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リクルート /
The recruit /
Der Einsatz

Roger Donaldson

2003 USA 115 Min. 劇映画

出演者

Colin Farrell
(James Clayton - IT の専門家、CIA 訓練生にリクルートされる)

Al Pacino
(Walter Burke - CIA 教官)

Bridget Moynahan
(Layla Moore - CIA 訓練生)

Gabriel Macht
(Zack - CIA 訓練生)

見た時期:2004年1月

要注意: ネタばれあり!

予告無くばれるところがありますので、見る予定の人は即退散して下さい。目次へ。映画のリストへ。

手の込んだシビアなスリラーだと聞いたのでそれなりに腹を据えて行きました。見終わって、自分がカバだということが分かりました。アル・パシーノが出るというので、ある程度大芝居は覚悟していました。飛ぶ鳥を落としまくっているコリンファレルが出るというのでそのコンビぶりにちょっと期待もしていました。それにしては肩すかしを食った気分。

コリン・ファレルは以前あまり感激しなかったのですが、フォーン・ブース以来見直し、最近個人的な評価が上がっています。今回も頑張っているという印象。パシーノを土俵際に追い詰めているシーンもあります。伊東四朗が有能な若手を呼んで来て、相手を追い詰めたり潰さずに生かすという形を取るとしたら、アル・パシーノは有能な若手に自分を追い詰めさせるという形を取っています。先輩が胸を貸し若手にいい機会を与えるという視点で見るとどちらの方法も好ましいです。パシーノ相手の一騎打ちという意味ではインソムニアのロビン・ウィリアムズに次ぐ見応え。まだ見ていない話題の共演ではジョニー・デップがいます。これもいずれ見たいです。

演技賞をフォーン・ブースにあげ、アクション賞を S.W.A.T. にあげるとすれば、リクルートはその両方から少しずつ取ったという感じです。ファレルは今回も元気一杯。S.W.A.T.でも言いましたが、キアヌ・リーヴスがスピードで登場した当時の新鮮さ、元気さに加え、演技面を出すチャンスもふんだんに貰え、幸運な人だと思います。大スターになったにしては本人はわりと単純に物を考える人らしく、直球を投げて来るところがいいです。

パシーノが大役者だということに私は疑いを挟むものではありませんが、以前言ったように、舞台向けのスケールで、映画の画面ではちょっと押しが強過ぎる感があります。リクルートでもちょっとその辺が気になります。正直なところ、ほとんどの場面を同じく小柄な大物ダスティン・ホフマン(166センチ)にやらせておいて、最後の見せ場にパシーノ(168センチ)を出して来たら演技のテンションから言うとちょうど良いかも知れません。(箱を飛ばして下に続く

アメリカというのはあれこれ差別問題を取り上げるのが好きですが、小柄な人が大柄な人に比べ仕事を得るチャンスで損をし易いという点はあまり大きく取り上げられていません。時たま統計が公開される程度です。国全体に小柄な人が多い国では起きない問題ですが、アメリカや欧州の一部では大柄なため得をしている人、小柄なため損をしている人もいるようです。小柄な人がやる気を出してしまうと、例に挙げた俳優やアメリカの大臣のように本気で頑張ってしまうので、そういう人は大成功に結びつきます。そのため全体数の印象がボケてしまうのかも知れません。まだこの問題を大きく取り扱った記事にはお目にかかったことがありません。

最近は7才も年の違う、全然似ていない2人の俳優に双子の兄弟を演じさせるような世の中ですから、演技がしっかりしていれば・・・なんてわけにはいかないか。リクルートはコメディーではないから・・・。パシーノは最近、キャリアを上り詰めた人が犯す犯罪に関心があるのか、時々そういう役を演じています。嫌な役、大物向きの汚れ役ですが、それを究めるつもりなのかも知れません。

3人目の主役はまだあまりはっきりした個性のないブリジット・モイナハン。コニー・ニールセン的に役をちゃんとこなしていますから、この作品については問題ありませんが、あまりにも透明で背景に染まってしまい、次に出て来た時にモイナハンだと分かるかどうか。髪をブロンドにしたり、髪型やメイクを変えたら全然彼女だと気付かないなどということが起こりそう。俳優の方はほとんどこの3人だけで、他はエキストラ程度の端役です。

私がずっこけてしまったのは、プロット。とにかく115分筋を追いながら最後まで見たのです。CIA が中央センターとして使っているラングレーや付近の小さい町の様子が出て来ます。本当に CIA でロケをしたのかはともかく、それなりにおもしろくできています。描写にあたっては本当のアドバイザーがかなりの情報を提供しています。強引で図々しい態度の教官も、命のかかった厳しい仕事につく若者を養成するのだったらこんなものだろうという感じで、納得できそうな作りです。甘い夢は訓練中にぶち壊さないといざと言う時に自分を守る技術をマスターできないという考え方です。トータル・フィアーズがいかに甘いか・・・分かるようにできています。

