舊誼誰知三世深, 天涯今更聽君琴。 在談休道交情淺, 亦似峨洋千古心。 會津訪秋琴老居士壁挂先君 嘗送居士詩因韻賦呈 鴨厓醇 |
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![]() 撮影・提供:伊勢丘人先生 |
舊誼 誰(たれ)か知らん 三世の深きを,
天涯 今 更に 君が琴を 聽く。
在談 道(い)ふを 休(や)めよ: 交情 淺しと,
亦た 似たり 峨洋たる 千古の心に。
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◎ 私感註釈
※この頁は、伊勢丘人先生が全ての資料、解釈をご提供下さり、所蔵されている軸についての写真や調査を始めとした一切のことのご教示、ご提供を頂きました。深く感謝致しております。上の写真の軸(備後軸)は、その方のものです。同様に、この方の提供になる頁は、篠崎小竹の『餐菊詩』「風味遙從楚客傳,摘來滿把愛芳鮮。脆如碎雪無勞嚼,香似團茶不用煎。只覺枯膓充錦繍,豈知風骨化神仙。戒君潔物休貪賞,世俗珍羞不耐羶。」などがあります。(以下、伝聞調の表記を改め、通常の表記を致します。)
この軸(以降「備後軸」と表記)の箱書きは、山陽の弟子であった宮原節庵で「節庵主人龍識」としている。なお、この詩句の解明について、資料を提供してくださった伊勢丘人先生は、会津市立図書館に『会津史談』の謄写申請をされて、そのコピーを送ってもらい、更にその資料を当方に頂いた。その『会津史談』第68号中の『浦上秋琴の世界』(龍川 清氏)に載せられている詩句によると「舊誼誰知三世深,天涯此処視君琴。立談休道交情淺,亦似娥洋千古心。 会津詩秋琴老居士挂先君 三樹頼醇 嘗送居士詩因韻賦呈」(註:常用漢字体表記 原文句読点なし この会津詩の所在地は未確認)となっている。この『会津史談・浦上秋琴の世界』の詩(以降「会津本詩」と表記)は、上掲写真の「備後軸詩」と微妙に、文字が違っている。上掲写真の備後軸の筆跡を調べても、どう見ても頼三樹三郎の真跡と思えてならない。よくあることだが、詩の校正をしたのだろう。上記『会津史談』第68号の21頁によれば、「壁にかかっている親父山陽の詩」は、以下の通り:『送秋琴帰会津』「相遇峨洋楽意深,阿兄能画弟能琴。千山万水離程遠,亦是徽中筆底心。」(註:常用漢字体表記 原文句読点なし 頼山陽詩の文字遣いは、資料を探して確認中だが、現時点では未確認)。
これらの資料を綜合的に見ていくと、次のようなことが見えてくる。
1.「峨」字について:
頼三樹三郎が、浦上秋琴宅で、(頼三樹三郎に対する歓迎の意を込めて)掛けてくれていた前出の父親頼山陽の詩を見て、その韻に和したとすれば、「峨洋」の「峨」は、やはり山偏が相応しかろう。というのも頼山陽が「山偏」の文字を用いているからだけでは、なく、「高く広くそして昔からの」という、四次元の表現のために、「峨洋千古」という言葉の必然性があるのだろう。 「広い」という意味の「三水」の「洋」の文字とも、意味上の整合性が出てくる。会津本詩が、「女偏」であったとすれば、だからこそ、「為書き」まで挿入した 「山偏」の軸を残したのかもしれない。或いは、壁に架かっている父の文字を、間違えて「女偏」と思い、用いたのが事の発端になろうか。
2.「在」字について:
「在」と「立」は、くずし字では、区別が付かない。しかし、「立談」よりは「在談」の方が詩的である。ただ、意味から見ると「空」として、「空談」ともできるが、字形が異なる。
3.「聽」字について:
「聽(聴)」と「視」とは、くずし字では極めて似ている。 でも、「視琴(琴を視る)」など、詩人の言葉ではない。琴は聴くもの(聽琴)だ。しかし、「今更聽君琴」の部分が、会津本詩では「此処視君琴」とあれば、そうだろうと思もう。というのは、秋琴は、三樹に琴を弾いて聴かせたのではなく、三樹が部屋に置いてある琴 を視て、「ああ、これが、あの琴か」と、感慨にふけったものと思われるからだ。秋琴の父・浦上玉堂は、琴の演奏を能くするのみならず、琴の制作にも手がけ、名器を創り出していることでも有名である。現在も「玉堂琴」は会津の方で展示されているほどだという。それゆえ、名器を見て感動したということも十分に考えられることである。この時、秋琴は62歳、三樹は22歳で、琴まで弾いて聴かせてはいないだろう。 しかし、後になって「女偏」(娥)を「山偏」(峨)に変更したついでに、承句にも手を入れたものと思われる。
