睹江北流民有感 | ||
清・周實 |
江南塞北路茫茫, 一聽嗷嗷一斷腸。 無限哀鴻飛不盡, 月明如水滿天霜。 |
江南 塞北 路 茫茫,
一たび 嗷嗷たるを聽けば 一たび斷腸す。
無限の哀鴻 飛び盡くさず,
月明は 水の如き 滿天の霜。
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◎ 私感訳註:
※周實:清末の詩人。1886年(清・光緒十二年)〜1911年(宣統三年・辛亥年)。江蘇省・淮安(現・淮陰)の人で、南社(辛亥革命前夜の宣統元年・1909年に蘇州で結成された文学結社)の構成員で、淮南社を創設した。1911年の武昌蜂起では、淮陽で学生を組織して呼応させたが、やがて地方のボス(劣紳)によって殺害された。
※睹江北流民有感:長江の北岸(江蘇省一帯)の水害での流浪の民を見て、心に感じるところがあっての詩。 *1906年(光緒三十二年)に長江流域に発生した水害の被災者が流民となって放浪するさまを詠う。その年の七月から八月にかけて長江上流一帯に長雨が続き、江蘇省では田畑がことごとく水没した。被災者は七百万人を超し、飢えた民衆は流浪の民と化し、餓死者を多数出した。時期は辛亥革命の前夜で、国際関係も、国内政治も混乱しており、天災である水害に対して、政治による豫防救済措置が講じられていない人災であると感じ、この詩を作った。後漢末〜魏・王粲の『七哀詩』「西京亂無象,豺虎方遘患。復棄中國去,委身適荊蠻。親戚對我悲,朋友相追攀。出門無所見,白骨蔽平原。路有飢婦人,抱子棄草間。顧聞號泣聲,揮涕獨不還。未知身死處,何能兩相完。驅馬棄之去,不忍聽此言。南登霸陵岸,迴首望長安。悟彼下泉人,喟然傷心肝。」や清・乾隆時代の饑饉を詠った鄭燮(鄭板橋)の『逃荒行』に似た趣がある。 ・睹:〔と;du3●〕見る。よくみる。(たしかに目に)見つける。 ・江北:長江北岸一帯。現・江蘇省など。ここでは1906年(光緒三十二年)の長江流域の水害被災地を指す。 ・流民:生活に困窮して他国にさすらい歩く人民。流浪の民。流氓。 ・有感:感じるところがある。感想を持つ。
※江南塞北路茫茫:中国の南から北の涯(はて)まで、路は広々として果てしなく。 ・江南塞北:中国の南から北まで。中国全土。≒大江南北,長城内外。 ・江南:長江下流の南岸一帯。 ・塞北:北方の辺疆の地。朔北。 ・茫茫:〔ばうばう;mang2mang2○○〕広々として果てしないさま。ぼうつとして、はつきりとしないさま。草が多く生えて乱れているさま。『古詩十九首之十一』の「廻車駕言邁,悠悠渉長道。四顧何茫茫,東風搖百草。所遇無故物,焉得不速老。盛衰各有時,立身苦不早。人生非金石,豈能長壽考。奄忽隨物化,榮名以爲寶。」や、東晋・陶淵明の『挽歌詩其三』「荒草何茫茫,白楊亦蕭蕭。嚴霜九月中,送我出遠郊。」や、東晉・陶潛『擬古・九首』其四「迢迢百尺樓,分明望四荒。暮作歸雲宅,朝爲飛鳥堂。山河滿目中,平原獨茫茫。古時功名士,慷慨爭此場。一旦百歳後,相與還北。松柏爲人伐,高墳互低昂。頽基無遺主,遊魂在何方。榮華誠足貴,亦復可憐傷。」や、北宋・蘇軾の『江城子』乙卯正月二十日夜記夢には「十年生死兩茫茫,不思量。自難忘。千里孤墳,無處話淒涼。縱使相逢應不識,塵滿面,鬢如霜。 夜來幽夢忽還ク。小軒窗,正梳妝。相顧無言,惟有涙千行。料得年年腸斷處,明月夜,短松岡。」とある。
