![]() |
![]() |
|
![]() |
||
吉原詞 | ||
柏木如亭 |
||
金蓮裊裊弄輕柔, 日暮香風趁歩稠。 滿面桃花春似海, 迎郞笑入小迷樓。 |
金蓮 裊裊 輕柔 を弄 し,
日暮 香風 歩 を趁 ひて稠 し。
滿面の桃花 春 海に似て,
郞 を迎 へて 笑ひて入 る小 迷樓 に。
*****************
◎ 私感註釈
※柏木如亭:江戸中期の漢詩人。宝暦十三年(1763年)~文政二年(1819年)名は昶。字は永日。通称は門作。号して如亭。小普請方大工棟梁の家に生まれた。市河寛斎の門下。吉原で家財を蕩尽し、江戸を離れて遊歴詩人としての生活を送った。美食家。旅先の美味の記した随筆に『詩本草』がある。
※吉原詞:(遊里の)吉原の詞(こうた)。 ・吉原:江戸時代に遊郭があったところ。ここでは、新吉原のこと。 ・詞:こうた。なお、宋代に隆盛を極めた韻文を詞(=宋詞・填詩・詩余・長短句)というが、それとは異なる。ここでは、詩に及ばない気楽な韻文、の意で使っている。中国の伝統的な詞(=宋詞・填詩・詩余・長短句)については、こちらを参照。
※金蓮裊裊弄軽柔:(遊女の)美しい小さい足で、なよなよと軽(かろ)やかでやわらかな足取りで歩み。 ・金蓮:女性の美しい小さい足。纏足(てんそく)を形容する。美人の基準の一。三寸金蓮。本来の意は、黄金で造った蓮(はす)の花。日本では纏足(てんそく)の習慣がなかったので、単に「美女の足取り」の意になろう。 ・裊裊:〔でうでう;niao3niao3●●〕しなやかなさま。たおやかに揺れるさま。ここでは、(婦人の)なよなよと歩くさま。(女性の歩く姿態が)しなやかなさま。=嫋嫋。 ・弄軽柔:軽(かろ)やかでやわらかな足取りで歩む意。遊女の歩みを謂う。 ・弄:戯れる。あそぶ。もてあそぶ。 ・柔:しなやかである。やわらかい。北宋・王安石の『鍾山即事』に「澗水無聲繞竹流,竹西花草弄春柔。茅檐相對坐終日,一鳥不鳴山更幽。」とある。
※日暮香風趁歩稠:日ぐれに、香(かぐわ)しい風が、(遊女の)歩みをおって濃く(なってくる)。 ・日暮:日ぐれ。夕方。また、日が暮れる。 ・趁:〔ちん;chen4●〕おいかける。従う。逐(お)う。 ・稠:〔ちう;chou2○〕多い。茂る。濃い。
※満面桃花春似海:満面の桃の花(のような遊女の美貌の)春(情)は海のよう(に広大)であり。 ・満面:顔じゅう。顔いっぱい。 ・桃花:モモの花。唐・崔護の『題都城南莊』に「去年今日此門中,人面桃花相暎紅。人面不知何處在,桃花依舊笑春風。」とある。『太平廣記・卷第二百七十四・情感』(中華書局版
では、2158ページ)に「博陵崔護資質甚美。孤潔寡合。舉進士第。淸明日。獨遊都城南。得居人莊。一畆之宮。而花木叢萃。寂若無人。扣門久之。有女子自門隙窺。問曰。誰邪。護以姓字對。曰。尋春獨行。酒渇求飮。女入。以杯水至。開門。設牀命坐。獨倚小桃斜柯佇立。而意屬殊厚。妖姿媚態。綽有餘妍。崔以言挑之。不對。彼此目注者久之。崔辭去。送至門。如不勝情而入。崔亦[目卷]盻而歸。爾後絶不復至。及來歳淸明日。忽思之。情不可抑。徑往尋之。門院如故。而已
鎖矣。崔因題詩于左扉曰。去年今日此門中。人面桃花相暎紅。人面不知何處去。桃花依舊笑春風。後數日。偶至都城南。復往尋之。聞其中有哭聲。扣門問之。有老父出曰。君非崔護耶。曰。是也。又哭曰。君殺吾女。護驚怛。莫知所答。父曰。吾女笄年知書。未適人。自去年已來。常恍忽若有所失。比日與之出。及歸。見左扉有字。讀之。入門而病。遂絶食數日而卒。吾老矣。惟此一女。所以不嫁者。將求君子。以託吾身。今不幸而殞。得非君殺之耶。又持崔大哭。崔亦感慟。請入哭之。尚儼然在牀。崔舉其首枕其股。哭而祝曰。