〈宝引の辰捕者帳〉

泡坂妻夫




シリーズ紹介

 〈宝引の辰捕者帳〉は泡坂妻夫による初めての時代小説シリーズで、岡っ引き・“宝引の辰”を主人公とした捕者帳です。女房のお柳、娘のお景とともに神田千両町に住んでいる辰は、若い頃には飾り障子の組子の職人をしていたため手先が器用で、今では御用のかたわら宝引(福引きのようなもの、といえばいいでしょうか)の道具を作っていることから、“宝引の辰”と呼ばれるようになっています。鉤縄の名手で、凄腕の岡っ引きとして名が通っているようです。同心の能坂要の下で御用をつとめ、松吉・算治という二人の子分を抱えています。

 シリーズの特徴としては、すべての作品が一人称で語られている点が挙げられるでしょう。しかも、子分の松吉と算治が複数回登場している他は、すべて異なる語り手となっています(→「語り手一覧表」参照)。これによって、背景となる江戸の風物が幅広く紹介されるとともに、辰の人物像が様々な角度から浮き彫りにされています。

 なお、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、このシリーズは1995年にNHKでドラマ化されています(全21話)。私自身は残念ながら見る機会を逸してしまいましたが、「懐古庵」内の「テレビ『宝引の辰捕者帳』ストーリィガイド」にてその内容が紹介されています。これによると、もう一つの捕物帳シリーズである〈夢裡庵先生捕物帳〉からも一部のエピソード及び登場人物が流用されているようです。




作品紹介

 このシリーズは現在のところ、6冊の短編集が刊行されています。(このうち『鬼女の鱗』『朱房の鷹』が入手困難のようですが、)それぞれの作品には特につながりがないようなので、入手しやすいものから読んでいただいてかまわないでしょう。


鬼女の鱗  泡坂妻夫
 1988年発表 (文春文庫 あ13-6・入手困難ネタバレ感想

 不可能犯罪(一応)あり、人情話あり、さらに〈亜愛一郎シリーズ〉に通じるような作品もあって、バラエティに富んでいます。
 個人的ベストは、「鬼女の鱗」「辰巳菩薩」

「目吉の死人形」
 両国で大評判となっている、二代目目吉の生人形。それは、いまだに下手人が捕まっていない井筒屋お姚殺しを再現したものだった。お姚が一人残った現場の奥座敷からはずっと三味線の音が聞こえており、その間出入りした者はいなかったのだ……。
 不可能犯罪ではありますが、犯人がわかりやすいところがやや残念です。目吉の生人形を用いた解決場面の演出は非常に効果的です。

「柾木心中」
 娘のお景とともに釣りに出かけた辰だったが、魚ならぬ水死人を釣り上げてしまった。しかも、手首を手ぬぐいでしっかり結ばれた若い手代と老女の死体だったのだ。心中にしては奇妙な状況に、辰は事情を調べ始めるが……。
 若い男と老女の心中という状況は、やはり都筑道夫〈なめくじ長屋捕物さわぎ〉の「心中不忍池」『血みどろ砂絵』収録)を意識したものなのでしょうか。動機の意外性という点では、この作品の方に軍配が上がるでしょう。

「鬼女の鱗」
 丸に揚羽蝶と三つ鱗の比翼紋を腿に彫り込んだ男が殺された。かつて侍だった男は、十年前、若い腰元とともに彫物を入れられたのだ。同じ比翼紋の彫物を目当てに、女の行方を探す辰だったが……。
 作者お得意の家紋ネタですが、哀しく、また美しい作品に仕上がっています。映像が目に浮かぶようです。

「辰巳菩薩」
 安政の大地震で炎上した吉原から藤三が救い出した花魁・紅山は、気っ風のいい女だった。店の金に手を付けてしまい、死を決意した藤三の前に、五十両もの大金を差し出したのだ。藤三はその後懸命に働いて身を立て、紅山を身請けしようとしたのだが、なぜか紅山はそれを断るのだった。そして……。
 一応事件も起こりますが、こちらの謎はさほど重要ではありません。中心となるのは紅山の人となりであり、“なぜ苦界にとどまろうとするのか?”という謎です。紅山に対する藤三の思いが強く伝わってくる、非常に味わい深い作品です。

