ふと、そう思った。
2007-06-30 (6) 01:01:47 +0900
「特別快速」の略語なのであろう。 漢字を元にした略語の場合、元の意味がわからなくなっても文句を言わない、 という例ではあるまいか。
2007-06-30 (6) 00:59:14 +0900
録音し、うんと遅れて聞いているのだが、前の音声が残っている。 思い出した。 去年の十月第一週は東京へ出張していたんだっけ。 ホテルで「フランス語会話」 (《NHKフランス語会話>十月 02 日(月曜日)放送分》) の直前に録音したのだが、 Walkman の調子が悪かったのか……。
2007-06-29 (5) 22:43:24 +0900
ここのところずっと、録画を見直すのは次の放送日になっていた。 きょうは体調不良でビールを飲んでいない。 ちょうどいい。早めに見てしまおう。
放送時のことである。 23時30分までNHKラジオ「英会話上級」「ビジネス英会話」を録音していた。 ラジカセの調子が悪いので木曜日の再放送を録音するのは万が一の場合を考えると避けたい、 との理由からである。 しかし、あいているテープが少ないので、 テープの後ろのほうにはまだ聞いていない分が録音されている。 また、ラジカセをテレビの近くに持ってきて録音するのは、 テレビからノイズがはいるので避けたい。 どうしようか少し迷ったのだが、 テレビの音声を聞くためのヘッドホンのコードは長いので、 放送開始時刻である23時30分の少し前に録画ボタンを押したらテレビから離れ、 番組が始まってすぐにラジカセのスイッチを切る、というアイディアを思いついた。 「フランス語講座」というタイトルを示すパレットが映っているときに、 急いで振り返って止めた。成功。
冒頭のどうでもいいような右宗さんとミカエルさんの会話の字幕。 「C'est Jennifer, je crois.」の、「, je crois.」が緑色、残りが白だった。 私なら「je crois」だけ、色を変えるが。 そのあとの、「Elle porte des lunettes, je crois.」なども同様だった。
スケッチのあと、今週も召喚なしにいきなり登場された。 スカートの、腰の回りに横にしわが……。 素材はなんだろう? ジーンズのようにも見えた。
私がここに書いたせいじゃないと思うけど、 ジェニファーさんのコーナーの冒頭の字幕がなしになった。
中級コーナーで 「Vous vous êtes couchés à minuit?」 とおっしゃったとき、字幕が画面から左右にはみ出ていた。 字幕も入れたあとの最終段階で何か改変が行われたのであろう。 お顔は普通なので、画面全体を横に引き伸ばしたのではないようだ。 何度も見ているうち、強調されている 「Vous vous êtes couchés」のうち、 最初の「Vous」と最後の「couchés」だけ文字が大きいことに気がついた。 急いで訂正したため、 この前後の字幕と同じような幅の狭いフォントに変更する時間がなかったのではあるまいか。
来週のフレーズは、やはり横ずわりで、左手をひじかけにかけられて。
「右宗の日記」。 きょうエッフェル塔まで行ったといって舞台奥の窓を指していたが、 エッフェル塔が見えるのは左手の窓の外だろうが。
後半。 字幕で「ロティ」となっている人名を、右宗さんは「ロティー」と読んでいた。 あと、 「エキゾチズム」と言っていたが、英語からはいった語なら「エキゾチシズム」。 フランス語 exotisme からはいった語が別にあるのだろうか。
エンディングは、オープニングの衣装で踊るジェニファーさん。 オープニングを撮影した際の素材があるのであろう。
付)でもって、 見終わったらきょうも「フランス語会話」の放送があるような気がしてしまった。 条件反射。
2007-06-29 (5) 21:21:39 +0900
げ、タイトル行の日付が「六月 20 日(水曜日)放送分」になっていた。 修正しました。
2007-07-11 (3) 21:04:58 +0900
前項を書いていて気づいた。(前項では「何乗かすると」だった。)
「何倍かすると」は子どものころから聞きなれているので違和感がないが、 ネイティブでない人が初めて聞くと 「か」と「倍」が入れ替わっていて奇異に思えるのではあるまいか。
2007-06-28 (4) 00:54:37 +0900
《数学>群表の“本文”だけを見て群になるよう“見出し”を入れる問題》 に関連して思いついた問題。
有限集合 X の上に両側簡約可能かつ結合的な積が定義されているとする。 このとき、X はこの演算に関して群か?
ある元 a を左からかけることを考える。 すなわち、X -> X : x |-> ax を考えると、これが全単射であることから、 対称群 Sn(n は X の元の数)の元であることがわかる。 この元も a と書こう。 このような元をすべて集めてできた集合 A は、 与えられた演算が結合的であることから、 Sn の積に関して閉じている。 Sn は有限群だから、 A の任意の元 a は何乗かすると id になる。 よって、ある元 e が存在して X の任意の元 a に対し ea = a を満たす。 同様にして、ae' = a を満たす元 e' も存在する。 e' = ee' = e だから e' = e である。(以下略。)
付) 最初、反例を作ろうと考え、 演算の表が結合法則を満たすかどうかチェックするプログラムを書いて実験していた。
#include <stdio.h> #define N 3 char a[N][N] = { { 0, 1, 2 }, { 1, 2, 0 }, { 2, 0, 1 } }; main() { int i, j, k; printf(" | "); /* 表の印字 */ for (i = 0; i < N; i++) { printf("%d ", i); } putchar('\n'); printf("--+-"); for (i = 0; i < N; i++) { printf("--"); } putchar('\n'); for (i = 0; i < N; i++) { printf("%d | ", i); for (j = 0; j < N; j++) { printf("%d ", a[i][j]); } putchar('\n'); } putchar('\n'); for (i = 0; i < N; i++) { /* 結合法則のチェック */ for (j = 0; j < N; j++) { for (k = 0; k < N; k++) { if (a[a[i][j]][k] != a[i][a[j][k]]) { printf("(%d %d) %d != %d (%d %d)\n", i, j, k, i, j, k); } } } } }
実際にチェックする式は、大カッコが入れ子になっていて、ちょっとおもしろい形である。
2007-06-27 (3) 21:52:45 +0900
スケッチ。 マダムベルモンが携帯電話を耳に当てた状態で登場。 呼び出し音が聞こえている。 彼女が「かけた」のだと思っていたが、そのあとの会話からすると、 「かかってきた」のだ。 (呼び出し音が止まる瞬間には、 ベルモン夫人は電話機を操作していないように見える。)
今回も、ミカエルさんの“召喚”なしに、いきなり登場される。 (今後はこのパターンになるのか!?)
