huanying xinshang Ding Fengzhang de zhuye




賀新郞
            

            
        宋 劉克莊
送陳子華赴真州
北望神州路,
試平章 這場公事,
怎生分付

記得太行山百萬,
曾入宗爺駕馭。
今把作握蛇騎虎。
加去京東豪傑喜,
想投戈、下拜真吾父。
談笑裡
定齊魯。


兩河蕭瑟惟狐兔
問當年 祖生去後,
有人來否

多少新亭揮泪客,
誰夢中原塊土

算事業須由人做。
應笑書生心膽怯,
向車中、閉置如新婦。
空目送,
塞鴻去。



    **********************

      賀新郞
          
送陳子華赴真州

北 神州の路を 望み,
試みるに  平章  這
(こ)の場公事,
怎生
(いか)に 分付せりや
記し得たり  太行山の 百萬,
曾て  宗爺の 駕馭に 入るも。
今  それを把
(もっ)て 握蛇騎虎と 作(な)す。
加ふるに  京東に去れば  豪傑 喜び,
想ふに  戈を投げ、真に吾が父と 下拜せん。
談笑の裡
(うち)に,
齊魯を  定めん。


兩河 蕭瑟として  惟
(た)だ 狐兔あり,
問ふ  當年 祖生の去りし後,
人の 來る 有りや否や

多少の 新亭  泪を揮ふの客,
誰か 夢みん  中原の塊土を

(かぞ)ふるに  事業は 須(すべか)らく 人に由(よ)りて 做(な)す。
(まさ)に笑ふべし  書生の心膽 怯(おぢ)けること,
車中 向
(に)て、閉置せる 新婦の如し。
空しく 目送す,
塞鴻の 去るを。


             ******************

私感訳註:

※劉克荘:南宋末期の江湖派の詞人。1187年(淳煕十四年)~1269年(咸淳五年)。字は潜夫。号は後村居士。福建・田の人。建陽の県尉となり、その才で、進士待遇となる。

※賀新郞:詞牌の一。詳しくは「構成について」を参照。

※送陳子華赴真州:陳子華が真州に赴くのを送る。 ・陳子華:陳のこと。作者と同時代人。 ・真州:現在の江蘇省儀徴。『中国歴史地図集』第六冊 宋・遼・金時期(中国地図出版社)「南宋 淮南東路 淮南西路」62ページにある。長江岸の都市。建康(南京)の対岸。揚州の西50キロメートルの所。真州はやはり南宋の領域だが、さらに50~100キロメートル北へ進むと金の領土となる。南宋の最前線。前進基地になる。

※北望神州路:北の方の(既に夷狄の手中に落ちた)中原への道を眺めやる。 ・神州:黄河流域の中国の中央部。中原。ここでは、金に占領された中原を指す。現代では、中国の意で使われる。

※試平章 這場公事: 試みに評定してみると、今回の公務は。 ・試:こころみる。こころみに。 ・平章:評定。計画。また、そうすること。 ・這場公事:今回の(中原回復の計画を収めた)公文書。 ・這:(白話)この。文語の「此」にあたる。 ・場:量詞。…回。…般。 ・公事:(旧白話)公文書。

※怎生分付:どのように処置をすればよいものか。 ・怎生:(古白話)どんなに。李清照の聲聲慢にも「獨自怎生得黑」がある。 ・分付:処置する。(現代語)命ずる。いいつける。

※記得太行山百萬:(抗金のために立ち上がった)太行山の百萬の義軍を覚えているだろうか。 ・記得:(過去の)…を覚えている。 ・太行山百萬:抗金のために立ち上がった太行山の百萬の義軍をいう。作者はこの義軍を抗金のための重要な支援勢力と考え、合作して女真の金と戦うことを、この詞を借りて、主張している。それに対して、朝廷は彼らを危険勢力と見なしていることについて、憤慨している。

※曾入宗爺駕馭:かつては、宗澤の軍門で働いていたが。 ・宗爺:宗澤のこと。北宋末の抗金の名将。 ・駕馭:車を馬に曳かせる。運転する。

※今把作握蛇騎虎:現在、(彼ら太行山に立ち上がった百萬の義軍)を危険なものとしてしまった。 ・把:(白話)…を(…としてしまった)。処置を加える。古語では…を手に持つ、だがここは、白話の義。 ・把作:おそらく「把他作」の省略形で、「…を…となす(となした)」。「把A作B」(AをBとしてしまった)の形からきた。 ・握蛇騎虎:危険なものに接していること。蛇を握り、虎に騎(の)るが如くの危うさであること。ここでは、危険なもの、という意味で使っている。