「伊万里の杯」
 雨上がりの朝、捕台寺の墓所で武家の奥方が死んでいるのが見つかった。書置もあり、白装束を身に着けて短刀で胸を突いたその様子からは、覚悟の自害と思われた。だが、死体のそばには奇妙な瀬戸物の欠片が……。
 表に現れる現象としては面白いのですが、真相がややわかりやすすぎます。話の展開上、仕方のないところでしょうけれど。

「江戸桜小紋」
 桜並木の中に一本だけ混じっていた“咲かず桜”。だが、若い男がその木で首を吊ったすぐ後に枯れてしまったという。しかもそれは自然に枯れたものではなく、何者かが細工をして枯らしたものだったのだ……。
 〈亜愛一郎シリーズ〉にも通じる奇妙な心理が描かれた作品です。序盤のさりげない伏線がよくできています。

「改三分定銀」
 草市の立った吉原。辰が追いかけた掏摸は、奪った財布を投げつけてその隙に逃げ去ってしまった。いつの間にか姿を消してしまった持ち主を捜すため、財布の中を改めてみると、「改三分」という文字が刻まれた見慣れない異国の銭・“めきしこだら”が入っていた……。
 辰本人が語り手となっている唯一の作品です。“めきしこだら”の由来は比較的早い段階で明らかになり、あとは財布の持ち主探しですが、これがなかなか一筋縄ではいきません。別の事件も絡んできて、複雑な展開になっています。

2001.05.31再読了  [泡坂妻夫]

自来也小町  泡坂妻夫
 1994年発表 (文藝春秋)ネタバレ感想

 前作「鬼女の鱗』よりもミステリ色が強まっているように思えます。個人的ベストは、「夜光亭の一夜」「自来也小町」

「自来也小町」
 矢型連斎という謎の画家が残した、何の変哲もない蛙の絵が、幸運を呼び寄せる吉祥画として人気を集め、何と百両もの値がつくようになった。ところが、この吉祥画が次々と盗まれ、現場には“自来也”の名が残されていたのだ……。
 手がかりとミスディレクションが非常によくできています。

「雪の大菊」
 大店の両替商の娘と、しがない足袋職人。許されぬ恋に身を焼き、ついには心中を決意した二人だったが、身投げしようと大川端までやってきた彼らを待っていたのは、冬の夜空に上がった時期はずれの花火だった……。
 夜空に上がる花火のイメージ、そして二つの恋の対比が鮮やかです。

「毒を食らわば」
 もめ事の手締めとして河豚鍋をつついた四人。全員が同じ鍋から食べたにもかかわらず、そのうちのただ一人だけが帰宅後に変死してしまった。河豚に当たったにしては様子がおかしく、辰は首をひねるが……。
 トリックの使い方が面白いと思います。上記「テレビ『宝引の辰捕者帳』ストーリィガイド」この作品の解説では、“トリックに科学的誤りがあり、およそ実行不可能”と書かれていますが、さてどうでしょうか。

「謡幽霊」
 江戸の町に姿を現した辻謡。そのみすぼらしい姿を見て子供が熱を出したことから、いつしか“謡幽霊”と呼ばれるようになったが、辰が探し始めた途端に姿を見せなくなってしまった。一方、将棋の賭博師が惨殺される事件が起こったのだが……。
 “謡幽霊”と事件とのかかわりがなかなか明らかにならず、全体を見通すことができません。ラストが何ともいえない余韻を残します。

「旅差道中」
 東海道を江戸へと下る道中。大事そうに脇差を抱えていた男が蜂に刺され、宿にたどり着いて急死してしまった。男は、帳場に預けた脇差を江戸まで届けてほしいと言い残したのだが、脇差を鞘から抜いてみると、中身は竹光に姿を変えていた……。
 役人の厳重な取り調べでも脇差が見つからないという状況に対して、実に意表を突いた真相です。ただし、実際に犯行を証明するのは難しいのではないかと思うのですが。