右宗さんが「きょうのフレーズは長いですね」と言ったので 「お前は生徒なんだからそんなこと言わなくていいんだよ」 と心の中でツッコミを入れたら、 微妙な pause ののち「ちょっとね」とおっしゃった。
文法説明の中で「chez nous」とおっしゃるとき、 nous で顔全体を前に突き出しておられるような。 (唇だけでいいと思うのだが。)
そのあとの、「chez nous の nous です」でも。
どうして練習問題になると消えてしまわれるのかな?
中級は、電話の相手に「Je vous le passe.」と言って 「彼にかわります」と伝える言い方だが、 最初、受話器を“彼”に渡すので、“あなたを彼に”だと思って納得してしまった。 (正しくは「彼をあなたに」。)
来週のフレーズは、左腕をいすのひじかけにかけ、 横ずわりでおっしゃっておられる。
中級コーナーの終わりは、 さがしていたジェニファーさんの結婚指輪が彼女のポケットから見つかったというオチ。 そこで三人で「Ça alors! ジェニファー!」と言うのだが、 右宗さんだけは日本語式発音で「ジェニファー」と言っている。 (一人だけ口が「ア」の形に開いていることからも明らか。)
付)先生と右宗さん二人きりのシーンって、いままでにあったっけ? 思い出せない。
2007-06-27 (3) 21:51:16 +0900
意味も音も似ているような気がして。
2007-06-27 (3) 20:40:17 +0900
本文ナシ
2007-06-27 (3) 02:38:09 +0900
「みまつや」は「ちびまる子ちゃん」に登場。
2007-06-27 (3) 02:28:40 +0900
「ムカデ噛む」(むかでかむ)も。
2007-06-27 (3) 02:24:53 +0900
本文ナシ
2007-06-27 (3) 02:22:59 +0900
本文ナシ
2007-06-27 (3) 02:20:33 +0900
全部カナで書けば 「かるいのうしんとうとんしうのいるか」。
2007-06-27 (3) 02:17:29 +0900
「七位」を「なない」と読んでしまうと回文にならない。 「地位かっ!? 四日市」というのも考えたが。
2007-06-27 (3) 02:14:23 +0900
本文ナシ
2007-06-27 (3) 02:10:18 +0900
シゲは、スポーツ選手の愛称と考えてほしい。
2007-06-27 (3) 02:08:40 +0900
最初は「三つ編み厚み」にしようと思ったが、変換したら「敦美」になったので。 ああ、いい加減。
2007-06-27 (3) 02:06:49 +0900
どういうキックだろう、存在するとしたら?
2007-06-27 (3) 02:05:32 +0900
春江は姓のつもり。 《回文>「考える人と蛭江眼科」(かんがえるひととひるえがんか)》 参照。
2007-06-27 (3) 02:00:16 +0900
本文ナシ
2007-06-27 (3) 01:54:42 +0900
本文ナシ
2007-06-27 (3) 01:53:11 +0900
本文ナシ
2007-06-27 (3) 01:51:29 +0900
2007-06-26 (2) 01:53:45 +0900
「フランス語会話」に「J'ai mal aux pieds.」が出てきて思い出した。 列王紀上 15,23 に記されたアサの足の病気は、婉曲表現であるという説がある。 TOB を見てみたら、ここは pieds と複数形になっていた。 婉曲表現の場合、(実際に反して)複数形で言う習慣なら、 このことに何の意味もないか。
欽定訳も feet と複数形だった。
2007-06-26 (2) 01:43:23 +0900
このあいだ、学生に S4 を正規部分群 V = {e, (12)(34), (13)(24), (14)(23)} で割ったものが S3 に同型であることの証明を尋ねられ、普通に説明したけれど、 S4 は空間の合同変換のうち (特定の)正四面体を保つもの全体だから幾何で説明できないとくやしいなと思い、 考え始めたら、 「立方体の頂点を一つおきに選ぶと正四面体になる」 ことに気がついた。
立方体をそれ自身に写す合同変換は、 特定の頂点の行き先が 8 通り、そこから出る三つの辺の写り方が 3! = 6 通りで、 全部で 48 個ある。 S4 の位数は 24 だから、ちょうど半分だ。 一つおきに選ばれた頂点全体と、 選ばれなかった頂点全体とを入れ換えるのが残りの 24 個である。
正四面体を保つ合同変換は立方体をも保つから、 S4 は立方体を保つ。 立方体が [-1, 1]×[-1, 1]×[-1, 1] だとすると、 向かい合った面の中点を結ぶ直線は x, y, z 軸である。 これらの和集合も保たれる。 各軸に、S4 の元がどう働くか見てみると、
記号を整理しよう。 三つの軸のうちの一つは頂点 1, 2 の中点と頂点 3, 4 の中点とを結ぶものである。 これを [12]-[34] と書いてみる。 すると、S4 の元 σ によるこれの像は [σ1σ2]-[σ3σ4] 。 これは、(12)(34) を σ-1 で共役をとった σ(12)(34)σ-1 が (σ1σ2)(σ3σ4) になるのと似ている。
これに気がつくと、また代数に戻って書いてみることができる。 集合 {(12)(34), (13)(24), (14)(23)} に S4 の元を共役として作用させると S3 の元と思えるが、 その Kernel が V なので、以下略。
付)空間の合同変換に上の (1234) タイプのものがあることは、 気づいていなかった。^^;
付)正八面体は立方体の dual であるが、それから始めるなら、 その各面の中心を一つおきに選んで結んだのが正四面体である。 正十二面体およびその dual である正二十面体からは、 一つおきには選べない。 各頂点に集まる面の数、各面の頂点の数がどちらも奇数であるから。
2007-06-26 (2) 00:54:39 +0900
ケシの絵に点々をつけて「ゲシ」→「夏至」と読ませるのは昔から知っていたが、 なぜその日付を暦に書かねばならないかは考えたことがなかった。 現行暦なら日付が毎年ほぼ一定だから載せる必要はあるまい。 (それでも忘れてしまうから書く、という考え方はあるが。)
2007-06-25 (1) 23:56:43 +0900
ウルトラマンやウルトラセブンが倒した宇宙人は何らかの意味で人間に害があり、 だから倒されるのだが、 地球人が殺虫剤で害虫を殺すように、 巨大化した宇宙人が、 殺虫剤スプレーを持って人間を殺す、 って設定だったらやだな。
2007-06-22 (5) 18:40:11 +0900
20日づけ朝日新聞大阪本社版文化面『「千の風」なぜヒット』。
《「千の風」はもともと作者不詳の英語詩を、
作家の新井満さんが翻訳して曲をつけ、自ら歌った
》。
《新井さんは詩の世界観について「万物に精霊が宿るというアニミズム。
どんな人にも最古層にある宗教観だ」と言う。
死者は「風」だけでなく光、雪、鳥、星にも形を変えて「あなた」のそばにいる、
と歌われる。
「八百万(やおよろず)の神という言葉があるように、
日本人になじみがある考え方を、目覚めさせたのではないか」
》。
「万物に精霊が宿る」のがアニミズムなら、 死者がさまざまなものに形を変えてわれわれのそばにいるというのはそれとは直接関係しないし --- 精霊は死者の霊とは限らないから ---、 さまざまな、ありとあらゆる“神”が存在するというのが八百万の神なら、 死者がさまざまなものに形を変えてわれわれのそばにいるというのは、 “神”は死者の霊とは限らないから、 それはやっぱり八百万の神ではないと思うのだが。
アニミズムという言葉が、 各自が思い浮かべる勝手な神観を正当化するのに使われているのでは?
