ミステリ&SF感想vol.83

2004.05.07
『自来也忍法帖』 『オルファクトグラム』 『航路(上下)』 『捕虜収容所の死』 『狐罠』



自来也忍法帖  山田風太郎
 1965年発表 (文春ネスコ)ネタバレ感想

[紹介]
 伊賀上野に領地を持つ藤堂藩の若き跡継ぎ・藤堂蓮之介が、将軍家斉の面前で怪死をとげた。藤堂家の取りつぶしを恐れた家臣は、時の実力者・中野石翁のもとにはせ参じるが、家斉の第三十三子にして唖で気のふれた厄介者・石五郎を、蓮之介の妹・鞠姫の婿として押しつけられる羽目になってしまったのだ。早速藤堂家へやってきた石五郎の不埒な振る舞いをきっぱりとはねつけ、蓮之介の怪死の謎を探ろうとする鞠姫だったが、そこにはが待ち受けていた。窮地に陥った鞠姫と石五郎を救ったのは、“自来也”と名乗る白い覆面の忍者……。

[感想]

 風太郎忍法帖としては珍しく、正統派ヒーローとしての忍者が登場する作品です。私見では、ヒーローであるための条件として、(1)強力であり、(2)(少なくともある程度は)自らの意志で、(3)善(正義)を具現する、という三つを兼ね備える必要があると思うのですが、(今まで読んだ限りでは)ストレートな勧善懲悪の物語が少ない風太郎忍法帖においては、条件(3)に当てはまるものがほとんどありませんし、そもそも厳しい掟や上下関係に縛られた忍者という立場では、条件(2)を満たすことが困難です『江戸忍法帖』『柳生忍法帖』のように、忍者ではないヒーローが登場する作品はありますが)。その意味で、本書は例外中の例外といっても過言ではありません。

 それを成立させているのは、悪巧みを仕掛ける純粋な悪役の存在であり、また“自来也”の覆面による匿名性でしょう。つまり、はっきりした善対悪の構図が打ち出されるとともに、“自来也”がその正体を隠すことで何ものにも束縛されることなく自由意志で動けるようになっているため、上に挙げたヒーローの条件が満たされているのです。かくしてヒーローとしての役割を与えられた“自来也”の活躍は、それに救われるヒロイン役である鞠姫の生き生きとした魅力も相まって、ひたすらに痛快です。

 ストレートな勧善懲悪の物語であり、悪くいえば“ベタ”な展開となっているため、“先が読めない面白さ”をやや欠いている(誰が悪役なのかも序盤で明らかになっていますし)きらいはあるのですが、忍法による激しい攻防そのものはやはり見応えがありますし、何より伏せられた“自来也”の正体が興味をひきます。実際のところは、ミスディレクションやひねりが加えられているとはいえ、途中でその正体は見え見えになってしまうのですが、それはまったく瑕疵ではありません。読者には明らかでも鞠姫ら登場人物にとっては謎のままになっているため、それが鞠姫らに対して明かされるクライマックスが、ちょうど「水戸黄門」の“印籠タイム”のような(驚きを伴わない類の)カタルシスを与えてくれるのです。

 ある種の時代劇に通じる“お約束”や様式美を備えた、王道の面白さというべきでしょうか。再三繰り返される色仕掛け(というより“エロ仕掛け”?)が強烈ではありますが、全体的に非常に読みやすく、安心して楽しめる作品です。

2004.04.20読了  [山田風太郎]



オルファクトグラム  井上夢人
 2000年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 姉夫婦の家を訪ねたミノルは、姉が殺されかけている場面に出くわし、犯人に頭を強打されて意識を失った。そして1ヶ月後、奇跡的に意識を取り戻したミノルは、ある異変に見舞われた。様々な色と形の奇妙な粒子のようなものが、周囲に漂っているのが見える。ミノルはやがて、自分が“匂い”を見ていることに気づいた――イヌをも凌駕する精度で、様々な匂いを視覚で識別する能力を手に入れたのだ。その特殊な能力で、失踪したバンド仲間の行方を、そして姉を殺した犯人を探し出そうとするミノルだったが……。

[感想]

 “岡嶋二人”の解散以降、しばしばSF/ホラー的な要素を積極的に取り入れた作品を発表している井上夢人ですが、本書では“匂いを見る能力”という特殊な設定のもと、ユニークな物語が展開されています。

 まずはやはり、この特殊能力そのものが非常にうまく考えられているところに注目です。盲人における視覚の補完の例なども引き合いに出しながら、特殊能力のメカニズムと、主人公がそれを獲得するに至った経緯が丁寧に説明されることで、荒唐無稽ともいえる設定に説得力が加えられています(これについては、主人公の双子の兄に関するエピソードも見逃せません)。そして、その能力を獲得した主人公の視点を通して見えてくるのは、ひたすら美しく、想像力を刺激する未知の世界。丹念に描写されているのももちろんですが、“匂い”をそのまま描くのではなく視覚によるイメージに置き換えているところが巧妙で、主人公ただ一人が認識する世界の姿が、読者にとっても把握しやすいものになっています。