「夜光亭の一夜」
 美貌の女手妻師・夜光亭浮城が大評判となり、連日大入り満員の席亭「割菊」。あまりの客の入りに、二階の客席が抜け落ちるという椿事まで発生してしまった。ところがちょうどその時、主の多久兵衛が殺されていたのだ……。
 さりげない手がかりが秀逸な、本格ミステリ色の強い作品です。解決も鮮やか。

「忍び半弓」
 岡っ引・聖天の男十郎の目の前で、殺しが行われた。薬屋の番頭と店先で話し込んでいた男十郎だったが、ほんのちょっと目を離した隙に、番頭の胸にが突き立っていたのだ。だが近くには、など手にしている者は誰もいなかった……。
 “海象の親分”こと聖天の男十郎がいい味を出しています。「銭形平次」でいえば三ノ輪の万七といった役どころでしょう。この男十郎によって物語に動きが加えられている上に、一種のミスディレクションとしても機能しています。ぜひ再登場をお願いしたいところです。

2001.06.01再読了  [泡坂妻夫]

凧をみる武士  泡坂妻夫
 1995年発表 (文春文庫 あ13-10)ネタバレ感想

 NHKでのドラマ化に合わせて出版されたもので、「とんぼ玉異聞」「凧をみる武士」は書き下ろしです。ミステリ色はかなり薄くなっているように思います。個人的ベストは「雛の宵宮」

「とんぼ玉異聞」
 長年勤めた徒目付を突然改易され、失意のうちに亡くなった父。残されたのは、青く輝く奇妙なとんぼ玉――父の秘密を知るため、算治は辰とともにとんぼ玉の出所を探り始める。やがて明らかになったのは……。
 算治が辰と出会い、子分となる経緯を描いた作品です。謎解きとは関係ありませんが、最後の算治の台詞が気に入っています。

「雛の宵宮」
 雛祭りを控えて、美しく飾りつけられた雛人形。だがある朝、女雛と左大臣が雛壇の上に倒されているのが見つかった。そして、それに符合するように家中に不幸が起こる。おびえる家人を後目に、今度は女雛とともに五人囃子の笛方が……。
 本書の中で、最も謎解きの要素が強い作品です。誰が、何のために雛人形を倒すのかという謎自体も面白いと思いますし、その扱い方も秀逸です。

「幽霊大夫」
 無理心中に巻き込まれて亡くなった花魁の幽霊が出るという噂が立ち、閑古鳥が鳴き始めた紀の字屋。験直しの趣向として、死に装束を身に着けた花魁が弔い行列に見立てたお披露目の道中をすることになったのだが……。
 弔い行列に見立てた花魁道中という趣向は面白いと思いますが……。

「凧をみる武士」
 次々と武家屋敷で揚げられた大凧。その裏には、何と小判十枚が結びつけられていたのだ。だが、当の武家屋敷では、凧を揚げていたことをまったく認めようとしない。そうこうするうちに、事件は思わぬ方向へと転がっていく……。
 シリーズ中唯一の中編ですが、この長さが逆にあだとなっているように思えます。大がかりな企みではあるのですが、事件が次々と展開していく分、物語のポイントがはっきりしなくなっています。ただ、ラストは非常に印象的です。

2001.06.04再読了  [泡坂妻夫]

朱房の鷹  泡坂妻夫
 1999年発表 (文藝春秋・入手困難ネタバレ感想

 個人的ベストは「面影蛍」。次いで「墓磨きの怪」「にっころ河岸」でしょうか。

「朱房の鷹」
 川崎大師へ厄落としに出かけた辰一家だったが、将軍が寵愛する“お鷹様”を連れた鷹匠役人の一行と出会い、その傍若無人な振る舞いに辟易する。ところが、その“お鷹様”が何者かに殺されてしまい、辰が下手人を探す羽目に……。
 辰による事件の始末は強引ではありますが、うまい伏線もありますし、何より心情的には納得できるものです。

「笠秋草」
 紫染屋の内田屋では、このところ奇妙な事件が相次いでいた。誰もいない部屋の行灯に火がともったり、火鉢が勝手に火を吹いていたり……。しかもこの怪事は、若旦那の清太郎が出かけている時に限って起こっていたのだ……。
 トリックにはややあざとさが感じられますが、細かい伏線のつながりがうまくできています。ラストの辰の台詞には味があります。