大まかな筋はと言うと、CIA に自分で応募した人、引き抜かれた人などの混成グループの選抜過程。筆記試験の時は大きな部屋一杯受験者がいたのですが、面接などで徐々に振り落とされ、最後は20人前後。ファレルは試験前に300万円払って前の晩に質問内容を教えてもらったりはしていません。自分から入りたがって来たわけではないのですから。頭はかなりいいらしく、試験中時間を持て余しています。

肉体的な訓練のほかに武器の扱い、心理作戦など、ま、CIA でやりそうだと思われる種類の訓練が紹介されます。こういったトレーニングを受ける程度に生き残った人たちは最終試験に落ちても、オフィスでの情報収集、分析、事務などで残れる人もいるという仕組みになっています。実際選抜のための訓練中にここまで手の内をばらしてしまったら、「試験に落ちたから、はい、さようなら、明日からまた全てを忘れて普通の生活に戻ってね」というわけには行かないでしょう。リクルートペイチェック 消された記憶ではないのですから。

主人公のジェームズとレイラもそこそこ良いところまで行き、最終試験は生き残れません。で、レイラは科学担当部に回され事務。ジェームズは落ちこぼれて家で飲んだくれ、元の IT の仕事に戻ろうかと考えているところ。マサチューセッツ工科大学を卒業する程度には PC に強いのです。ところが失望中のジェームズの所へ元教官が「実は君はアンダーカバーとして合格しているのだ、早速仕事につけ」と書類を持って現われます。ベン・アフレックの演じるカッコイイ CIA を想像していると、この2人のむさくるしい格好にがっかりしますが、現実はこんなものか、とリアルでいいです。

持ち込まれた仕事というのが、訓練に紛れ込んだ二重スパイの調査。目星はついていて、レイラが犯人だと言われます。レイラの両親はフランス人とアルジェリア人で、CIA をスパイしているというのです。これはロマンスが芽生えかけていたからジェームズにはショック。しかし任務で再び CIA の建物に入れると聞いて承知。ジェームズは探求精神旺盛で、CIA に入った理由の1つも謎の死を遂げた父親の調査。自分に関わりのある人の調査という餌につられてついふらふら。ここで止めておけば良かったと思いますが、ベテラン教官のバークは結局いくら断わってもジェームズが OK するように持って行ったことでしょう。鼻先に人参をぶら下げられた馬です。

レイラに比べずっと下の仕事をする(ふりをする)ことになり、ジェームズは職員食堂でレイラに再会。デートをするようになり、密着に成功。彼女の PC を探るとやはり秘密が。容疑はレイラが CIA からデーターを少しずつ持ち出し、外国に渡しているらしいということ。2人ともスパイ訓練を受けているので疑心暗鬼に陥りながらも、スケベ根性の本心も覗き、職務という口実で実は結構喜びながら関係を続けます。

バークから必要な指示を受け、ピストルも受け取ります。これを持って、レイラが情報を受け渡しする駅まで尾行、レイラがメモを渡した相手をさらに尾行、射殺。なんとこれがトレーニングの時のクラスメートのザック。受け取ったのは PC のデーターでなく、「ジェームズが怪しい」と伝える手書きのメモ。

レイラを追い詰め、問い詰めて聞き出したのは、ザックも含めこれが全て訓練だということ。レイラは「CIA の正式の許可を得て動いている」と言うのです。矛盾する情報にジェームズはバークに事情を確かめに行きます。この辺からは観客も疑心暗鬼で、本当の犯罪があるのか、最後に「全てが訓練だった」と言って終わるのか分からなくなって来ます。その前の訓練中にはテレビ版スパイ大作戦さながらの「はい、そこまで」というシーンもあったのです。バークは「確かにこれは訓練で、渡した銃の弾は空砲、ザックは生きている」と言います。ところが弾は実弾だった・・・。不審を抱いたジェームズの巻き返しが始まり、最後は謎が解け・・・めでたしで終わります。

ところが終わってから、筋を逆向きに考えてみると良く分からないのです。レイラ以下は全員 CIA の訓練を受けた上で、CIA の指令で動いていたことが分かります(指令を出したのはバークなのか?)。バークは元からジェームズに目をつけ、無理やりに試験を受けさせ、自分の地位も利用して合格させていますが、ジェームズの出来だと、そういうインチキが無くても合格しただろうと思わせますので、その辺はま、不問。しかし、レイラの二重スパイ事件が偽で CIA の演出だとすると、バークがたくらんでいた陰謀の内容が分からなくなって来ます。

バークが大演説をする時、CIA の銃はジェームズを狙っています。ということは CIA はジェームズが犯人と思っており、実はバークがジェームズを CIA に殺させる計画だったわけです。バークは大演説で墓穴を掘り、CIA の機動部隊は矛先をジェームズからバークに移します(このシーン、もうちょっと効果的にやれば良かったのにとちょっと残念。バークの台詞、追う側の無線連絡と赤い点動きの間にもう少し休憩を入れた方が劇的で良かったかと思います)。バークはジェームズと対決した時に300万ドルに目がくらんだということを言っていますから、バークに何かの話を持ち込んだ筋というのはあるのでしょう。しかしレイラが持ち出したはずの情報が作戦用の偽情報だったとなると、彼女の情報には価値がない。いったいバークは何を誰に売ったのでしょう。

