2004年11月27日づけ朝日新聞大阪本社版芸能面のアニメについての記事。
テーマは《いまなぜアニメ番組なのか
》で、
《「主人公が年を取らないので、いつまでも腐らない貴重な素材。
『サザエさん』が象徴的」とあるテレビ局関係者
》。
2005-07-12 (2) 02:21:51 +0900
2004年11月27日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面の、
高校生橋本紗由美さんの投書「ネイティブと話せる能力も」に
《週1回、大学の英語ワークショップという講義に参加している。
そこではネイティブ(母国語にしている人)
と日本人の2人の先生が指導してくれ
》とある。
編集部が説明のために挿入した句の可能性もある。
2005-07-12 (2) 02:17:25 +0900
2003年8月6日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、 94歳の無職、田中きりさんの投書「電子辞書使い / 記憶力心配だ」。
私は時にはふっと思うのである。 それは辞書に頼っていた時のように、 ページをくったり文字の細かさに苦労したりすることもない。 ただ、この便利さに甘えて、その文字を記憶しようとの意志もうせ、 頭の体操もさることながら、 記憶力の減退につながるのではないだろうかと。
《電子辞書を使うと単語を覚えなくなるか?》 でとりあげたのと同趣旨の投書である。
2005-07-12 (2) 01:57:55 +0900
《国際平和シンポジウム基調講演での山折哲雄氏の聖書の引用箇所はどこ?》 でとりあげた、 2003年8月6日づけ朝日新聞大阪本社版のシンポジウム報告の基調講演。
砂漠に囲まれたエルサレムで、 人々は天上のかなたに唯一絶対の神を求める必要があった。 豊かな自然に恵まれた日本では、 森に入れば森の中で、 山に入れば山の中で生命の息吹を、そして神の存在を感じることができる。 そうした風土が神々への信仰と複数の宗教の共存を実現したと言える。
神はいたるところにいるのでは。詩篇 139 参照。
「複数の宗教の共存」とは何を指すのか、はっきりしない。
最後の段落では
《残された道はガンジーの非暴力の思想と日本的な諸宗教の共存の体制ではないか
》
と述べているが、複数の宗教が真の意味で共存していた、
すなわち、
諸宗教がお互いに干渉せずに信仰されていた時代・場所はほかにも多くあると思う。
「複数の宗教の共存」ではなく「複数の宗教の混交」のつもりなのではあるまいか。
特定の宗教を念頭におき、これと混交しない宗教は排除する、 という発想につながらないだろうか?
2005-07-12 (2) 01:41:14 +0900
カトリックもプロテスタントもキリスト教にかわりはないので、 カトリック教徒がプロテスタントの教会を訪れた場合、「信者」になると思う。 ただ、世間では、特定のキリスト教会を指して「信者」と言うと、 その教会に登録されている人、すなわち、教会員のような意味になるようである。
2004年11月16日づけ朝日新聞大阪本社版には、 そのような例が二つ載っていた。
一つは、篠田節子氏の連載小説「讃歌」第 61 回。
教会でのコンサートの場面で、
《教会側も手作りのポスターを近所に貼り出したために、
近隣の信者と園子のファンクラブの人々が集まってきたのだ
》
とあるのがそう。
もう一つはオピニオン面「声」の、無職森井俊三さんの投書
「再生した畑に子どもの歓声」。
《併設幼稚園の園長も兼ね
》ている
《地元のキリスト教会の若い牧師さん
》に畑を無償提供したそうだが、
《園児はもちろんお母さんたちも農業は初めての人が多い。
特に力仕事では、信者で経験のある人が指導役になっている
》。
付) お寺で言うならば、仏教徒はすべて信者であろう。 特定のお寺に登録され、そのお寺を支えている人は「檀家」と呼ばれる。 それと似た状況である。
2005-07-12 (2) 01:08:53 +0900
妹尾は姓。 最初は「病も重い」から作り始めたのだが。
2005-07-12 (2) 00:16:08 +0900
きょうづけの朝日新聞大阪本社版 be on Sunday の第 7 面「目の冒険」は
「錯視の話」の2回目、「ふつうに見える方が不思議」。
筆者は立命館大助教授の北岡明佳氏。
少数だが、錯視が起こらない人もいるそうだ。
私は、《どんぐりの輪が勝手に回転して見える
》というのだけ、
そう見えない。
先週掲載分もそうだったような。
2005-07-10 (0) 23:58:48 +0900
きょうづけの大阪本社版 be on Sunday の第 3 面「チカラのひみつ」は
「ラオスの歌手 アレクサンドラ・ブンスアイさん」。
《「それでも悲しかったり、
腹がたったりすることもある。
「そういうときには、すぐ寝ちゃんです」と笑った
》とある。
「すぐ寝ちゃん」ってはやっているのかな、と思い Google で調べたが 1 件のみ。
《歌唱力と滑らかな日本語は、聴衆を魅了した
》とあるが、
インタビューが日本語で行われたかどうかは書いてない。
《文・和田公一
》と署名あり。
すぐ寝る子を人名めかしていった語、かと思ったのだが。
2005-07-10 (0) 23:57:06 +0900
カーテンコールで幕を開け、もう一度舞台を見せるとなると、 そこも演出の一部、とも考えられる。 本編では水を使わない演出の「オランダ人」で、 カーテンコールに出てきたオランダ人とゼンタだけずぶぬれ、 というのを考えたが、単なるウケ狙いだな。
2005-07-10 (0) 23:49:10 +0900
21時からちょっと前まで、 録画しつつ別の部屋にいたのだが、途中で様子を見に行ってびっくり。 ソプラノ・アルトのかけあいで「ああっ」「ああっ」という声が聞こえる。 何だろうとしばらく調べて、テープが“泣いて”いるのだと気づいた。 CMのときに止めると音もやむ。 デッキの置いてあるのが別の階にも音が通りやすい位置なので、 23時になるとちょっと迷惑だろう。 がどうしようもなかった。
2005-07-10 (0) 23:44:02 +0900
「むずい」は「むずかしい」の俗語。 学生はかなり正式な場面でも使う。
2005-07-10 (0) 16:02:33 +0900
前項に関連。 私は知らなかった。
2005-07-10 (0) 15:59:56 +0900
長さの単位としてはメートルよりもフィートのほうが優れている、 と主張するのを読んだことがある。その理由は、 「1フィートはどのくらいか示してください」 と聞くと正しく答えられる人が多いのに対し、 1メートルだとそうはゆかない、というのである。