某在斯。須臾開目。半日復活。老父大喜。遂以女歸之。」とある。(「博陵の崔護は資質が甚だりっぱであり、孤り超然としていた。進士に及第したとある淸明節に、独りで都城の南に遊んでいた。人の住んでいる村里の広いお屋敷に、花木が繁っていた。静かでまるで無人のようであった。門を扣くことが長かったが、やがて少女が出てきて門の隙間より窺い見た。少女は「誰なの」と、問いかけた。崔護は姓名を告げてこれに答えた。そして「春を尋ねて独りで出かけてきた。酒で喉が渇いたので水を頂きたい。」と言った。女性は入って、杯に水を淹れて持ってきた。門が開けられ、床几が置かれて、坐ることを進め、少女は独り小さな桃の木に寄り添って斜になった枝の下に佇立していた。その趣は、なかなか厚く、妖しい姿に媚態が具わっており、たおやかで色っぽかった。崔護は、話しかけてみたが、答えてこなかったものの、双方はずっと見つめ合っていた。やがて崔護が辞去する際は門にまで送ってきたが、想いに堪えられないないかのようであった。崔護も、名残惜しげにふり返りながら帰って行った。その後全然そこへは行くことはなかったが、清明節になったので、急に思い出し、抑えきれなくなって出かけていった。門や庭は昔のままであったが、閉ざされていた。そこで崔護は左の扉に詩を題した。(それがこのページの作品である)その後、数日してから、偶ま都城の南に至ることがあったので、復た彼女の許を尋ねた。するとその中から哭き声が聞こえてきた。門を叩いてその訳を問うと、老父が出てきて答えて言うには、「貴君は崔護ではないのか。」崔護は「そうだ。」と答えた。すると老父はまたしても哭き出して、「貴君がわたしの娘を殺したのだ。」と言った。崔護は驚き恐れ、どう答えていいか分からなかった。父はが言うには「わたしの娘は十五歳の成人になって、書をわきまえたが、まだしかるべき人とは出逢わなかった。ところが、去年からぼんやりとし出して物思いに耽りだした。近日、娘と出先から帰ってくると、門の左扉に字があって、それを読んだ娘は門を入ってから病気になって寝込んでしまった。そうして遂に食を絶って数日にして死んでしまった。わたしは、歳を取ってしまい、ただこの一人娘がいるだけだったので嫁(とつ)がせずにいて、君子に出逢って我が身をも託せることを願っていた。今や不幸にして命を落としたが、貴君が娘を殺したとは謂えまい。」と言って又しても崔護を抱きかかえて大いに哭いた。崔護もまた感じて慟哭したので彼を請じ入れて彼女を悼んだ。彼女は尚も儼然として牀に寝ているかのようであった。崔護はその首を挙げてその股に枕した。崔護は哭いて悼んで『論語・衞靈公篇』の目を瞑(つぶ)った人に言うのに相応しい言葉を借りて言うに「某(わたし)は、ここに居ます」と。すると娘は忽ちの内に目が開いて、半日して復び活(い)きだした。老父は大いに喜び、遂に娘を彼に嫁がせた。)とある。 ・似海:海のようである。晩唐/蜀・韋荘の『浣溪沙』に「夜夜相思更漏殘。傷心明月凭欄干。想君思我錦衾寒。咫尺畫堂深似海,憶來唯把舊書看。幾時攜手入長安。」
とある。
※迎郎笑入小迷楼:男性を迎えて、笑いながら小さな迷楼(=中に入ると容易に出られないという妓楼)に入った。 ・郎:男性。 ・迷楼:隋・煬帝の時に築かれた楼。中に入ると容易に出られない構造になっていたことから、煬帝が名づけた。現・江蘇省江都県の北西にあった。
***********
◎ 構成について
韻式は、「AAA」。韻脚は「柔稠楼」で、平水韻下平十一尤。この作品の平仄は、次の通り。
○○●●●○○,(韻)
●●○○●●○。(韻)
●●○○○●●,
○○●●●○○。(韻)
平成28.3.26 3.27 3.28 |
![]() トップ |