すのものの「いろいろ」(その202)

ローマ字回文>「aru ka, makura」(あるか、枕)

本文ナシ

2009-08-07 (5) 19:55:34 +0900

ローマ字回文>「itamu numati」(痛む沼地)

本文ナシ

2009-08-07 (5) 19:54:28 +0900

ローマ字回文>「iu ya, kayui」(言うや、かゆい)

本文ナシ

2009-08-07 (5) 19:54:01 +0900

ローマ字回文ご両家名>「Arahata-Katahara」(荒畑・片原)

片原という姓が実際にあるかどうかは知らないが、 Google で検索すると地名にあるみたいだから、ま、いいか。

2009-08-07 (5) 19:50:23 +0900

ローマ字回文>「uba yô, Ôyabu」(乳母よう、大藪)

大藪は姓。

2009-08-07 (5) 19:48:45 +0900

どこで姓と名が切れるのか不明な名前も(いわゆる)日本語では許される?

念頭にあるのは 《「ほなみたまえ」を逆から読むと「えまたみなほ」(=江又美奈保?)》 に書いた「えまたみなほ」である。 「えまた」が姓で「みなほ」が名だとしてもよいが、 「えま(名)+たみなほ(名)」もありそうだし、 「えまたみ(姓)+なほ(名)」もありそうだ。 (いわゆる)日本語はわかちがきをしない。 どこで切れるか、あいまいにしたままの氏名も許されるだろうか? もちろん、 ペンネームの場合だが。

文献に名前が見えるだけの人物で、 どこで姓と名が切れるかわかっていない人もいるだろうな。

2009-08-07 (5) 19:10:42 +0900

ローマ字回文>「urô, Tiro me, Emori Tôru」(売ろう、チロめ、江守徹)

江守徹は実在の俳優名。 チロは犬の名前としておこう。内容はもちろんフィクションである。 江守徹氏がどのようなローマ字つづりを採用しているかも(現段階では)不明。

2009-08-07 (5) 19:05:20 +0900

未聴の「実践ビジネス英語」を上書きして消してしまった

片道45分テープの最初の15分には今週水曜日の放送分が録音されており、 まん中の15分はすでに聞いた前の分。 最後の15分は今年の2月13日(金曜日)分が録音されていた。 この最後の15分は、まだ聞いていない。 きょうはまん中の15分に録音するのだが、 最後の15分の冒頭を上書きしてしまうかも知れないので、 少しだけ聞いた。 それからテープを巻き戻し、最初の15分の終わりの部分から、 きょうの「ラジオ英会話」を録音したつもりだった。 ところが、それは、まん中の15分の終わりの部分からだった!

酔っていたせいか。あるいはボケが始まったか。 職場では、出したレポート問題が間違っていて、訂正を出してきた。

2009-08-07 (5) 02:18:11 +0900

先日の補筆箇所

2009-08-07 (5) 02:17:15 +0900

ローマ字回文>「namahamu, mahaman」(生ハム、マハマン)

マハマンもウィザードリィの呪文。自分のレベル一つと引き換えに、 何かよいことを引き起こす。死者が生き返ることもある!

2009-08-07 (5) 02:13:48 +0900

ローマ字回文>「Onita, katino」(鬼田、カティノ)

カティノもウィザードリィの呪文。相手の一グループを眠らせる。 鬼田は姓。

2009-08-07 (5) 02:12:23 +0900

ローマ字回文>「Ida, madi」(井田、マディ)

マディもウィザードリィの呪文。味方一人を全快させる。 井田は姓。

2009-08-07 (5) 02:10:14 +0900

ローマ字回文>「isa badi, Iidabasi」(いさバディ、飯田橋)

バディはウィザードリィの呪文で、敵一体のヒットポイントに関係なく殺す。

前項とのつながりはもちろん吾妻ひでおの「ななこSOS」からの連想である。

2009-08-07 (5) 02:05:02 +0900

ローマ字回文>「ayu to Yotuya」(アユと四ツ谷)

本文ナシ

2009-08-07 (5) 02:03:52 +0900

回文>「腐った死体・いたしたっさく」(くさったしたい・いたしたっさく)

「いたし・たっさく」という人名がありそうな気がするのだが、 漢字がうまくあてられない。

2009-08-07 (5) 02:01:50 +0900

バスの後ろについた乗用車が信号のない横断歩道を通過する場合

前のバスが横断歩道の先に行ってしまうまで、 バスのかげになっていて横断歩道の一部が見えないであろう。 バスが先に行ってから、 横断歩行者がいないことを確認する義務があるのだろうか? それとも、 前のバスが通過したことで、横断歩行者はいないと判断してよいのだろうか?

横断を開始している歩行者がいるにもかかわらず、 前のバスが道路交通法に違反して、横断歩道を通過したとする。 通過し終わった時点で初めて、 その歩行者が、後ろの乗用車の運転手から見えたとする。 これで、横断歩道の手前で停まれなくてもよいのだろうか?

付)ありえないと思うし、実際にあったら前のバスの交通違反だと思うが、 前のバスの後ろが開いて、いきなり人が横断歩道上に飛び降りた場合、 後ろの乗用車にはどういう義務が発生するのだろうか? この場合は、 予期できなくてもやむを得ないと思うが。

2009-08-07 (5) 01:54:45 +0900

キーケースへのキーの止め外しは、ドライバーが必要でもいいと思う

思いがけずキーケースからキーがはずれると、面倒なことになる場合がある。 ドライバーでネジをはずしてキーを入れ、それからネジをしめる、 というぐらいがっしりしていたほうがいいような。 そのドライバーはそのキーケース内に格納できることが望ましい。

2009-08-07 (5) 01:51:45 +0900

ローマ字回文>「Ikuya sama, Masayuki」(郁也様、昌幸)

昌幸さんが郁也さんにお手紙を書いた、と。

2009-08-07 (5) 01:49:08 +0900

変格ローマ字回文>「hasamiage, negaimasah」(はさみ揚げ、願いまさあ)

どこが変格かというと、「願いまさあ」が標準的な言い方でないこと、 それと、 最後の a の長音を ah としていること。 「はさみ揚げ」は、何かに何かをはさんで揚げるのであろう。

2009-08-07 (5) 01:45:35 +0900

ローマ字回文>「omoti? ii to mo!」(お餅? いいとも!)

本文ナシ

2009-08-07 (5) 01:44:35 +0900

ローマ字回文>「nessi, zissen」(熱し、実践)

本文ナシ

2009-08-07 (5) 01:43:49 +0900

ローマ字回文>「Usami, age, negaimasu」(宇佐美、揚げ、願います)

宇佐美は姓。

2009-08-07 (5) 01:42:54 +0900

ローマ字回文>「iga haru kuhi, hukurahagi」(毬貼る句碑、ふくらはぎ)

ちょっと前にふくらはぎの出てくる回文を書いたが、これも負けず劣らず意味不明。

2009-08-07 (5) 01:41:12 +0900

ローマ字回文>「arizuka, kuzira」(蟻塚、鯨)

大文字で始めれば、ローマ字回文ご両家名にもなっているかも。

2009-08-07 (5) 01:35:19 +0900

ローマ字回文>「ei nie」(エイ煮え)

エイが煮えた、と。

2009-08-07 (5) 01:34:38 +0900

ローマ字回文>「i ga haru kuhû hukurahagi」(胃が張る工夫脹脛)

「脹脛」は「ふくらはぎ」。全体では意味不明。

2009-08-07 (5) 01:32:51 +0900

ローマ字回文>「itu, outi?」(いつ、おうち?)