 手に入れた能力を使いこなせるようになった主人公は、失踪した友人や姉を殺した犯人を探すためにその能力を役立てようとしますが、ここでは、残留する痕跡を探知できるという、視覚に勝る嗅覚の最大の利点がうまく生かされており、わずかに残る痕跡をもとに、誰が、どのような行動をとったか、というところまで明らかにされていく場面は、魔法のように鮮やかな面白さを備えています。そして、その能力及び得られた手がかりを他人に納得させる困難性も、かなりのボリュームを費やしてしっかりと描かれています。正直、中盤あたりはやや冗長に感じられる部分がなくもないのですが、やはり説得力を増すためには不可欠なのかもしれません。

 ミステリ部分(犯人探し)については、どちらかといえば警察小説などに近い味わいで、本格ミステリ的な要素を期待される方には物足りなく感じられてしまうかもしれませんが、そもそも主人公の能力の特性上、推理による謎解きではなく(犯人に直結する)手がかりの収集/追跡が中心となるのは必然といえるでしょう。そして、本格ミステリ的な謎解きを欠いているとはいえ、主人公が犯人に到達するプロセスには工夫が凝らされて十分に面白いものになっています。また、随所に犯人の視点による描写が挿入され、追われる立場に転じることによる緊迫感が少しずつ高まっていくのも見どころで、これが終盤の対決場面を一際スリリングなものにしています。

 犯人の動機がほとんど説明されないところが不満といえば不満ですが、それもさして重要ではないでしょう。ミステリの要素を取り入れた、現代的な超能力SFの傑作といっていいのではないでしょうか。

2004.04.21読了  [井上夢人]



航路(上下) Passage  コニー・ウィリス
 2001年発表 (大森 望訳 ソニー・マガジンズ)ネタバレ感想

[紹介]
 認知心理学者のジョアンナは、病院で臨死体験者の聞き取り調査を行い、その機構を科学的に解明しようとしていた。そこへ訪れた神経内科医のリチャードは、疑似的な臨死体験を人為的に引き起こす薬物を使い、臨死体験中の脳の状態を記録する研究計画を立ち上げ、ジョアンナに協力を求める。しかし、相次ぐトラブルにより被験者が不足し、実験は暗礁に乗り上げてしまう。かくして、ジョアンナ自身が被験者として臨死体験に挑むことになったのだが……。

[感想]

 臨死体験の謎を探る医学サスペンス/SFの大作です。主人公のジョアンナは、臨死体験をあくまでも科学的に解明しようとする立場で、当初は地道な聞き取り調査を通じて、後にはリチャードとの共同研究による臨死体験のシミュレーションを通じて、臨死体験の謎を探っていきます。この“科学的”という姿勢は、ことあるごとに登場する、臨死体験をあの世からのメッセージだとする“ノンフィクション”作家と対比されることで、より一層強調されています。

 物語は、ややミステリ的な興味とともに進行していきます。自ら被験者となったジョアンナが、(擬似)臨死体験で訪れたのはどこなのか。そして、臨死体験の意味とは何なのか。散りばめられた様々な手がかりを少しずつつなぎ合わせて、ジョアンナが真実へと迫っていく過程は、なかなかにスリリングです。そして、その真実そのものもよくできていて、特にジョアンナが臨死体験の中で訪れた場所には唖然とさせられます。また、予想を裏切る展開をみせるプロット(の骨格)も秀逸です。

 難点としてはやはり、あまりにも長すぎることでしょう。本書では、臨死体験と現実の二元中継や、数多くの脇役たちが繰り広げるコメディなど、『ドゥームズデイ・ブック』と同じような手法が用いられているのですが、そちらよりも回り道がかなり多く、本筋の物語がなかなか進んでくれません。また、一部の登場人物があまりにしゃべりすぎるのも気になるところです。手がかりや伏線として必要だというのはわからないでもないのですが、次の展開が大いに気になるにもかかわらず、なかなかそこへたどり着けずにいらだちが先に立ってしまうという状態で、リーダビリティがかなり低くなっているのは否めません。個人的にはせめて半分程度の分量にしてほしかったところです。

 特に下巻などは一部読み飛ばしてしまった箇所もあるため、今ひとつ理解できていないところもあるのですが、改めて読み返すだけの気力はありません。基本的には面白い物語であるだけに、非常に残念です。

2004.04.27 / 04.28読了  [コニー・ウィリス]



捕虜収容所の死 Death in Captivity  マイケル・ギルバート
 1952年発表 (石田善彦訳 創元推理文庫238-02)ネタバレ感想

[紹介]
 1943年、イタリアの第127捕虜収容所。英国人捕虜たちは密かに脱走を企て、外部へ向けてトンネルを掘り続けていた。そして、ようやく貫通が近づいてきたある日、かねてからスパイ容疑をかけられていたギリシア人捕虜の死体が、トンネルの天井部から崩落した大量の土砂の中に埋もれているのが発見されたのだ。しかし、巧妙に隠されたトンネルの入口は、4人がかりでなければ開けられないはずだった。誰もが困惑する中、トンネルの露見を防ぐために、ひとまず死体を移動して事故を装ったのだが、やがて捕虜の一人が殺人容疑で拘束されてしまい……。