※一聽嗷嗷一斷腸:大勢で出す悲しげな声を聴く毎(ごと)に、腸(はらわた)が断ちきられるほどの激しい悲しみに襲われる。 ・一聽:ひとたび聴(けば…)。…ごとに。 ・聽:「聽」字の平仄は●(仄)とすべきところで〔ちゃう(てい)ting4●〕の意は念を入れて詳しく聞く。なお、○では〔ちゃう(てい)ting1○〕で、声を聞く。但し、現代語(北京語)では後者のみ。 ・一…一…:一たび…すれば、一たび…する。…する毎に…。二つの動作が相対応して行われることを表す。金・元好問の『癸巳五月三日北渡三首其一』に「道傍僵臥満纍囚,過去旃車似水流。紅粉哭隨回鶻馬,爲誰一歩一廻頭。」とあり、 清・袁枚の『意有所得雜書數絶句』に「莫説光陰去不還,少年情景在詩篇。燈痕酒影春宵夢,一度謳吟一宛然。」とある。 ・嗷嗷:〔がうがう;ao2ao2○○〕大勢で悲しげな声を出すさま。また、大勢でがやがや言うさま。ここは、前者の意。 ・一:もっぱら。いつに。 ・斷腸:腸(はらわた)が断ちきられるほどの激しい悲しみ。
※無限哀鴻飛不盡:限り無く哀しげに啼く雁(=災禍によつて流浪する民)は飛んで行っても(次々とやってきて)尽きることがない。 ・無限:限り無い。晩唐の李商隱の『登樂遊原』に「向晩意不適,驅車登古原。夕陽無限好,只是近黄昏。」とあり、錢兼益の『丙申春就醫秦淮寓丁家水閣浹兩月臨行作絶句三十首』に「舞榭歌臺羅綺叢,キ無人跡有春風。踏無限傷心事,併入南朝落炤中。」とある。 ・哀鴻:哀しげに啼く雁。災禍によつて流浪する民のこと。諺に「哀鴻遍野」がある。清末/民國・孫文の『無題』に「半壁東南三楚雄,劉カ死去霸圖空。尚餘遺孽艱難甚,誰與斯人慷慨同。塞上秋風悲戰馬,~州落日泣哀鴻。幾時痛飮黄龍酒,攬江流一奠公。」とあり、現代・毛沢東は『七言律詩・憶重慶談判』で「有田有地皆吾主,無法無天是爾民。重慶有官皆墨吏,延安無土不黄金。炸橋挖路爲團結,爭地爭城是鬥爭。遍地哀鴻遍地血,無非一念救蒼生。」と使う。 ・飛不盡:飛んで行っても(次々とやってきて)尽きることがない。張若虚の『 春江花月夜』に「春江潮水連海平,海上明月共潮生。灩灩隨波千萬里,何處春江無月明。江流宛轉遶芳甸,月照花林皆似霰。空裏流霜不覺飛,汀上白沙看不見。江天一色無纖塵,皎皎空中孤月輪。江畔何人初見月,江月何年初照人。人生代代無窮已,江月年年祗相似。不知江月待何人,但見長江送流水。白雲一片去悠悠,青楓浦上不勝愁。誰家今夜扁舟子,何處相思明月樓。可憐樓上月裴回,應照離人妝鏡臺。玉戸簾中卷不去,擣衣砧上拂還來。此時相望不相聞,願逐月華流照君。鴻雁長飛光不度,魚龍潛躍水成文。昨夜鞨K夢落花,可憐春半不還家。江水流春去欲盡,江潭落月復西斜。斜月沈沈藏海霧,碣石瀟湘無限路。不知乘月幾人歸,落月搖情滿江樹。」とある。
※月明如水滿天霜:月明かりは、(湖の)水面のように空いっぱい広がり、その下は霜で満ちている。 ・滿天:空いっぱいになる。空一面。 ・月明:月明かり。 ・如水:水のような。 *このことば、意味は易しいが、句の中での他の語との関わり方が難しい。節奏から見ると「月明 如水 滿天霜」だが…。真ん中で途切れているような感じがする。 ・滿天:空いっぱいになる。空一面。張継の『楓橋夜泊』に「月落烏啼霜滿天,江楓漁火對愁眠。姑蘇城外寒山寺,夜半鐘聲到客船。」とある。
◎ 構成について
2009.6. 5 6. 6 6. 7完 6.14補 |
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