本文ナシ

2009-08-07 (5) 01:32:07 +0900

ローマ字回文>「Ôtu hutô」(大津埠頭)

Google で検索すると見つからないので、架空の埠頭としておこう。

2009-08-07 (5) 01:29:58 +0900

ローマ字回文>「Ôdubama, yamabudô」(大津浜、山ぶどう)

「大津浜」は実在する地名だが、「おおつはま」と読むようである。 ここでは「おおづばま」と二文字を濁って読まないと回文にならない。

それと、「大」が ô でよいか、という問題もある。 歴史的かなづかいで「おほ」であるものは現代かなづかいでは「おお」と書かれるが、 それにならって oo とすべきではないか、という考えもある。

2009-08-07 (5) 01:21:51 +0900

ローマ字回文>「isu ka, hakusi」(イスか、博士)

意味不明。

2009-08-07 (5) 01:20:56 +0900

ローマ字回文>「ikasama Yamasaki」(いかさま山崎)

全国の山崎(やまさき)さん、この回文の内容はフィクションです。

2009-08-07 (5) 01:19:26 +0900

朝日新聞>オバマ米大統領のプラハ演説の一部が原文でも載った

6日木曜日づけ大阪本社版、「国際平和シンポジウム」の面。

英語の原文が載る時代になったんだなあ、と思うのが一つ。

「核保有国として」の原文が「as nuclear power」なのには驚いた。 単に「核を持っている国」という意味ではない。

それから、米国を「America」とだけ呼ぶことがあることにも。 アメリカ大陸の他国から文句は出ないのだろうか?

2009-08-07 (5) 01:13:22 +0900

与党はどのくらい先のことまで考えているんだろう? 皇位継承は?

今度の総選挙で政権をとるかといわれている野党の政策に対し、 きちんと先のことを考えているのか、という批判があるが、 与党はどうなのだろう?

現在の与党は天皇制を維持するつもりのようであるが、 現在、皇位継承権のある人で40歳以下の人は一人しかいない、 という事態をどう考えているのだろう? 普通に考えると、 なんとしてもその人に男子をもうけてもらうか、 あるいは、どこか別のところから、 皇位継承権のある人を用意する必要があるのではなかろうか。 旧宮家の復活には反対の意見も多かったが、 たとえば、今後、生まれたばかりの旧宮家の男子を、 皇位継承権のあるものとして育てる、というなら、 国民の理解が得られるかもしれない。 (その場合でも、父親には継承権がないが子にはある、 という変則になるのは避けられないが。)

マニフェストには何も書いていないようだが。

2009-08-07 (5) 01:04:28 +0900

広島、長崎に落とされた原爆は「実戦で使われて」なのか?

6日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版第三面「オバマ演説 日本ジレンマ」は 《核兵器が唯一実戦で使われてから64回目の夏》と始まる。 あれは実戦なのだろうか?

そうだとしたら、東京大空襲も実戦?

実戦で使われたといわれると、一般住民はいないか避難したあとで、 両軍の兵士たちだけが戦っていたところで使われた、というイメージがあるが。

編集委員・大久保真紀、三橋麻子、加戸靖史》と署名あり。 《丹内敦子》との署名もあるが、これは隣接する次の記事であろう。

2009-08-07 (5) 00:58:11 +0900

「世論」と「輿論」は違ったのか? どう違ったのか?

5月1日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面、「関西スクエア」 は佐藤卓己・京都大大学院准教授。 《「朝日21関西スクエア」の懇談会が23日、 朝日新聞大阪本社であり》、この人が語ったのだそうだ。

佐藤委員は、責任ある言論や公論を指す「輿論(よろん)」と、 私的な心情や群衆感情を意味する「世論(せろん)」 の違いに注目した研究を続けている。 「世論に惑わず」という言葉にみられるように、 明治・大正期には流言飛語や俗論という意味で使われていた世論。 しかし、戦後の漢字制限で「輿論」の置き換えとして使われることになり、 今では戦後世代のほとんどが「世論」を「よろん」と読むまでに定着した。 その結果、無責任な空気に過ぎない「世論」を批判しにくいという、 特異な社会になった。

たった一組の語が、 書き換えによって同じ表記になったことで社会そのものが変わるだろうか、 という疑問があるが、 とりあえず、「輿論」「世論」を国語辞典、和英辞典、 和仏辞典などでひいてみようと思う(のだがきょうは暑いのであとで)。

2009-08-07 (5) 00:48:40 +0900

回文>「おいはぎはイオ」「おいはぎは庵」

イオはコンピューターRPG「ドラゴンクエスト」シリーズに III から登場した、 敵モンスターすべてに爆発によるダメージを入れる呪文である。 おそらく、II のイオナズンからの逆成。 (III 以降、効果の小さいほうからイオ―イオラ―イオナズンとなっている。 イオナズンはおそらく「いなずま」に由来すると思われる。 ただし、III からは「デイン」系という、 電撃による攻撃とはっきりと説明された呪文が登場した。)

そう思ってもよいし、「庵」「五百」を意味する古語「いほ」 を現代式の発音で読んだと思ってもよい。

さらに、木星の衛星の名前と思ってもよい。

2009-08-06 (4) 19:23:07 +0900

ローマ字回文>「enu-ti so, Yositune」(N-値そ、義経)

日本語としての「N」の字母名は「エン」か「エヌ」か、という議論もあろうが、 ここでは日本放送協会も採用している「エヌ」をとった。 「そ」は古い時代の助詞。

2009-08-06 (4) 19:17:45 +0900

朝日新聞「声」>「自転車で横断歩道を渡っていて」と書いているが

1月24日土曜日づけ大阪本社版掲載の、 和歌山県田辺市の主婦、田中尚子さんの投書「けが克服し娘 遠距離恋愛中」。

医科大学に入学して間もない娘は、 自転車で横断歩道を渡っていて車にはねられたのだ。 事故が一瞬にして娘のすべてを踏みにじろうとしていた。

自転車で横断歩道は渡ることは、道路交通法で許されていない。 横断歩道のわきについている自転車横断帯は、乗ったまま渡れる。

前に書いた 《自転車が横断歩道で衝撃を感じた場合、事故でないか確認しなくてよいのか?》 は、投書者が書いたものを、実際には自転車横断帯であったにもかかわらず、 編集部が確認せずにそのまま載せたものだった。

これは実際にはどうだったのだろう? なお、 《この「いろいろ」で、一般人の投書を取り上げる場合にも投書者名を書く理由》 もお読みいただきたい。

2009-08-06 (4) 01:54:28 +0900

「足が棒になる」を差別的表現と受け止める人はいないのかな

「足が棒のようになる」なら問題ないと思うが、 実際、足をなくして棒のような義足をつけている傷痍軍人を、 むかし見かけたことがある。そういう人はどう思うかな、とふと。

2009-08-06 (4) 01:52:34 +0900

太平洋戦争中、「白地」を「シロヂ」でなく「シロジ」と教えていた?

