチに倒れ込むようにすわり、お腹を抱えて涙が出るほど笑った。道行く人々が不思議そうに眺めていく。



「都会はスリリングだな」
 息を整えると、かすかに見える星空を仰いでチチが言った。ブルマはまだ手に握りしめていたもう片方の靴を思いきりよくゴミ箱に投げ入れ、うまく入ると、「ナイスシュート!」とおどけて指を鳴らした。
「ゴメンね。散々の目に遭わせちゃって」
「ブルマさのせいじゃないだ。楽しかっただよ、おら」
 チチは軽やかに笑っている。紅潮した頬は未亡人と呼ぶには痛々しいほどに若い。宝石箱をひっくり返したような色とりどりのイルミネーションが反射して、その瞳はキラキラときらめいていた。


 街の灯りに目を転じると、「悟飯はこの街で高校生活を始めるだなあ……」と、チチはしみじみ言った。その胸には息子が生まれてから今日までの、さまざまな想いが去就(きょしゅう)しているのだろう。

「ブルマさ、おらな、悟天に拳法教えてるだよ。ちょっとずつな。悟空さの息子が拳法も出来ねえんじゃ寂しいべ? ……いつか、大きくなったら話してやりてえんだ。おめえのお父は一等強かったんだべって。悟天、おめえは宇宙一強い孫悟空の子どもだべ、って」
「そうね。孫くんは強かった。あらゆる意味で強かったわ」

 チチは目を細めて嬉しそうにうなずくと、両手を上げて大きく伸びをし、明るい声で言った。
「あ〜あ、あんなに早く死んじまうってわかってたら、もっと悟空さに甘えておけばよかっただなあ。おら、悟飯が妬ましいだよ。おらよりずうっと濃い時間が持てて」

 ブルマが深いいたわりの眼差しを投げかけているのに気づくと、チチはふふっと笑って自分に言い聞かせるように言った。
「贅沢いっちゃいけねえだな。おらは悟空さの嫁っこになれたんだもん。愛し愛されて子どもにも恵まれて……短い間だっただども幸せだっただ」
 でも……と、ほとんど聞き取れないほどの小さな声でつぶやいた。
「一緒に暮らしてた時も、悟空さが自分のものになっただなんて、おらには一度だって思えたことはなかっただよ」
 まるで自分の気持ちを彼女が代わって言ってくれたような気がして、ブルマの胸は小さく疼(うず)いた。

 そう、あの風のような男たちを捕まえることなど、誰にも出来ないのだ。


 ちょっと赤くなった目でチチはブルマを見るとにっこり笑った。
「仕方ねえだな。サイヤ人なんかに惚れちまったのが運の尽きってやつだべ」
「ほんとね。あいつら身も心もボヘミアンなんだから」
「ベジータなら大丈夫だべ。きっと帰ってくるだよ」
「そうね」

 気分を変えるようにチチは明るい声を出した。
「ナンパされてるとこ、悟空さに見せたかっただな。おらもまだまだ捨てたもんじゃねえべ?」
「あたしだって!」
 弾かれたように笑う二人の声に合わせるように、ブルマのバッグから携帯電話の着信音が聞こえてきた。手慣れた動作でボタンを押すと、彼女はそれを耳に当てた。
「はい――なんだトランクスか。いつまで起きてるの。――え? 重力装置が故障? あんた重力室に入っていたずらしたんでしょう。違うって――えっ、あの人帰って来てるの!?」
 ブルマは飛び上がった。すっかり酔いは醒めている。


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