2007-06-21 (4) 02:18:58 +0900
いつものようにミカエルさんが呼び出すのかと思ったら、 いきなり登場されたのでびっくり。
文法事項の説明のあと、 もう一度スケッチの中のきょうのフレーズを見るが、 同じ文章が二度出たにもかかわらず、 疑問符とその前の語との間のスペースの有無が違っていた。 (日本語訳が伴うのと伴わないのとでまちまちだったようだ。)
きょう習ったのは縮約形の au と aux だったわけだが、 「前置詞 à について」ということにして、 縮約しない à la, à l' も含めたほうが自然なような気がした。
練習問題は「au」「aux」「à l'」「à la」から正しいものを選ぶもの。 右宗さんはこれらの書かれたうちわ(のようなもの)を持たされて、 ミカエルさんの出題に合わせてこれらから一枚を選び、掲げる。 しかし、途中で、問題の字幕での名詞の色が、 正解のうちわの地の色と同じであることに気がついてしまった私は、 ドリフターズを見て「志村、後ろ! 後ろ!」と叫ぶ子どものように、 「右宗、色! 色!」と小さな声で叫んでしまったのだった。
左上のタイトルは「ジェニファーと発音してみよう」なのに、 字幕は『「ジェニファーと発音しよう!」のコーナーに……』となっていた。 変。
例としてあげられた単語 aussi に「もまた」と訳が添えてあったが、 これでわかるだろうか? 「もまた」 という名詞があるかと思う人もいるのでは? 「……もまた」とかすればいいのに。
同じく例として出た単語 langue を見て思ったのだが、 n と gu は、発音とつづり字の関係としては、別々なわけだ。 前者はその前の a といっしょになって鼻母音をあらわし、 gu は子音 [g] をあらわす。 (英語でこれにあたる単語 language だと、 ngu のあたりが一体となって鼻濁音のような子音と [g] の音になる。)
次のステージ冒頭の、三人で画廊を掃除するシーン。 わざとらし〜。 意外なことに、右手でぞうきんを使っておられた。
2007-06-20 (3) 22:00:26 +0900
作品中では、 ヨーダ−ドゥークー−クワイ=ガン−オビ=ワン−アナキンという系列が語られる。 ウィンドゥはこの系列にははいっていないように思われる。 ヨーダより若いと思われるからである。
2007-06-19 (2) 20:32:18 +0900
「帝国軍の設立を元老院に提案したのは (ナブー)選出の (ジャー・ジャー・ビンクス)である。 彼は(クイーン・アミダラ)の代理人であった」 というような穴埋め問題を学校で習っていたりして。
そうだとすると、 事実を知ったとき --- それは VI のエンディングよりもあとだ --- にはかなりの衝撃を受けたような気が。
2007-06-19 (2) 20:10:59 +0900
本文ナシ
2007-06-16 (6) 01:08:33 +0900
本文ナシ
2007-06-16 (6) 01:05:17 +0900
先日、ちょっとゆっくり夕食をとっていたら、 会計時には22時を回るかもしれないと気になり出した。 そうなって、いままで飲み食いした料金が一割増しになると、ちょっと痛い。 聞いてみたら、 店にはいって最初のオーダーが午後10時を過ぎていたら、だそうだ。
安心してデザートを食べた。
2007-06-16 (6) 00:54:08 +0900
自分の手を揚げてしまったらさぞ熱いことだろう。
2007-06-16 (6) 00:16:55 +0900
これ以降はこれからアップロードします。 諸事情あって、十日間もほったらかしにしてしまいました。
2007-06-26 (2) 00:19:03 +0900
本文ナシ
2007-06-14 (4) 00:47:45 +0900
文法事項の説明で初登場されるところ。 右宗さんがファーストネームを呼び捨てにしたので --- フランス語で話しているつもりだったのかもしれないが --- 思わず「十年早いんだよ!」と叫んでしまった。
「右宗の日記」に確か前回はジェニファーさん、今回はフランツさんも登場。 もしかして次回は!?