「角平市松」
[角平市松]  一風変わった市松模様として、江戸で大流行している角平市松。だが、それを考案した職人・角平はすでに姿を消してしまっていた。一方その頃、川の中洲で首を切り離された奇妙な死体が見つかって……。
 作者自身のオリジナルと思われる角平市松は、右図のような模様です(本文66頁より;表紙にも使われています)。事件と直接関係があるわけではありませんが、作者の多才さが表れたユニークなものだと思います。

「この手かさね」
 まんまと大店の後家に婿入りし、急に羽振りがよくなった噺家が、吉原からの帰りに惨殺されてしまった。十五年前の事件と似ていることに気づいた辰は、この手かさねの帯を手がかりに謎を解く……。
 この作品はどうも後味が悪く、すっきりしません。被害者がなかなかの小悪党として描かれていることもありますし、過去の事件とのつながりもカタルシスが得られるようなものではありません。読むのが辛く感じられます。

「墓磨きの怪」
 江戸に突然出没し始めた“墓磨き”。墓を荒らすわけでもなく、ただひたすら古い墓石をきれいに磨き上げ、時には消えかかった戒名を書き直すことまでするという。何とも得体の知れない“墓磨き”だが、長二郎にはその人物の心当たりがあった……。
 “墓磨き”のユーモラスなキャラクターが印象に残ります。特にラストのエピソードには、思わず笑いがこぼれてしまいます。

「天狗飛び」
 大山詣りに出かけた辰一家。松吉がちょっとしたはずみで足を傷め、一行から脱落することになった。一行の先達をつとめる武蔵屋平八は、以前の旅のことを思い出し、語り始める。何と、一人の男が天狗にさらわれてしまったというのだ。話を聞いていた辰は……。
 辰が話を聞いただけで謎を解いてしまうという、安楽椅子探偵風の作品で、ユニークなホワイダニットといえるでしょう。ラストも印象的です。

「にっころ河岸」
 武家屋敷で酒を振る舞われ、親方とともにしこたま酔っぱらった勇次。知り合いを訪ねようとしたが、家を間違え、とんでもない光景を目にすることになった。得体の知れない人物が女の首を膝の上に載せ、その髪をくしけずっていたのだ。さらに嵐の夜、鎧武者が一瞬で姿を消すという怪異に出会った勇次は……。
 怪談仕立ての作品です。まず、冒頭で勇次が語る怪異譚が効果的です。これによって親方は勇次のことを“夢ばかり見ている人物”と思うわけで、そのことが“女の首”をめぐるユーモラスな掛け合いへとつながっています。さらに“消える鎧武者”もインパクトは十分ですし、その真相はよくできています。

「面影蛍」
 蛍見物にやってきた駿河屋弥平は、そこで出会った辰に昔の思い出を語り始める。それは、蛍にまつわる恋の物語だった……。
 シリーズ中、異色の作品です。まず、辰の台詞がまったく書かれておらず、全編が辰を聞き手とした弥平の語りになっています。また、謎解きはありません。弥平が語るのは、恋を成就させるために仕組んだ企みであり、いわば倒叙形式のようになっています。そして終盤は圧巻です。

 なお、本書はなかやまさんよりお譲りいただきました(著者サイン入り)。あらためて感謝いたします。

2001.06.06再読了  [泡坂妻夫]

鳥居の赤兵衛  泡坂妻夫
 2004年発表 (文藝春秋)ネタバレ感想

 個人的ベストは、「黒田狐」「雪見船」

「鳥居の赤兵衛」
 大盗賊の痛快な活躍を描いた続きものの読本『鳥居の赤兵衛』が巷で大人気となり、貸本屋でも常に順番待ちとなっていた。そんな中、急死してしまった貸本屋のもとから、なぜか『鳥居の赤兵衛』全巻だけが消え失せていたのだ。さらに……。
 二つの謎が絡んでいないところがやや残念ですが、真相はまずまず。