そのとき私が感じたのは、 1フィートと比べて、1メートルは実際にそれほど使われる長さではないからな、 ということだった。 机の上の作業をしている人にとって、1メートルは長すぎる。 一方、建築などの仕事にたずさわる人には、1メートルという長さは短すぎる。 1メートルという長さは実際にはあまり使われないのである。 だから、もし1メートルの代わりに30センチメートルでテストしてみたら、 結果はフィートと変わらないのでは、と思ったのだった。
上に述べたのはずいぶん前のことだった。きょう気づいたこと。 そのテストの際、自分の身体を利用することは許されるのだろうか。 1フィートと30センチメートルはほぼ同じ長さだが、 「ほぼ“私のひじからこのあたりまで”の長さだったから」のように、 自分の身体をヒントにして答えてもよいのかどうか。 それによってかなり変わってくるだろう。 たとえば、手を後ろに回したままで答えさせるとか。
2005-07-10 (0) 15:54:03 +0900
.forward による転送は無限ループにはいらぬよう、 回数を数えて途中でやめることになっている。 また、vacation にはいったん自動返信した相手には決まった期間のあいだ自動返信しない機能があるが、 その期間をゼロに設定してあるとする。
実験するなら、まずは二つのアカウントで試し、 N を知ることからだな。
付) 上の推理が正しいとすると、 三つじゃなくてより多くのアカウントでやればもっと多くなる。
付) 三つのアカウントの .forward は全く同じでもよい。 A, B, C に転送と vacation である。 その場合、これら三つのアカウントにもかなりの数のメールが届く。
2005-07-10 (0) 15:39:34 +0900
冷房の目安であるセ氏 28 度はカ氏 82.4 度、 暖房の目安であるセ氏 18 度はカ氏 64.4 度である。 カ氏で覚えやすくするには 80 度と 65 度であろうか。 これらをセ氏に直せば 26.666... 度と 18.333... 度である。 冷房温度は少し低すぎか。82 度なら 27.777... 度。
2005-07-10 (0) 14:02:31 +0900
NHK ラジオのお昼のニュースを聞いていたら、 ロンドンでのテロ事件に関連してバーミンガムが出てきたが、 アナウンサーは「バーミンカ゜ム」と発音していた。 「ガ」が鼻濁音だったのである。 カタカナで書かれる外来語・外国の固有名詞の場合、 鼻濁音は使わないのが原則ではなかったか。
英和辞典をひいたところ、 ここは n と g の合体した発音記号の音、 すなわち鼻に抜く音であった。 しかし、 これを理由に NHK アナウンサーが鼻濁音を使ったとも思えない。 また、その前の「ン」と一緒になって「カ゜」となるので、 現代の日本人の耳で音写するなら「バーミカ゜ム」になるかと思われる。
「バッキンガム」も同様の例だ。
2005-07-10 (0) 13:25:44 +0900
木曜の深夜(厳密には金曜の未明)に、 本だなにスター・ウォーズ「エピソードII」の DVD があるのを発見。 見始めてしまったのでアップロードが遅れました。
2005-07-10 (0) 02:47:16 +0900
「和服の売り場はどこですか」 「呉服売り場は4階です」 「いえ、呉服じゃなくて和服を見たいんですが」 「呉服売り場は4階です」 「ですから、中国の服じゃなくて、日本の服を見たいんです」 というような会話が想像される。
ほかに「唐服」「漢服」とかもあったりして。
2005-07-10 (0) 02:42:33 +0900
前項を書くにあたって広辞苑第五版で「カーテンコール」をひいたところ、
「演劇などの幕切れに喝采して
」とあり、
どうも意味がおかしく思える。
しばらく考えて、「幕切れ」という語を誤解していたことに気づいた。
「幕の終わり近く」の意味だと思っていたのである。
「幕切れでヴォータンは最愛の娘ブリュンヒルデを眠らせる」
という言い方は間違いだったんだ。
2005-07-10 (0) 02:31:48 +0900
9日づけ大阪本社版生活面「疑問解決モンジロー」は 「歌舞伎でカーテンコール?」。
記者の体験記の部分に
《拍手のなか、ほどなく幕が開く。お。
これがカーテンコールでごザルな
》とある。
また、《日本の伝統芸能には幕が下りたら、
さらに次に向かって精進する『芸道』という考え方がある。
いったん引いた幕を開けないのは日本の芸の潔さにも通じる」
というのは、
歌舞伎など伝統芸能に詳しい元NHKアナウンサー山川静夫さん。
「でもオペラなどの影響で観客がカーテンコールを覚え
》
ともあるのを読むと、
カーテンコールとは一度下ろした幕を再び開けて行なうもの、
と読めるのだが、私の記憶では幕の前に呼び出していた。
辞書にあたると、 リーダーズ英和は「幕前に」。 ジーニアス英和は指定なし。 COD 第8版は“幕の下りたあとで”としているのみ。 広辞苑第五版は「舞台上に」。 新明解国語辞典第五版は「幕(カーテン)の前または幕のあいた舞台に」。
以上からすると、幕を再び開けることは必須ではないのではあるまいか。
後半ではオペラに詳しい人に聞いているのだが、 そこには幕を開けるかどうかの話は出てこない。 記者の思い込みで聞かなかったのでは。
2005-07-10 (0) 02:21:27 +0900
6月20日づけ大阪本社版総合面「硫黄島を首相訪問 / 追悼式に出席」。
《「硫黄島戦没者追悼式」に出席した
》、
《追悼式は、改修工事が終わった「硫黄島戦没者の碑」のそばで行われた
》
とあるが、地の文として、
《2万8千人にものぼる戦死した日米両軍兵士の霊を慰めた
》とある。
「霊を慰めた」の表現はここのみ。
これは朝日新聞の解釈なのか、首相側の発表か。
2005-07-08 (5) 00:20:52 +0900
新聞の折り込みではいってきた易のチラシに
2005-07-07 (4) 02:13:29 +0900
前項、前々項の続き。
「責善之道
」の「責」に「ママ」と振ってあるのは、
「積善之道」の書き誤りであろうがそのまま引用するの意味であって、
読みではなかろう。
2005-07-07 (4) 01:57:17 +0900
前項の続き。
引用はふりがなつきだが、「漢字の読みは参考
」とされている。
現代かなづかいで振っているようだが、
「不申候而ハ
」の漢字に「もうさずそうらはで」
と振っているのは後半のみ歴史的かなづかい? 現代かなづかいなら「そうらわで」
だろう。文語だから変に感じるけど。
(「もうしそうらわで」ではないのかな?)
