関東の古墳 5世紀の前方後円墳を中心に(関東一円)2/b

はじめに 1.武蔵 2.上毛野 3.下毛野 4.常陸 5.下総 6.上総 おわりに

2/a 白石稲荷山古墳 綿貫観音山古墳 正六浅間山古墳 観音塚古墳 保渡田古墳群
2/b 宝塔山古墳 前橋八幡山古墳 お富士山古墳 別所茶臼山古墳 太田天神山古墳

宝塔山(ほうとうざん)古墳          
前橋市総社
宝塔山古墳は、一辺54m、高さ11mの方墳。築造は8世紀初めとされる。古墳の終焉期である7世紀中〜末の築造。総社古墳群の一つで、総社古墳群は、5世紀後半から7世紀にかけての古墳が含まれている。古い順から、遠見山古墳、王山古墳、総社二子山古墳、愛宕山古墳があり、以上は前方後円墳である。ひきつづき、方墳の宝塔山古墳、蛇穴古墳が築造されて古墳時代の終焉となる。最後の二墳は、白鳳時代の仏教文化が反映されていて、精巧・豪華な石造技術が見られる。
保渡田古墳群から車で30分の地にある。総社領主秋元氏の菩提寺である天台宗・光厳寺の山門前に幼稚園があり、その道路向こうに宝塔山古墳がある。 墳頂には、秋元氏の墓所となっている。国指定の時期が、昭和19年11月13日となっていることに驚いた。第二次大戦真盛りの時期だ。
古墳は綺麗に維持されていて、説明板なども完備している。 羨門は切石積みで、綺麗に作られている。
羨道の切石積みも立派。羨道幅1.8m・長さ3.6m 石室の深さは12m。玄室には家型石棺が置かれている。前室幅2m・長さ3.9m、玄室幅2.9m・長さ3.3m・高2m

保渡田古墳群・宝塔山古墳・前橋八幡山古墳

前橋八幡山古墳  前橋天神山古墳 
前橋市朝倉町若宮
前橋八幡山(はちまんやま)古墳
墳丘長130m、後方部幅72m・高12m、前方部幅59m・高8m。4世紀後半築造の前方後方墳
市街地の南東・前橋大地の東縁にある八幡山公園の西側を占める 八幡山公園東側の入口駐車スペースから見る
左側が前方部で、右側が後方部
前方部正面 前方部は東南に向っている。 前方部の高みから後方部を見る。後方部墳頂に乱掘の跡があったということで、埋葬施設はよく分っておらず、出土品も不明。
公園北東端から八幡古墳を見る。 後方部の北側からみる。方形がよく分る。
東側から見る後方部 東側から公園を挟んで見る前方部
前橋天神山(てんじんやま)古墳 
墳丘長126m、後円部径75m・後9.5m、前方部幅68m、後7m。 4世紀中葉の前方後円墳
八幡山の南東約400mにある。 墳頂(?)からは、赤城山を望み、周囲は開けている
高さ4mの浸食崖が古墳の跡。古墳は浸食崖から西方へ約80mの位置に、主軸を浸食崖にほぼ直交させ、前方部を南西に向けて築造されていたという。この周辺は大小・各時期の古墳の密集地域で、その中でも中心的・祖元てきな古墳として位置づけられている。後円部に上位、下位の二つの埋葬施設があったことが前橋市の発掘調査時に分っている。倭王権成立時の古墳で、東京国立博物館に収蔵された15種165点の出土品は貴重だ。

保育園越しに見る現状はいかにも淋しい。

開発にともなって、1968、68年に前橋市によって発掘調査された。墳丘長126m、後円部径75m・後9.5m、前方部幅68m、後7mの東国を代表する大前方後円墳である。。
東京国立博物館には、鉄斧、鉄鐙など鉄製品のほかに、銅鏃(上左)、鉄鏃(下左)、碧玉紡錘車(右下)と、右上に左から三段式神仙鏡(中国製・2〜3世紀)、二禽二獣鏡(中国製・2〜3世紀)、三角縁五神五獣鏡、変形獣形鏡が展示されている。


