ミステリ&SF感想vol.58

2003.03.31
『ウィッチフォード毒殺事件』 『バルーン・タウンの手毬唄』 『割れたひづめ』 『眼中の悪魔〈本格篇〉』 『果しなき流れの果に』


ウィッチフォード毒殺事件 The Wychford Poisoning Case  アントニイ・バークリー
 1926年発表 (藤村裕美訳 晶文社ミステリ)ネタバレ感想

[紹介]
 ロンドン近郊の街ウィッチフォードで毒殺事件が起こった。実業家の夫を砒素で毒殺した容疑で、ベントリー夫人が告発されたのだ。状況証拠は圧倒的で、有罪は間違いないとの評判だった。だが、事件に疑問を持ったロジャー・シェリンガムは、友人のアレックやおてんば娘のシーラとともにアマチュア探偵団を結成し、独自の調査に乗り出した。ベントリー夫人が無実だとすれば、真犯人は一体誰なのか……?

[感想]

 『レイトン・コートの謎』に続くバークリーの長編第2作。前作でもワトスン役をつとめたアレックに加えて、その親戚の娘・シーラがシェリンガムの捜査に協力していますが、彼ら三人のやり取りが非常に面白く、やや地味にも感じられる調査の連続にもかかわらず中だるみは感じられません。ただそれだけに、ラストがシェリンガムからの一方的な(?)手紙で終わってしまっているのがやや残念ではあるのですが。

 事件の方は、犯行の機会があった人物が意外に多く、誰が犯人であってもおかしくない状況です。実際、調査の進行に伴ってシェリンガムらの結論もころころ変わっていくのですが、非常にシンプルな事件であるだけに、それも当然といえます。このあたりが、多重解決の代表的な作品として名高い『毒入りチョコレート事件』を生み出す直接のきっかけになったのかもしれません。調査によって間接的に描き出される、犯人と目される人物たちの心理は様々ですが、いずれも印象深く、犯人の心理を重視したバークリーの面目躍如といったところでしょうか。最後に明らかになる真相もまずまずの佳作です。

2003.03.19読了  [アントニイ・バークリー]



バルーン・タウンの手毬唄  松尾由美
 2002年発表 (文藝春秋)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 『バルーン・タウンの殺人』『バルーン・タウンの手品師』に続く、妊婦が集団で暮らす町を舞台とした〈バルーン・タウン〉シリーズ第三弾です。かつて“妊婦探偵”として活躍した暮林美央もすでに二度の出産を終え、さすがに三度目の妊娠は厳しいということなのか、今回は最初の2作が過去の回想、3作目も過去の物語となっています。しかし、最後の作品では一種の安楽椅子探偵としてバルーン・タウンの事件に関わっており、まだまだ暮林美央の活躍の余地はありそうです。

「バルーン・タウンの手毬唄」
 “妊婦五か月、花にたとえりゃまだつぼみ/ゴマメに牛蒡に胡麻食べて/いつも笑顔でよいお産”――かつてバルーン・タウンではやった手毬唄をもとにした、連続見立て事件が発生した。妊婦が次々と睡眠薬で眠らされ、“母子手帳”が奪い去られた上に、眠り込んだ妊婦の周囲に手毬唄の装飾が施されていたのだ……。
 まさにバルーン・タウンならではの事件です。どこか間が抜けた感じの手毬唄に、牧歌的な雰囲気の見立て事件、そしてやや脱力させられる事件の真相……。これらがバルーン・タウンという舞台に組み合わされると、よくまとまったものに思えてくるところが秀逸です。

「幻の妊婦」
 暮林美央のところへ原稿を取りに来たものの、“2時間待ってくれ”と放り出された編集者。彼はバルーン・タウンをさまよううち、名前もわからない妊婦と出会い、楽しい時を過ごす。だが、その間に彼の上司である編集長が何者かに襲われるという事件が起きてしまった。容疑を受けた彼のアリバイを証明できるのは、“幻の妊婦”ただ一人……。
 いうまでもなくW.アイリッシュ『幻の女』が元ネタになっているのですが、残念ながらこちらの作品は未読なので、関連はよくわかりません。編集者に容疑がかかる理由はやや強引ですが、“幻の妊婦”の真相は強く印象に残ります。