2005-07-07 (4) 01:55:16 +0900
6日づけ大阪本社版文化面
『「舞姫」モデル エリーゼ / 「鴎外と手切れ」に異論』に
《鴎外の東大同窓生・小池正直が上司石黒忠悳にあてた明治22年4月16日付書簡
》
が引用されている。
漢字とカタカナで書かれているが、
《チュービンゲンへ
》の「へ」と
《候得とも
》の「とも」ともう一箇所の「も」だけがひらがなである。
助詞の「へ」はほかにも五回出てくるが、あとはすべてカタカナの「ヘ」。
2005-07-07 (4) 01:47:53 +0900
6日づけ大阪本社版「文化総合」面のスター・ウォーズの記事に
《第1作を小〜高校時代に見た30、40代
》とある。
「小学校〜高校時代」の意味だと思うが。
2005-07-07 (4) 01:38:02 +0900
斉藤勝寿と署名あり。
2005-07-08 (5) 00:12:55 +0900
6日づけ大阪本社版国際面
「ウィリアム王子卒業旅行 / 初の単独公式訪問 NZへ」
の最後に
《9日には女王の代理として第2次世界大戦戦没者慰霊碑に献花する
》
とあるが、
この「慰霊」は現地では何と呼ばれているのだろう? 小倉いづみ記者の署名あり。
2005-07-07 (4) 01:33:31 +0900
IV の特別版でも I でも、ふだんは影が一つだけ。
2005-07-07 (4) 01:29:14 +0900
ちょっと前にテレビで放送されたのを録画してさっき見ていたら気がついた。 かなり高い位置の観客席で賭けに負けた Watto が Qui-Gon Jinn に難癖をつけるがあきらめるシーン。背景はほとんど人が去った観客席。
で、探査ロボットを放った Darth Maul は Anakin が自由になったことを知り、そのあと襲ってくる、 というつながりだったのか。
2005-07-07 (4) 01:23:36 +0900
IV の冒頭のシーンでは、 帝国軍兵士がバーナーか何かでレイアたちの船のドアを焼き切ってはいってくる。 そして船の乗組員と撃ち合いになり、何人かは倒される。
一方、 I の冒頭には、Qui-Gon Jinn がライトセーバーで金属製の扉を突き破るシーンがある。 また、ジェダイはライトセーバーで弾丸を簡単にはね返す。
だったら、 ダースベイダー自身がライトセーバーで船のドアを焼き切り、 最初にはいってくれば、 帝国軍側の損失はまったくなかったのではあるまいか?
III を見ると、ダースベイダーにそれができない理由がわかる?
2005-07-07 (4) 01:09:55 +0900
原綴は milli だから。 ほかに yotta, zetta, atto を 「ヨタ」「ゼタ」「アト」から「ヨッタ」「ゼッタ」「アット」に、 というのも考えられる。
(私は主張していません。)
2005-07-07 (4) 00:50:40 +0900
centi だから「センティ」のほうが近い。
(私は主張していません。)
2005-07-07 (4) 00:49:46 +0900
1999 年版「理科年表」の物理部に載っている一覧を見ると、 特に英語に依存しないよう読ませているようだが、 その中で micro を「マイクロ」と読ませるのだけが異色である。 「ミクロ」でいいと思うのだが。
一方、 micron は英語では「マイクロン」のように発音するのに、 日本語としては「ミクロン」と言っているわけだ。
2005-07-07 (4) 00:48:05 +0900
本文ナシ
2005-07-07 (4) 00:36:20 +0900
ウン十年生きてきて、きょう行きのバスの中で初めて気がついた。 「直美」は湯桶読み名前ってことか……。
漢和辞典をひくと呉音だそうだ。 上代特殊かなづかいは甲類。mi だ。
2005-07-07 (4) 00:14:49 +0900
6月18日づけ大阪本社版社会面の、人見絹枝さんの日記が発見されたという記事。
日記からの引用に
《神は私を助け給ふた
》とあり、
「給」には「たも」とふりがなが振ってある。
歴史的かなづかいなのだから、ふりがなは「たま」ではないか?
