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これは井古綆先生で、読み下しも井古綆先生になります。
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菅原道眞公 |
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蒙謫邊疆跼蹐身、 無怨讒奏貫微臣。 喜盈涼殿勅題夕、 悲溢梅花愛別晨。 靜拜香衣涕恩澤、 常扃柴戸表明眞。 生涯不愧天於地、 長受尊崇學問~。 |
辺疆に謫を蒙り 身を跼蹐し、 讒奏を怨む無く 微臣を貫く。 喜びは盈つ涼殿 勅題の夕べ、 悲しみは溢る梅花 愛別の晨。 静かに香衣を拝して 恩沢に涕し、 常に柴戸を扃て 明真を表す。 生涯愧ぢず 天にも地にも、 長しなへに尊崇せらる 学問の神。 ********* <解説> 学問の神として祭られている道真公を、不肖わたくしが一詩に賦することは非常に不遜であることを認識し、細心の注意をもって作詩した次第で、したがって題名も省略しないで「菅原道真公」とした。
作詩歴20年の集大成として、「偉人平田靭負公」と同様に献詩のつもりで賦し、忌み言葉の「死」などの語を避けて作った。しかし時代は流れて道真公の生涯を理解していない人々のために、以下に蛇足ながら解説を述べます。
対句二聯は時の経過にのっとり、道真公晩年の詩歌を挿入した。 @秋思の詩(九日後朝同賦、秋思応制)。 A和歌 東風吹かば・・・・・・。 B九月十日(重陽後一日)。 C不出門。 余説 道真公が大宰府に左遷された際、公のおばである「覚寿尼」に別れを告げるため、(現在の道明寺天満宮)土師寺を訪れたとか、摂津の国今の豊中市あたりで脚気に悩まされ、現在の服部天神宮に参詣して治愈されたなどとの伝説がある。また、(夜で分からなかったためか)“ここはもう淡路(島)か”と尋ねられたとのことで、今も大阪の東淀川区には、「淡路」という地名が伝えられている。 さらに我々が幼少のころ、雷が鳴ると“くわばら くわばら”と呪文を唱えて落雷を避けた?が、菅公が死して雷となったと伝えられ、菅公の領地桑原には古来落雷した例が無いのに因むとも言われる。これはすなわち、当時藤原家が道真公に対して無実の罪を着せたため、民衆の知るところとなり、呪文が人口に膾炙されて現在にいたったのではなかろうか。 |
2008.1.22 |
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