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フルーツこぼれ話


フルーツこぼれ話 PartU 

中国産 ライチ(生)

ライチのサイド・ストーリー

 ライチの実はウズラの卵を一回り大きくしたくらいで、深紅の果皮一面には細かい亀甲紋が刻まれ、硬そうな外観の割には手で簡単にむけ、中には乳白色の果肉と、濃厚な甘さの果汁が包まれている。
 中国の詩に「剥けば凝りて水晶の如く、食えば消えて降雪の如し」と言う名句あるほど、果実は上品な甘みと香りが有ります。また非常に短命で、中国の古書には「枝を離るるや、一日にして色変じ、二日にして香味失せ、三日にして、色、香、味ことごとく尽く」と言われるほどです。ただし、現代は冷蔵技術の発達によりこれほどまでの急激な変化は避けられるようになりましたが・・・それでも、なるべく早く食べましょう!
 唐の時代、玄宗皇帝の愛妃楊貴妃(719〜756)が、ライチをこよなく愛するあまり、国が滅びたと言う物語はあまりにも有名です。薄命の美果ライチを、産地の華南から幾千里も離れた都長安へ運ぶために、中継の駅に早馬を用意し、駅伝的に送り継いで楊貴妃のもとへ届けました。この労苦のため多くの人馬が死に、人民怨嗟の声をよんで、やがて安禄山の乱が起こって楊貴妃は殺されてしまいます・・・


peach


桃のエピソード

原産地の中国や日本では古来より、桃は悪魔や病魔を退治する果物と信じられていた。
例えば『古事記』にはイザナギノミコトが死んだ妻のイザナミノミコトを訪ねて黄泉の国に行き、
魔女に追われて逃げ帰るとき、桃の実を3つ投げて防いだという話がある。
桃太郎の童話も、桃の精の太郎が鬼(悪霊)を退治するのがテーマとなっている。
古代中国では桃を仙果とし、延命長寿のシンボルとされてきた。
例えば、中国の福寿の祝の絵にはよく桃が3個描いてある。
これは「寿齢三千歳」という意味で、西王母の故事からきている。
この故事とは天界には3千年、6千年、9千年に一度だけ、
それぞれ実をつける桃の木があり、漢の武帝が長寿を願っていることをきいた
西王母(アラビアのフェリックスの女王シェバのことではないかといわれている)が
天界から7個の桃をたずさえ、2個を自分が食べ、残りの5個を武帝に献上したという話。
また、孫悟空はこの天界の桃の園、蟠桃園の桃を盗み食べて、不老不死の身になった。
このほか、桃の林の奥にあるユートピアを描いた陶淵明の『桃花源記』や、
中国最古の詩集『詩経』には桃の木の成長を花嫁の美しさに例えた
「桃夭」といった詩もあり、中国人にとって桃は単なる果物以上の力を持った存在である。
欧米では、桃が女性の肌や体を連想させるためか、
エロチックな描写に用いられることがしばしばある。
また、アメリカでは
「She is a peach」 とは女性に対する最高の誉め言葉であるという。
ただ美しいだけでなく、セクシーな魅力も十分に備わっているということだ。


musk melon


メロンのエピソード

メロンの野生種は、アフリカ西部のギニアを流れるニジール河の沿岸に自生、
ギニアがメロンの起源地と言う説が多い。
その後これがエジプト、中央アジア、ロシアの南部へと広がった。
かの絶世の美女クレオパトラも好んで食べたと言われている。
エジプトで進化したものの中には、ギリシャ、ローマに伝わり、
やがてヨーロッパから各地に普及して、
あるものはネットメロンになり、さらに温室メロンに発達したものもある。
イタリアからフランスへの伝播は1483〜1499年で、
ほぼ同時期にスペインにも渡り、ペルシャへも入った。
現在の温室メロンに最も近い親は、ペルシャに駐在した英国大使が
1826年に同国から本国に送ったもので、温度も日照も少ないロンドンで
大変な苦労の末、沢山の優秀な品種を育成した。

アールス種が日本に導入されたのは明治30年代で、
福羽博士によって新宿御苑で初めて作られた。
大正期には、現在のネット系メロンの源となった
アールス・フェボリット(伯爵のお気に入り)種が入り、
マスクメロンと言えば、アールス種をさすようになった。
大正の宰相、
大熊重信侯爵は大のメロン好きで知られ、
「我輩はメロンを食うて125歳まで生きる!」と大風呂敷を広げていたようである。
同氏によって、大正8年に第1回メロン品評会が開かれ、
翌年には、新宿高野でマスクメロンの販売が開始されている。

マスクメロンの呼び名の由来
マスクメロンの“マスク”は、一般には英語のMASK(面の意)と考え
そのためネットのことを指していると思っている方もあるようですが、
これは、
MUSC(仏)が正しく、麝香の意味です。

メロンにも 銀のスプーン 主婦ごのみ  −高浜 虚子ー
フルーツの女王メロンには、先の部分で種をうまく取り除けるようになっている、
専用スプーンがあり、銀製が最高です。

マスクメロンの栽培は、温度、湿度を調整したガラス温室で行われる。
土は昔の相撲土俵に使われ、メロン栽培には最高とされる荒木田の土。
しかもウリ類は忌地の性質があるため同じ栽培土は二度使えない。
消毒するか替地を使う。
種を播いてから採取するまでは約100日かかる。しかも一本の木に一個の実しか実らせない。
もちろんスイカやキュウリのように何個も実をつけるが、
その中の一個だけを残して、その他の実は全て切り取られてしまう。
一個の実に一木の全栄養と栽培者の全愛情を注いで、美味しいマスクメロンが作られる。
このため、作者の生産者番号がメロンについているシールに記入され、
一木一果の印としてツルをT字に残している。


メロンの甘味の位置


夏と言えばスイカ


スイカ こぼれ話

原産地は南アフリカのカラハリ砂漠とする説が、最も有力です
伝播の道筋もほぼメロンと同じです。
エジプトのカイロでは、ピラミッドの壁画にも描かれています。

スイカの名の始まりは中国で、東漸してきたスイカが唐の時代に西域で有名になり、
この種を中国全域に播いたことから西域から来た瓜という意味で西瓜となりました。
日本には、平安時代末期に中国からという説と、
16世紀、ポルトガル人によってカボチャ(南瓜)とともに持ち込まれたという説、
同じくポルトガル人によっ
て17世紀に長崎に伝えられたという説がある。
英語では
watermelon実は江戸時代には「水瓜」とも書かれました。

南から北に切る!
果実は、種のまわりが一番甘い。(種の保存・拡散のため、動物に食べられやすくするためか?)
スイカも同じだが、太陽によく当たったものは片側が少し張り出し、この部分も同じ位甘いので、
まっすぐに切るよりも出っ張った部分から半分に切って
櫛型に分けたほうが甘味が等分になる。
果糖が多いのでよく冷やすと甘味が増す。


スイカは、南から北に切る!


温度による甘味の違い

くだものの甘味は、主として、果糖ブドウ糖です。
これらの糖は、
α(アルファ)型とβ(ベーター)型の2つの性質を持ち、
温度によって、移り変わります。
つまり、くだものを冷やすと、α型が減って、β型が増えるのですが、
果糖のβ型は、α型より3倍の甘さがあります
したがって、冷やすと甘味を強く感じるわけです。
ちなみに、温めるとα型が増え、甘味が少なくなります。
そして、酸味のもとである水素イオンの濃度が高まり、すっぱく感じるようになります。


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