面積、214万9,690平方km。人口、2,571万人、GDP 5,933億ドル(1人当たり 23,833ドル)。アラビア半島の大部分を占め、紅海、ペルシア湾に面する。中東地域においては最大級の面積を誇る。北はクウェート、イラク、ヨルダン、南はイエメン、オマーン、アラブ首長国連邦、カタールと国境を接する。この国が現在存在する地域には長い歴史があるが、サウード王家自体は1744年に中央アラビアに登場している。この年、リヤドの近くにあるディルイーヤの支配者ムハンマド・イブン・サウードは宗教指導者ムハンマド・イブン=アブドゥルワッハーブと盟約を結び、新たな国家体制をつくった。この同盟は18世紀に形成され、今日のサウジアラビア王朝の統治の基礎となっている。続く150年間、サウード家はアラビア半島の支配を巡ってエジプトやオスマン帝国そして他のアラブ部族と争い興亡を繰り返した(第一次サウード王国、第二次サウード王国参照)。第三のそして現在のサウード国家はアブドゥルアズィーズ・イブン=サウード国王(サウジアラビア王国の初代国王)が20世紀初頭に建国したものである。1938年3月に油田が発見されるまで国は貧しい状態だった。1979年にイラン革命に影響を受けたイスラム過激主義者によるアル=ハラム・モスク占拠事件が発生。武力で鎮圧したものの、以後、イスラム過激派に配慮した政策を行うことになった。1982年にハリードが死去して異母弟のファハド(スデイリ・セブンの一人)が即位する。1990年にイラクが隣国クウェートを侵略して湾岸危機が起こると、国土防衛のために米軍の駐留を許可した。
(ウイキペデイアより編集 1/Feb/'11)
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