[感想]

 捕虜収容所からの脱走をテーマとしたサスペンスと、特殊な状況下での謎解きを扱った本格ミステリとが融合した作品です。密かに進められていたはずの脱走計画の中心となるトンネルの中に、突如変死体が出現することによって、脱走計画と謎解きが分かちがたく結びつき、さらに中盤以降新たな問題が浮上してくることで、非常にスリリングな物語となっています。

 本格ミステリ部分の一つ一つのネタを取り出してみるとさほどでもなく、特に序盤の不可能状況などはそのインパクトに比べて真相が力不足なのは確かです。が、複数のネタをまとめ上げ、さらに脱走サスペンスと絡めたその見せ方こそが、本書の最大の魅力といえるのではないでしょうか。

 また、捕虜収容所という特異な舞台設定についても、自身が捕虜収容所に囚われた経験を持つ作者ならではの丁寧な描写が秀逸です。さらに、多数の登場人物の描き分けもまずまずですし、脱走に熱心なグループと無関心なグループからなる英国人捕虜、そして正規兵とファシスト党員とに分かれるイタリア軍側という風に、両陣営ともに温度差があるところなども興味深いものがあります。

 脱走計画の決行が目前に近づくにつれてしっかりと盛り上がっていく反面、クライマックスを経た後のラストがややあっさりしたものに感じられるきらいはあるのですが、やはりここでも見せ方には工夫が凝らされていると思います。題材のユニークさも含めて、全体的によくまとまった佳作といっていいでしょう。

2004.04.29読了  [マイケル・ギルバート]



狐罠  北森 鴻
 1997年発表 (講談社)ネタバレ感想

[紹介]
 東都芸術大学に学び、英国人教授“プロフェッサーD”との結婚と離婚を経て、現在は店を持たない骨董屋(旗師)を営む宇佐見陶子。若さに似合わぬ凄腕の目利きとして活躍する彼女だったが、銀座の老舗・橘薫堂の主人が仕掛けた精巧な贋作の罠、“目利き殺し”に嵌まってしまう。騙された側が己の不明を恥じるしかないこの業界、雪辱に燃える陶子は、橘薫堂に対して“目利き殺し”を仕掛けるべく、“プロフェッサーD”のつてを頼って稀代の贋作師に仕事を依頼する。ちょうどその頃、橘薫堂では、古参外商員が刺殺体となって発見される事件が起こり……。

[感想]

 北森鴻の(おそらく)出世作にして、古美術品業界を舞台にしたコン・ゲーム+本格ミステリというユニークな作品です。まず、特殊な業界の事情が面白く、かつわかりやすく描かれているのが秀逸で、とっつきにくいところはまったくといっていいほどなく、序盤からぐいぐいと引き込まれてしまいます。このわかりやすさは、例えば岡嶋二人の競馬もの(『焦茶色のパステル』など)にも通じるものですが、一般的にはなじみの薄い題材を魅力的に描くには必要不可欠といえるでしょう。

 そして、その中で繰り広げられるコン・ゲーム、“目利き殺し”という名の凄絶な騙し合いが非常によくできています。本格ミステリ風に表現すれば、トリックそのもの以上に、その使い方とプロットの巧妙さが光る、というべきでしょうか。細部まで考え抜かれた罠の精緻さには脱帽です。と同時に、あくまでも業界内において、とはいえ、その騙し合いが善悪を超越した、ほぼ純粋な“ゲーム”(勝負)であることがはっきりしているため、贋作に関わることになる主人公・陶子に感情移入しやすくなっているのも見逃せません(このあたりは、山田正紀『贋作ゲーム』なども連想させるものです)。

 出色の出来であるコン・ゲーム部分に対して、殺人事件を中心とした本格ミステリ部分はやや脇へ押しやられてしまっている感もありますが、それでもなかなかよくできていることは間違いありません。特殊な業界の事情に戸惑いながらも少しずつ手がかりを拾い集めていく、二人の刑事のしたたかな捜査手法は十分に面白いものですし、終盤に展開されるロジックも鮮やかです(やや意外性に欠けるのは致し方ないところかもしれません)。何より、本格ミステリ部分がとってつけたような印象になってしまうという、この種の作品にありがちな弱点もさほど感じられず、全体的にうまくまとまっていると思います。

 登場人物もそれぞれに個性豊かに描かれ、物語に十分な深みを与えていますし、若干のほろ苦さを感じさせる結末もまた見事にはまっています。ひたすら面白く、ほとんど非の打ち所の見当たらない、必読の傑作です。

2004.04.30再読了  [北森 鴻]
【関連】 『狐闇』 『緋友禅』


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