※加去京東豪傑喜:(あなた(陳子華)が)京東路(実は真州)に行き、軍の統帥を執れば、義軍の英雄豪傑たちは喜ぶことだろう。 ・去:(白話)行く。ここでは、陳子華が真州に赴くことを指している。 ・京東:当時置かれた京東路のこと。開封府、山東省の黄河以南一帯の地域。 ・豪傑:豪傑。ここでは前出の太行山百万義軍のメンバーをいう。

※想投戈、下拜真吾父:思うに(陳子華に対して)武器を捨てて本当に自分の父のようになつこう。 ・投戈:武器を地面に置いて(跪く)。武器を捨てて。 ・下拜:礼拝する。(身分の高貴な者に対して)お辞儀をする。拝む。 ・真吾父:本当に自分の父のようである。下のものが上のものになつくさまをいう。ここでは、陳子華に対して、武器を地に置いて拝礼するのみか、なつき慕ってくることをいう。

※談笑裡,定齊魯:談笑している短時間のうちに(金の領土となっている)齊魯(山東省)一帯を平定することだろう。 ・談笑裡:談笑している短時間のうちに。この用例は豪放詞では極めて多い。蘇軾の念奴嬌(大江東去)、 岳飛の滿江紅(怒髮衝冠)や賀鑄の六州歌頭(少年侠氣)、後代では明・羅貫中の三國演義の開頭などがある。 ・定齊魯:黄河流域の山東省を平定する。 ・齊魯:山東省一帯の古代の国名に則った地方名。山東。齊は山東の東部。魯は、山東の西部。京東路に属する。

※兩河蕭瑟惟狐兔:黄河の両岸(の漢民族の故地)は荒れ果てて物寂しく、ただ鼠賊の金の軍兵が跋扈しているだけである。 ・兩河:河南、河北のこと。黄河流域。中原である。 ・蕭瑟:〔〕せうしつ;xiao1se4○●〕秋風が音をたてて寂しく吹くさま。荒れ果てている、物寂しい。ここは、後者の意。 ・惟:ただ……だけ。惟=唯。 ・狐兔:こそこそ動く小物の悪党。鼠賊が跋扈していること。ここでは、金の軍兵が跋扈していること。張元幹の賀新郞にも「底事崑崙傾砥柱,九地黄流亂注。聚萬落、千村狐兔。」がある。

※問當年 祖生去後:彼の昔を思えば(東晉の名将で、黄河以南の地を回復した)祖逖が去った後。 ・當年:かの年。当時の。昔のある一時期、あの時。 ・祖生:祖逖のこと。東晉の名将で、黄河以南の地を回復した。 ・去後:祖逖が戻っていった後。

※有人來否:だれか(救国のための代わりの者が)来たのか。 ・有人:ある人。誰か。不特定の人をいう。人がいる、という意味は、ここではない。否:疑問の助詞。動詞の後や文末に付き、疑問文にする働きがある。…や いなや。

※多少新亭揮泪客:多くの人物は、涙を流し悲嘆にくれるだけである。どれほど多くの人々がが新亭に(集まって中原を偲ぶ)涙を流したことか。軟弱な媾和派を指す。 ・多少新亭:どれだけ(多く)の人々が新亭に集まって。 ・新亭:建康(現・南京)にある労労亭のこと。辛棄疾の水龍吟「渡江天馬南來」 に詳しい。建康(現・南京)にある労労亭のこと。嘗て、亡国の歎を吐出していたところ。(西)晋が胡に滅ぼされた後、江南半壁に追いやられ、皇帝を拉致(永嘉の乱)されながらも、江南の地に拠って漢民族の国家を保持し続け、長江を南渡して(遁れてきた)人士たちは、)いつも休みの日になると、長江南岸の建康(=南京附近)の新亭(労労亭)に集まって、酒を酌み交わし、郷土中原を偲び、歎いていた処。周顗は、『風景(=風と陽光)は(故国)とは異なってはいないが、目にする川の姿、全てが新たで異なったものである』と言ったので、みんなは、見つめ合って、涙を流した。ひとり、王導だけは、形を改め正して、憤りを見せ『(我々は、)一緒になって王室のために力を尽くして(建設すべきであり)、祖国の故地・神州を恢復させるべきであり、何をめそめそと亡国の民のようになっているのか、この江南に新天地があるではないか!』と言ったので、みんなは彼に謝った。『晉書・列傳・王導』「晉國既建,以(王)爲丞相軍諮祭酒。桓彝(桓階の弟、桓温の父)初過江,見朝廷微弱,謂周顗曰:「我以中州多故,來此欲求全活,而寡弱如此,將何以濟!」憂懼不樂。往見(王),極談世事,還,謂(周)曰:『向見管夷吾,無復憂矣。』過江人士,毎至暇日,相要出新亭飮宴。周顗中坐而歎曰:『風景不殊,舉目有江河之異。」皆相視流涕。惟(王)愀然變色曰:「當共力王室,克復神州,何至作囚相對泣邪!』衆收涙而謝之。」。この部分は、南宋の豪放詞には、常に出てくる部分である。民族の怨念がこもっている部分。李白の『勞勞亭』「天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條靑。」、辛棄疾の水龍吟「渡江天馬南來」 や、宋 劉克莊の『賀新郞』「北望神州路,試平章 這場公事,怎生分付? 記得太行山百萬,曾入宗爺駕馭。今把作握蛇騎虎。加去京東豪傑喜,想投戈、下拜真吾父。談笑裡,定齊魯。兩河蕭瑟惟狐兔,問當年 祖生去後,有人來否? 多少新亭揮泪客,誰夢中原塊土?算事業須由人做。」に詳しい。南宋末の汪元量に『題王導像』も「秦淮浪白蒋山靑,西望神州草木腥。江左夷吾甘半壁,只縁無涙灑新亭。」 や、陸游『追感往事』「諸公可歎善謀身,誤國當時豈一秦。不望夷吾出江左,新亭對泣亦無人。」 とある。 ・揮泪客:新亭に集まって中原を偲びつつ涙をふるった人々。作者は、かれらのことを言いながら、宮中の媾和派をも指していよう。