4.「休道」について:
ここは「値道」(言うに逢う)、或いは「德道」「佳道」などにしか読めない。しかし、これでは意味が通じにくい。前出会津本詩で「休道」とあり、意味も通ずるので、それに従った。「■道」の「■」の部分は、疑問、反語、否定の辞が来べき構文であり、「休道」の語で意味がよく通ずる。しかし、字形がどうも合わない。「住道」にも似ているように見え、その場合の意味は「言うのをやめる」になり、意味では近くなるものの、「住」のくずし字は、上掲の写真のようにはならない。また、「住道」という語もなかろう。
この資料提供者の伊勢丘人先生自身が、この文字の解読に、相当時間を割かれ、この詩の文字と意味が不明確な部分の解明のために頼家の故郷の竹原市を訪ねられ、資料に当たられ た(写真:右下)ものの、ついに仰ったことが、「この文字は、どうしても読めない」、「誰か教えて欲しい」と、願っておられることです。そして、「このサイトを御覧になっている読者の方には、行草書に堪能な方も多いことと存じますので、その方々から、お教えを乞いたい」とのことです。是非、お教え下さい。メール。左のメールでどうぞ下さい。
会津本詩とこの備後軸詩とでは、もともと、文字が異なるものだと思われる。「今更」⇔「此処」等。考えてみれば、誰でも自分の漢詩の文字を、屡々直している現状がある。
※頼三樹三郎:文政八年(1825年)~安政六年(1859年)。幕末派の尊王攘夷派の志士。儒者。頼山陽の第三子。安政の大獄に連なり、京都で捕らえられ、江戸へ檻送されて、神田淡路町の福山藩邸に幽閉された。その後も節を曲げず、幕府によって処刑された。
※會津訪秋琴老居士:会津に、(父の友人である浦上春琴の弟にあたる)秋琴先生を訪問して。 *この作品は、頼三樹三郎が弘化三年(1846年)に、不行状で「昌平坂学問所」の寮から放逐され、東北から蝦夷地(北海道)への旅に出た。その途上、父山陽の友人であった浦上春琴の弟の秋琴を会津に訪ねた。その折のもの。頼三樹三郎と浦上秋琴との関係は、その間に頼山陽と浦上春琴を挿入しないと成り立たない。(頼三樹三郎-頼山陽-浦上春琴-浦上秋琴)極めて遠い関係である。それ故、詩で詠われた内容は、その弱さを補うような内容となっている。 なお、浦上秋琴の父、浦上玉堂は、備前岡山池田藩の支藩である備中鴨方藩の藩士だったが、文雅を愛するが故、子供の「春琴」と「秋琴」を連れて脱藩し、会津藩の招きにより会津にやって来た。これを機に秋琴は会津藩士に取り立てられ、七弦琴の先生となった。一方の兄の春琴は、詩画で名を成し、頼山陽と交遊があった。そのような人間関係にある二人の出会いがテーマとなっている。 ・老:年長者に対する敬語表現。浦上秋琴は一世代上の父の世代に該るため。 ・居士:仕官せず民間にいる高い学徳の人。処士。 ・會津:浦上秋琴の居所。 ・訪:おとづれる。 ・秋琴:浦上秋琴。今回の訪問先になる。
竹原市 の頼山陽像(伊勢丘人先生撮影・提供)
竹原市 の復古館、春風館(伊勢丘人先生提)
頼三樹之墓 京都・長楽寺
篠崎小竹による篆書
※舊誼誰知三世深:旧誼とは、一体誰が祖父・春水、浦上玉堂、頼三樹三郎の三世にまで亘る深い繋がりがあるものだと分かっていただろうか。 ・舊誼:昔のなじみ。古いよしみ。旧交。 ・誰知:誰が分かっていたろうか。 ・三世:父、子、孫の三代と見れば、三樹の祖父(春水)と浦上玉堂との縁になる。或いは、前世、現世、来世の三つの世、三界、と見れば、この世の中の因縁、人間関係の意になる。
