ミステリ&SF感想vol.110 |
2005.08.14 |
『緑は危険』 『砂漠の惑星』 『未明の悪夢』 『宇宙気流』 『とむらい機関車』 |
緑は危険 Green for Danger クリスチアナ・ブランド | |
1944年発表 (中村保男訳 ハヤカワ文庫HM57-1) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 『ジェゼベルの死』や『はなれわざ』と並ぶ、C.ブランドの代表的な長編の一つ。個人的には、それらの作品よりもブランドらしさが強く出ているように思われて、一番気に入った作品です。
舞台となる戦時下の病院の描写にはブランド自身の体験が生かされているらしく(デビュー作『ハイヒールの死』もそうだったようですね)、次から次へと運び込まれてくる負傷者たちを(表現は悪いですが)片っ端からさばいていくスタッフの手際が生々しく描かれていますし、近くに爆弾が落ちても看護婦たちが平然としている様子も妙にリアルに感じられます。そしてその中で、様々な思惑が交錯する入り組んだ人間関係が展開されているあたりはブランドらしいというべきか。事件によって生じる疑心暗鬼もそうですが、物語の終盤、容疑者たちが一堂に会する場面の異様な緊張感などはたまらないものがあります。 事件は、手術中の医療事故ともとれる一風変わった形で幕を開けますが、殺人であるとすれば“どうやったのか”(ハウダニット)、そしてもちろん“誰がやったのか”(フーダニット)、さらには“なぜやったのか”(ホワイダニット)という三拍子揃った謎になっています。また第二の事件も、“なぜ手術衣を着ていたのか”・“なぜ二度も刺されたのか”という魅力的な謎を含んでいます。 病院内がてんてこ舞いの状態であることもあって、謎解きの糸口となる容疑者たちの配置と動きが非常に複雑になっているため、ややもすると読みにくく感じられる部分もありますが、これは致し方ないところでしょうか。細かな伏線や、非常に巧みなミスディレクションが全編にばらまかれ、シンプルなトリックながら真相は実に巧妙に隠されています。また、解決よりも前の場面にさりげなく “犯人は(中略)口ばしった”(261頁)という文章を紛れ込ませる趣向(*)には、思わずニヤリとさせられます。 解決場面の演出の見事さは特筆ものですし、事件の幕切れの皮肉も印象に残りますが、物語の結末に漂う底意地の悪さこそがブランドの真骨頂といえるようにも思います。傑作です。 2005.07.28読了 [クリスチアナ・ブランド] |
砂漠の惑星 Niezwyciezony スタニスワフ・レム |
1964年発表 (飯田規和訳 ハヤカワ文庫SF273・入手困難) |
[紹介] [感想] 人類と未知の異星人との接触、すなわちファーストコンタクトを扱ったSFは多々ありますが、多くの作品では異質な存在を少しずつ理解していくところに興味の中心が置かれているために、異星人の異質さが何とか理解可能な程度にとどまっている感があります。コンタクトの結果が幸福であるにせよ不幸であるにせよ、コンタクトそのものは楽天的に扱われている、といえばいいでしょうか(もちろんこれはこれで面白いのですが)。
これに対してS.レムは、『エデン』、『ソラリスの陽のもとに』、そして本書からなる三部作において、ほとんど理解不能なほど極端に異質な存在を描き出しています。本書に登場する“黒雲”も、敵意をもって攻撃してくるというわけではなく、単に異物を排除しようとしている印象。その正体は中盤でほぼ明らかにされますが(少々もったいないところです)、人類と共通するところは見当たらず、意志の疎通など不可能という感じです。このような、理解不能な存在と対峙しなければならない状況に追い込まれた人間の心理が、実に克明に描かれています。 とはいえ本書は、レムの作品としては驚くほどストレートなSFとして読むことも可能です。砂漠の惑星の特異な生態系が生じた過程は、J.P.ホーガン『造物主の掟』のプロローグに匹敵するユニークな進化SFとなっていますし、その異質な世界の中で〈無敵号〉が“黒雲”と死闘を繰り広げる展開は、冒険SFとして読みごたえがあります。重厚なテーマを扱いながらも取っつきやすい、レムの入門書としておすすめの作品です。 なお、巻末の「訳者あとがき」は本書の内容の大部分に触れているので、本文より先に読まない方がいいでしょう。 2005.07.31読了 [スタニスワフ・レム] |
未明の悪夢 谺 健二 | |
1997年発表 (東京創元社) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 一貫して神戸を舞台にしたミステリを発表し続けている作者の、第8回鮎川哲也賞を受賞したデビュー作で、阪神大震災が扱われています。むしろ、阪神大震災こそが主役の作品といった方が適切かもしれません。