後半でバラの花の香りをかがれるところ。 目をぱちぱちしておられた。 《NHKフランス語会話>七月 03 日(月曜日)放送分》、 《NHKフランス語会話>七月 31 日(月曜日)放送分》 参照。
最後はフランツさんのセリフをきっかけにジェニファーさんと三人そろって 「Bon Voyage!」で終わるのだが、少し出遅れられた感じ。 あわてて顔をあげられたようだ。
2007-06-13 (3) 20:50:39 +0900
《回文>「うどん浮かび、美化運動」(うどんうかびびかうんどう)》 に若干類似。
2007-06-12 (2) 01:12:33 +0900
本文ナシ
2007-06-12 (2) 01:11:24 +0900
{x + sin(x)} / x の x -> ∞ のときの極限は、 分母子を x で約分して {1 + sin(x)/x} / 1 とすれば 1 だとすぐわかる。 しかし、 「∞/∞ の不定形だからロピタルの定理だっ!」と飛びつくと、 {1 + cos(x)} / 1 となって、この極限は存在しないから、 「極限は存在しない」と答えてしまいそうだ。
頭が混乱して少し悩んだが、 ロピタルの定理は f'(x)/g'(x) に極限があるならそれは f(x)/g(x) の極限に等しいと言っているだけだから、 おかしくはないのであった。 ロピタルの定理の証明はきちんと考えたことがないが、 上の例の場合、極限が 1 だから、 y = x + sin(x) のグラフと y = x のグラフに接線が平行になるような点 x が存在する、 すなわち、前者のグラフに接線の傾きが 1 の点が存在する、 ということしか出ないのでは。
これを利用して、 ロピタルの定理に飛びつきやすい受験生をハメようとする入試問題ってないんだろうか。
また、 「ロピタルの定理から lim {exp(x) - 1}/x = lim {exp(x) - 1}'/x' = lim {exp(x)}/1 = exp(0) = 1」 などと書くのはまずいわけだ。 最初の等号は右辺に極限があるとわかって初めて成り立つわけだから。 (この lim は「x → 0」としたときの極限である。)
2007-06-12 (2) 00:12:09 +0900
x -> 0 の極限の問題にしたいなら {1/x + sin(1/x)}/{1/x} とすればよい。
2008-05-09 (5) 23:36:13 +0900
新明解国語辞典第五版は 「死ぬ意志の無い相手を無理に道づれにして自殺すること」 と定義しているが、これだと、あれも含まれるしまうのではないか。 「ウルトラセブン」第 29 話「ひとりぼっちの地球人」で、 二人同時では再生不能な電送移動機で逃げようとするプロテ星人を、 その装置に自分も乗り込むことで倒した行為。 その場合、 相手を殺すことに主目的があるのであって自殺ではないから当てはまらない、 という見方もできるか。
《朝日新聞>《……12月4日といえば、午後6時を回ればかなり暗い
》》
に取り上げた記事で無理心中という語を見たもので。
2007-06-10 (0) 23:37:27 +0900
紙の掲示物で見たんだけど。
2007-06-10 (0) 22:33:13 +0900
2007-06-10 (0) 02:05:13 +0900
2日づけ朝日新聞大阪本社版「三谷幸喜のありふれた生活」第 335 回に
《かなり涙をそそるシーンだ
》とあったので考え込んでしまった。
私は、「涙をそそられるシーンだ」というものだとばかり思い込んでいたからである。
インターネットではときどき「そそる〜」と書いているのを見る。
それは“誤用”だと信じ込んでいたが、
手元の辞書をひくと「そそる〜」だけが用例としてあがっていた。
しかし、さらに考えて、 「心を乱す事件」「心を乱される事件」のどちらも間違いでないように、 「涙をそそられる本」も間違いではないのでは、と気がついた。 そうなると、省略されている“関係代名詞”の問題になる。 時間があったら、また考えよう。
2007-06-10 (0) 01:51:17 +0900
1日づけ大阪本社版の、 連載小説「愛しの座敷わらし」第 98 回。 読んでいないんだけど、なぜか、目にはいってきた。 最近、記事ではこの誤植を見ないだけに、ちょっとうれしかったりする。
夕刊のある地域では5月31日づけ夕刊に掲載された分だと思う。
2007-06-10 (0) 01:40:58 +0900
そりゃ、あんまり早いとベイダーが改心する時間がないからだわな。
一撃と書いたのは、 ウィンドゥが反撃不能になったあと電撃で宙に浮かしてからのこと。 その前の、ウィンドゥがライトセーバーで電撃を受け止めていた間は、 ずいぶん時間がかかっている。
そりゃ、あんまり早いとアナキンがかけつける時間がないからだわな。
2007-06-10 (0) 01:21:11 +0900
最後の部分は記憶違いだった。 パルパティーンが電撃を出すのは、 アナキンがかけつけてからだ。 初めのうちはじわじわと電撃を出しているが、 アナキンがウィンドゥの右腕を切り落とすと、 もう暗黒面からアナキンは戻れないと確信し、 一気にウィンドゥを葬り去る。 だから、全体の趣旨は間違っていないが、 最後の段落は 「アナキンが(ダークサイドに)改心する時間がないから」とでもすべきだった。
それに気づくと、より強い意味で対照になっていることがわかる。
2007-06-26 (2) 01:46:49 +0900
アナキンは、 ウィンドゥがパルパティーンの電撃を受けている間にいろいろ考えてダークサイドに落ち、 ダース・ベイダーになった。 そのベイダーが、VI では息子ルークが皇帝の電撃を受けている間にジェダイに戻った、 という対照になっている、ということである。
そう考えると、 電撃に撃たれるルークを見つめるベイダーの脳裏には自分がダークサイドに落ちたときのことが浮かんでいたかもしれない。 自分は電撃を受けているウィンドゥを見ているうちにダークサイドに落ち、 ルークはダークサイドを拒絶して電撃を浴びている。 他方では、自分が初めてシスの電撃を受けた、 ジオノーシスでの対ドゥークー戦を思い浮かべていたかも、とも思う。 あの戦いで切られた右腕につけた義手を、今度は息子に切られたわけだ。
2008-05-09 (5) 23:41:30 +0900
いまは、立夏より夏至に近いが、季節としてはまだ夏とは思えない。 われわれは気温でもって季節を判断することが多い。 しかし、電灯が普及していなかった時代の人は、夜明とともに起きたと聞くから、 昼間の長さにも季節を感じ取ったのではあるまいか。 そうだとすると、いまは確かに“夏”だ。
午前3時ごろまで起きていると、鳥が鳴き出す。 昨晩、それを聞いていて、ふと思った。
付) 前項と関連しているように見えるかも知れないが、気づいたのはそれより前。
2007-06-10 (0) 01:15:24 +0900
12月4日といえば、午後6時を回ればかなり暗い》
9日づけ大阪本社版 be の e1 面、
「愛の旅人」は愛新覚羅慧生と大久保武道。
その冒頭に
《冬至も近い12月4日といえば、午後6時を回ればかなり暗い
》
とあるのでどこのことかと思ったら、静岡県の話だ。