1月24日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版の「写真が語る戦争」の面の、 前項でとりあげた写真。

「日ノ丸 ノ ハタ」の歌詞が書かれた紙が写っているが、 「シロジニ アカク ヒノマル ソメテ アア ウツクシヤ 日本 ノ ハタ ハ」 「アサヒ ノ ノボル イキホヒ ミセテ アア イサマシ ヤ 日本 ノ ハタ ハ」 と読める。「シロジ」は「白地」だろうから、 当時のかなづかいでは「シロヂ」のはず。 「イキホヒ」は歴史的かなづかいである。 歴史的かなづかいだが字音かなづかいは採用しなかった?

2009-08-06 (4) 01:45:27 +0900

太平洋戦争中、「3A」を「三亜」と読ませたのだろうか?

1月24日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版の「写真が語る戦争」の面。 ある写真の説明に 《日本はインドネシアで「アジアの光・アジアの指導・アジアの守護者」 と謳(うた)う3A(三亜)運動を展開したが》 とあるが、「A」を「あ」と読ませたのだろうか? そうだとしたら、 いまの英語風読み方「エー」よりも国際的であり、優れている。

2009-08-06 (4) 01:36:55 +0900

新常用漢字案作成時に出現頻度順で 3506 字を検討したそうだがそのリストは

1月24日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面の「新常用漢字表をよむ」の「下」。 《小委員会は5回の漢字出現頻度数調査で3506字を選び出し、 1字ずつ検討した》とある。 このリストは、 新常用漢字の範囲を越えて漢字を学ぼうとする際の役に立つと思うのだが、 公表されているのだろうか?

2009-08-06 (4) 01:33:02 +0900

朝日新聞>「デイヴ平尾」さんのふりがなは「でいぶ・ひらお」

1月24日土曜日づけ大阪本社版文化面の、「惜別」。 「う」に濁点を打った文字は普通のパソコンでは出ないからそうしたのか、 それともこれが朝日新聞の方針か。

「惜別」とは別の話として、 わかぎゑふさんには、どうふりがなを振るんだろう? Wikipedia は 「わかぎえふ」としている。

2009-08-06 (4) 01:27:58 +0900

朝日新聞>オバマ大統領の就任演説を英語日本語対訳で載せたか

1月24日土曜日づけ大阪本社版国際面。 いままでの米国大統領の就任演説も載せていたっけ? また、 英語以外の言語で演説をする国であれば、載せていなかっただろう。 (米国大統領は英語で就任演説をすると決まっているんだっけ?)

いちおう、辞書と日本語訳を頼りに英語も読んだ。 ちょっと気になったのは、米国の歴史を語り始めた、 《私たちのために、彼らはわずかな財産を荷物にまとめ、 新しい生活を求めて海を越えた》の箇所。 ネイティブ・アメリカンも含まれているのだろうか?

付)この日の新聞を読むのがこんなに遅れたのは、 この英文を読むのが大変そうで、ためらっていたためである。

2009-08-06 (4) 01:21:28 +0900

スポーツ面で「400メートル障害」と見ると「障害走」か「障害者の競技」か

……迷うことがある。障害者の障害走もあるのだろうか。

2009-08-06 (4) 01:17:13 +0900

新明解国語辞典第五版は「ガール」を造語成分とするが「ボーイ」は違う

ボーイには「ボーイさん」という言い方があるからな。

2009-08-06 (4) 01:15:32 +0900

近所のセレモニーホールの「一日一組貸し切り」の「一組」とは何をさす?

結婚式なら、一組の夫婦を意味するのが明らかだが、 通夜・告別式の場合、なんか気になる。 たとえば、よそのうちと一緒にさせられ、そのうちとうちとで一組、とか。

2009-08-06 (4) 01:13:29 +0900

文語ローマ字回文>「Ira hami, himahari」(衣良食み、ひまはり)

衣良は姓。

2009-08-06 (4) 01:10:13 +0900

RPG>敵の呪文を横取りできる呪文・特技があったらどうかな

敵の攻撃呪文をはね返して敵に返す、というのはあった。 それだけではなく、敵が(敵の)味方を生き返らせる呪文を唱えたとき、 それを横取りして味方を生き返らせることができるのである。

2009-08-05 (3) 20:01:48 +0900

昔、次学期の授業に関する掲示物に「予習快調」と書いたことがあったな

映画の予告編で「撮影快調」というのを見て、おもしろかったものだから。

2009-08-05 (3) 20:00:29 +0900

Google で 43/34 件ヒットする「なぎがた/ナギガタ」って何?

ひらがなのほうは、 『「なぎがた同好会」千葉大学……』がトップにくる。 (ただし、その同好会のページではないようだ。)

「なぎなた」が「なぎがたな」からきていると主張しているサイトの 「なぎがた…」の部分がヒットしているのもある。 最後の三件は明らかに「なぎ」と「がた」が偶然並んだだけ。

カタカナのほうは、ゲームの名前もあるらしい。「中忍(ナギガタ)」と書いている。 ほかは、武具の名前らしい。 薙刀が正しくてナギガタは正しくない、と書いているページもある。

岩波古語辞典によれば「薙刀(なぎなた)」の語源は「薙ぎ(なぎ)+鎌(なた)」。 岩波国語辞典第三版、広辞苑第四版、新明解国語辞典第三版も見たが、 「なぎなた」はもちろん載っているのに対し、「なぎがた」はない。

以上から考えると、これは「なぎなた」の聞き間違いから生じた語ではなかろうか。 /naginata/ → /nagigata/ と変化したもの。 /gi/ は鼻濁音で発音されるが、 その直後に /n/ を発音すべきところを再び /g/ で発音している人がいるということかも。

(付) 広辞苑第四版には「薙鎌(なぎがま)」という語が見える。 ネットで検索すると、「ないがま」「ないかま」という読み方もあるようだ。 この語とは無関係であろう。

2009-08-05 (3) 19:21:07 +0900

朝日新聞>連載小説「麗しき花実」、読むの追いついた

五月1日金曜日からの分をまとめ読み。2時間ぐらいかかった。

本項はあえて 《朝日新聞>連載小説「麗しき花実」、読むの追いついた》 と同じタイトルにした。 そこには、五月17日分まで読んだと書いてあるので、 少し戻って読んだことになる。

7月28日から、その日の朝日新聞はその日に読むように方針変更》 には「連載小説「麗しき花実」は4月終わりあたりの分を読んでいるので、 いまの新聞はその小説だけ読み残して、別室に積んである」 と書いたが、そのやり方はやめにした。

2009-08-05 (3) 02:29:28 +0900

「古新聞」って、「古」と「新」が並んで、ちょっと変な感じもする

英語なら old newspaper か。

2009-08-04 (2) 21:59:17 +0900

私は本当に「経口」の意味を正しく理解していたかな……

「経口避妊薬」という語でよく聞くので、 「経口」の「経」を「経血」の「経」、 すなわち「月経」の「経」と結びつけていたかも知れない。

2009-08-04 (2) 21:54:39 +0900

私は絵がへたで、あとから見ても何だかわからないが、私が弾く音楽だって…

…録音しておいてあとから聞いたら何だかわからないかも。 そう思えば気楽。 描いている間が楽しければそれでよし、と。

2009-08-04 (2) 21:50:50 +0900

ベートーベンはワーグナーが13歳の三月まで生きていたんだ

ワーグナーは 1813 年五月の生まれだから、 ベートーベンが 1827 年三月に亡くなったとき、13 歳だったわけだ。 いまの日本で言えば中学1年生の終わり。 会いに行っていても不思議はないんだなあ。

2009-08-04 (2) 20:48:07 +0900

もしいま八犬士がプールに行ったら、牡丹の形のあざで断られないだろうか

入れ墨などの方お断り、と書いているところがあるので。

2009-08-04 (2) 20:45:10 +0900

「経口」は英語では oral って言うのか。簡単すぎて気が抜けた

to be taken orally も載っているが。

2009-08-04 (2) 20:41:28 +0900

米国人は、原爆の被害を知ることは原爆の正当化を妨げると考えている?

