関東の古墳 5世紀の前方後円墳を中心に(関東一円)4/b

はじめに 1.武蔵 2.上毛野 3.下毛野 4.常陸 5.下総 6.上総 おわりに

4/a 三昧塚古墳 石岡舟塚山古墳 4/b 水戸愛宕山古墳 島町梵天山古墳 虎塚古墳

水戸愛宕山(あたごやま)古墳  茨城県水戸市愛宕町      
昭和9年に国指定文化財と指定された。説明立看板には、「この古墳は全長136.5m(前方部幅75m、高さ9m、後円部径78m、高さ10m)の規模を誇り県内最大級の前方後円墳である。有段の墳丘と、みごとに長く延びる前方部、東方、北西の一部に堀を残すなど、その古式形態を保ち築造当時の面影を現代に伝えている。古墳の築造年代は、その墳形や後円部墳頂及び裾部におて発見された大型の円筒埴輪などから6世紀初頭であると推定される。当時那珂川両岸におかれた仲国(なかのくに)の支配者として君臨した首長の墓であることが考えられ、考古学及び古代史研究の上重要な意義をもつ古墳である。  水戸市教育委員会 」
愛宕山古墳は、国道118の末広町三と袴塚二の中間の東段丘上・住宅街の中にある。後円部墳頂にある愛宕神社西側入口の鳥居は、愛宕幼稚園の傍らにある。 愛宕山古墳の主軸は、南東を向く。後円部西側の愛宕神社石段を登り、墳丘上を前方部に歩き南側に下った。
後円部墳頂の愛宕神社 後円部から前方部へ
前方部のエッジ部分 前方部の正面に付けられた石段を下から見る。神社の南側入口に下る。
前方部東隅を周回する。 東側外周から樹木の生茂った後円部を見上げる。
古墳のある台地上から那珂川を見下ろす。那珂川中流にあって、流域を支配した仲国の大首長が偲ばれる。

島町梵天山(ぼんてんやま)古墳  茨城県常陸太田市島町  
水戸市から国道348号を北上し、ひたちなか市と常陸太田市の中間地点で久慈川の東岸に位置する梵天山古墳を訪ねる。「梵天山古墳群は、島町の丘陵一帯に分布する前方後円墳、円墳および台地西南端の崖面に点在する横穴群とからなりたっている。 主墳の梵天山古墳は、全長151mの県内第二の規模を持つ前方後円墳で、西方を向く前方部は、幅57m、高さ8m、東側の後円部は直径81m、高さ13mで、後円部が5m高い。周溝はなく、墳形からみて5世紀中頃の築造と見られている。古くから久慈川流域を支配した首長の墳墓とされ、久自(慈)国造船瀬足尼(ふなせのすくね)の墓と伝えられている。 周辺には他に13基の古墳が存在し、一部はすでに調査がなされ、直刀等が出土している。台地西南端に存在する横穴群は「島の百穴」と呼ばれ、現在60数基が確認されている。本尾墳群は、昭和28年7月9日県指定史跡として指定された。 常陸太田市教育委員会」 と案内看板に説明されている。
5世紀前半の関東では、上毛野に太田天神山古墳が出現したが、常陸では、北部に島町梵天山古墳が出現した後に、南部に石岡舟塚山古墳が造られた。島町梵天山古墳の被葬者候補の久自国造船瀬足尼は物部氏の一族である。石岡舟塚山古墳は茨城国造の支配下にあり、被葬者はその系統の首長だと思われる。少し遅れて築造された水戸愛宕山古墳の被葬者とされる仲国造祖建借間命(たけかしまのみこと)は、古事記の編者・太安万呂の先祖多(太)氏の同族であり、房総北部の鹿島、印旛と関連する。
宝金剛院は高野山真言宗のお寺で江戸初期の創建で、徳川光圀により現在地に移された。 お寺の境内裏から鳥居をくぐって石段を梵天山古墳の後円部に登る。左側に後円部と前方部の中間地点への緩い登り道がある。
墳丘は樹木に覆われているが形態をよく残している。 後円部墳頂には神社がある。多くの神様を祀る。
後円部の北端 後円部から前方部への墳丘上の道
前方部の先端 前方部左正面を西側隅から見る
墳丘の北側下 墳丘の南側下
南側から見た梵天山古墳の全景。左が前方部で右が後円部。左前方部正面に回ろうとして、犬に吼えられた。人気のない里の夕暮れで無理もない。
13基ある古墳群の一つ・2号墳・阿弥陀塚 町田を朝6時に出発し、石岡・水戸・常陸太田と巡った一日が終わった。