1999 年版理科年表によれば、
1999 年 12 月 7 日の静岡の日の入りが 16 時 35 分。
「かなり」どころか、真っ暗だと思うがな。
1957 年の話だから、もちろんいまと同じグレゴリウス暦だ。 夏時間も関係ない。
「文・沢田歩」と署名あり。
2007-06-10 (0) 01:06:23 +0900
「渡来系の人たちと」の意味だが、 「人」を抜かし、「たち」を「ら」にしてしまうことで、 侮蔑的な感じを与えるかも知れない。 しかし、フィクションをも許容する回文の世界の話なので、ご容赦いただきたい。
2007-06-09 (6) 02:02:47 +0900
本文ナシ
2007-06-09 (6) 01:57:47 +0900
本文ナシ
2007-06-09 (6) 01:54:59 +0900
本文ナシ
2007-06-09 (6) 01:51:48 +0900
前項に関連して。 私は左手系(←前項に定義あり)だったように記憶しているが、 手元のムックの一部を見ても、写真はみつからなかった。 あるはずなんだけど。
2007-06-07 (4) 01:56:42 +0900
……と思ったら、 今週はまたオープニング曲の情報が画面に出た。
初めて登場される時のカメラアングルが違うので、 例のすり抜けは、手前の家具のかげになっていてよくわからなかった。
「これは日本のネコです」とおっしゃると思ったのに、 「これは日本のネコだよ」と男言葉でおっしゃったので、ちょっと驚いた。
きょうのポイント。 形容詞の位置についての説明で、 「C'est un chat japonais.」の 「un chat japonais.」を枠で囲んだものが出たが、 ピリオドは囲まないほうがよいのではあるまいか。
「……形容詞は名詞のあとに置かれます」の「置かれます」を、 ほとんど無声化しておっしゃっておられた。 いままでになかった傾向。
名詞の前に置かれる形容詞の例で、 bon(bonne), mauvais(e) ... と書かれていたが、 二つのカッコは用法が違う。 まあ、bon の女性形を bonbonne と間違える人はいないと思うが。
フランツさんが日本語の試験に合格したと聞いて、 ジェニファーさんと一緒に拍手されるシーン。 両方の手のひらを、斜めにずらして重ね合わせておられたが、 私とは左右反対であった。 片方の手を、手のひらを顔に向けて、手相でも見るように胸の前におき、 そこにもう一方の手の手のひらを上から叩きつけるとする。 私は右ききなので、左の手のひらを先に出して、上から右の手のひらを合わせる。 手をもっと胸に近づけて拍手する場合も、両手の合わせ方は同様である。 すなわち、左手の親指と人差し指の間の部分に、 右手の人差し指以下の四本の指がふれることになる。 それと完全に左右対称であられた。 (「左手の中指」「右手の中指」 「左手の手のひらを、甲から手のひらのほうへ垂直に抜けるベクトル」 が、私は右手系をなすが、という説明も可能だな。 どれもわかりにくいか。)
左腕をひじかけにかけられての横ずわりも復活!
2007-06-06 (3) 22:50:17 +0900
本文ナシ
2007-06-04 (1) 01:35:37 +0900
いまひとつ意味不明。
2007-06-04 (1) 01:34:41 +0900
5月19日づけ朝日新聞大阪本社版「声・主張」面「声」への、
眞保友紀子さんの投書「携帯も財布も紛失したけど」の冒頭。
《私はヒップバッグをつけて自転車に乗っていた。
横断歩道でわずかに衝撃を感じたが、
たばこの空箱でも踏んだのだろうとそのまま進んだ
》。
横断歩道を自転車に乗って“渡る”ことは法律上できないはずなので、 横断歩道を車両として横切ったのであろう。 その場合、 車両側に確認の義務はないのだろうか。 自動車の運転手が「ダンボール箱を踏んだのだろう」 とそのまま進んだら人をひいていた、 などという話をときどき見聞きする。
2007-06-04 (1) 00:28:43 +0900
本項について、投書者の関係者と名乗られる方から、 これは朝日新聞の編集部が投書原文の「自転車横断帯」を「横断歩道」 に改変してしまったもの、 と解釈できるようなメールをいただきました。
もしそれが事実なら、 私が上の第二段落で述べた「横断歩道を車両として横切ったのであろう」 という推測は成り立ちません。 そして、もし、 横断歩道を車両として横切った際に衝撃を感じたら運転者に確認の義務があるのだとしたら、 朝日新聞編集部はそうとうにうかつな改変を行なったことになります。 たぶんまちがいなく合法的な行為を、違法行為とみなされるよう改変したわけですから。
2007-10-18 (4) 01:22:37 +0900
再度、メールをいただいた。 それによると、実際は自転車横断帯を渡っていたのだが、 ふだん「横断歩道」と呼び慣れていたのでそう書き、 それを朝日新聞も気づかずに載せてしまった、ということらしい。 確かに、横断歩道のわきについていることが多いので、 「横断歩道」と言ってしまうかもしれない。
2007-10-22 (1) 02:14:10 +0900
5月19日づけ大阪本社版生活面「女と男」第2部「夫婦の家」の5回目。
《夫は都心に通勤用のマンションを買った
》。
通勤用の自家用車、通勤用の靴、通勤用のラジオ、などは普通の言い方だ。
“通勤時に使う”の意味である。
しかし、ここはそれだと意味が通らない。
《夫の年収1千万円は全額、やりくりしてきた。
それが家族3人に月12万円の振り込みになった
》。
「やりくり」は少ないもので何とかやってゆくという意味なのだが、
ここではその意味ではありえない。
なんか変。
2007-06-04 (1) 00:21:15 +0900
5月19日づけ大阪本社版スポーツ面見出しに 「イチロー、連続盗塁止まる」とあるが、 これだと、塁に出たら必ず走るようにもとれる。 (記事には「連続盗塁成功記録」とある。)
2007-06-04 (1) 00:18:27 +0900
憲法改正の是非を問うための国民投票法が成立し》
5月21日づけ大阪本社版大学面「ことば力養成講座」冒頭に
《憲法改正の是非を問うための国民投票法が成立し
》
とあるが、
「現憲法は改正したほうがいいと考えますか?」と国民に問うための法ではない。
「この」が略されていると考え、
「この憲法改正の是非を問う〜」と解釈するのは不可能ではないが苦しい。
「憲法改正案の是非を問う」とすれば、
一文字しか増えずに意味がはっきりするのに。
2007-06-04 (1) 00:08:44 +0900
「誕生日大全」というタイトルの本が出ている。 一年366日、それぞれの日に生まれた人の性格、相性などが載っている (と称している)のだ。 先日、本屋でちらと見てみた。 当然、自分の生まれた日を見る。 次には、気になる人の誕生日のページを見たいと思う。 しかし、 そのページを見ているところを、知人に見られるとまずいかも知れない。 「*月*日生まれの人で気になる人がいるんですか?」 などと追及されるとまずいからである。
……そう思って立ち読みを自粛し、 買って家で読もうとする人が多く出ることを期待している……?!