3日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の「米、根強い原爆正当化」 ともう一つの記事を見た。 同じ日の、毎日新聞の記事も見た。 それらを読むと、米国人の多くが、 原爆の被害を見聞きしたり、 被爆地にはいったりすることは原爆を正当でなかったと認めることになる、 と考えているように思える。

正当と思っていてもよいから、真実を見てほしいと思うのだが。 真実を見ずにどうして正当化できよう?

2009-08-04 (2) 02:20:47 +0900

朝日新聞>「あのね」の句点の不統一

3日月曜日づけ大阪本社版生活面『「あのね」夏休み特集』。

家族でたくさん過ごせるといいな。

●長期休暇中、ひげを伸ばしていた父。 わたし「あ、父さん、おひげがいっぱい咲いてるよー」 父「うん、満開になるまで育てるわー」。

(堺市 野田茉春・3歳)

第一のカギカッコの終わりに句点がないのに、 第二のカギカッコの終わりに句点があるのは不統一では?

付)「茉春」には「まはる」とふりがなあり。「ま+はる」である。

2009-08-04 (2) 02:16:17 +0900

麻生首相が「守る」と言った事物は何をさす? いつごろからある?

3日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版第2面の、 『「日本語を守り国旗を大事に」 / 首相、「保守」強調』。 《我々は守るべきものは守る。伝統であり、歴史であり、皇室であり、 日本語であり、国旗を大事にする》と発言したそうだ。

「伝統を守る」はよくある言い方なのでわかるが、 「歴史を守る」とはどういう意味か。 いままでの歴史解釈を守る、という意味か。 資料をきちんと残し、あとから歴史が書けるようにするという意味か。 皇室という概念は、いつごろから日本にあるのか。 天皇は古くからあるが、皇室という呼び方は、意外と新しいのではなかろうか。 「日本語を守り」を見出しに入れたのは朝日新聞の皮肉か。 しかし、どの政党も日本語以外を公用語にしようとは言っていないので、 あまり意味がありそうにない。 国旗は、明治になってからのものだろう。

2009-08-04 (2) 02:09:50 +0900

「二十四節気は季節に合わせて旧暦で」と新聞に投書したら載るだろうか?

「八月上旬に立秋がくるが、まだ暑い盛りである。 これは、旧暦の日付をそのまま新暦に置き換えたためで、 旧暦ならことしは9月*日。本当に秋がきたと実感できる」 というようなでたらめを書いて送るのである。 もちろん、編集部の力をみるため。

2009-08-04 (2) 02:06:14 +0900

毎日新聞に、横書きだと助詞によるわかちがき効果が消え読みにくいとの投書

3日月曜日づけの毎日新聞。金沢で配達されたものの投書欄に、 少し前の投書に対する反論らしき、新聞の横書き反対の投書が載っていた。 途中に、 もしも英文が単語の間にスペースを入れなくなったら読めなくなるという話をはさんで、 日本語を横書きにすると助詞によるわかちがき効果が消え、 読みにくくなる、というようなことが書いてあった。 いま手元にないので、以上は、私が理解し記憶している内容を書いたものである。

助詞がわかちがきの代わりになっていることは確かだが、 横書きだとその効果が消えるというのは初めて聞いた。 合っているとも違っているともすぐには言えない。

2009-08-04 (2) 02:00:10 +0900

縁起をかついで「スッタニパータ」を「アタッタニパータ」と言い換える奴…

…いるかな。

2009-08-04 (2) 01:01:10 +0900

姉が「沙里」、妹が「恵里」、二人合わせて「サリエリ」って姉妹いるかな?

本文ナシ

2009-08-04 (2) 00:57:46 +0900

回文>「サリエリさ」

本文ナシ

2009-08-04 (2) 00:57:15 +0900

「する」を「あたる」に言い換える人は「すった」と同音の「吸った」は?

やはり「あたった」に言い換えるんだろうか。 「たばこを当たった」みたいに。

2009-08-04 (2) 00:54:07 +0900

「主人の仕事は夜勤」かと思ったら「冶金」だった、ってことはないかな

本文ナシ

2009-08-04 (2) 00:32:59 +0900

年下の叔母とは養子縁組ができない

民法第七百九十三条に 「尊属又は年長者は、これを養子とすることができない」とあるので、 その叔母は自分からみて尊属だから自分の養子とすることはできないし、 その叔母からみると自分は年長者だから養子とすることができない。

これは困った、と一瞬思ったんだけど、叔母と甥・姪の関係なら、 たいてい、それでいいじゃん。

2009-08-04 (2) 00:01:36 +0900

縁起をかついで「すりガラス」を「あたりガラス」という人、いるだろうな

なんでいままでこれに気がつかなかったんだっ!>自分

2009-08-03 (1) 23:51:57 +0900

Google で「ませんことから」が約 4070000 件

「〜しませんことから」のように使う。 私は絶対にありえない言い方だと思っていたので、意外。 私なら「〜しないことから」と言う。

2009-08-03 (1) 23:38:06 +0900

きょうの補筆箇所

2009-08-03 (1) 02:30:25 +0900

クローンの攻撃>Obi-Wan の「Qui-Gon Jinn would never join you.」の時制

これは、現在の事実と反対のことを仮定していう仮定法だな。 これは仮定法現在というんだっけ? 仮定法過去だっけ? とにかく、 クワイ=ガンがいま生きていたとしても味方しないだろう、の意味だ。 生きていたときにドゥークーに誘われても味方しなかっただろう、の意味ではない。

2009-08-02 (0) 23:17:27 +0900

クローンの攻撃>ドゥークーがヨーダに対してフォースを使うときは左手

壁についている消火器みたいなのを飛ばすところ。二度とも。

右腕を切り落としたアナキンを吹き飛ばすときは剣を左手に持ち替えて右手である。 剣が体の左側にいったあとなので、それが自然とも言える。

最後、柱を倒すときは左手。右手の剣はヨーダの剣と合わさっているからだろう。

2009-08-02 (0) 23:07:36 +0900

クローンの攻撃>ドゥークーはヨーダと戦わずにすぐに逃げれば逃げられた…

…と思う。ヨーダがはいってくるところのタイミングを見ると。 それでもヨーダと戦ったのは、勝てると思ったからだろう。

2009-08-02 (0) 22:56:53 +0900

クローンの攻撃>ドゥークーは、オビ=ワンに電撃を出すとき剣を握っている

このシーンの最初から、左手ではライトセーバーを握っているようだ。 オビ=ワンと戦うために剣を“抜く”とき、 日本刀でいうところの鞘(さや)はないわけで、見ていてちょっと変。 (対ヨーダ戦のときはそうしていない。)