ジェームズを釣る時の餌に父親の話を使ったとか、ジェームズを引き止めるためにレイラを使ったという途中の経過は良く分かるのですが、バークが何をやろうとしていたのかは台詞が早過ぎて私だけに分からなかったのか、あるいは触れる時間が短か過ぎて分かり難かったのか、とにかくさっぱり分からなかったのです。分からないということが分かったのが見終わってからだったので、楽しさがそがれず良かったですが、いったいバークは何をしたのか・・・知りたいです。動機はどうやら時代に取り残されそうな教官ということで、CIA の中で窓際族になりそうだったからということらしいです。(劇場用映画の場合あまり極端な話は聞きませんが、時々アメリカから来た版を時間の関係でカットすることがあるようです。そのために何か重要なシーンが抜けていたのでしょうか。)

私は日本から来ているからなのか、引き際ということを時々考えます。自分の任務は終わったという感じがしたり、時代が変わったから自分はもう必要無いと感じることがあると思いますが、そういう時に勇退する大会社の経営者の話を聞いたりもします。耳新しい話ではありません。また日本には年が行ってから新しい事を始めたり、シルバーはまだ青いと言いながら盛りを過ぎたはずの俳優宇津井健、森繁久弥、山崎努、藤岡琢也、元国会議員、東京都知事青島幸男、谷 啓、長門 勇が集まって現金強奪映画を試みたり、これまでと違う方面に行ったりすることに社会が好意的な目を向けるというという環境もあります。(泥棒をしろと言っているのではありません。誤解なさらぬよう。)一生を流れ、今生きている時を段階の一部という目で見る傾向が強いからでしょう。

専門職を養成する傾向の強いドイツを見ているとその辺の柔軟性が無く、若い頃に1つの職業の訓練を受け職業についたらそれまで。その後は仕事先を変えることはあっても一生その商売で通すというのが普通の考え方です。失業時代に入った現代、転職が難しくなっている理由でもあるでしょう。私は何種類かの職業につけるのですが、ドイツで仕事を斡旋する係の人の方はどうしても私が最近までついていた職業に固執し、その範囲だけで探そうとする傾向が強いです。ただの事務でも、店番でも構わないと言ってもだめ。超専門職のバークという男も CIA の教官として時代に取り残されつつあり、しかし他の職業に行こうなどとは考えもせず、今の職場で焦りを感じていたというキャラクターになっています。

父親の死亡原因を探ろうと思っていたジェームズですが、結局バークは父親の死をジェームスのリクルートの餌に使っただけで、ジェームズにはそれ以上のことは分からずじまい。バークは最初父親は息子の知っていた石油関係の職業でなく、実は CIA のエージェントだと言うのですが、バークのやった事が全部罠だとすれば父親の話も与太かもしれないことになり、結局振り出しへ逆戻り。ジェームズのキャラクターは S.W.A.T. のジムとかなり似ていて、同じ能力を片や地元警察に、片や国家にといった感じです。しかしそれでも飽きさせないのはさすが。

ついでにパシーノについて少々。本当にシチリアのコルレオーネの家系。イタリア系アメリカ人。高校中退・・・には見えませんねえ。大学の学部長なんて役が似合いそう。学歴と頭の良さにはあまり関係がないという証拠に、数々のヒットした役を断わっているのです。マルチン・シーンに行ったコッポラの地獄の黙示録、ダスティン・ホフマンに行ったクレーマー・クレーマースター・ウォーズのハン・ソロ、リチャード・ギアに行ったプリティー・ウーマンなど。確かに断わって懸命だったと思われるものがあります。

私が見たのは

舞台にも出ているためか、映画の数はあまり多くない人です。

まだ見ていないのがジョニ・デップと共演のフェイクとジェニファー・ロペスと共演、見事ラジー賞にノミネートされた Gigli 。この作品にはクリストファー・ウォーケンとアル・パシーノという名優が2人も出ているので、なぜラジーなのか確かめるためにも是非見なければと思っていますが、まだチャンスがありません。私の見た作品はパシーノが大演説をぶつ作品が多く、そのため大芝居という先入観ができてしまったのだと思います。共演者が大物というのも私の見た作品の特徴です。唯一これぞパシーノ1人のためにできた作品と言えるのがセルピコ。あの頃はまだ目の下に隈も無く、ハンサムな青年という感じでした。パシーノが断ったらクレーマー・クレーマーがホフマンに行ったというのはあまり違和感を感じませんが、プリティー・ウーマンハン・ソロにパシーノというのはどこから来る発想なんでしょうか。パシーノがうっかり承諾してしまったら、監督は困っただろうな。

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