2005-07-06 (3) 02:20:58 +0900
6月18日づけ朝日新聞大阪本社版掲載の、Windows XP の広告。 子どもの夢という形で書いてあって、 ノートブックに計算がしてあるが、そこに
y | | | ・−−−− / / xのような座標軸が書かれている。 右へ向かう軸に書かれた文字は読めないが、 x、yとくればzが想像される。 そうだとすると、これは慣習に反して左手系をなしている可能性が高い。 (絶対にそうだとは言いきれないが。)
2005-07-06 (3) 02:17:34 +0900
6月18日づけ朝日新聞大阪本社版の、 「でんきを消して、スローな夜を」という全面広告。 http://www.candle-night.org/, http://www.team-6.jp/ という二つの URI が書かれている。
「でんきを消して、スローな夜を」の下には英語で 「Turn off the lights, take it slow.」と書かれている。 「でんき」と light の間にはギャップがある。
二三十人の人から二三十字ずつで寄せ書きをしてもらった形になっているが、
暗いままにせよ、キャンドルをつけるにせよ、
起きていることが前提となっているようである。
「4日間よる8時から10時 みんなでいっせいにでんきを消しましょう
」
とあるが、
「8時にはねてしまいましょう
」ではない。
このころの東京の夜明けは3時47分ごろである。
(日の出は4時すぎだが。)
《CO2 削減に取り組む環境省とパートナーシップを組んでいます
》
とあるが、
キャンドルをつけようと書いている人もいる。
キャンドルと蛍光灯で、どれだけ二酸化炭素の排出量が違うのかが書かれていない。
CDなどで音楽を聴こうという人もいるが、その電気は。
それより何より、 電灯を消すこととスローな生活との関係がわからない。 単に「古きよき時代」を「スローな生活」と言っているのだろうか。 《スカイパーフェクTV社長の重村一氏の「スローな世界」ってどういう意味?》 にやや関連。
付)
《6/18(土)〜6/21(火・夏至)
》という書き方をしているが、変。
「夏至」をこんなふうに書く習慣はないだろう。
「火」と「夏至」が合わさるとすごく暑そう。
2005-07-06 (3) 02:09:43 +0900
6月18日づけ朝日新聞大阪本社版総合面の記事に、
細田官房長官が
《「(首相の)私的参拝なので、政府として答えるわけにはいかない」
》
と述べたとある。
2005-07-06 (3) 01:50:18 +0900
4日づけ朝日新聞大阪本社版「天声人語」で、
「巨人・大鵬・卵焼き」について、
《最初は「長嶋・大鵬・卵焼き」だった、
と作詞家の阿久悠さんが本紙に書いていた
》とあるのを読んで、
ふとそう思った。
ただ、そうすると、卵焼きもリハビリのイメージが強くなるだろうから、 卵業界から「イメージが損なわれる」とクレームがつくような気もする。
2005-07-06 (3) 01:45:58 +0900
6月18日づけ朝日新聞 b2 面「読み・解く 経済」。
筆者は「玄田有史(東大助教授)
」。
その第二段落に
《かつて魯迅はハンガリーの叙情詩人ぺテーフィの言葉を借りて
》
とある。
たぶん、
「ぺ」がひらがななのは誤植であり、
「ペテーフィ」という人名なのだと思う。
2005-07-06 (3) 01:40:20 +0900
6月18日づけ be の e7 面掲載分。 12 枚の絵のうち、違っているのに気づいたものから印をつけていったが、 最後の 3 枚になってから、 違いのある 1 枚がなかなかわからなかった。 描かれているのは
いっときは、枠の違いかと思った。 枠は、下の図のような感じで、絵を囲んでいるのだが、 でっぱっている部分の長さが違うのかな、と考えたのである。
/ \ −/−−−−−\− / \ |/ \| / \ /| |\ | | | | | | \| |/ \ / |\ /| \ / −\−−−−−/− \ /枠の上に丸囲みで絵の番号が書かれているので、 枠は問題に含まれないようにも思える。 どっちなんだろう?
《朝日新聞>be パズルの「同じもの探し」をつい始めてしまう》 とやや関連。
2005-07-06 (3) 01:29:59 +0900
5日づけ大阪本社版社会面「戦没殉職船員遺族集いに両陛下出席」。
《遺族らは例年、神奈川県横須賀市の戦没船員の碑で追悼式を開いてきたが
》
とあり、「慰霊」の語は使われていない。
2005-07-06 (3) 01:14:48 +0900
5日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「快適系」に「ウオツカ式」 とあるから vodka を使って快適にという話かと思ったら 魚柄仁之助(うおつかじんのすけ)という名前の食生活研究家であった。 本名かどうかはわからないけど。
魚塚という姓も考えられるな。
2005-07-06 (3) 01:10:43 +0900
後者は「書けるようになりたい」ぐらいの意味かもしれぬ。
2005-07-06 (3) 01:07:36 +0900
鳴江太郎は架空の人名。
2005-07-05 (2) 20:21:55 +0900
3日づけ大阪本社版読書面。
ジョン・カルショー著、山崎浩太郎訳「レコードはまっすぐに」(学習研究社)
の書評。評者は《小高賢(歌人)
》。
冒頭に《LP、ステレオ登場という時期に、
史上初の「ニーベルンクの指環」全曲録音などで、
伝説的な名を轟かせたレコードプロデューサーの自伝
》とあるが、
全曲録音ならそれ以前にもある。
ライブでなくスタジオ録音で、とか、ステレオ録音で、
とかいうような条件がさらにつくのではあるまいか。
付) 「ニーベルンク」は新聞にあった通り引用した。 そうは聞こえないと思うが、こう表記しているものもときどき見かける。 私なら「ニーベルング」と書く。
2005-07-05 (2) 01:28:11 +0900
日曜日21時から2時間19分の枠。 オリジナルはLDで持っているし、 この特別編も劇場で見たが、ついつい見てしまった。
デススターはあんなに大きいのに、なんでどの廊下も曲がってるんだ? そのほうがセットが作りやすいからだと思うけど、 気になり出すと気になってしかたがない。 小形の宇宙ステーションだったら、 外形のカーブに合わせて廊下が曲がっていて何の不思議もないのだが。 唯一まっすぐなのが牢獄の廊下なのだが、 あそこはオリジナルでは変にゆがんでいたんだっけ。 直っていた。
レイアがR2D2に託した情報がデススターのものだってことを、 ファルコン号ごとデススターに吸い込まれた時点でオビワンは知っていたのか? 知っていたのなら、 吸引ビームの電源を切るよりももっとほかのことをしたんじゃないか?
