作詩・作曲者不詳のまま太平洋戦争後歌い続けられてきた歌に昭和58年6月、東京地裁が本当の”生みの親”を認定した。この歌は「同期の桜」で戦争中から歌われてきた歌だが、広く流行したのは戦後のことだ。作詩、作曲不詳でレコードにもなったが、昭和55年「これは私が戦争中作ったもの…」と福岡県の元海軍兵、山下輝義さんが名乗りを上げ、更に著作権存続確認とレコード会社6社に不当利得金返還訴訟を起こしたため、世間の注目を浴びる騒ぎとなった。
驚いたレコード会社が八方手をつくして調べた結果、ほとんど同じ歌と思われるものが、すでに昭和14年にレコード発売されていて、そのレコード(キング)も発見された。この歌は西条八十作詩、大村能章作曲の「戦友の唄」で、歌手は樋口静雄。そしてこの歌詞だけが先に掲載された、昭和13年に講談社から発売された雑誌「少女倶楽部」も見つけ出された。「君と僕とは二輪の桜 同じ部隊の枝に咲く 血肉分けたる仲ではないか なぜか気が合うて離れられぬ」という「同期の桜」と殆んど似ていて、更に作曲は全く同じというもの。結局、時の東京地裁、牧野裁判長は「同期の桜」の元歌は昭和14年にレコード発売された「戦友の唄である」と認定、原告の請求を棄却、ここにようやく本当の作詞者、作曲者がよみがえった。 |