「優曇華の銭」
 お景が手にしていた銭独楽は、とんでもない値打物だった。元の持ち主はつましい暮らしの兄妹で、ひょんなことから銭独楽を手に入れたものの、値打ちを知らずにお景にくれたらしい。だが、辰がそれを返そうとしても、兄妹はなぜか受け取らない……。
 “なぜ?”はすぐにわかります(作者もわかるように書いていますし)が、“何のために?”がなかなか面白いと思います。

「黒田狐」
 とある侍の屋敷まで、迷子を引き取りにきてほしいと頼まれた辰。だが、辰が屋敷に着いてみると、そんな子供はいないという。どうやら、屋敷の奥にある稲荷の悪戯らしい。と、そこへ狐憑きの盗賊が現れて、辰と大立ち回りを演じる羽目になり……。
 真相はある程度見当がつくかと思いますが、なかなかよくできています。伏線が見事です。

「雪見船」
 講釈師・神田伯馬と紺屋の主・内田屋六郎次の喧嘩をおさめるため、雪見船が仕立てられた。だがその最中、一行は河岸での殺しに遭遇したのだ。下手人は定かでないまま、やがて事件を目撃した伯馬に異変が起こる。そして、さらに怪事が……。
 ごく普通の下手人探しかと思っていると、物語は予想外の方向へ転じます。特殊な知識に基づく真相ではありますが、非常によくできていると思います。

「駒込の馬」
 駒込は岩附道中。南の方から蹄の音も高く馬を駆ってきた男が、反対側からやってきた荷車とすれ違った瞬間、煙のように馬上から消失してしまったのだ。馬はそのまま駆け去っていき、残された荷車の中にも男はいなかった。一体どうやって……?
 消失のトリックは予想通りですが、ある手がかりと伏線には意表を突かれました。

「毒にも薬」
 履物店の大旦那が急死した。病気かとも思われたのだが、医者の見立ては毒によるもの。座敷に置かれた三つの土瓶のうち、二つには薬の名前が書かれていたが、残る一つ、“毒”と記された土瓶の中には、毒入りの酒が入っていたのだ……。
 発想は面白いのですが、決め手にはなっていないところが難点です。

「熊谷の馬」
 昔なじみに招かれて熊谷を訪れた辰と松吉だったが、早々に事件に巻き込まれてしまう。馬に乗って橋を渡ろうとした僧侶が、矢で射殺されてしまったのだ。近くの茶屋には弓を携えた侍がいたものの、矢は茶屋とは逆の方向から射られていた……。
 題名は似ていますが「駒込の馬」とは無関係です。これも特殊な知識を必要とするものの、解決は鮮やか。ただし、やや無理があるように思えるところもあります。

「十二月十四日」
 花屋の蔵の奥から見つかった古い掛け軸。若旦那の庚太郎が骨董屋に持ち込んでみると、どうやらとんでもない大人物が書いたものらしい。だが、その後なぜか庚太郎と仲間たちは奇妙な振る舞いを見せ始める。それは掛け軸の祟りなのか……?
 読者に対してはかなりわかりやすく書かれています。そのため、ダミーの真相がやや強引に感じられてしまうのですが、語り手の立場に立てば仕方ないところでしょうか。

2004.08.16読了  [泡坂妻夫]

織姫かえる  泡坂妻夫
 2008年発表 (文藝春秋)ネタバレ感想

 全般的にミステリ色は薄くなり、冒頭の“日常の謎”的な出来事と“捕者”との意外な絡みに重点が置かれているように感じられます。
 個人的ベストは、「消えた百両」「五ん兵衛船」

「消えた百両」
 社殿に向かって熱心に手を合わせる娘。松吉が話を聞くと、兄が悪い仲間に引き込まれ、娘が奉公する店に押し入ろうとしているのだという。辰とともに店で待ち構え、一味が百両を奪ったところを捕らえたのだが、肝心の百両が消え失せてしまい……。
 消失トリックとその伏線がよくできていると思いますが、最も印象に残るのは別の部分です。