本書は、「それまで」・「そのとき」・「それから」と題された三部から構成されており、震災を境に激変した人々の人生が描かれています。 まず、震災及び殺人事件に至るまでを描いた「それまで」は、(この時点では)相互のつながりが薄い人物たちが入れ替わり立ち替わり登場するためにやや読みにくく感じられるきらいはありますが、名前の代わりに “**”と表記された殺人犯も含めて、それぞれの人生がしっかりと浮き彫りにされています。また、前途に待ち受ける「そのとき」へと向けて少しずつ刻まれる日時が、登場人物たちの日常の背後に暗い影を落としていくところが、物語としては効果的です。 そして、大地震が襲い来る「そのとき」の様子は、体験者ならではの迫真の描写(不謹慎な表現かもしれませんが)だと思いますし、「それから」の後の混乱と窮乏は切実に伝わってきます。それだけに、復興に向けた人々の思いと苦闘には、胸を打たれます。 震災の最中の殺人事件という状況は、笠井潔の理論に通じる“大量死に対する特権的な死”を描き出そうとしているようにみえます。作中に、 “ある朝突然、五千人も人が死んだ街で、たった三、四人の生き死ににこだわることが、一体どれほどの意味を持っているというのだろう”と、また “こんな時だからこそ、わずか数人の生き死ににこだわる意味があるのだ”(いずれも226頁)と書かれていることも、これを裏付けているように思えます。しかし、作者が震災による死者よりも殺された被害者たちの方に重きを置いている節はありませんし、結末で浮かび上がってくるのは生死を隔てるものの不条理さともいうべきものです。本書における事件の謎解きは、無数の死者の中で被害者の死を特権的に描き出すのではなく、殺人事件がきちんと解明される日常への復帰の試みととらえるべきではないでしょうか。 しかし残念ながら、ミステリとしては力不足の感が否めません。死体の消失にせよ“磔殺人”にせよ目に見える現象としてはインパクトがあるものの、犯人の正体も含めて真相はかなり見え見えで、“謎”であるべきものが“謎”になり得ていないという印象を受けます。見方によっては、森博嗣(『笑わない数学者』など)がいうところの“逆トリック”に似たところがあるようにも思えるのですが、いずれにしても弱点であることには違いありません。 結局のところ、ミステリとしては震災に寄りかかりすぎ、また震災小説としてはミステリ部分が浮いてしまっている感のある、中途半端な印象の作品です。しかしそれでもなお、読者に訴えかけるパワーを備えた物語であることは間違いないでしょう。 2005.08.02読了 [谺 健二] | |
【関連】 『恋霊館事件』 『赫い月照』 |
宇宙気流 The Currents of Space アイザック・アシモフ |
1952年発表 (平井イサク訳 ハヤカワ文庫SF247) |
[紹介] [感想] I.アシモフといえば未来史〈ファウンデーション・シリーズ〉が有名ですが、本書はその〈ファウンデーション・シリーズ〉へとつながる初期長編の一つです。トランター帝国と辺境の惑星の対立という構図がすでに描かれていますし、「司政官」や「図書館員」といった章題は『ファウンデーション』を思い起こさせます。
物語はアシモフの得意とするミステリ仕立てで、“記憶喪失サスペンスSF”といったところでしょうか。記憶を失った主人公・リックが自分の素性と記憶を取り戻そうとして悪戦苦闘する展開は、記憶喪失サスペンスの王道といえますし、さらにリックの記憶を奪った人物を探すフーダニット的な要素もあります。ただし、気をつけて読めば真相を見抜くのはさほど難しくはないので、本格的なSFミステリを期待すると拍子抜けしてしまうかもしれませんが。 本書の最大の見どころは、フロリナを支配するサーク人貴族、密かにサーク人を憎むフロリナ人のテレンス司政官、そしてフロリナが生み出す富を狙うトランター帝国の三者が繰り広げるリックの争奪戦でしょう。リックの行動は、フロリナ消滅の秘密と絡んでスケールの大きな事件へと発展するのです。そして物語終盤、関係者が一堂に会して事件を解決しようとする場面は非常にスリリングです。 事件が決着した後、エピローグで語られるフロリナ人の運命が、物語をより印象深いものにしています。アシモフの未来史の中ではあまり目立ちませんが、なかなかよくできた作品だと思います。 2005.08.04再読了 [アイザック・アシモフ] |
とむらい機関車 大阪圭吉 | |
2001年刊 (創元推理文庫437-01) | ネタバレ感想 |
[紹介と感想]
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