※誰夢中原塊土:だれか(本当に)中原の大地を夢見ているだろうか。誰か(本当に)中原の地に思いを致しているのだろうか。 ・誰夢:だれか……を夢見ているだろうか。誰か……に思いを致しているのだろうか。 ・中原塊土:中原の地。中原の土くれ。現代の流行語風に言うと「中原大地」か。

※算事業須由人做:思うに、(中原回復の)事業は(多くの)人々に頼ってなされるべきものであろう。 ・算:……にかぞえられる。……になるだろう。……と思う。 ・事業:中原回復の事業。 ・須:…すべきである。…せねばならぬ。…する必要がある。副詞。 ・由:よる。従う。任せる。頼る。 ・人:人々。(自分以外の)ひと。 ・做:なす。する。おこなう。

※應笑書生心膽怯:笑ってくれ、文弱の徒である私の心は、おびえてしまっている。 ・應笑:嗤ってくれ。まさに笑うべきである。 ・書生:書生。学生。ここでは、作者のことで、「文弱の徒」の意味で使われている。 ・心膽怯:意気がおじけている。気持ちがおびえている。 ・怯:いくじがない。臆病である。

※向車中閉置如新婦:嫁入りの輿の中で、顔を出せないでいる花嫁のようなもの。「梁書巻九・列伝第三・曹景宗」にある「(曹)景宗謂所親曰:『…今來揚州作貴人,動轉不得,路行開車幔,小人輒言不可。
閉置車中,如三日新婦。…』」からきている。 ・向:…で。…において。「於」に似た働きをする。ここは「…に向かって」、ではない。

※空目送:(文弱の徒である私は、征くだけの気力がないので、あなたの壮行を)むなしく目で見送るばかりである。

※塞鴻去:北方の辺疆の地(塞)に向かって鴻(あなた=陳子華)は飛び立っていく。 ・塞:辺塞。(北方の)国境付近。長城付近。「塞」は、本来は北方の夷狄の侵攻を防ぐ出城。ここでは、敵地に隣接しているところの意で、陳子華の赴く方を実際には指している。当時の南宋の北方の国境は長城よりも遙か南の淮河であって、黄河流域(この詞で「兩河」「京東」といわれているところ。「神州」「中原」はもっと広くを指すが、やはり重なっている、漢民族の故地)は、全て金国のものであった。 ・鴻:〔こう;hong2○〕大型の雁の一種。ヒシクイ。ヌマタロウ。暖かくなると北方へ渡っていく冬鳥。





◎ 構成について

   双調。百十六字。 仄韻一韻到底。 韻式は「aaaaaa aaaaaa」韻脚は「路付馭虎父魯 兔否土怯婦去」で、第四部、多くが去声。他は上声。

    ●○○●。(韻)
    ●○○、●,
    ●○○●。(韻)
    ○○●,
    ●○○●●。(韻) 
    ●●、○○●。(韻)
    ●○○○●, 
    ●○○,
    ●○○●。(韻)
    ○●●,
    ●○●。(韻)


    ●○○●。(韻)
    ●○○、 ○●●
    ●○○●。(韻)
    ○○●,
    。(韻)
    ●、○○○●。(韻)
    ○○●,
    ●○○、●○○●。(韻)
    ○●●、●○●。(韻)


      賀新郎は領字が多いので、注意を要する。
2001.12.15
     12.16
     12.17
     12.18
     12.19完
     12.21補
2007.10. 4
2010. 3.21

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