「読書するコップの謎」
 小説家・須任真弓が、暮林美央のもとに新作のミステリを持ち込んできた。犯人を当てることができるかどうか、試してみてほしいのだという。バルーン・タウンを舞台とした殺人事件を扱ったその作品では、たまたまクローゼットの中にいた目撃者が目にしたのは、犯人のお腹のみ。その特徴ある“亀腹”から、ある妊婦が容疑者とされたのだが……。
 暮林美央がミステリの犯人当てに挑戦するという異色の作品です。作中作となるそのミステリは、伏線がやや親切すぎるのがやや難とはいえ、まずまずといっていいのではないでしょうか。不可解なタイトルの謎は最後に明らかになりますが、作中作と絡めるのはかなり強引に感じられます。

「9か月では遅すぎる」
 暮林美央のもとを訪ねる途中、江田茉莉奈刑事は奇妙な二人連れの男とすれ違った。彼らは、“9か月では遅すぎる”という奇妙な言葉を口にしていたのだ。果たしてその謎の言葉は、妊婦のことを指しているのか? やがて、バルーン・タウンにある宝石店で、不可解な盗難事件が起こり、保安部門の高山主任に容疑がかかってしまった……。
 タイトルを見た時にはF.ホイルのSF『10月1日では遅すぎる』が元ネタかと思ってしまいましたが(横田順彌{−弓}「十月十日では遅すぎる」という先例もありますし)、もちろんH.ケメルマンの名作「九マイルは遠すぎる」のパロディです。元ネタとは違って、“9か月では遅すぎる”“まして雨の日では”(大意)という台詞だけをもとにして真相が解き明かされるわけではないのですが、事件との絡み方は非常によくできていると思います。それにしても、“皇帝の母子手帳入れ”には笑わせてもらいました。

2003.03.23読了  [松尾由美]
【関連】 『バルーン・タウンの殺人』 『バルーン・タウンの手品師』 



割れたひづめ Mr. Splitfoot  ヘレン・マクロイ
 1968年発表 (好野理恵訳 国書刊行会 世界探偵小説全集44)ネタバレ感想

[紹介]
 “あたしがやるようにやってごらん、割れ足さん!” 三回手を叩いた少女に応えるように、トン……トン……トン……という音が――
 ――吹雪の中で立ち往生し、近くにあった屋敷〈翔鴉館〉に一夜の宿を求めたウィリング博士夫妻。だがその屋敷には、不吉な伝説の伝わる開かずの間があった。そこで眠る者は、必ず翌朝には死んでいるというのだ。ポルターガイスト騒ぎが起こったその夜、不吉な伝説を葬り去るために、くじで選ばれた男がその部屋で朝まですごすことになった。やがて鳴り響いた、異常を告げる呼び鈴の音。駆けつけた一同が目にしたのは、すでに息絶えた男の姿だった……。

[感想]

 本書は、本格ミステリからスリラー/サスペンスへと進んでいったマクロイが、原点である本格ミステリに回帰した作品ということになっています。が、“人を殺す部屋”やポルターガイスト現象といったオカルト的な道具立てがかもし出している、J.D.カーなどにも通じる雰囲気(特に、“死の部屋”で朝まですごす男をトランプによるくじで選ぶというくだりは、C.ディクスン『赤後家の殺人』そのままです)に負うところが大きく、本格ミステリとしてはやや落ちる印象を受けます。例えば、比較的早い段階で明らかになってしかるべき重要な事実が、かなり後になるまで伏せられているという点などはアンフェア気味です。伏せられている理由はわからなくもないのですが、やはり不自然にすぎるでしょう。また、事件後の捜査がほとんど人間関係を調べることにのみ終始しているところや、手がかりの弱さなども気になります。

 一方、登場人物の描写はなかなかよくできています。特に、〈翔鴉館〉に住む少女ルシンダと隣家のヴァーニャ少年については出色の出来で、ポルターガイスト現象に衝撃を受けるルシンダの姿は非常に鮮やかな印象を残しますし、彼らの事件への“介入”も、物語を面白くするのに一役買っています。無理に(?)本格ミステリを目指すのではなく、終始子供たちの視点で描いた方が優れた作品になったのではないでしょうか。

2003.03.25読了  [ヘレン・マクロイ]



眼中の悪魔 〈本格篇〉 山田風太郎ミステリー傑作選1  山田風太郎
 2001年刊 (光文社文庫や23-1)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 〈山田風太郎ミステリー傑作選〉の第1巻で、本格ミステリ色の濃い短編9篇と、〈連鎖式〉の長編『誰にも出来る殺人』が収録されています。手紙や手記という形式が多用されているのは特徴的といえるかもしれません。
 ベストは「厨子家の悪霊」ですが、いずれもよくできた作品ばかりです。

