タイム・トラベラー 時間SFコレクション
[紹介と感想]
新潮社がSFに力を入れていた頃(*1)、〈宇宙SFコレクション〉と題された『スペースマン』・『スターシップ』に続いて刊行された、時間テーマSFの短編を集めた日本独自のアンソロジーです。
編者の一人である浅倉久志氏の解説にも“これまでの時間SFの主流を占めているタイム・パラドックス物をなるべく減らして、そのぶん、時間SFの境界線いっぱいまで視野をひろげ、バラエティに富んだ作品を集めよう”
と記されているように、ストレートなタイムトラベル/タイムパラドックスものが少なくなっているのが目を引きます。
個人的ベストは、「しばし天の祝福より遠ざかり……」、「逆行する時間」、「わが内なる廃墟の断章」あたりでしょうか。
- 「しばし天の祝福より遠ざかり……」 Absent Thee from Felicity Awhile... ソムトウ・スチャリトクル
- “ぼく”が脇役として出演している『ハムレット』の舞台がクライマックスにさしかかった時、突如来訪した異星人が、太陽系を時間の輪{タイム・ループ}にとらえたと宣言する。かくしてぼくたちは、異星人の子供たちの観察実習のために、同じ一日を際限なく繰り返すことになってしまったのだ……。
- 怪作という評判の『スターシップと俳句』(ハヤカワ文庫SF)で名高い作者による時間ループもの。強制的に同じ一日を繰り返すことになる人々ですが、毎日
“二時間は休憩”
(13頁)というあたりのセンスが何ともいえません。そして、前向きな結末が印象に残ります。
- 「時間層の中の針」 Needle in a Timestack ロバート・シルヴァーバーグ
- ミカルスンは、またしてもトミー・ハンブルトンに過去を修正されたことに気づいた。ミカルスンの妻ジャニーヌの元夫であるトミーは、二人の結婚生活を破壊して彼女を取り戻そうと、これまでに何度も時間層転移を起こしていたのだ。今までは何とか乗り切ってきた二人だったが……。
- 過去の改変をテーマとした作品。鏡明『不確定世界の探偵物語』ほどではありませんが、改変が頻繁に起こるために登場人物たちが慣れっこになっているところが面白く感じられます。ただ、どうしても結末が見えてしまうのが難点といえば難点。
- 「遙かなる賭け」 The Long Chance チャールズ・シェフィールド
- 難病を患う妻のアナを救おうとしたドレイクは、未来の医療技術の進歩に賭けることにした。まず、死を目前にしたアナに冷凍睡眠の処置を施し、数年間準備を整えた後に自分も冷凍睡眠の処置を受けたのだ――そして360年が過ぎ、冷凍睡眠から目覚めたドレイクが直面したのは……。
- 時間旅行ものの一種といえなくもないのですが、ひたすら未来へと突き進んでいくだけである点で、一般的な時間旅行ものとは一線を画しています(*2)。冷凍睡眠の前に主人公がしっかりと(主に金銭的な)準備を整えているところが、この種の作品ではかなり珍しいと思います。しかし、最後はこれでいいのでしょうか(*3)。
- 「ミラーグラスのモーツァルト」 Mozart in Mirrorshades ブルース・スターリング&ルイス・シャイナー
- 多時間企業が資源の収奪を行っている18世紀のザルツブルグ。プラントの管理のために未来から送り込まれたライスは、片手にばかでかいラジカセをぶら下げて交響曲第40番ト短調のテープを鳴らしている若者と出会う。それは、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトその人だった……。
- スターリングによるサイバーパンク・アンソロジー『ミラーシェード』(ハヤカワ文庫SF)にも収録された作品ですが、舞台が過去であるせいか、サイバーパンクよりもスチームパンクといった雰囲気になっています。いずれにしても、大胆な歴史の改変をものともしない物語は、やはり“パンク”としかいいようがありません。
- 「ここがウィネトカならきみはジュディ」 If This Is Winnetoka, You Must Be Judy F.M.バズビイ
- ベッドで目覚めたラリイは、まず部屋の様子を確認した。ボストンじゃない。間違いなくウィネトカだ。となれば、自分は35歳くらいのはず。しかし、一緒に暮らしているのはジュディか、それともダーリーンか?――ランダムな順序で細切れに奇妙な人生を送ってきたラリイに、やがて転機が訪れ……。
- 後に収録されているフィリップ・ホセ・ファーマー「わが内なる廃墟の断章」と同様に、主観時間と客観時間のずれを扱った作品ですが、こちらは主人公ただ一人、しかもランダムな順序の不連続な人生ということで、かなり難しい状況です。しかし、そこからユニークなラブストーリーが展開されるところに作者の手腕が感じられます。
- 「若くならない男」 The Man Who Never Grew Young フリッツ・ライバー
- わたしはじっとナイルを見つめる。数多くの文明が消え去っていくのを見守ってきたわたしは、今またエジプトの巨石文明が消え失せるのを目の当たりにしようとしていたのだ……。
- 淡々とした語り口で時間の流れを描いた、味わい深い掌編。オチも何もありませんが、独特の静謐な雰囲気が強く印象に残ります。
- 「カッサンドラ」 Cassandra C.J.チェリイ
- クレイジー・エイリス。彼女の周りに存在するのは亡霊ばかり。彼女の目には、火事で焼け落ちて廃墟となる街の姿が映っていた。そんな中、亡霊でない人物を見つけ出した彼女は……。