2007-06-04 (1) 00:00:32 +0900
当時は売春は合法であり、 あれは業者が連れてきた女性であり商行為だという説があるが、 だったら、領収書を保存している人がいるのではあるまいか。
いたとしても、すべてがそうだったとの証明にはならないが。
2007-06-03 (0) 23:37:24 +0900
……、岩波国語辞典第三版、広辞苑第五版、新明解国語辞典第五版は、 あの行為のために輪郭だけを書いた絵のこととしている。 そうだったのか。
2007-06-03 (0) 23:16:21 +0900
「糞」は「ふん」だが「脱糞」は「だっぷん」となる。 それと同じように、「だっぽく」になりそうな気もするのだが、 こういうのって、 「北」の「ほく」 という音が中国語でどういう音なのかを知らないとわからないのかな?
2007-06-03 (0) 22:01:58 +0900
「三度」は音階を二つのぼった(あるいは「おりた」) ところの音との間の関係である。 これを「三」ととらえるのは、出発点を「一」と数えるからで、 日本の「足かけ三年」と似た発想である。 西洋のほかの分野の発想だと「二」になりそうだが、 古い数え方を残しているのだろうか? 和音の名前の呼び方などを昔のまま使うために。
2007-06-03 (0) 21:38:16 +0900
与党が両院で過半数を占めていれば成立は可能なわけで、 「なぜいままで成立していなかったのか?」が気になる。 言い方を変えれば、それなのに「なぜ今?」である。
2007-06-03 (0) 16:03:47 +0900
日本では、死者に水を供えることが多い。 あれほど高価なナントカ還元水を愛用したという同氏であるから、 通夜・葬儀で水を供えるとしたらそのナントカ還元水以外には考えられないだろう。 誰かがその一部を持ち出して分析すれば、 謎といわれた「ナントカ還元水」の正体がわかったのではあるまいか。 (私は、そのような行為はよくないと思うが、 する人はいそうだと思う。)
29日づけ朝日新聞大阪本社版は
《当の松岡氏が死亡し、少なくとも
「ナントカ還元水」の問題は幕引きとなることは避けられない
》
と書いているが、
死亡によってわかることも出てくるのではあるまいか。
通夜・葬儀は厳重でチャンスがなかったとしても、 墓前に供える水なら持ち出せるかもしれない。 (これも、私は、そのような行為はよくないと思うが、 する人はいそうだと思う。)
2007-05-31 (4) 00:35:00 +0900
タミフルを服用したあと転落死し、 副作用かと疑われるケースがあるそうだが、 松岡氏が議員会館につけていたという「ナントカ還元水」に、 飲むと首をつりたくなる副作用はないのだろうか。
その「ナントカ還元水」の正体がわかっていないだけに、 浄水器をつけている市民の間に不安が高まることも考えられる。
2007-05-31 (4) 00:31:41 +0900
生徒役をおくのが流行のようだし、CGも使われるようになった。 だったら、先生が一人二役で生徒も演じる、ってのはどうだろうか。 セーラー服でお下げ髪にして。
2007-05-30 (3) 21:37:36 +0900
きょうのフレーズの「Comment est-il?」だが、 リエゾンはしないのだろうか? 「Comment allez-vous?」ではするよな。
オープニングの曲名紹介は前回だけだったんだろうか? なかった。
先週のところにも書いた初登場時のテーブルすり抜けだが、 全く無視して歩いておられるみたい。 「ここにテーブルを合成します」って印がついてるもんだと思うがな。
発音コーナー。 きょうは in/yn だが、例には impossible, sympathique も登場した。 im/ym も同じ音になるわけだが、初心者はとまどうかも。 (テキストには書いてあった。 それと、その音のところに下線がひいてあればわかりやすいと思うな。 今回登場した語でいえば vin, syndicat みたいに。)
「次のステージ」冒頭のひとりごとがいまいち。 そのあとの解説がすばらしいだけに、 無理にこんなお芝居をしていただかなくても。
「moins ○○ que 〜」を「moins まるまる que なになに」と読まれたが、 「○○」が「まるまる」なら「〜」は「にょろ」とかになりそうな。
「程度が」を「低高高高」と発音しておられるが、 「明解日本語アクセント辞典第二版(三省堂)」によればこれは 「伝統的で古めかしいアクセント」。
字幕で
ここの三つめの問題。 「Elle court (xxxx) vite (xxxx).」 となっていたが、 正しくは 「Elle court (xxxx) vite (xxxx) lui.」 だろう。
後半の、 ダニエル・ミッテラン氏のインタビュー。 「それは一環していることです」は 「一貫していることです」。 (6月号のテキストにこのインタビューが掲載されているが、 そこでは直っている。)
「今お話したような」は「お話ししたような」とどちらが正しいのか、 いつも迷う。
2007-05-30 (3) 21:32:34 +0900
香林坊大和8階のロハ台でぼんやりしていたときのこと。 エレベータの扉が開くと、 中から出てきたエレベータガールが「上に参ります」「下に参ります」 と言いながら腕を斜め上あるいは斜め下にかざして視覚でもわかるように案内する。
もしもタイムマシンができたとして、 「過去に参ります」「未来に参ります」の場合、 腕はどうあげたらいいのだろう?