2009-08-02 (0) 22:53:26 +0900

ファントム・メナス>私だったら、昇降口まで出てクワイ=ガンを助けるが

タトゥイーンの砂漠でクワイ=ガンがダース・モールに襲われるシーン。 オビ=ワンは低く飛べと行っているだけで、昇降口まで行かないが、 私がオビ=ワンだったら、昇降口まで行って、クワイ=ガンを助けるだろうな。

作品中で、あそこでクワイ=ガンが一瞬、機の様子を見てからジャンプするが、 あれではすきができる。あれは、フォースで見回しているのを、 観客にわかるようにああいうふうに映像化した、と考えるべきか。

2009-08-02 (0) 22:26:29 +0900

スター・ウォーズ>I のあと、ジェダイたちは文献などでシスの研究をした?

シスのことは、歴史には残っているようであった。 文献などにあたって、「シスは指先から電撃を出せると書いてある。 この図がそうだ」 「そんなはずはない、これはフォースが出ていることを波線で示しているだけだ」 などと、議論が交わされたのかもしれない。

II でオビ=ワンがドゥークーの電撃をライトセーバーで受け止めたのも、 過去の文献の研究の成果だったのかもしれない。 (じゃあアナキンはなぜ?)

2009-08-02 (0) 22:24:36 +0900

クローンの攻撃>ジェダイはドゥークーとシディアスの関係は理解している?

ジオノーシスで、ドゥークーが捕虜になったオビ=ワンを誘惑するところで、 ダース・シディアスの名を出す。 そして、最後のライトセーバー戦の前に手から電撃を出すドゥークーを、 ジェダイたちはシスだと思っただろう。 ヨーダはダークサイドを感じると言っている。

では、戦いの終わったあと、 ジェダイたちは、ドゥークーとシディアスの関係を、どう想像したのだろうか。 シスは常に二人、というのは I の終わり近く、 クワイ=ガンの葬儀の場でヨーダとウィンドゥが語り合っていた。 「ドゥークーはシディアスの弟子」という、正しい推測に至っていた、 というのが一つの推測。 「ドゥークーの弟子がシディアス」という推測もあるし、 「ドゥークーがすなわちシディアスである」という推測もなりたつ。 そういう話を、ジェダイたちがするシーンがなかった。 (観客はわかっているし、やれば、I の二番煎じになるだけである。 I では、あのシーンの最後に議長をアップにすることに、意味があった。)

ドゥークーがシディアスの弟子だとわかっていたから、 III 冒頭の議長救出作戦の中で議長がドゥークーをアナキンに殺させたことが、 アナキンに弟子を殺させ、アナキンを新しい弟子にとろうとした、 というオビ=ワンの理解のしかたになるが、 そうでなく、シディアスがドゥークーの弟子だったら、 議長救出作戦の中でドゥークーは弟子に殺されたことになる。

いや、それ以前に、ドゥークーのことばを信じるなら、 ドゥークーとダース・シディアスとは別の勢力である。 シスが二つの派に分かれて復活しつつあるのか、 という心配をせねばならないところかも。

2009-08-02 (0) 22:11:53 +0900

関係代名詞が省略されたような日本語文は昔からあったのか?

いわゆる古典を読むとき、注意していればよいのだな。

2009-08-02 (0) 22:03:39 +0900

シューベルト「未完成交響曲」の第二楽章は、展開部のないソナタ形式か?

坂本良隆氏による全音のスコアの解説ではソナタ形式となっており、 辻荘一氏による音楽之友社のスコアの解説では 「おのおの三部形式からなる X 部および Y 部を XYXY とつらねて構成されている」 となっている。 (いままで、「おのおの三部形式からなる」を、読んでいながら理解していなかった。 X 部も Y 部も、全オーケストラが鳴るところが中間部である。)

第一主題はホ長調、第二主題は一度めが嬰ハ短調、二度めがイ短調。 ソナタ形式の原則とは異なるが、第一楽章も原則からはずれている。 第一主題がロ短調、第二主題がト長調とニ長調である。 つまり、再現部の第二主題は主調の平行長調だ。 第二楽章では主調の同名短調の下属調。 このくらいはずれてもソナタ形式と認める、という考え方もあるな。

2009-08-02 (0) 21:52:33 +0900

「実印を押す書類」で省略されている関係代名詞

「実印を押す書類」という言い方は、普通にするだろう。 その上に実印を押すところの書類、の意味だが、 少し考えると、不思議な気がしてくる。

普通、「焼き印を押す牛」と言ったらその牛に焼き印を押すのだろうが、 擬人化された物語の世界では牛が焼き印を他の動物、 または人間に押すのかもしれない。

2009-08-02 (0) 21:46:48 +0900

「揺るぐ」という動詞があって、これが「揺るぎない」の元になっているんだ

辞書をひいて知った。 ン十年生きてきて、「揺るぐ」という動詞をしらなかった。 ……と思ったら、「揺るぐことのない基盤」という言い方は自分の語彙の中にあった。 ただ、これは頭の中で「ゆるむ」と勝手に結びつけていたような気がする。

2009-08-02 (0) 21:45:33 +0900

楽劇「ジークフリート」は第二幕と第三幕との間で作風の差が目立つか?

目立つという人もあり、目立たないという人もある。 「神々のたそがれ」は、どこをとり出しても、 じっくりと寝かせた古酒のような味わいがあると思うが、 あの感じは「ジークフリート」第三幕にはないように思う。

たとえば数値化するなどして、作風の差の有無を論ずる人はいないだろうか?

付)「タンホイザー」のパリ版は明らかにあの部分だけが異質である。

2009-08-02 (0) 21:06:37 +0900

ABAB形式の曲を「展開部のないソナタ形式」とみなすのは、毒されていないか

ソナタ形式で第二主題が提示部と再現部で違う調性なのは意味があるのか》 の追記に書いたことの続きだが、単独でも読めるように書く。

モーツァルト「交響曲第39番」 の第二楽章は展開部のないソナタ形式と解釈できると書いてあることがあり、 私もそれで納得していた。 しかし、よく考えると、ABAB 形式にすぎない。 これだけを見て、「間に展開部が省略されているんだ」と思うのは、 “ソナタ形式こそが最高の形式である”というような考えに毒されているのでは、 と思い始めた。

二度登場する B の調性が、ソナタ形式の第二主題の調性の原則に一致すれば、 展開部のないソナタ形式とみなすことも考えられるが、 モーツァルト「交響曲第39番」の第二楽章はそうではないので、と、 日本語版 Wikipedia の筆者の考えにやや傾いてきた私。

2009-08-02 (0) 20:30:24 +0900

トンデモ広告>会議中に電話に出やすいのは会議を主催している人だろうな

7月30日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版政治面の下に出ていた、 フォレスト出版株式会社の、井上裕之著「すぐにケータイをかけなさい!」の広告。