お富士山(おふじやま)古墳          
伊勢崎市安堀町
墳丘長125m、後円部径77m・高9.5m、前方部幅83m・高5.5mの三段構成で、周堀が広い。荒砥川左岸に立地する。5世紀前半ー中葉の築造とされる。長持形石棺が有名で、乳文鏡や石製模造品の刀子などが出土している。前橋から伊勢崎に向って来て、伊勢崎オートレース場先を左折、宮子大橋でお富士袴側道を下ると、上毛電鉄脇にある。

左に前方部、右に後円部。 前方部の前面をかすめて上毛電鉄が走る。(古墳の主軸は北東方向)
前方部は上毛電鉄の線路の左側まで張り出していたと測量されている。
後円部の南側から墳頂にある神社に登る。 神社
神社の裏に小屋があり、長持形石棺が見られる。畿内大王古墳に用いられたと同じ形態の砂岩製であり、近くで掘り出されて持ち込まれたとの伝えもある。国立歴史民俗博物館の鑑定では古墳と同時期の作で、伊勢崎地域に有力首長が居たことを物語る。 墳頂から前方部を見る


後円部の後方から見る。周囲は畑だが、盾形の平面の堀があったとされている。
前方部から後円部を見る


別所茶臼山(ちゃうすやま)古墳          
太田市別所
墳丘長165m、後円部径102m・高12m、前方部幅84m・高8m。5世紀初頭ー前半の築造で、大田天神山より古い連合体首長墓とされる。円福寺(十二所神社)にある。
北西から十二所神社の登り口がある。 後円部の墳頂には何もない。
後円部墳頂下に十二所神社がある。16体の神像が安置されており、神仏習合の色濃い室町期の作らしい。 室町期の円福寺石幢(せきどう) 祖先供養のための石造仏で六地蔵信仰と結びつき流行したと説明されていた。
馬頭観音 前方部を見る。前方部には伝新田氏累代の墓が建つ。
裏側に廻ると、円福寺の山門を入り直進すると、十二所神社へ、右に円福寺。。 南側から茶臼山古墳を見る。
別所茶臼山古墳・大田天神山古墳・女体山古墳

太田天神山古墳  女体山古墳        
太田市内ケ島
大田天神山(てんじんやま)古墳
墳丘長210m、後円部径130m・高17m、前方部幅130m・高11mで、周掘・周提を持つ。5世紀前半ー中葉の築造とされる。東日本最大・全国で27位の規模の前方後円墳。二重の周濠をもち、墓域は364m×288mに及ぶ。墳丘は三段構成で、渡良瀬川の川原石で葺上げられている。墳丘には形象埴輪と円筒埴輪列(三重)・葺石があり、周堀・周提をもち、周提にも円筒埴輪が立てられていたと考えられる。内部主体は砂岩製の長持形石棺で、用財長3.1mだが、古い盗掘のため遺物は不明である。円筒埴輪の技法は、女体山古墳、お富士山古墳と共通している。
大田天神山古墳を南西から見る 前方部を周濠の中から見る
後円部への古墳縁線。 木立に透かして墳丘が見える。 南側から墳頂へ
主軸に沿って後円部墳長 主軸に沿って前方部を見る。
前方部を南側(左)へ下る 南側中間地点に鳥居・神社がある。
後円部の墳丘 県道側(東側)から見た古墳

主要地方道前橋古河線
天神山古墳の標識
女体山(にょたいやま)古墳
墳丘長98m、径78mの円形墳丘に一辺18mの方形の造り出しを設けた帆立貝式古墳。5世紀中葉から後半に築造された。太田天神山古墳時代の次代の首長墓と考えられている。
造り出し部分を左から見る。周囲の畑は周濠跡と見られる。 造り出しの右側部分。後方に低い円形部の墳丘が見られる。
円形部の墳頂 墳頂の向こうに天神山古墳が見える。

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