※天涯今更聽君琴:天のはてとも謂える非常に遠い僻陬の地で、今日、あなたの琴の音を聴くことができようとは。ここを「天涯今更視君琴」とすれば、天のはてとも謂える非常に遠い僻陬の地で、今日、あなたの伝家の名器である「玉堂琴」を見ることができようとは、になる。 ・天涯:空のはて。非常に遠い所。ここでは、故郷備中を遠く離れた僻陬の地の意で、会津の地を指している。これは作者頼三樹三郎のみならず、浦上玉堂、秋琴中心の世界観で、秋琴の父・玉堂が故郷備中鴨方から、子の秋琴達を連れて脱藩して来たことに因る。 ・今:いま。 ・更:さらに。その上。 ・聽:きく。 ・君:あなた。浦上秋琴のことになる。 ・琴:(浦上秋琴の奏でる)七弦琴。但し、軸では「琴」字を「」としている。苦しめられた字である。
※在談休道交情淺:話題は、「(我々は)俗世間風の交際が浅い」とは、申されますな。 ・在談:談話をしている。 ・休道:言うのをやめよ。軸を見る限り、この部分は「値道」等のように見える。上述 ・交情:交際から生まれる親しみ。交誼。 ・淺:あさい。ここでは、通俗的な交際での狎れ親しみの度合いが薄い意で使われている。
※亦似峨洋千古心:(あなたさまのお心は、己を知るものに厚誼を尽くすという)高く広い遙かな大昔の聖賢の御心のようであります。 ・亦似:…もまた…に似ている。…もまた…のようである。 ・峨洋:高山のように高く険しく、大海のようにはてしなく広いさまをいう。遙かなさま。悠遠。
伊勢丘人先生によると、「峨洋」という言葉は、江戸時代の「流行語」のようで、浦上玉堂の本を読んでいると、屡々この言葉に出逢うという。浦上玉堂の「其山峩以秀,其水洋且深。高山與流水,峩洋入幽襟。我樂眞無比,超然古又今。」赤田臥牛の『材淺水琴記』の銘に「崇山峩々,流水洋々。歌以戞之,琴調和暢。名以淺水,維吾樂章。
之生矣,豈異其彊。橋雖亡矣,記而弗忘。」前出頼山陽の『送秋琴歸會津』「相遇峨洋樂意深,阿兄能畫弟能琴。千山萬水離程遠,亦是徽中筆底心。」と使われている。さらに、大正昭和期に活躍した人で竹谷長二郎氏の『画賛』を集めた本では、ここの頼三樹詩とは、文字を逆に用いているものの、竹谷氏の注釈に、例の「知音」という言葉の、伯牙と鍾子期の物語で、鍾子期が、伯牙の弦の音を、「洋々として江河の如く、峨々として泰山のごとし」と譬えて言ったとのことである。 ・千古心:いにしえの聖賢の教え。菅茶山の『冬夜讀書』「雪擁山堂樹影深,檐鈴不動夜沈沈。閑收亂帙思疑義,一穗靑燈萬古心。」では、いにしえの聖賢の教えの意になる。明の高啓に『登金陵雨花臺望大江』があり「大江來從萬山中,山勢盡與江流東。鍾山如龍獨西上,欲破巨浪乘長風。江山相雄不相讓,形勝爭誇天下壯。秦皇空此
黄金,佳氣葱葱至今王。我懷鬱塞何由開,酒酣走上城南臺。坐覺蒼茫萬古意,遠自荒煙落日之中來。」
と詠っている。
※會津訪秋琴老居士壁挂先君嘗送居士詩因韻賦呈:會津訪秋琴老居士:会津に、(父の友人である浦上春琴の弟にあたる)秋琴先生を訪問して、壁に、亡き父君が以前に(秋琴)先生に送った(父・山陽の)詩が掛かっているのを(見た)ので、その韻に和した詩を作って献呈する。 ・壁挂:壁に掛かっている。 ・先君:(亡き)父君。 ・嘗送居士詩:以前に(秋琴)先生に送った(父・山陽の)詩。 ・因:よって。 *いうまでもないが、ここは「因韻」とは切らない。この詩の押韻は次韻の「深琴心」で下平十二侵韻(-im韻)であり、 「…因韻…」が、もし、韻目(韻部)を指すとみた場合は、上平十一真韻(-in韻)であって、まったく異なるものになる。よって、ここは韻目のことではなく、「因って」という接続語になる。 ・韻:(父が送った詩の)韻に和して。ここでは『送秋琴歸會津』「相遇峨洋樂意深,阿兄能畫弟能琴。千山萬水離程遠,亦是徽中筆底心。」の次韻になる。 ・賦:詩を作る。 ・呈:差し上げる。
※鴨厓醇:頼三樹三郎のこと。鴨厓(鴨崖)は京都の賀茂川べりに起因する号で、醇は名。三樹三郎は通称になる。
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「深琴心」で、平水韻下平十二侵。次の平仄はこの作品のもの。
●●○○○●○,(韻)
○○○●○○○。(韻)
●○○●○○●,
●●◎○○●○。(韻)
平成16.6.18 6.19 6.20 6.21完 6.22補 6.23 8.26 8.29 17.1.29 |
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