「願かけて」
 吉原からの朝帰り、かつて苦い思いをさせられた盗賊・玉子の黄兵衛を見かけた松吉は、あわててその後を追いかけるが、どこに逃げ場もない一本道で姿を見失い、向こうからやってきた年寄りと小僧の二人連れは誰とも出会わなかったという……。
 この時代ならでは(?)ともいえる、何とも牧歌的でぬけぬけとした消失トリックに思わず苦笑。

「織姫かえる」
 七夕を前にして、手習の師匠・白丈先生の女房おみねが姿を消してしまった。若い男と手を取り合っているのを見たという者もあったが、白丈先生はあくまで平然と、笹竹に吊るす短冊に「織姫の雲の迷いをいかんせん」と記すのみ。はたして……?
 謎が今ひとつはっきりしないまま物語が進んでいきますが、最後に意外なところから現れてくる“仕掛け”が印象的。

「焼野の灰兵衛」
 手習の師匠・玄明先生が手に入れたという、牡丹の花が彫られた硯と、対になった唐獅子の墨。松吉が借りてきたその墨の秘密をたちどころに見抜いた辰だったが、その出所に興味を抱いて調べを進めるうちに、盗賊・焼野の灰兵衛へと行き着いて……。
 いかにも泡坂妻夫好みの仕掛けが面白いところですが、その後は一本道の展開で、物足りなさが残るのは否めません。

「千両の一失」
 容赦ない取り立てで“塩婆あ”と呼ばれる女高利貸しが殺害された。借用書が持ち去られていたことで借りた金を返せない客が疑われる中、箪笥の中に残されていた帳面の記録から、百両を借りたままの薬種問屋跡取りが浮かび上がり……。
 題名はうまいと思えるものの、物語としてはやや面白味を欠いている感があります――皮肉な結末は印象に残りますが。

「菜の花や」
 市の古道具屋で、「菜の花や蛙東に水の音」という奇妙な句が添えられた松竹梅の屏風を買った松吉。かつて吉原岡本屋の錦泉の座敷に飾られていたものだが、その頃には句は書かれていなかった。早速岡本屋で錦泉の消息を尋ねてみると……。
 何といっても、松尾芭蕉と与謝蕪村の有名な作品が入り混じった奇妙な句が傑作です。“捕者”ではありませんが、辰の“解決”もまた見事。

「蟹と河童」
 花沢屋のご隠居のもとで働く千吉という男、顔が蟹のように幅広で、頭は河童にそっくり。この“蟹河童”には、ときどき並の人が思いつかないようなことをするという不思議な癖があり、これまでに何度も周囲の人々を困惑させてきたのだが……。
 “蟹河童”こと千吉にまつわるエピソードをつなぎ合わせたような、何ともあらすじの書きにくい作品。“捕者”もいつの間にか終わってしまい、不思議に思っていると……。

「五ん兵衛船」
 屋形船に乗っていた上総屋茂兵衛が、顔を真っ赤にして苦しげに立ち上がり、そのまま川に転落して浮かんでこなかった。どうやら一服盛られたらしいのだが、同乗していた客たちは全員が、殺してもおかしくないほど茂兵衛を恨んでいたという……。
 “ある趣向”(←ミステリ的なものではありません)がいかにもこの時代らしく感じられます。辰の逆説的な推理もなかなか面白いと思います。

「山王の猿」
 溜池から引き上げられた男の死体。財布の中にあった質札から身元を探ろうとする松吉だったが、質屋で尋ねてみるとその男は“宝引の辰”と名乗ったという。そして質種は、箱がなくむき出しの志野焼の茶碗という、いかにも盗品らしいものだった……。
 「焼野の灰兵衛」と似たような展開かと思いきや、途中でまったく予期せぬところを経由するのが意表を突いています。

「だらだら祭」
 美しい看板娘が評判の水茶屋に大勢の客が詰めかける中、掏摸の疑いで追われてきたならず者が、着物を脱ぎ捨てて体を調べさせているうちに、不意に倒れてそのまま急死してしまう。その胸にはいつの間にか、吹矢が突き刺さっていたのだ……。
 謎は魅力的ですが、トリックと真相はやや物足りなく感じられてしまいます。

2008.09.03読了  [泡坂妻夫]


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