「眼中の悪魔」
 弟が兄に残した手紙。そこにつづられていたのは、弟の元恋人・珠江とその夫・片倉氏、そして珠江の兄・定吉という三人の間に繰り広げられた複雑な人間模様と、その果てに起きた殺人事件の顛末だった……。
 事件の犯人は明白かもしれませんが、その一種異様な手段は強く印象に残ります。また、“三段階の悪人”という概念も秀逸です。

「虚像淫楽」
 昇汞を飲んで瀕死状態に陥り、かつて勤めていた病院に運び込まれた元看護婦。その体には無数の傷跡が残されていた。すべては彼女の夫の仕業なのか? だが、当の夫はすでに、自宅で昇汞を飲んで絶命していたのだ……。
 何が起こったのかは明らかですが、“なぜ事件が起こったのか?”という真相が、瀕死状態となった元看護婦の容態の変化と歩調を合わせるように少しずつ解き明かされていくという構成が見事です。そしてその真相は衝撃的。

「厨子家の悪霊」
 厨子家の後妻・馨子夫人が惨殺された。状況からは、先妻の産んだ息子・気の触れた弘吉の仕業としか思えなかったのだが、やがて事件の背後に隠された悪魔のような企みが、少しずつ明らかになっていく……。
 短い中、何度も繰り返される目まぐるしいどんでん返しは圧巻です。また、その見せ方が非常に鮮やかです。傑作。

「笛を吹く犯罪」
 自殺を図ろうとする男が記した遺書。二人の医師と一人の女が書く日記。それぞれの思惑は複雑に絡み合い、やがて三角関係の果てに起こった殺人事件が描き出されていく。だが、しかし……。
 事件自体はさほどでもないかと思うのですが、最後のオチが強烈なインパクトを残します。構成の妙というべきでしょうか。

「死者の呼び声」
 アルバイト先の会社社長に結婚を申し込まれた女学生・蘆川旗江。彼女のもとに何者かが送りつけてきた封書の中には、探偵小説の形をとった、ある名家を舞台にした恐るべき犯罪劇がつづられていたのだ……。
 封書の中の“探偵小説”の中の封書……という入れ子構造によって、繰り返される犯罪劇が一層際立っています。

「墓掘人」
 深夜、同僚の会田の家に呼びつけられた橘医師は、会田が妻の姦通相手を毒殺して自殺を図ったのを発見する。茫然とする橘に、瀕死状態の会田は、妻が身ごもっているのが自分の子供かどうか判断してくれと頼んだ……。
 まだお腹の中にいる胎児の親子鑑定という難問を突きつけられる主人公ですが、それが登場人物の心理の追求につながるところがユニークです。表層から少しずつ深みに入り込んでいくその手法は、「虚像淫楽」にも通じるものです。

「恋罪」
 探偵作家・山田風太郎のもとに旧友から送られてきた手紙。その旧友は、かつて疎開していた時の憧れの女性・黎子と再会するが、黎子の夫が殺害され、彼女に容疑がかかったことから、風太郎に救いを求めてきたのだ……。
 “山田風太郎”は直接登場せず、旧友からの手紙だけで構成された作品です。その“山田風太郎”の扱いにもニヤリとさせられますが、最も印象に残るのはやはり、ある意味ユニークな犯人の姿です。

「黄色い下宿人」
 クレイグ博士の依頼を受けて、失踪したフィリモア氏の行方を探すシャーロック・ホームズ。その行く先々に姿を現し、怪しげな素振りを見せる謎の日本人。やがて、その下宿先で殺人事件が起こり……。
 A.C.ドイル&J.D.カー『シャーロック・ホームズの功績』などと同様、“原典”に登場する“語られざる事件”を描いた贋作です。事件自体もまずまずですが、この作品の最大のポイントは他のところにあります。そのネタがかなり有名になってしまっているのが残念ですが、非常によくできた作品だと思います。

