DB小説目次HOME

恋月夜

プロローグ第1章第2章第3章第4章第5章第6章


第5章

 何も感じていないような悟空の態度には不満が残ったが、とりあえずはクルトの体調を元に戻すことが先決だった。外に放り出したままのクルトのリュックを拾って客室に戻ると、ちょうどクルトは目を覚ましたところらしく、虚ろな瞳をぼんやりと天井に向けている。
「ちょっと待っててけれな。今、何か持ってくるだよ」と言い置いて、チチは台所へ取って返し、朝食の残りのスープを温めて鍋ごと客室へ運んだ。たっぷりの野菜を卵でとじた、とろみのついた中華スープを椀に入れて差し出すと、一瞬、泣きそうな表情になったあと、クルトは椀ごとかぶりつくようにして
むさぼり食べた。
「よく噛んで食うだよ。腹がびっくりするだからな。あ、椎茸は消化が悪いから残した方がいいだ――って言ってる間にもう食っちまったのけ」
 呆れ顔のチチはクスクス笑うと、お代わりを椀によそった。クルトは何度かこみ上げてくる吐き気と戦いながら、ものも言わずに食べている。
 鍋のスープを一滴残らず一気に食べてしまうと、ようやく人心地がついた顔でクルトはベッドに引っくり返り、やがてすうすうと寝息を立て始めた。
(よっぽどくたびれてたんだべ)
 チチは小さく笑って掛け布団を直してやると、からっぽの鍋を抱えて台所に戻った。
 朝食の後片付けをし、家族の布団を干したり、悟空の道着の綻びを繕ったりする合間にチチは客室を覗き、客人の穏やかな寝顔を確認してはまた家事に戻った。
 そうこうするうちに昼が近づき、お腹を空かせて帰る夫と息子のために、彼女は昼食の仕込みにかかった。
「お母さん、ただいま」
 正午きっかりに悟飯が玄関のドアを開けて飛び込んでくる。
「お帰り、悟飯ちゃん」
 外では悟空がピッコロに、「また後でな」と声をかけている。
「ピッコロさは昼食どうすんだ?」
 家の中に入って来た悟空に尋ねると、「あいつは食わなくてもいいんだ」という返事だった。
「え、でも」
「お母さん、ピッコロさんは水しか飲まないんだよ。山頂の近くにピッコロさんだけが知ってるいい湧き水の出る場所があって、食事の時間になるとそこへ行くんだ」
「ふーん、そうだったんけ」
 悟飯の言葉に、チチはピッコロが飛び去った後の景色を窓越しに見て、「経済的だべ」と、羨ましそうにうなずいた。
「クルトとか言ったな。あいつの具合はどうだ?」
 悟空の問いにチチが答えるより先に、客室のドアが開いて当のクルトがしっかりした足取りで出てきた。
「おらならこの通り、すっかり元気になっただ」と、悟空とチチの間に割り込むと、チチの手を両手で握りしめる。「チチ、おめえの愛がこもった手料理のおかげでおらは助かっただ。おめえは命の恩人だ。礼を言わせてもらうぞ」
「そ、それはよかっただ」
 チチはクルトの手を苦労して振りほどき、「さ、悟空さも悟飯ちゃんも腹減ったべ。手を洗って来るだよ。飯にするだ」と、食卓の上に料理の皿を並べ始めた。
 手を洗いに行く途中で足を止め、おそるおそるといった表情で悟飯がクルトを横から窺っている。目が合うとクルトは、ずいと悟飯の顔に顔を近寄せて言った。
「おめえ、チチの息子だって言ったべ」
「は、はい。悟飯といいます。よろしく……」
「チチの息子なら、おらにとっても息子同然だ」クルトは悟飯の肩に両手をポンと置いて言った。「お父と呼んでいいぞ」
「な、何を訳わかんねえこと言ってるだ。子どもにヘンなこと吹き込まねえでけれ!」
 手を洗ってきた悟空は、「はっはっは。おもしれえやつだな〜」と、陽気に笑ったが、じろっとチチににらまれると、慌てて首をすくめた。

「おい、おめえ、勝負だ」いきなりクルトが悟空を指差して言った。「おらと勝負しろ。勝った方がチチと結婚するだ」
 絶句しているチチの脇で悟空が事も無げに言った。「ああ、いいよ」
「悟空さ、おめえは……!!」もし負けたらどうするつもりだと言いかけて、チチは我に返った。
(そうだべ、悟空さが負けるわけねえんだべ。そうだな、これがクルトを諦めさせる一番簡単な方法だべ)
 家の外の少し開けたところへ出て、悟空とクルトは20歩ほど離れて向かい合って立った。ルールは制限時間なしで、どんな技を使ってもよい。どちらかが「参った」と言ったら負けで、相手を殺しても負け――ということにして、チチの夫の座を賭けた試合が始まった。

 そして、開始からわずか3秒後、勝負はいともたやすくついてしまった。信じられないという表情を顔に貼りつかせたまま、気絶したクルトが草むらにうつ伏せに倒れている。悟空がはたしてどんな技を使って相手を倒したのか、チチにも見えなかった。
 悟空にかつを入れられて意識が戻っても、クルトはなかなか起き上がろうとしない。チチが名を呼びながらその肩を何度も揺すぶると、彼はようやくのろのろと両腕をついて顔を持ち上げた。
「さって、飯にすっか」
 何事もなかったように家に入りかけた悟空の背に、「待て!」と、クルトが声を振り絞った。「まだ終わってねえ。おらはまだやれるだ!」
 肩を貸して起き上がらせようとするチチの手を振り払い、歯を食いしばって立ち上がると、クルトは絶叫した。
「おらはまだ『参った』って言ってねえだーーーっ!!」
 玄関のドアに手をかけたまま、悟空が振り向いて言った。
「――わかった。おめえも武道家だもんな。気の済むまで相手してやっぞ。――でもな、クルト、おめえの体はまだ完全に回復してねえ。今続きをやるより、しばらくうちで暮らして体調が戻ってから再試合をするってのはどうだ?」
「望むところだ」
「ごっ、悟空さ!? 何言い出すだ。何べんやったってクルトがおめえに勝てるわけねえべ。第一、勝ってもらったら困るべ!? ――クルト、おめえも往生際の悪いこと言ってねえで諦めるだよ。男は引き際が肝心だべ」
 必死になって言い張るチチの狼狽をよそに、男たちは口々に「じゃ、飯にすっか」「腹が減っては戦は出来ねえだ」と勝手なことを言い合いながら、さっさと家の中へ入ってゆく。
「おめえたち、聞いてるんけーーーーーーーっ!!!」
 チチの叫びが虚しくパオズ山にこだました。

第4章へ / 第6章へ

DB小説目次へ

HOMEへ