虎塚(とらづか)古墳  ひたちなか市中根3499    
虎塚古墳は、全長56.5m、後円部径32.5m・高5.5m、前方部幅38.5m・高5.0mの前方後円墳で、7世紀前半頃の築造とされる。装飾古墳であることが特徴。石室内からは、成人男子と思われる遺骸が一体と、全長38cmの漆塗小太刀・毛抜形鉄製品・やりがんな・鉄鏃などが発見された。埋蔵文化財調査センターの年表によると、ひたちなか市の古墳時代前期には方形周溝墓が造られ、中期(5世紀)には集落の大規模化が起こり、寺前前方後円墳が造られている。虎塚古墳を遺した後期には大規模な古墳が造られ、埴輪製作も盛んで馬渡埴輪製作遺跡を遺す。装飾古墳は北九州、鳥取県に集中していて、ひたちなか市から福島県周辺も一つの集中分布域である。宮崎県の一部と神奈川以北の太平洋岸に装飾横穴が多数見つけられるのも興味深い。
石室秋季公開の最終日(平成18年11月13日)に訪れた。年に1~2度しか見えないという日光・男体山も姿を見せた。 駐車場から林の中を虎塚古墳に向う。
公園になっていて、管理所で¥150の観覧券を買う。古墳自体は小型の前方後円墳だ。 石室入口に行く。朝一番だったので、一人でゆっくりと説明を受ける。石室内は狭い。玄室長3.0m、奥壁の幅1.5m、玄門部幅1.4m、高さ(中央部)1.4mで、壁面・天井・床は凝灰石で作られている。

後円部の裏側にまわる。
  石室と古墳内の位置が説明されている。
玄室入口には、ベンガラ(酸化第二鉄)で連続三角文が赤く描かれている。玄室は、全面に白色粘土を下塗りした上に、ベンガラで模様が描かれている。奥壁に、三角文・環状文・武具(槍・太刀)・武具(靭・鞆)、東壁に、三角文・渦文・靭・楯・首飾り・鐙、西壁に、三角文・円文・舟と馬具らしき図を描き、天井はベンガラで赤く彩色し、床面は白色粘土の上にベンガラで彩色されていた。羨道・玄室はガラスで密閉され前庭から内部を覗くことになるが、鮮明な図柄模様に感心した。石室内は温度・湿度は監視されているが特別なことはしていない。ベンガラの産地は不明であるが、石室に使用された軟質凝灰石はこの地のものである。
 
埋蔵文化財調査センターには、虎塚古墳の実物大の石室復元模型、副葬品が展示されている。虎塚古墳、十五郎穴の副葬品のほか、ひたちなか市周辺の古墳の出土品、装飾古墳の九州、福島での分布と解説、高松塚古墳石室のレプリカ、などが展示されている。 ひたちなか市・金土大平古墳出土の「乳飲み児を抱く埴輪(古墳時代後期)」は、複製品であるがベンガラで頬を彩色し、耳飾・首輪などしていて珍しい埴輪だ。実物は明治大学博物館に貸出中であった。撮影は許可されていて、復習するに好都合だ。
虎塚古墳から100mほどで、十五郎穴(横穴群)がある。凝灰石の崖面を掘り込んで築かれた奈良時代の墓群である。銅製方頭太刀、メノオ製勾玉、水晶製切小玉、須恵器などが出土し、埋蔵文化財調査センターで展示されている。横穴は前庭・羨道・玄室からなり、大から小・埋葬方式も色々あり、小型のものは小児用であると判明している。

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