エピソード IV-VI では、IV だけが、画面に算用数字が現われる作品である。 ルークがのぞく双眼鏡の中や、 最後の決戦のシーンでの、デススターの射程にはいるまでの残り時間の表示、 ターゲットまでの距離の表示などで。 あの謎は、III で明らかにされているのか!? 目標となる排気孔の大きさを 「2 メートル」とメートル法で言っているのもやや異質な感じ。
2005-07-05 (2) 01:20:59 +0900
アミダラ女王の侍女の一人みたいだ。(←ウソ。)
2005-07-05 (2) 00:56:03 +0900
4日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「ミスターの笑顔」。
《昨年3月に脳梗塞で倒れ、
現在もリハビリを続けるプロ野球巨人の長嶋茂雄・終身名誉監督(69)が3日、
東京ドームで巨人―広島戦を観戦した
》という記事。
《まひの残る右手はズボンのポケットに入れたまま
》だったそうだ。
現役時代の長嶋選手といえば《天覧試合でのサヨナラ本塁打
》
(同日づけ「天声人語」)が有名だし、
インターネットで見たどこかのニュースでは、
現役選手の視点から、
今回の長嶋氏の観戦を「天覧試合」と表現しているものもあった。
そこでふと思ったのだが、 もしも今回の長嶋氏の復帰が天覧試合だったら、だ。 右手をズボンのポケットにいれたままでは「無礼だ」 などという人が出てきたのではあるまいか。
そうならないように日にちをずらすと思うけど。
2005-07-05 (2) 00:41:19 +0900
先日買ったセイコー SQ648S だが、 AM ラジオに近づけると 4 秒おきにじゅるじゅるという音がはいる。 どこかのメーカーのホームページに、 電波時計は携帯電話とは異なり電波は出さないから病院などで使っても OK です、と書かれていたが、 ラジオに全く影響を与えないというわけではないわけだ。 マイコンを内蔵しているのと関係あるのかな。
2005-07-03 (0) 01:14:07 +0900
先日買ったセイコー SQ648S に関する体験談。 2時と6時は家の中のほぼ決まった場所に置くから、 受信できるのはほぼ確実である。 2時に受信できないと受信完了表示を消すので、 6時以降に起きてみて表示が点灯していれば2時か6時には成功したことになる。 10時、14時、 18時は職場のどこにいるかで受信できたりできなかったりである。 22時はパソコンのそばに置いていて受信できないこともある。 月差±30秒のクオーツだから、 一日に一度受信できたことを表示すればそれで十分という考え方もあるだろうが、 それでは約1秒の誤差が生じているのに気づかないこともありえる。 何時間前に受信したかを示してほしい。
部屋に置いておくタイプだと、 慣れてくればいつといつに受信できるかだいたいわかってくるのだが。
2005-07-03 (0) 01:06:11 +0900
最初の二匹がシークレットの銀と金だったのはかなりラッキーだったのかも。
2005-07-03 (0) 00:54:39 +0900
本文ナシ
2005-07-03 (0) 00:23:02 +0900
男子トイレの小用便器は、たいてい、壁に向かって並んで置かれている。 それを別の形に配置したらどうだろう?
その1. 現在のモデルそのものでは無理だろうが、 四つを向かい合わせて置く。 四人の間にしきりなどはつけないので、 かなり近くで四人が顔をつき合わせることになる。 あるいは、四つを一つにまとめた型のものを作る。
その2. 階段状に置く。 階段の、側面の壁に向かって置くのである。 隣の人が用を足している高さが自分の顔の高さだったりする。
何の意味もない。考えてみただけ。 ただ、配置によっては、人の流れがよくなるかもしれない。
2005-07-03 (0) 00:20:33 +0900
普通の数字ではありえない形を表示させるのである。 設定した本人にしかわからない、という遊び。
2005-07-03 (0) 00:10:33 +0900
《ロトと妻と二人の娘は、どういう順番で逃げたのか》 に関連する。 ロトの妻がロトの前を逃げていたとしての話だが、 ロトは、よく、つられて振り返らなかったものだ。 神が禁じた行為は、たとえ目の前の人がやっても、決してしてはいけないのだ。
2005-07-03 (0) 00:03:28 +0900
鏡に映してみるような場合を想定して。あるいは冗談として。 《理髪店の時計は裏返しでなくても、後ろの鏡に反射させればいいのでは?》 参照。
いま多く見かけるタイプは
− | | − | | −のような形で一つの数字を表わすので、 点灯する箇所だけを左右対称に取り替えればよさそうだが、 若干傾いているのと、それを除いても左右対称でないのとで、 完全にはうまくゆかない。
2005-07-02 (6) 23:55:24 +0900
中学1年生のときから腕時計をしているが、 きき腕と反対の、左手にするのが当たり前だと思ってずっとそうしてきた。 左手にするのがよいとされる理由は、
しかし、最近ではこれらは当てはまらないような気がしてきた。 コンピュータが普及し、手で文字を書くことはかなり減った。 また、 クオーツになってから時計は丈夫になり、簡単には壊れなくなった。 特に、デジタル式のものは壊れにくいし、廉価である。 授業中に腕時計をはずす生徒・学生が増えたのも、 これと関連しているものと思われる。
そうなると、あとは見やすさの問題だけだ。 私は、屋外を歩くときはかばんを持っていることが多いが、 かばんは左の肩にかけて、左手を添える。 たたんだ傘を持つときは左手で持つ。 職場で、手に書類などを持って歩くときも左手である。 このように、左手は自由に動かせないことが多い。 そんなときは、左手に腕時計をしていては見たくても見られない。 それに対し、右手にしていれば、自由に動かして目の前に持ってくることが可能だ。
本当に右腕にするのが当たり前になると、 9時位置に日付・曜日の出る腕時計が売り出されるような気がする。 《左ききの人のための、右腕用アナログ腕時計ってあるんだろうか》、 《右腕用腕時計のカレンダーは「10 土」のように「日」「曜」の順?》 参照。 ただし、右ききの人が使うには、 リュウズは3時位置にあるのが便利だろう。
2005-07-02 (6) 23:39:07 +0900
google で結構見つかる。
2005-07-02 (6) 23:17:01 +0900
本文ナシ
2005-07-02 (6) 22:45:04 +0900
哲学的な意味で使っているページもあるようだが、 「我が目を疑う」の誤用と思われるページが多い。
2005-07-02 (6) 22:40:43 +0900
本文ナシ
2005-07-02 (6) 21:01:06 +0900