会議中に鳴る電話は、つい「後にしよう」と思いがちである。 ところが、年収 1000 万円以上のビジネスパーソンへの調査では、 「会議中に電話が鳴ったら出ますか?」という設問に対し、 36%の人が「必ず出る」あるいは「出ることが多い」と答えた。 年収 1000 万円の人は、実に3人に1人以上が「会議中でも電話に出る」 という驚きに結果となった。

また、相手に連絡を取る必要がある時に、 59%の人が「相手に関わらずすぐに電話をかける」 あるいは「相手によってはすぐに電話をかける」と回答。 すぐに電話をかける人が、「タイミングを見てから電話をかける」 「電話はかけずメール等で連絡する」という人を上回る結果となった。

成功するビジネスパーソン、 その秘訣は「すぐにケータイに出る」「すぐにケータイをかける」 という行動に代表されるように、 「すぐにアクションする」ことにあることがわかりました。

「調査対象」として 「206名 30-39 才 / 有職者 個人年収 1000 万円以上」、 「206名 30-39 才 / 有職者 個人年収 400 万円未満」 とあがっているので、この二つのグループを比較したように見えるが、 上に引用した文章には第二のグループの調査結果は書かれていない。 広告の一番上に 《会議中の電話に「出る」「出ない」で、 あなたの年収が変わる!?》とあるので、 第二のグループは「出る」率が低いように読めるが、 どこにもそうは書かれていないのだ。

それと、この二つのグループでは、職場での地位が異なるように思う。 前者は、後者と比べ、社長・部長などの地位にある人が多く、 会議の主催者であることが多いと想像される。 そういう立場であれば、会議を中断して電話に出ることも可能だし、 また、連絡をとる相手は同じポジションかそれ以下が多く、 すぐに電話をかけることが可能、と考えられる。

私個人の経験でいえば、 大学院博士課程の普通の修業年限である3年を越えた、5年目のこと。 当然、授業料を払って在籍している身分である。 そのとき、元・同級生で最も出世している者は、その大学の助教授になっていた。 当時は携帯電話はなかったが、もしあったとして。 「講義中に電話がかかってきたら出ますか?」 という質問を同世代の数学者、あるいは数学者のタマゴにしてみたら、 収入の多い人はすでに大学の職についている人であるから、 自分がしている講義中にかかってきた電話に出ることもあるだろう。 事務的な用事でかかってくることがあるからである。 しかし、大学院学生である人は収入が少なく、講義中は、 講義を聞く立場であるから、電話に出ることは考えられない。 だから、 収入と講義中に携帯電話に出る率との間には正の相関があっただろうと思うが、 大学院学生が講義中にかかってきた電話に出るよう生き方を変えても、 大学などの就職口が見つかるとは限らないから、 収入アップにはつながらない。

……というような、すぐわかるトンデモなので、 これは広告を読ませるための“釣り”なのではと想像される。 著者には「歯学博士・経営学博士・セラピスト」という肩書きがついている。

2009-08-02 (0) 01:43:35 +0900

英語の短文を聞くとき、副文の時制がすぐに理解できず、困ることがある

前項を書きつつ思ったのだが、NHKラジオの「実践ビジネス英語」などで、 スキットに出てきた言い方を使った別の短文を聞かされるとき。 副文の時制がすぐに理解できず、 「〜したことを」なのか「(これから)〜することを」 なのかがわからなくて結局全体の意味を誤解する、ということがあるな。

2009-08-02 (0) 01:39:56 +0900

朝日新聞>日本人の英語受容に詳しい 東京大教授斎藤兆史氏に聞く

8月1日土曜日づけ大阪本社版オピニオン面「異議あり」は 『学校で「使える英語」なんて幻想だ』。 「日本人の英語受容に詳しい 東京大教授斎藤兆史(さいとうよしふみ)さん(51)」 のインタビューだ。

よく、文法を気にしすぎるから話せないと言われますが、それは違う。 文法が気にならなくなるまで徹底的に体に仕込んでいないから、 話せないのです》に納得。

その次には、この人は「訳読」を評価しており、次のように述べている。 《訳読は、短期間に効率的に読解力を伸ばす非常に有効な方法です。 英米人にも高度な英文を、日本人が数年の学習で読めるようになる。 話す聞くだけでこのレベルに達することが出来るでしょうか》。 ここも納得なのだが、その次。 《これは漢文訓読以来の、日本独自の伝統的な、 文化と言ってもいいシステムです》には驚いた。 たとえばフランス人が英語を学ぶとき、 フランス語に訳すことはしないのだろうか? 古典語の学習時は?

聞き手は編集委員・刀祢館正明とある。 「取材を終えて」に 《考えてみれば、中学・高校で教わり、 その後「使い物になった」科目なんてあるだろうか。 数学も音楽も美術も体育も……。英語だけ責めるのは酷というものだ》。 やっと気がついたかという感じだが、では国語は?

2009-08-02 (0) 01:25:14 +0900

「〇〇年代」と呼ぶのかなと想像していた 2000-2009 年が残りあと半年

2000 年から 2009 年までの十年間をなんと呼ぶか》 と考えていた十年間が、あと五カ月で終わる。 未来のことには言及しないとの仮定の元では、 いままでは「2000 年代にはいってからは」と言えばよかったが、 2010 年になると、2000 年から 2009 年までの十年間と、 2010 年以降とを呼び分けたくなることもあろう。 どう呼ぶのだろう?

付)タイトル行の「〇〇年代」の「〇」は漢数字の零である。

2009-08-02 (0) 01:17:00 +0900

7月28日から、その日の朝日新聞はその日に読むように方針変更

いままでは、三カ月ぐらい遅れて一日に二日分読んでいたが、 その日の新聞はその日のうちに読み終えたほうが効率がよいようなので。

連載小説「麗しき花実」は4月終わりあたりの分を読んでいるので、 いまの新聞はその小説だけ読み残して、別室に積んである。

2009-08-02 (0) 01:11:53 +0900

縁起をかついで「する」を「あたる」と言い換えるが、「ずる」もそうする?

そうすると、じゃなかった、そうあたると、「ズロース」も?

2009-08-01 (6) 21:59:20 +0900

「夜露死苦」と書いて「よろしく」は、上代特殊かなづかいが合っていない

「よろしく」は「よろし」が yörösi なので yörösiku だろう。 ku には甲類乙類の区別はないからである。 一方、「夜」は yo, 「露」は ro なので、合っていない。

2009-08-01 (6) 21:48:17 +0900

だから、 この書き方は上代特殊かなづかいが使い分けられていたころからあるものではない、 と推測されるわけだ。

2009-08-12 (3) 01:31:00 +0900

ローマ字回文>「igan na kannagi」(胃がんなかんなぎ)