2007-05-29 (2) 00:28:40 +0900
「ひゃくじゅうばん」と読み間違えられる? それなら「110番」だって同じこと。
2007-05-29 (2) 00:26:58 +0900
最後の「書いています」は、 自分が著者であってどこに書いたのかと問われている場合には、 全くおかしいというわけではないが。
2007-05-29 (2) 00:21:26 +0900
本文ナシ
2007-05-29 (2) 00:20:41 +0900
本文ナシ
2007-05-29 (2) 00:18:54 +0900
カラシニコフも人名だったはずだから、小西と並べてもおかしくない。
2007-05-29 (2) 00:17:09 +0900
「ウルトラセブン」に登場した、宇宙ステーションV3のクラタ隊長。
2007-05-29 (2) 00:15:31 +0900
前項の続き。
「うらら」
の意味を念のため確かめようと岩波古語辞典をひいたら用例に源氏物語
「胡蝶」の巻の
「春の日のうらゝにさして行く舟は棹のしずくも花ぞ散りける
」
があがっていた。
(この引用は岩波文庫から。)
通読したはずなんだが、そのときは気づいていなかった。
2007-05-29 (2) 00:08:55 +0900
20日づけ朝日新聞大阪本社版「声」の、熊本市の中学生、
小笠原遥さんの投書『「花」の歌詞に感銘を受けて』に
《……「花」は英訳されて海外にも知られているようだ。
何しろ複雑で奥の深い日本語だから、
その本質的な意味合いは外国の人には伝わらない部分もあるかもしれない
》
とあるのを読んで「花」の歌詞
--- 一番しか覚えていないが --- を口ずさんでいるうち、
ドイツ語を学び始めてから半年ぐらいのころNHKラジオ「ドイツ語入門」
で Lorelei を聞き、
辞書をひいて意味を調べながら歌ったのを思い出したら、
日本語学習者がこの「花」
の歌詞を日本語のまま理解するにはどのくらいの日本語の知識が必要なのだろう、
とふと思ったのだった。
「春のうららの隅田川 / のぼりくだりの船人が
」
までは、最後の「が」を除けば名詞を「の」でつないでいるだけだから、
「の」の基本的な意味と、それぞれの名詞の意味がわかればわかるだろう。
「船人が」はその次の「櫂のしずくも花と散る
」
にどうつながるのだろう? 考えたことがなかった。
この「が」は所有をあらわす? さらに、
「花と散る」と次の
「ながめを何にたとうべき
」とのつながりは? 「花と散る」の
「散る」は連体形だったのか?!
付)本項は元の投書の趣旨とはほとんど関係ない。 単に川に関連する歌である、という点がかろうじて共通するのみ。
付)しかし、引用する以上はと思い読み返してみたら、
《「うららか」や「あけぼの」「錦」など、見事な日本語の数々は、
本当に数えればきりがない
》とある中の、
「うららか」は歌詞に含まれていないことに気がついた。
一番の歌い出しは「春のうららの」だとずっと思っていたし、
手元の歌本にもそうある。
《音楽の授業で
》《習った
》とあるのだが、
もしかして、「うららの」は中学生には理解できないと考えて
「うららか」に置き換えられている!? 「春の小川」と同じように。
でも、「春のうららか隅田川」じゃ文法的におかしいし、
「春のうららかな隅田川」じゃ字余りだ。
「春うららかな隅田川」とすれば合うが、これじゃあまりにひどい改作だ。
2007-05-28 (1) 23:39:47 +0900
「心の暗部」ぐらいの意味か。
ところで、広辞苑第五版が「心の闇」を単独の見出しに立てていたのには驚いた。 岩波古語辞典もか。 また、前者は「親が子を思って〜」という特別な意味を載せているが、 後者は載せていない。ちょっと意外だった。
2007-05-28 (1) 23:34:16 +0900
4月12日づけ朝日新聞大阪本社版社会面「60歳の憲法と私」 はジャーナリストの今井一さん。 「国民投票」「意志示し解釈改憲阻め」の見出しがある。 この人の言っていることは、ほとんど理解できなかった。
まず、
《改憲には国民投票による承認が必要と定めた憲法規定を無視し、
政府や与党が違憲状態を作り出していくのは国民主権の侵害だ
》。
読点よりあとはわかるが、読点の前とどう関係するのか。
国民投票による承認が必要なのは
「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が」改憲案を「発議した」
場合に限られると憲法第96条で定められており、
発議はいままで一度も行われてこなかったから、
前半部分のような状況は一度も起きていない。
(国民投票を経ずに改憲しようと主張しているのは
「現憲法は改正でなく廃止せよ」
と言っているごく一部の人たちにすぎないから、相手にする必要はなかろう。)
《9条護憲派の中には、
国民投票法案そのものには賛成しつつ今の内容では反対という立場と
》
もわからない。
法案に賛成あるいは反対というのは、
内容に賛成あるいは反対ということではないのか?
それ以外に何に賛成あるいは反対だというのだろうか?
その直後の部分。
《どんな内容でも反対という立場の人がいる。
後者は論外だ。
憲法を変えたくないという人も主権者だが、
憲法を変えたい人も主権者であり、
そういった人たちの権利行使の機会を認めないのは、
憲法の精神を自ら侵害している
》というのだが、
「各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が」改憲案を「発議した」
場合でも国民投票を行なうなと主張している人は見たことがない。
(その場合、特別な法律は必要ないから国民投票法はいらない、
という主張はありえると思うが。)
最後の段落の冒頭部分。
《9条改憲の是非を問う国民投票で反対派が多数を占めれば、
解釈改憲の進行を止められる
》というのだが、
解釈改憲が進めば、与党はそれで満足し、
改憲案は発議されないから、国民投票は行われない。
だから、
この方法で解釈改憲が止められるのは解釈改憲が進んでいないときだけだ。
進んでいなければ止める必要もないはずで、
何を言っているのかわからない……。
そう思いつつ、
朝日新聞がわざわざ寄稿を求めた以上、
それなりの意見なのだろうと思って最初に戻ってみたところ、
《私が改憲の是非を問う国民投票法をつくるべきだと訴えているのは
》
とある「国民投票法」は、
憲法第96条に述べられているところの国民投票とは異なり、
国会の発議の前に“改憲の是非を問う”ものではないか、と気がついた。
(第96条にいう「国民投票」も“改憲の是非を問う”ものであるから、
私のこの読み方は推測にすぎない。)
そう思って読み直すと、意味のわかるところもあるが、 上に引用した 「9条護憲派の中には」の部分は(上に述べたのとは別の意味で)意義を失う。 “9条護憲派”が反対している国民投票法案は、 この人が主張しているような意味での国民投票をするためのものではないからである。
