「弘川寺」: ひろかわでら。大阪府河南町弘川にある、西行法師終焉の寺。
「勇名」: 北面の武士佐藤義清(のりきよ)をさす。
「法名」: 円位。後の西行。
「衛府」: 近衛府、衛門府など奈良・平安時代に禁裏の警護をつかさどった役所。ここでは北面の武士をさす。
「挂冠」: ここでは官を辞すること。
「棲隠」: 隠棲。洛西、勝持寺をさす。
「迷妄」: 出家への心の迷い。迷いがあった為暫く都に隠棲していた?(作者の私見)
「菟裘」: (終の棲処)隠棲の地。
「桜花」: 西行辞世の歌『願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ』をふまえる。西行はこの歌の通り旧暦2月16日に72歳で没したと伝えられる。
「月明」: 十六夜(いざよい)の月明かり。
『邪淫』 佐藤義清が出家した理由には、親友の急死に会い無常を感じたという説が主流だが、失恋説もあり、これは『源平盛衰記』に、高貴な上臈女房と逢瀬をもったが「あこぎ」の歌を詠みかけられて失恋したとある。また、出家の際に衣の裾にとりついて泣く子(4歳)を縁から蹴落として家を捨てたという逸話が残るが、これは後世に伝えるオーバーな表現(私見)だと思う。当詩では後説の「失恋説」を採った。
<私見>前説の親友の急死では出家する動機が弱いが、後説の「失恋説」では義清が自分の教養のなさに愕然として、 愛する妻子をも捨てて歌道に邁進して、後世に名を遺す西行法師となった。と採れば法師の気持ちが少し 理解できるような気がする。参照:
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