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記事No : 1499
タイトル リア王の娘たち
投稿日: 2012/05/09(Wed) 10:56:24
投稿者桃青

周りを見ると、親がその優秀さに期待し、子供もその期待を裏切らずに育ち、その社会的成功を親が自慢してやまない子供からは看て貰うことなく、出来の悪さゆえにどちらかといえば軽んじていたような子供がせっせと親の介護をしている。
という例は珍しくない。

介護ブログを見ても、子供時代、兄弟の中で親から一番疎んじられた体験をこぼしながら、「そうやって大切にされた兄弟たちは誰も見ようとしないので」と、認知症の親を引き取って介護している、というかたも何人かおられる。

また一人っ子で、どうのこうの考える余地なく親を介護しておられるかたも何人もおられる。

そういう方々は、「良好な関係」があるなし、に関わらず、親の世話をされているわけで、介護の大変さを嘆きながらも、「親(or舅姑)からああいう仕打ちを受けた、こういう仕打ちを受けた私が何故、こんな苦しい思いをしながら介護しなくてはならないのだ。」とこぼしながらも、決して親(舅姑)を粗末に扱ってはおられない。
それは、おそらくそれぞれが「このひとを酷い状態のままにはしておけない。」という思いで頑張っておられるのだろう。と拝見している。
こういう例では、良好な人間関係があった故に、親(舅姑)を見ておられるのではない。
介護者の人間的資質が、やむにやまれぬ思いで面倒を見させるのだろう。

ある介護老人が大切に世話されているからといって、それがすべてその老人が介護者との間に良好な人間関係を築いてきたからだ。
ある人が受ける結果はすべてそのひとの「自己責任」なのだ。
という単純な見方では何か大きな問題を見過ごしにしてしまうのではないだろうか?


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