1日づけ大阪本社版スポーツ面「あの日の甲子園 戦後60年」の「上」。
戦前・戦中は室内プールがあったそうで、それについて
《当時では珍しく温水も出る施設だったが
》と述べている。
最初はすっと読んでしまったが、読み返すうちに気になってきた。 これは
文末に《このシリーズは渋谷正章が担当します
》とあり。
2005-07-02 (6) 01:30:35 +0900
1日づけ大阪本社版第一面「明徳義塾 高3、同級生刺す」。 冒頭の、日時・場所を述べた部分を除き、全文を引用する。 いつのまにか、“巧みに”、 「生徒」「男子」が代名詞にすりかえられてゆくのを記録するためである。 「生徒」「男子」と強調の字体を使ったのは私である。
(前略)授業を受けていた3年生の男子生徒(17)が突然、 同級生の男子(17)を持っていたナイフ(刃渡り約7センチ)で左胸を刺した。 同校からの通報で駆けつけた土佐署員が、 この生徒を殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した。 刺された男子は傷が肺に達しており重傷。 生徒は調べに対し、 「数日前に口論となって、謝罪を求められていた」などと供述している。 生徒が自分で開設したホームページ(HP)にも、 今回の犯行を示唆するような書き込みがあり、 県警は計画的犯行とみている。
=39面に関係記事
調べによると、 生徒は校舎2階の教室で一番後ろの席に座り、 現代国語の授業を受けていた。 授業の終了直前、左斜め前方の席にいた男子に防水スプレーを吹き付けた。 その後、男子ともみ合いになり、 折りたたみ式ナイフを取り出して胸を刺したという。
生徒は隣の教室から駆けつけた男性教員にナイフを取り上げられ、 職員室前の応接室に連れて行かれた。
生徒は県警の調べに対し、 「数日前、校内で男子と一緒にいた際、 体がふれた、ふれないで口論となった。 相手が謝罪をたびたび求めてきたが、応じなかった」と供述しているという。 ナイフについては 「殺す目的で持ってきた」と説明したという。
生徒が自分で開設したとみられるHPには、 29日の日付で 「明日こそは殺そう」「あれを殺すんだ」の記述があった。 県警の調べに対し、生徒は自分で書き込んだことを認めたという。 県警はHPの記載内容を分析する。
39 面(社会面)の関係記事でも、 加害者は「生徒」、被害者は「男子」としている。
付)
一貫性を持たせるなら、
「相手が謝罪をたびたび求めてきたが
」も
「男子が謝罪をたびたび求めてきたが」とすべきではないか。
付)
「男子
……を持っていたナイフ
……で左胸を刺した
」は変。
「男子の左胸を持っていたナイフで刺した」だろう。
あるいは、ここの「左胸を」をあとへ回し、
「左胸を刺された男子は傷が肺に達しており」とする。
付) 念のため書いておくと、私はこういう文章は読んでいて気持ちが悪くてたまらない。 気持ちが悪いから記録するのである。
2005-07-02 (6) 01:16:45 +0900
1日づけ大阪本社版「天声人語」は
《最近のことばから
》。その最後の段落。
家具などの不法投棄に悩んでいた福岡県朝倉町で、 住民が手製の「石の神」を置いたらピタリとやんだ。 大きな石にしめ縄を巻いて、御幣を垂らす。 「神職から御幣の折り方が違うと言われたけど、 これは自分たちだけの神様と割り切りました」
立ち小便されないよう鳥居の絵を描くのと似たレベルでは。
2005-07-02 (6) 00:50:47 +0900
子どもをもうけて叱ってみたいと思ったら読む本、
かと思ったら
「子育てでいちばん大事なこと
」
「子どもの心がみえてくるちょっとしたコツ、
親子関係が良くなる方法がわかる!
」と小さな字で書いてあった。
すでにいる子を叱りたくなったら、という本らしい。
1日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の下の、 学陽書房の広告。柴田愛子著。
「犬を飼いたくなったら読む本」というタイトルなら、 まだ家にいない犬を飼うんだよな……。 この違いはなぜ? どこから?
2005-07-02 (6) 00:44:55 +0900
先日買った電波時計についている温度計機能は±2℃の精度だそうで、 小数点以下第一位まで表示されるにしては誤差が大きいなと思ったが、 百科事典で調べたところ、 アルコールや水銀の柱が昇ったり降りたりする温度計の誤差も同じぐらいだそうだ。
なーんだ。
付) 前に書いたと思うけど、 時計は針式がいいと思う人にも、 温度計はデジタル式をお勧めする。 すばやく読めるので、ストーブやエアコンをこまめにつけ消しするのに役に立つ。
2005-07-01 (5) 23:12:06 +0900
助太刀をして内田を消そうというのか。
「助太刀だけス」(すけだちだけす)も考えられるが、 「ス」が「です」の俗な形なのがちょっと。
2005-07-01 (5) 23:07:59 +0900
《お茶犬ミニメタルマスコットは「実はシークレットばっかり」作戦か?》 の続き。
2005-07-01 (5) 20:41:10 +0900
本文ナシ
2005-07-01 (5) 20:37:31 +0900
本文ナシ
2005-07-01 (5) 20:36:16 +0900
《日付を「日−月」の順に書くと日本語と合わないようだが分数もそうだよな》 に関連。
2005-07-01 (5) 20:34:42 +0900
昔なら高校数学の「数学 III」で習った区分求積法。 積分区間を n 等分した分点 --- ただし、どちらか一方の端点は除く --- での値を加えて n で割り、 n を無限大に飛ばして求めるのだった。 これだと、積分区間を整数比で内分した点での値だけしか使われないように見える。 そういう点を、タイトル行では「有理分点」と仮に呼んでみた。
実際には被積分関数は連続でなければならず、 連続関数は有理分点での値ですべて決まるから、これで問題ないのだが、 有理点で 1, 無理点で 0 なる値をとる関数に適用したらどうなるんだろう、 と思う人もいるかもしれない。
2005-07-01 (5) 20:32:46 +0900
2005-07-01 (5) 02:01:23 +0900
2004年2月1日づけ大阪本社版読書面の、
金原ひとみ「蛇にピアス」の書評。評者は学習院大教授の中条省平氏。
《タイトルの「蛇」とは、スプリットタン(先端が裂けた舌)のこと
》
と始まり、どうやって舌を《メスやカミソリで
》切り裂くかが続き、
《今後に刮目したい
》で終わる。
「刮」という字は、「舌」に「刀」だよね?
付) 「きんばら・ひとみ」と誤読していた。 「かねはら・ひとみ」だったのか……。 じゃあ、「へびにピアス」? それとも「じゃにピアス」?