これだけの紙面が与えられれば、最初に 「憲法第96条で定められた国民投票とは別に、 国会の発議の有無とは無関係に憲法改正の是非を問う国民投票を行なうべきだ」 というような説明を入れることは可能なはずだ。 それをしないと、故意に読者の混同を狙っていると思われる可能性もある。
私なら、
《国民投票法が改憲への一里塚だと主張する護憲派は、
リスクを回避しようとしている。
オセロに例えるなら、自分たちの駒に磨きをかけることには熱心だが、
対戦者の駒をひっくり返す努力を怠っている
》
という段落を削ってでもそのような説明を入れるだろう。
2007-05-28 (1) 01:26:27 +0900
2月27日づけ朝日新聞大阪本社版の「歴史と向き合う」面の 「保守誌 目立つ「反日」攻撃」。上丸洋一と署名あり。
愛国者は「侵略戦争」とは考えない、 そう考えるのは愛国者ではない、 これと異なる意見をもつのは「反日・亡国・売国分子」、 「白」にあらずんば「黒」という立論だ。
私がふと思ったのは、 こういう考え方をする人にとっては 「日本」は絶対に批判されるべきでない存在なのではあるまいか。 私にとってそういう存在はと問われたら、「ただ神のみ」と答えるだろう。 そう考えたら、 彼らにとって「日本」は“神”、 すなわち、信仰の対象なのではないかと気がついた。
私の信ずるところでは、 日本も被造物であるから、これを“神”とすることは偶像崇拝である。
2007-05-28 (1) 00:46:44 +0900
2月12日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の
「絵馬にシール / “縁結び”も個人情報保護?」に
「縁結びで知られる神社で、
絵馬に書いた願い事を隠すシールを渡すところがあるのをご存知ですか
」。
いろいろ書いてあるんだけど、
絵馬に書かないと“神様”は願いごとがわからないのか、
という疑問にはふれられていない。
絵馬が貴重な収入源という神社が多いだろうから、 そこには疑問を持ちたくないのだろうが。
2007-05-28 (1) 00:40:55 +0900
酔っぱらって寝ころんで岩波国語辞典第三版をながめていて、
「ないで」が見出しになっていることに気づいた。
説明は《「なくて」と同じ
》。
少し先には「ないでも」も載っており、
《「なくても」と同じ
》として、
接続助詞の「ても」を見るよう指示がある。
「書かないでください」のような言い方について、 品詞分解がわからないため、 わかちがきがよくわからなくて悩んでいたのだった。 やっと見つかった。
「書かなくて」の「て」は「書いて」の「て」と同じだから 「kakanakute」と一語につづる、というのが一つの考え方。 「書かないで」もそれと同じと考えれば「kakanaide」と一語になり、 「書かないでください」は「kakanaide kudasai」となる。
「書かなく」は「書かなくなる」の場合「kakanaku naru」と独立に書くだろうから、 「書かなくて」を「kakanaku te」と書くことも考えられなくはない。 また、「書かなくて」を「kakanakute」と書くとしても、 「書かないで」はそれとは別と考え、かつ「書かない」をひとまとまりに考えるなら、 「kakanai de kudasai」もありえる。
付) わかちがきは慣習の問題なので、 よほど大きな不合理がないかぎりどう決めてもよい、というのが私のスタンスである。
付) 岩波国語辞典第三版の付録の活用表を見て気づいたのだが、 上の「て」の切り分けに悩むなら、 「書きたくて」「書くらしくて」「赤くて」の「て」も悩むところだった。 「書いて」「切って」の「て」はつけて書く。 主な助詞で前の語につけて書くのは 「すれば」の「ば」、「書いて」の「て」、「書いたり」の「たり」の三つで、 続けて「ば・て・たり」と口調で覚えるとよい、 ということは二十年ぐらい前から気づいていた。 ただし、 「て」には「読んで」の「で」、 「たり」には「読んだり」の「だり」も含めるものとする。
2007-05-28 (1) 00:08:06 +0900
《「軍隊があれば平和が守れる」という説には簡単には賛成できない》 に関連して、 「『平和』は状態を表す語だから、それを『守る』というのはおかしくないか」 とメールで指摘してくださった方があり、 辞書をひいたり考えたりした結果、「守る」には
広辞苑第五版、日本国語大辞典第二版も見たが、 あまり役に立たなかったのは意外だった。
2007-05-27 (0) 23:54:55 +0900
失恋関連の掲示板。「俺を振った女」なのか、 「俺が振った女」なのかわからなくて、後続のメッセージで混乱が生じていた。
何でもかんでも欧文の直訳調がいいとは思わないけど、 ここは「俺の」または「俺が」をつけてくれないと困る。
2007-05-27 (0) 23:52:15 +0900
ちょっと前に、 はぐれメタルの二匹目・三匹目が味方につく確率として、 キラーマシン2のそれと同じ数値をあげているページを見た。 ほんとうかどうかわからないけど、 挑戦してみる気になって、最初は天馬の塔でやっていた。 ここではキラーマシン2と一緒に出ることも多く、その場合、 はぐれメタルのほうを先に倒してしまうことがほとんどなので、 「最後に倒した仲間モンスターだけが味方につく可能性がある」 という説に従うなら、不利である。 そこでザクソンの村周辺に場所を変えてみたもの。
2007-05-27 (0) 23:47:02 +0900
IIIの場合、 同じレベル99でも魔法使いと戦士とではパラメータが違う。 それが頭にあると、 全職業をマスターしたあと、どの職業でレベル99まであげるのが最も有利かな、 と考えるプレーヤーがいても不思議ではない。
2007-05-27 (0) 23:43:11 +0900
「斯(かく)てイエスその十二弟子を召し、
穢れし霊を制する権威をあたへて、
之(これ)を逐ひ出し、
もろもろの病(やまひ)、
もろもろの疾患(わずらひ)を醫すことを得しめ給ふ
」(文語訳)。
先日、これを読んでいて、
「之(これ)」を十二弟子だと思ったから、一瞬、意味がわからなかった。
「之(これ)を逐ひ出し」の直後の読点がいけないのかもしれない。
口語訳は
「そこで、イエスは十二弟子を呼び寄せて、
汚れた霊を追い出し、
あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威をお授けになった
」。
これだと、十二弟子から汚れた霊を追い出したようにも読める。
新共同訳は
「イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、
汚れた霊に対する権能をお授けになった。
汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった
」。
ギリシア語原文は一つの文である。 と言っても、読んでわかったわけではなく、 ピリオドが最後に一つだけついているのを確認しただけ。
岩波版も二つの文に訳している。注はなし。
2007-05-27 (0) 23:29:10 +0900