「胃がんな」は破格か。「かんなぎ」は「かむなぎ」とも言う。 神につかえる女性である。

2009-08-01 (6) 21:39:58 +0900

縁起をかついで「すっ飛ばす」を「あたっ飛ばす」と言っている奴はいないか

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:38:52 +0900

縁起をかついで「素っ頓狂」を「あたっ頓狂」と言っている奴はいないか

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:37:39 +0900

縁起をかついで「クリスマスリース」を「クリスマアタリース」と言う奴は…

…いないか。

2009-08-01 (6) 21:36:13 +0900

縁起をかついで「バスレーン」を「バアタレーン」と言うやつはいないか

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:35:45 +0900

縁起をかついで「素浪人」を「あた浪人」と言っているやつはいないか

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:33:28 +0900

縁起をかついで「バスローブ」を「バアタローブ」と言う奴はいないか

「スロ」が「アタロ」に置き換わっている。

2009-08-01 (6) 21:32:54 +0900

縁起をかついで「ブレスレット」を「ブレアタレット」と言う奴はいないか

「スレ」が「アタレ」に置き換わっている。

2009-08-01 (6) 21:31:31 +0900

縁起をかついで「バス路線」を「バアタ路線」と言っている奴はいないか

「バスろせん」の「スろ」を「アタろ」で置き換えるので「バアタ路線」となる。

2009-08-01 (6) 21:29:45 +0900

縁起をかついで「バス旅行」を「バアタ旅行」と言っている奴はいないか

「バスりょこう」の「スり」を「アタり」に置き換えるので 「バアタ旅行」となる。

2009-08-01 (6) 21:28:37 +0900

縁起をかついで「バスルーム」を「バアタルーム」と言っている奴はいないか

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:27:26 +0900

ローマ字回文墓碑銘>「Akahone-ke no haka」(赤穂根家之墓)

最初は「赤骨家」としていた。 赤骨という姓はなさそうである。中曽根にならって赤穂根とでもするか、 などと書いていたのだが、 Google で調べたら、愛媛県に赤穂根島という島があるらしい。 読みも「あかほね」らしい。

2009-08-01 (6) 21:21:08 +0900

ローマ字回文>「akki no nikka」(悪鬼の日課)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:20:19 +0900

ローマ字回文>「atti e itta」(あっちへいった)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:19:17 +0900

ローマ字回文>「assi? Issa.」(あっし? 一茶。)

一茶がこういう言葉づかいをしたかどうかは、私は知らない。

2009-08-01 (6) 21:18:05 +0900

「ッジョ」のような部分はローマ字では「...jjo」と書くのだろうか?

アルペッジョとかがそうだ。 「エッジ」をヘボン式ローマ字で書くとしたら「ejji」だろうから、そうだろうな。

2009-08-01 (6) 21:16:16 +0900

ヘボン式では ...djo, ...dji と書くことも考えられる

ch の前に促音がくると tch のように書くから。

2017-01-17 (2) 21:06:04 +0900

間投詞を含む「おっと」はローマ字でどう書くか

o' to も見たことがあるような気がするし、o tto もありだと思う。

私個人としては、促音を示す文字を導入すべきだと考えるので、 たとえばそれを q として、oq to のように書けばいいと思う。 (「一丁目」は iqcyôme のように書く。)

2009-08-01 (6) 21:10:46 +0900

短いローマ字回文>「otto」(夫)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:08:31 +0900

短いローマ字回文>「en ne」(円ね)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:08:01 +0900

短いローマ字回文名前>「uzzu」(ウッズ)

日本に帰化し、つづり字を日本語風に改めた、と考える。

2009-08-01 (6) 21:07:31 +0900

短いローマ字回文>「ikki」(一気)(一揆)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:06:45 +0900

短いローマ字回文>「akka」(悪貨)(悪化)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:06:04 +0900

ローマ字回文>「uta, zatu.」(歌、雑。)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:05:19 +0900

ローマ字回文>「ureru」(売れる)(熟れる)

本文ナシ

2009-08-01 (6) 21:04:30 +0900

ローマ字回文>「e mo yome」(絵も読め)

普通は「字も読め」と言うな。

2009-08-01 (6) 21:03:39 +0900

雑草という名の草はないが、天皇という名の天皇もいないはず

だから「陛下」と呼ぶのか。(←ウソ)

2009-08-01 (6) 20:59:47 +0900

米国人に原爆展を見てもらいたいなら「原爆は優れた兵器です」と始めれば?

「原爆はすぐれた兵器です。 そのおかげで、本土決戦をまぬがれ、日本も救われました」 とか、米国人の普通の見方に近い観点から始めて、徐々に、 だんだんに、「原爆がいかに非人道的な兵器であったか」 に移ってゆくような形で展覧会を開けば、 米国人も“つられて”見るのではあるまいか。

ウェブ上で実施する場合も同様。

2009-08-01 (6) 20:56:14 +0900

「おばあちゃん」でなく名前で呼んでほしいという声があるが、皇族は?

病院などで、名前のわかっている状況の場合、 「おばあちゃん」ではなく「**さん」と名前で呼んでほしい、という声があるが、 皇族の場合はどうなのだろう? やはり、呼ぶほうが名前では呼びにくく、 「宮様」などの言い方になってしまいそうな気がするが。

2009-08-01 (6) 20:29:59 +0900

雑草という名の草はないというが、お武家さまという名の侍もいなかったはず

よく、時代劇で、侍以外の人間が「お武家さま」と呼びかけたりしているが、 「『お武家さま』という名の人間などおらん!」と切り捨てられたりしないかな。

2009-08-01 (6) 20:26:09 +0900

ファントム・メナス>戦いの間、パドメの家族はどうしていた?

一般の市民と同じように収容所に入れられていたか、 あるいは、女王の家族ということで、人質にとられ、 一般人よりもつらい思いをしたのではあるまいか。

II の DVD の付録に、カットされたシーンが収録されているのだが、 そこに、アナキンがパドメの実家を訪ね、家族に会うシーンがある。 アナキンがナブーを救ったのだから、 I の戦争のときの話が出てもおかしくない、 というか、出ないとおかしいような気がする。 「あのときは大変だったが、君のおかげで救われた。 私たちはパレードをテレビで見ていたが、 このくらいの背丈の坊やが敵の宇宙ステーションを破壊したと知ったときは驚いた。 その子がこんなに大きくなって、こんどは娘の護衛に……」 とか、そういう話が出そうだが、していると時間がなくなるので省略なのだろう。

2009-08-01 (6) 18:47:36 +0900

ファントム・メナス>最後のパレードの前に母親を買い戻してもおかしくない

戦いが終わったあと、 コルサントからジェダイたちや新議長になったばかりのパルパティーンがやってきて、 クワイ=ガンの葬儀などがあり、最後はパレードであるが、 そのパレードの前に、アナキンの母親をワトーから買い戻して、 自由にするぐらいの時間はあったように思うのだ。 どのくらい時間が経っているのかわからないが、 市民の生活は元に戻っているようだから、そうすぐではないと思う。

2009-08-01 (6) 18:43:49 +0900

西洋では天井に描いた絵があるが、東洋に、天井に書いた書道はあるか?