2005-07-01 (5) 01:57:42 +0900
2004年2月1日づけの「2月のこよみ」に「建国記念日」とあり。
2005-07-01 (5) 01:46:40 +0900
2004年2月1日づけの、金沢大学法科大学院の入試の記事に、
《小論文は福沢諭吉の「学問のすヽめ」を一部抜粋し
》とある。
付) 数十センチメートルの高さに積んである「いろいろ」ネタ用の新聞の山の中から、 偶然、出てきた。 前々項に関連。
2005-07-01 (5) 01:44:33 +0900
「アァメン」などの場合に使おうというのである。
「つっつく」もあるか。
2005-07-01 (5) 01:33:23 +0900
「あヽ」は6月8日づけ朝日新聞第2石川面のエッセイで見かけた表現。 「ヽ」はカタカナの踊り字であり、ひらがなは「ゝ」である。 だから、これは踊り字を使わなければ「あア」だということになろう。 「アゝ」なら「アあ」である。
「にらラーメン」を「にらヽーめん」 とするのは二つの語にまたがっているから現在では不適切だろう。 感動詞以外にこのような書き方が考えられる語はあるだろうか?
2005-07-01 (5) 01:30:09 +0900
《歌舞伎座で7〜9列目を「とちり」と呼んだのか〜》 でとりあげた、 4月9日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「私の視点」、 歌舞伎解説業おくだ健太郎氏の『「いろは」席番の復活望む』。
これと併せて、 座席番号も、去年までは上手(右)から下手(左)へ、 1、2……と大きくなっていたのが、 逆になった。 右から左へと読む日本語(特に縦書きの場合)の感覚と、 左から右への算用数字本来の感覚とが、 これまでは混在していた。 それがすっきりと統一されたのだから、 これは納得のゆく変更だ。
私は、こちらのほうが、「いろは」の廃止よりも重大だと思う。
芝居の上では 「右が上手、左が下手」という約束事が意味を持つ場合があるであろう。 いままでは、客席で自分の席を探す際に 「右から左へ」と番号が大きくなってゆくことが認識された。 右が上手であることを知らない人でも、番号の振られ方を見て、 こちらが番号の若い側かということが頭にはいったかと思われる。 (私も含めて、はいってもすぐ抜ける人が多いだろうとは想像されるが。)
いわば、番号を“逆に”振るよう改めてしまったのだ。
付) 仮に「算用数字は左から右」ということを認めたとして、 それをどちらから見て言っているかで逆になりえる。 舞台から見て「左から右」と思えば、従来ので合っている。
付) 算用数字はアラビア数字と呼ばれることもあるが、 アラビア語は右から左に書くので、おそらく、 番号を振るときも右から左であろう。
付) 「上手」「下手」は「かみて」「しもて」とふりがなを振るべきであろう。 そうでないと「じょうず」「へた」と読まれるおそれがある。
2005-07-01 (5) 01:15:52 +0900
4月9日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「私の視点ウイークエンド」の、
「テレビ演出家 放送人の会代表幹事」大山勝美さんの投書
『堀江社長へ / 放送の原点「弱者の側に」』に、
《このラジオの基本精神は通底音のように、今日にも伝えられている
》
とある。
Google で 278 件。 「通低音」は 434 件。 ついでに、たぶん誤変換であるところの「通奏底音」は 109 件、 正しい「通奏低音」は 32000 件。
2005-07-01 (5) 00:53:11 +0900
6月12日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「声」の、 高校生・藤本智香さんの投書「寂しげな笑顔 / 自分と比べた」の第一段落。
「世界がもし100人の村だったら、 銀行に貯金があり、財布にお金があり、 家のどこかに小銭が転がっているのは、100人のうちの1人です」。 私はテレビで、世界の貧しい子どもたちを追ったドキュメンタリーを見た。
世界の人口は何十億人かだったと記憶している。百億人には達していない。 ということは、 この三つの条件を満たしている人は世界じゅうで何千万人しかいない、 ということなのだろうか? ちょっと信じられない気もするが。
なお、私はこれには該当しない。 「家のどこかに小銭が転がって」はいないからである。 お金は必ずサイフにしまう。
2005-07-01 (5) 00:13:47 +0900
6月12日づけ大阪本社版社会面「死ぬな! 自殺3万人時代に」の「下」。 「死ぬな!」が「自殺するな」の意味であることにはもう慣れたが、 「あなたは独りではない」とはどういう意味なのか、本文を読むまで、 いろいろ想像してしまった。
「実はあなたは二人いるのです。 あなたがもう生きていたくない、死にたいと考えるのは、その、 もう一人のあなたがいないからです。 もう一人のあなたを探しなさい。 そうすればあなたは生きられます」---。
まずはこういう状況が思い浮かぶのだが、 それだけでは終わらない。
そう忠告された男は「もう一人の自分」を探し始めるが、なかなか見つからない。 そのうち、その「もう一人の自分」探しを妨害する男の存在に気づく。 どんな顔をしているのかもわからないのだが、 その男に激しい殺意を抱き、ついにその胸にナイフをつきたてた瞬間、 その男が自分そっくりだったことに気づく。 そして、その男の手にもナイフが握られており、 そのナイフは自分の胸に深々とつきささる。 翌日、新聞にこんな記事が載る。 「**村のペンション**で、 ****さん(??)が胸にナイフのささった状態で死んでいるのを、 ペンションのオーナー****さんが発見した。 部屋が内側から施錠されていたことから、 警察は自殺とみて調べている」---。
当然ながら、実際の記事の内容はこれとは全く異なる。 それに、これだったら「あなたは一人ではない」と書くだろうな。
2005-07-01 (5) 00:03:24 +0900
ちょっと前の朝日新聞大阪本社版「声」に載っていた高校生の投書に、 国語と違って答えが一つに決まる数学のどこがおもしろいのかと思っていたが、 というような内容を含むものがあったが、 そこで言われている「国語」というのは、実は学問としての「国語」ではなく、 日本語で書かれた文章について自分の思ったこと・ 感じたことを述べる時間なのではなかろうか、と思ったのだった。
又。 高等学校の教科名を考えてみると、 「数学」はもともと「学」がついているし、 「社会」は「学」をつけた「社会学」、 あるいは「科学」をつけた「社会科学」の基礎とも言えるだろう。 それに対し、「国語」は「国語学」の基礎と言えるだろうか?
又。 高等学校まで国語が好きだったからとの理由で大学の国語学科を選ぶのは正しいだろうか?
