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恋月夜

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第4章

「お嫁〜〜〜〜!?」
 チチは絶叫した。
「う、嘘言うでねえだ。おらがいつそんなこと――」
 言いかけてチチは口をつぐんだ。とたんにあの頃の情景が浮かんでくる。

 夜の闇の中を走り出すトラック。荷台にあふれ返る家財道具。その隙間から、クルトは小さな弟や妹たちと一緒に顔を出し、泣き出しそうな顔でチチに叫んでいた。
『チチ〜、おら、きっと迎えに行くだからな。それまで待っててけろ〜』
『待ってるだぞ、クルト。きっと強くなって、おらをお嫁にしてけろやぁ〜』
 砂埃を上げて小さくなってゆくトラックと共に、クルトの顔も闇に紛れて見えなくなってしまった。チチはなぜ大切な友達と別れなければならないのかわからず、悲しくて悲しくて大声をあげて泣いた。いつの間にか大きな温かい手が肩におかれ、父のやさしい声が頭の上でした。
「ちっこいけどよく頑張るやつだったべ。また会える。また会えるだよ、チチ」
「お父……」

(春の……ことだったべ)
 夜目にも白く桜の花びらが散っていた。風に舞い、あとからあとからひらひらと雪のように散っていた。桜も一緒に別れを惜しんで涙を流してくれている。そんなふうにチチには見えた。
 幼かったチチには大人の事情はよくわからなかったけれど、クルトの父の店の経営が思わしくなく、夜逃げ同然に店をたたんでどこかへ越して行ったのだと、あとで村の人の噂を聞いて知った。
 そのあと、なんとかしてクルトの消息をつかもうと試みたが、それはかなわぬまま、いつしかチチは幼なじみのことを胸の痛みと共に記憶の底に封印したのだった。

 蝉時雨が一段とやかましくなって、チチを現実の世界に引き戻した。顔を上げると、思い詰めた表情の幼なじみが、一人前の男に成長した姿で立っていた。
「そうだったな。思い出しただ。おら、確かにおめえのお嫁になるって約束しただよ」
 チチは悟空の方を気にしながらクルトに答えた。
「おら、15で家を飛び出して修行の旅に出た。世界中のいろんなところを回って、危険な目に遭って死にかけたことだってなんべんもある。でも、チチとの約束を果たすことだけを支えに今まで生きてきただ。おらはもう充分強くなった。いつおめえにプロポーズしても大丈夫な自信がついたから戻って来ただ。それで、牛魔王の師匠のもとへ行っただが……」
 顔を曇らせて言葉を切ったクルトに、弾かれたようにチチは叫んだ。
「そう、お父だ。お父はおめえになんて言ったんだべ。おらが結婚したってこと言わなかったのけ」
「『チチは今、パオズ山にいる。それ以上は言えん』と……」
「お父〜〜〜!!」
 チチは地団太を踏んだ。どうやら父親はやっかいな事態を自分が引っかぶることを避けたようだ。
「と、とにかくだ。おめえの気持ちは嬉しいだども、おらにはもう悟空さっていう夫がいるだよ」
 クルトはじろりと悟空を見やった。きょとんと見返す邪気のない瞳をした男の方へツカツカと歩いてゆき、挑戦的な口ぶりで告げる。
「おらはチチと結婚の約束をしてただ。19年も前からだぞ。おめえ、よくもおらの婚約者を横取りしただな」
「そっか、そりゃ悪りぃことしたなあ」
「ごっ、悟空さ」チチはうろたえて飛んで来た。「なに言ってるだ。おらたちだって約束してたべ。ちゃんと子どもの頃から」
「いつだ、それ」クルトは横目でチチを見ながら言った。
「悟空さとおらが12のときだ」
「勝ったな」クルトは口の端をつり上げ、不敵な笑みを見せた。「おらの方が先だ」
「そ、そういう問題じゃねえべ〜〜〜!!」

「なんだかよくわからんが、取り込み中のようだな」
 しびれを切らしたピッコロが上空から降りてきた。事の成り行きを心配して見守っていた悟飯が、ホッとしたように師匠の顔を期待を込めて見上げる。
「そいつの方が先に約束していたというなら」ピッコロはチチとクルトを交互に見て悟空に言った。「悟空、代わってやれ」
「じょ、冗談じゃねえだ。おめえは黙っててけれ! 話がややこしくなるだ」
 心外そうなピッコロに噛みついたあと、チチはクルトに向き直った。
 さて、どう言ったものか。彼が諦めるまでとことん突っぱねてもいいのだが、結婚の約束を忘れていた悟空を自分は武道会でさんざん怒った手前、クルトに対して「すっかり忘れていました」で済ませるのはどうにも後ろめたかった。
 やはり正攻法で彼を納得させ、諦めさせるしかない。
「クルト、おめえ、強くなったからおらを迎えに来たって言っただな。だども、さっきのあのザマは何だ? おらに簡単に投げられちまったでねえだか。そんな弱っちいやつと結婚するわけにはいかねえだ」
「腹が減ってたからだ……」クルトはぺちゃんこになった腹を手で押さえてうめいた。「もう3日も水しか飲んでねえ」
 言ったとたん気が抜けたのか、彼はへなへなとその場に崩れるように座り込んで倒れた。
「クルト!」
「おい、大丈夫か」
 悟空はクルトを担ぎ上げると家の中へ運び入れ、牛魔王が遊びに来た時に使う客室のベッドに寝かせた。
「別に悪いところはねえみてえだな。腹一杯うめえもん食わしてやりゃ元気になるだろ」
 のぞきこんで客人の顔色を確かめたあと、悟空は、「じゃ、オラたち、ピッコロと修行してくる。あとは頼んだそ、チチ」と言うと、チチとクルトを置いたまま、さっさと客室から出て行ってしまった。
「ご、悟空さ」
 チチが後を追って外に出てみると、既に悟空は悟飯やピッコロと空高く飛んで修行場所へと向うところだった。声をかける間もなく、あっという間に夫は黒い点になり、入道雲の向こうへ消えた。
「そんな……」チチは取り残されたような気になり、ぽつりとつぶやいた。
「悟空さ、心配じゃねえんけ?」

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