書いたものを天井に張るのではなく、天井に書くのである。 手が疲れそうだ。

2009-08-01 (6) 18:42:52 +0900

ローマ字で氏名を書くときは氏と名を分けて大文字で始めるのが普通

7月31日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版生活面「ひととき」は、 大津市の岡田糺子さんの「名前に愛着じわり」。 《okadatadako。昨年私が入院した際、タオルや洗面器などの持ち物に、 長女がローマ字で名前を書いてくれました》。 これが回文になっていることに気づいた、という話が続くのだが、 ローマ字で名前を書く際は、国際的な慣例に従って姓と名を分け、 それぞれを大文字で始めて、Okada Tadako とすべきだと思う。 (姓―名の順で書いたのは、入院したのが日本の病院であれば、 当然であろう。この点は評価できる。)

考えられなくもないのは、 回文であることを強調するために全部小文字でつなげて書いた、 ということだが。

最初のほうを読むと、 「岡田」が姓で「糺子」が名であることは明らかである。 念のため。

付) 私は 《ローマ字回文名前>「Okada Sadako」(岡田貞子)》 で「おかだただこ」 という氏名があればそれも回文になっていることを指摘しているが、 そこでは「忠子」という漢字を想像していた。

2009-08-01 (6) 02:11:24 +0900

総武線直通の中央線緩行線は9駅続けて地下鉄との乗り換え駅だ

四ツ谷、市ヶ谷、飯田橋、水道橋、御茶ノ水、秋葉原、浅草橋、両国、錦糸町。 山手線の上野、御徒町、秋葉原、神田、東京、有楽町、新橋、浜松町、 田町も9駅連続だった。 五反田、目黒、恵比寿、渋谷、原宿、代々木、新宿はこの7駅で途絶える。

2009-08-01 (6) 01:57:34 +0900

「見合い」はきっかけ、「恋愛」は持続。「見合い結婚」「恋愛結婚」は対?

「見合い結婚」と「恋愛結婚」が対になるものと信じてきたが、 見合いは交際のきっかけで一日だけであるのに対し、 恋愛は交際そのもので、ある程度の期間、持続する。 これらを対にするのは、変ではないか? (変だけど決まっていることば、 ってのがあるのはわかるけど。)

2009-08-01 (6) 01:07:39 +0900

遠方の親類が危篤のとき、喪服を持って行くべきか?

26日日曜日づけの朝日新聞大阪本社版「声」に、 遠方の親類が危篤でかけつけたとき、 喪服を持っていったら非難されたという投書があったそうで、 それに対し、きょうづけでそれは非難されることではない、という投書が載っていた。

最初の投書の載っている新聞を出して読んでみたら、 その人の家族は、いままでは喪服を持って行かなかったため、 出先で買うことになり、何着も喪服がたまっているという。

以下、思いついたことをそのまま書く。

解決法その0. レンタルの喪服で済ます。

解決法その1. そういうことにうるさい遠方の親戚とは付き合いを絶つ。

解決法その2. たまっている喪服を、 何箇所かの親戚に預かっておいてもらう。 そこの人が死んだらそれを着て葬儀に出る。 預かった人が死んでしまうと、 どこにしまってあるのかがわからなくなるのが欠点。

解決法その3. 喪服一式を箱につめ、宅配便の伝票も書いて、 自宅近くの親しい友人に預けておく。 万が一のときは電話して、すぐに送ってもらう。

解決法その4. 白いネクタイも持参し、 「病人が危篤でついている間に、 急に結婚披露宴に呼ばれるといけないから用意してきた」 といい、病人が亡くなったら黒いネクタイだけ買う。 これなら出費が少なくて済む。

そもそも、 人が亡くなったときにだけ着る服が決まっている国は、 先進国のなかでどれだけあるのだ? 西欧では、 男性は暗い色のスーツであればよいはず。結婚式もそれでよい。 これらの投書を機に、そっちのほうへ話が進んでゆくとおもしろいのだが。

2009-07-31 (5) 23:44:50 +0900

「週給制」だとうるう日の分ももらえるが、「月給制」だと一日損した感じ

月給制の場合、 「ことしはうるう年だから二月29日の分も給料をください」 とは言えない。 言えば、 「二月はほかの月より勤務日が少ないのに同じだけ払っている」 と言われるだけだな。

2009-07-31 (5) 20:23:20 +0900

「耳で聞いてわかりやすい」の「耳で」の果たす役割

前々項のタイトルは、初め、 『「年収差」を聞いてわかりやすいことばに置き換えてみる』だった。 だが、これは『「年収差」を聞いて……」ととられやすい。 そこで 『「年収差」を“聞いてわかりやすいことば”に置き換えてみる』 にしたのだが、 『「年収差」を耳で聞いてわかりやすいことばに置き換えてみる』 とする方法もある。 実は、最初、これを思いついたのだった。

「耳で」を省いたのは、聞くのは耳に決まっている、という理由だったが、 『「年収差」を耳で聞いて……』とは言わないから、それでうまくゆくのだ。 『「年収差」を、聞いてわかりやすいことばに置き換えてみる』 とする方法もあるか。

2009-07-31 (5) 20:15:03 +0900

「年収差」はたいていの場合「収入の差」でいいと思うのだが

前項の続き。 前々項に戻って考えると、 「収入の差」によって大学進学率が違うと言いたいのだから、 「収入の差」、あるいは「収入差」でいいところを、 なぜ「年収差」というのだろうか。

(「月収差」だと、ボーナスの額によって「年収差」が違ってくるが、 「収入差」といえば、それらも込めて、 一年を平均して、の意味であることは明らかだろう。)

2009-07-31 (5) 20:11:57 +0900

「年収差」を“聞いてわかりやすいことば”に置き換えてみる

前項に登場した「年収差」をローマ字で書くとしたら nensyû-sa だろうか。 nensyû はこれで一語と認識されている、との仮定のもとで、だが。 sa はここではこのまま使ったが、短すぎて、 聞いただけでは意味のとりにくいことばである。 cigai(違い)と置き換え、さらに no をはさんで、 nensyû no cigai(年収の違い)とするか。 「年収」を「年間収入」をつめて作った語と考えるなら、 nenkan no syûnyû no cigai(年間の収入の違い)。 いや、ここでは syûnyû no cigai(収入の違い)で十分だ。

2009-07-31 (5) 20:09:25 +0900

「年収差」は「年収+差」とも「年+収差」とも解釈できる

けさの朝日新聞大阪本社版トップ記事は「大学進学 際立つ年収差」。 「年収差」は「年収+差」の意味だが、 「収差」という語がある以上、「年+収差」とも解釈されかねない。

収差はレンズ関連の語で、プログレッシブ和英中辞典第二版によれば aberration という訳語があがっている。

2009-07-31 (5) 19:19:27 +0900

麻生首相の「高齢者、働くしか才能ない」発言の「高齢者」には天皇・皇后も

……含まれることになるんだろうな。65歳以上だから。 26日日曜日づけ朝日新聞大阪本社版『首相、「高齢者、働くしか才能ない」』。

2009-07-31 (5) 02:01:24 +0900

広島以外に収容されて終戦を迎えた米兵は運がよかったとしか言いようがない

30日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面『「原爆正当論」に一石』。 「元海兵隊員ら、核廃絶訴え米横断」という見出しも見える。 ある人は、 《祖父に「あなたの命があるのは原爆のおかげ」と告げられたことがある。 太平洋戦争に従軍した祖父はフィリピンで旧日本軍の捕虜になり、 大阪の収容所で終戦を迎えていた》とあるのだが、 原爆が大阪に落とされていたか、 あるいはこの祖父が広島の収容所にいたかしたら、 原爆で命を落としていたであろう。 (広島では捕虜の米兵も原爆で命を落としていると読んだことがある。 長崎については知らない。)

2009-07-31 (5) 01:47:18 +0900


すのもの Sunomono