2005-06-30 (4) 23:41:01 +0900
2003年7月5日づけ大阪本社版社会面「おわび」。 全文を引用する。
6月25日付NEWSダブルクリック「捜査協力渋る企業も」の記事で、 東京の大手不動産会社を総会屋とともに社員が訪ねた「非破壊検査会社」は、 「ある非破壊検査業の会社」という意味であり、 大阪市西区の非破壊検査株式会社とは無関係です。 誤解を招く表現で同社にご迷惑をおかけしました。 おわびします。
2005-06-30 (4) 23:36:07 +0900
きょうまた買ったらこんどは金色。 「またシークレットだ!」と喜んだのだが、 よく考えると、金属製のおまけなんだから、 色をつけるにはかなりの手間がかかるだろう。 ほとんどに「シークレット」を入れ、 開けた人が私のように喜ぶのを期待している?!
でも、これじゃ、二種類出たら三つめは買わないよな。 「シークレット2種類」と書いてあるんだから。
2005-06-30 (4) 23:25:14 +0900
本文ナシ
2005-06-30 (4) 21:49:52 +0900
《15分単位の時差の地域もあるのだから15分単位の夏時間もいいのでは》 に書いたのは冗談だが、 勤務時間が季節に応じて15分単位でずれるのはいいかもしれない。 東京の日の出から2時間後を勤務開始時刻とすると、 冬至のころは9時―17時、夏至のころは6時半―15時半。
2005-06-30 (4) 21:46:28 +0900
通勤のバスが信号待ちで止まったとき、反対側の車線を見ていたら、 歩道の向こう、すなわち道路外から、ある自動車がバックで歩道にはいるのが見えた。 道路交通法に照らし合わせて正しい走り方なのかどうかは知らないが、 私から見て前方が右、後方が左になるように、歩道に平行にはいった。 それから前進して車道に移り、私から見て右へ走ろうというのであるが、 その際、左の方向指示器を出していた。 前向きに走って出てくるなら左の指示器でいいのだが、 この走り方では、 歩道も一つの車線だと考えれば一つ右の車線へ移ることになるから、 右の方向指示器を出すことになるのではあるまいか?
2005-06-30 (4) 21:40:16 +0900
たとえば、 食堂で親子丼を食べたあと、 肉と卵の産地を聞いて実際の親子ではないと知り、 「親子だというから注文したんだ、看板に偽りありだ」 と文句をつける客がいないとも限らない。
2005-06-30 (4) 21:23:52 +0900
本文ナシ
2005-06-30 (4) 21:19:32 +0900
たぶん単なる誤変換。
2005-06-30 (4) 21:08:51 +0900
蓮の花を見に行く話で、 佐々木のじいさんが蓮の花が咲くのを見るためけさ5時からここにいた、 と語るシーン。 佐々木のじいさんの回想としてそのときの状況が描かれていたが、 明るくなり始めているものの、まだ太陽は昇っていないようだった。
本当に今ごろの話だとすると、5時にはもう太陽が昇っているから、 真昼とほとんど変わらないように感じるはずである。
2005-06-30 (4) 02:20:33 +0900
最近の紙面を見ているとそう思える。 詳しくはまた。
2005-06-30 (4) 01:01:09 +0900
「お茶犬」と「お茶大」の字面が似ていることを指摘したページは少しだがある。
「お茶大」は「お茶の水女子大学」の略称の一つ。
2005-06-30 (4) 00:57:21 +0900
袋には五色のサンプルが載っているが、 出てきたのは銀色の、金属そのものの色のだ。 もしかして、これが「シークレット」の一つなんだろうか?
2005-06-30 (4) 00:55:28 +0900
最初は不良品かと思ったのだった。
2005-06-30 (4) 23:19:37 +0900
「12時」から「23時」までに 「午前」「午後」をつけて一日中の時を表わそう、という考え。
ほとんどナンセンス。
2005-06-30 (4) 00:36:16 +0900
子どものころ、夏になると昼寝をしろと言われ、 理由がよくわからないまま寝かされたが、 江戸時代までの人にとっては、 「暮六つよりあとまで起きていて明六つに起きたら睡眠時間が十分でないから」 という理由があったのではあるまいか。
1999年版理科年表によれば、最も早いと明六つは3時46分である。 19時46分よりも遅くまで起きていれば、 8時間の睡眠時間が確保できない。
2005-06-30 (4) 00:07:54 +0900
15分だけずらすのではなく、15分単位で何度もずらすのである。 日の出の時刻がほぼ一定になることを目標にしてみよう。 1999年版の理科年表で東京の日の出の時刻を見ると、 日の出が最も遅いのは6時51分、最も早いのは4時25分で、 この差は2時間26分。 15分で割ると9がたって少々余るので、 一年間に18〜20回ほど時計の針をずらすことになる。 春分の前後などは十日ほどの間隔でずらすこともあり、 「夏時間の省エネ効果は少なくても、 時計の針を動かす際に省エネについて考えることには意義がある」 と考える人には意義があるかもしれない。
現在、15分単位の時差を設けているのはネパールである。 UTC から5時間45分だけ進んでいる。
2005-06-30 (4) 00:01:47 +0900
クラウン仏和辞典で Fahrenheit をひくと《摂氏は Celsius
》とある。
しかし、Celsius は見出しになっていない。
その代わり、centigrade という語が目にはいった。
《100 分度の、C目盛の
》という訳語と、
《thermomètre 〜 摂氏寒暖計
》という用例が載っている。
2005-06-29 (3) 00:45:16 +0900
先日買ったセイコー SQ648S の話。
「24時制・12時制」で2通り、 日付が「月・日か日・月」かで2通り、 曜日を「英独仏伊西」から選ぶのが5通り、 温度を「セ氏・カ氏」から選ぶから2通りで、 全部で2×2×5×2=40通りの表示ができることに気づいた。
アラームが鳴ったがもう少し寝ようと思い、 アラームを OFF にしようとしたが、 このスイッチは寝ぼけまなこでは極めて動かしにくい。 そうでないと困るのだが。
職場の北向きの部屋でも、福島局の電波を受信できることを発見。
2005-06-29 (3) 00:36:27 +0900
国立大学の医学部などで実験用動物の慰霊祭をすることがある。 では、そのようなところが公式のパーティーをする際は、 そこで食べる動物の慰霊もするのだろうか? していないと思うが、 そうだとすると、同じように動物の命を奪っているのに、差がありはしないか?
2005-06-29 (3) 00:24:34 +0900