「司祭館の殺人」
 口のきけない下男と共に暮らす、耳の聞こえない司祭。やがてそこに加わった盲目の美女をめぐって、奇妙な恋愛劇が繰り広げられていく。そして起こる殺人。事件の真相を見抜いたのは……。
 それぞれに障害を持つ、三人の風変わりな関係が印象的です。事件は皮肉な結末を迎えますが、さらにその後に驚きが待ち受けています。
『誰にも出来る殺人』
 人間荘というアパートの12号室に残された、歴代の間借り人による手記。そこに書かれていたのは、人間荘を舞台に繰り返される殺人事件の記録だった。
「女をさがせ」
 第一の間借り人は、13号室の山名という盲目の男が失踪した妻を探しているという話を聞く。その彼女は、どうやら同じ人間荘に住んでいるらしい。だが、それは一体誰なのか……?
「殺すも愉し」
 第二の間借り人は、16号室に住む仁木という男を悪の道に引きずり込もうとしていた。彼のつむじ曲がりを刺激して、4号室の津田という男を殺させようというのだ。はたしてその計画の行方は……?
「まぼろしの恋妻」
 第三の間借り人は、思い出にすがり、失踪した妻子を探し続けている15号室の椎名に同情し、ある計画を立てた。たまたま出会った気の触れた女性を、“まぼろしの恋妻”に仕立てようというのだ……。
「人間荘怪談」
 第四の間借り人は、奇妙な怪談に遭遇することになった。不慮の事故で妻を失った8号室の青沼が、妻の墓参りに北海道へと向かったのだが、人間荘の住人たちの不安が的中し……。
「殺人保険のすすめ」
 第六の間借り人は、14号室に住む座光寺から、保険金と引き換えに殺人時のアリバイを証明するという殺人保険の話を聞かされる。実は、第五の間借り人がその保険に申し込んだというのだ……。
「淫らな死神」
 すべての手記を読み終えた間借り人は、ここ人間荘で次々と起きた事件の裏に隠された、戦慄すべき真相に気づいてしまった……。
 山田風太郎お得意の〈連鎖式〉――長編化する連作短編――の(おそらく)最初の作品です。人間荘の12号室に残された5つの手記、そこに描かれた事件には、それぞれに意外な真相が用意されているのですが、それがさらに最後のエピソードで鮮やかにひっくり返されています。最終的にどこへ落ち着くかは比較的予想しやすく、意外性という意味ではやや物足りませんが、ラストは十分に衝撃的です。

 この作品が最初に発表されたのは1958年。その時点で〈連鎖式〉というユニークな構造が完成されていたというだけでなく、〈連鎖式〉と相性のいい“手記”という形式(一度決着したはずの事件を最後にひっくり返すためには、(外部からの)新たな視点の導入が重要になるでしょう。それを実践する上で、“手記”を利用したメタフィクション的手法は非常に効果的です)がすでに採用されていたことに驚嘆です。

2003.03.27読了  [山田風太郎]



果しなき流れの果に  小松左京
 1966年発表 (ハヤカワ文庫JA1)

[紹介]
 古墳の中の、白亜紀の岩層から発見された奇妙な砂時計。その砂は増えもせず減りもせず、しかしいつまでもさらさらと落ち続ける。その砂時計と古墳の謎を解こうとした関係者たちは、次々と奇禍に遭遇し、姿を消していく。肝心の砂時計もいつの間にか消え失せてしまい、奇怪な事件は終結したかに見えた。だが、その背後では、壮大な時の流れ全体にわたって、二つの勢力による激しい戦いが繰り広げられていたのだ……。

[感想]

 “時間”をテーマとした壮大なスケールの傑作SFです。“時間”、というよりも“未来”に対する考え方の異なる二つの勢力が、果てしない時の流れの中で繰り広げる激しい戦いが描き出されています。その戦いに巻き込まれた研究者・野々村の数奇な運命が物語の中心となっていますが、姿を消したその野々村をいつまでも待っている恋人・佐世子や、人類に警告を発し続ける番匠谷教授の姿も鮮やかな印象を残します。

 前半に「エピローグ(その2)」が、そして最後に「エピローグ(その1)」が配置されているのをはじめ、全体的にかなり複雑な構成となっている上に、場面や人物が次々と変わっていくこともあって、やや難解に感じられるのは否めませんが、いくつものエピソードを積み重ねた果てに残る人類の未来への想いは、深い感動を与えてくれます。

 最後の「エピローグ(その1)」を読んでから再び「エピローグ(その2)」を読むと、さらに何ともいえない感慨が生じます。

2003.03.30再読了  [小松左京]


黄金の羊毛亭 > 掲載順リスト作家別索引 > ミステリ&SF感想vol.58