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DB in お江戸でござる

楽屋にて第一幕第二幕第三幕第四幕第五幕第六幕舞台挨拶


第二幕

「どこへ行く」
 夜具を滑り出て、そっとふすまに手をかけたブルマ太夫の背に、男の声がかかった。乱れ髪を手で撫でつけながら、ブルマ太夫は振り向いて微笑んだ。
「起きてたの、ベジー太。あたしもう行かなきゃ。他のお客に呼ばれてるの」
「他の客だと?」
 ベジー太はブルマ太夫の襦袢じゅばんの裾をいきなり引っ張った。
「あっ」
 襦袢が肩から滑り落ち、滑らかな肌がむき出しになる。慌てて胸元で襦袢を押さえたものの、体勢を崩してそのまま彼女は男の胸の中に倒れ込んだ。抱きすくめられた細い体から、きしめた香の香りが匂い立つ。

 ベジー太は耳元に低い声で囁いた。
「行くな」
「そんなわけにいかないのよ。大事なお客なんだから。……その人ね、あたしを身請けしたいって」
「身請けだと!?」
落籍らくせきして妻にするって言ってるの。あんたは? 引き留めるんなら、あたしを身請けしてくれる?」
「…………」

 ブルマ太夫は小さく溜息をついた。
「出来っこないわよね。わかってるわ。だいたいあんたがこんなところへ来られること自体、不思議なんだから。富くじが当たったとか、賭博で大儲けしたって言ってたけど、そんなの嘘でしょ」
 大きな瞳で探るように見上げる花魁おいらんから、ベジー太は目をそらした。
「お願いよ、ベジー太。悪い事には手を出さないって約束して」
「いつだ」
「え?」
「その野郎がおまえを身請けするっていうのはいつなんだ」

 ブルマ太夫が口ごもっていると、襖の外から「ブルマ太夫、いつまでグズグズしてるの。堀割下水のお殿様がお待ちよ」と、「り手」のザーボンの声がした。彼はこの「カプセル楼」の運営を経営者から任されているのである。
「ちっ、ザーボンめ」
 ベジー太は舌打ちすると、素早く着物を羽織って大小を差し、襖を開けた。すかさずザーボンの手下がブルマ太夫を連れて行く。後を追おうとするベジー太の前にザーボンが立ちはだかった。
「ああら、ベジー太、えらくブルマ太夫にご執心だこと。でも、覚えておおき、いくらおまえがあのお方に目をかけてもらっていても、あんまりうちの花魁に好き勝手してもらっちゃ困るのよ」

 おほほほほと笑うザーボンを睨み返しながら、ベジー太はせせら笑った。
「ふん、ザーボンさんよ。ずいぶんオネエ言葉がお似合いじゃねえか。オレはあいつを身請けするやつの顔が見てみたい。つべこべ言ってないでさっさとその殿様とやらのところへ案内しやがれ!」
「なんですって」ザーボンの顔色が青紫から赤紫に変わった。「おまえ、このわたしを誰だとお思いだえ!? あんまり図に乗ると、痛い目にあうんだよっ」
 怒りのあまり、彼はガマのような姿に変身してしまった。急な膨張に耐えかねて、厚塗りの化粧が土砂崩れを起こす。
「し、しまった」ザーボンは慌てふためいて舞台袖に引っ込んだ。



 ブルマ太夫は美しく着飾った姿で「カプセル楼」を出て、高下駄で八の字を描きながら揚屋へと向かう。宋十郎頭巾で顔を隠したままのヤムチャ之介が出迎える。と、彼らの間にひとりの浪人風の男がふらりと割って入った。
「ベジー太!」
「堀割下水のお殿様とはきさまか」
「何だおまえは」
 ヤムチャ之介は男の顔をじっと見つめた。
(こいつが船頭の言っていた、ブルマ太夫に執心の男ってやつか?)

 ベジー太は冷たい目でヤムチャ之介を一瞥して言った。
「二度と言わん。その女から手を引け」
「なに!? きさまもブルマ太夫に惚れてるのか」
 とたんにベジータは真っ赤になり、汗を飛ばしながら怒鳴った。
「そ、そ、そんなわけあるか! オレは自分の……むにゃむにゃ……に、ちょっかいを出されるのが気に入らんと言っているんだ」
「ちょっと何よ」横合いからブルマ太夫が不服そうに口をはさんだ。「オレの女とか情婦とか、はっきり言いなさいよね」
「なっ、なんという下品なことを言いやがる!! オレがむにゃむにゃと言ったらむにゃむにゃなんだ。余計なことを言うな」
「何が言いたいのかさっぱりわからんぞ」ヤムチャ之介は顔をしかめてつぶやいた。「まあいい。どっちにせよ、オレがブルマ太夫を身請けする邪魔がしたいようだな。きさま、オレが誰だかわかって言っているのか」

 横からブルマ太夫がまた口をはさんだ。
「だめよ、ベジー太。あんたのかなう相手じゃないわ。この人、あのゴロツキ集団のレッドリボン軍をたったひとりで叩きのめした―――え? それって孫くんじゃなかった?」
「しっ、いいからいいから」ヤムチャは小声で先を促した。プーアルに脚本家に変身してもらい、ちょっとでもカッコイイ役回りになるよう、こっそり書き換えてもらったのだった。
「こうでもしなきゃ、目立てんからな……。セコい作戦だと笑うなら笑え! ベジー太、おまえに万年マイナーキャラの悲哀がわかってたまるか!」
「何ぶつくさ言ってんのよあんた。アドリブなら観客に聞こえるように言いなさいよね」ブルマ太夫は我に返って先を続けた。「ま、まあいいわ―――たったひとりで叩きのめしたんだから!」

「その通り」
 ヤムチャ之介は頭巾を取って顔を現した。右目と左頬の傷はその時の名誉の負傷なのである。遠巻きにしていた人々がざわめいた。
「おお、あの傷は」
「それじゃ、あのお人は――――」
 ヤムチャ之介は得意満面で高らかに笑った。
「はっはっは。天下御免のむこう傷――――そう、オレの名は人呼んで旗本退屈男、早乙女ヤムチャ之介だ」

「それがどうした」
 ベジー太は余裕の笑みを洩らす。彼の手が刀の柄にかかるのを見て、すかさずヤムチャ之介も抜刀した。二間の間を置いて、睨み合う二人。
 じりっじりっとヤムチャ之介が間合いを詰める。ゆっくりと円を描くように刀を頭上に構えるベジー太。満月の光が抜き身に反射して、彼の体に降り注ぐ。
 と、そのとたん、彼の体はおこりのようにぶるぶると震えだし、表面を剛毛で覆われながら、見る見る猿の姿へと変身を遂げつつ巨大化して行った。

 あっけにとられて見守るヤムチャ之介とブルマ太夫の目の前で、ベジー太の体は今や空を覆い隠すほどの大猿へと変身している。
 吉原の町に大猿の巨大な影が落ち、人々がその下を悲鳴を上げて逃げ惑った。ヤムチャ之介は口を開けたまま立ちつくし、その横で腰を抜かしたブルマ太夫が目をまんまるにして震えている。
「ベベベベベジー太……その姿はいったい……!?」
 満月に向かってちょんまげ頭の大猿が咆哮ほうこうする。やがて足元のヤムチャ之介を見下ろすと彼は不敵に言い放った。
「ふはははは。見たか。これがオレ様の満月殺法だ」
「は、反則だよな」
 敗北を予感し、ヤムチャ之介は呻いた。



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