竹溪閑話
(平成二十八年度(2016年度)はこちらです。) ------------- 高杉晋作の愛した人 高杉晋作の最期の詩に『數日來鶯鳴檐前不去 賦此贈鶯』「一朝檐角破殘夢,二朝窗前亦吟弄。三朝四朝又朝朝,日日來慰吾病痛。君於吾非有舊親,又無寸恩及君身。君何於我如此厚,吾素人間不容人。故人責吾以詭智,同族目我以放恣。同族故人尚不容,而君容吾果何意。君勿去老梅之枝,君可憩荒溪之湄。寒香淡月我所欲,爲君執鞭了生涯。」・『高杉東行詩文集』(107/146コマ 国立国会図書館『高杉東行詩文集』がある。 この詩を初めて読んだ時、訪れてきているウグイスにお礼を言っているのだな、と思っていた。 ただ、詩の後半、前後の結びつきもなく、「君勿去老梅之枝,君可憩荒渓之湄」は、節奏が(通常の「□□・□□+□□□」とは異なって)、□□□+□□□□となっている。通常とは異なっている節奏のため、「老梅之枝」と「荒渓之湄」の部分が、際だっている。作者の言いたいところなのだろう。または、典故が隠されているのだろうと思った。詩は、典故を踏まえることは通常なので、先ずは古典を調べた。しかし、何も見つからなかった。 が、見つかった。典故ではなかった。高杉晋作の愛人の名が見つかった。『梅之枝』『荒渓』は、「谷 梅処」という女性の名(=おうの)だった。 つまり、詩は: 「『谷 梅処』さん、毎日、毎日、お見舞いに来てくれて、ありがとう。 あなたは、肉親でもないのに、一銭の得(とく)もしないのに、こんなに叮嚀にしてくれて…。 友人や身内はわたしのことをボロクソにしか評価しないが、あなたはわたしのことを認めてくれている。 ありがとう。……。」と、彼女に対する感謝の詩だった。ただ、谷 梅処(=おうの) さんは、文字が書けないということなので、この詩の意を知ることは無かったのではないか。 「高杉晋作の詩」は有名だが、この隠された“愛の歌”は、世に知られているのか…?伊勢丘人先生にこの詩について伺ってみた。晋作の死後、この詩が誰によって保管・保存されてきたのか、尽きない想いがあるが、今はその途は尋ねようがないのではないか、…と。 なお、念のために、外にもこのような詩がないかと、高杉晋作の作品を調べてみたが、あった。慶応元年の『題雲脚集』だ。道後温泉への逃避行で「脱却雙刀去,超然出俗群。雲奴與雲衲,游跡似浮雲。」(『高杉東行詩文集』(67/146コマ 国立国会図書館)とある。この詩は「おうの」(雲奴?)を隠して、「雲脚」「雲奴」「雲衲」「浮雲」と韜晦しているが…。 また、『戯作』に「細君將到我閑居,妾女胸間患有餘。從是兩花爭艷美,主人拱手意何如。」(『高杉東行詩文集』(91/146コマ 国立国会図書館)がある。二人の女性に夾まれて、苦労をしている詩だ。 (平成29.8.18) ----------------- このページのトップへの 平成二十八年度(2016年度)はこちらです。 |
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