- さらっと読むとどこが時間ものなのかわかりにくい作品ですが、フリッツ・ライバー「若くならない男」と同様に周囲の時間の流れから切り離された人物が主人公となっています。ギリシャ神話の予言者であるカッサンドラになぞらえられているのが秀逸。
- 「時間の罠」 Time Trap チャールズ・L・ハーネス
- 悪辣な州総督に対して密かに暗殺が計画され、トロイ少佐が妻とともに実行に臨むことになった。しかし暗殺は失敗し、捕らえられて裁判にかけられるトロイ少佐に対して、抵抗運動の一味であるプール弁護士が奇妙な弁護を展開する。やがて、驚くべき事実を知らされたトロイ少佐は……。
- これも時間ものであることを思わず忘れそうになる一篇。1940年代に書かれただけあってどことなく古びて感じられるのは否めませんが、逆にクラシックSFらしい雰囲気が楽しめるともいえます。
- 「アイ・シー・ユー」 I See You デーモン・ナイト
- 新しい映像増倍装置を開発していたスミスは、それが予期せぬ効果を生じているのに気づいた。装置は過去の映像をとらえていたのだ。誰にも知られぬよう密かに装置の改良を重ねたスミスは、ついに任意の日時と場所の映像を装置に映し出すことに成功する。スミスはその装置を……。
- 過去の“のぞき見”を可能にする装置の発明を扱った作品ですが、発明者の徹底した秘密主義が非常に興味深いところです。自身がいずれ世に出す装置の効果をよく理解している、というべきでしょうか。結末も印象的。
- 「逆行する時間」 Redeem the Time デイヴィッド・レイク
- アンブローズは、ひそかに開発したタイムマシンを中古のフォルクスワーゲンに組み込んだ。過去へのタイムトラベルは論理的に不可能だが、世界が終末戦争に向かいつつあるこの1984年から、未来へ逃れることは可能だった。だが、アンブローズが到着した2100年、未来の世界は……。
- 本書の中では珍しく、タイムトラベルをテーマとした作品。しかしその中身はものすごい変化球で、あまりにも皮肉な展開に笑いを禁じ得ません。傑作です。
- 「太古の殻にくるまれて」 Incased in Ancient Rind R.A.ラファティ
- 会食の席で、際限なく進む大気汚染と人々の不妊を嘆いていた面々は、100年後の再会を約束する。そして100年後、大気汚染は地球と人々の姿をすっかり変えてしまっていた。約束どおり無事に集まった面々は、ひとしきり歓談した後、さらに100年後の再会を約束するのだが……。
- とてつもない奇想をもとにした奥の深いホラ話といった感じの、いかにもラファティらしい作品です。短編集『つぎの岩につづく』(ハヤカワ文庫SF)にも収録されています。
- 「わが内なる廃墟の断章」 Sketches Among the Ruins of My Mind フィリップ・ホセ・ファーマー
- 謎の天体が地球に接近中というニュースが報じられたその日、全人類が過去四日間の記憶を失った。次の日にはさらに過去四日間の記憶を、そして次の日も……。懸命に日々の記録を残そうとする努力もむなしく、記憶を失っていく人々の意識はどこまでも過去へとさかのぼっていき……。
- 『スター・トレック』にもかかわっていたというファーマーが、そちら向けの没アイデアを再利用したという作品。このアイデアを『スター・トレック』にどう使うつもりだったのかはよくわかりませんが、記憶の消失による主観時間と客観時間のずれが面白いところです。しかし、それがエスカレートしていくと大変な事態に……。
- 「バビロンの記憶」 We Remember Babylon イアン・ワトスン
- アリゾナ砂漠の真ん中に建設された古代都市バビロン。それは観光客向けのテーマパークなどではなく、文明の未来を探るために忠実に再現された完全な古代都市だった。今、そこを訪れようとしているわたしとデボラは、これからバビロン市民としての生活を送ることになるのだ……。
- 短編集『スロー・バード』(ハヤカワ文庫SF)にも収録されている作品。現代に再現された古代都市での生活の様子は、時に哲学的に、また時に倒錯的に感じられる不思議な味わいがあります。
“時は流れる。しかしもはやどちらの方向に流れているのか、わたしにはわからない。”
(465頁)という文章が印象的です。
*2: 同様の設定のラリイ・ニーヴン『時間外世界』の感想では“浦島太郎”になぞらえてみましたが、“浦島太郎もの”といってしまうといわゆる“ウラシマ効果”と紛らわしくなってしまいますし……。
*3: もちろん、他にどうしようもないのは理解できるのですが。
2007.10.24読了
『クロック城』殺人事件
[紹介]
巨大な太陽黒点が引き起こした磁気嵐と地磁気の異常を受けて、世界が終末を目前にした1999年9月。ひっそりと探偵を営む南深騎とパートナー・志乃美菜美のもとに、黒鴣瑠華と名乗る少女が現れる。彼女が住む『クロック城』に出没する怪異の謎を調べてほしいというのだ。その『クロック城』は、三つの館が一つにつながった構造で、正面の外壁には十分前・現在・十分後の時刻を示す三つの大時計が取り付けられていた。瑠華に案内されて深騎と菜美が『クロック城』を訪れるやいなや、奇怪な連続殺人の幕が上がり、首なし死体が次々と……。
[注意]
本書では、トリックの解明場面に図版が使われています。文庫版をお読みの方は、いたずらに頁をめくってしまわないようご注意下さい。
[感想]
第24回メフィスト賞を受賞した、北山猛邦のデビュー作。いきなり“世界の終末”が間近に迫っていることが説明され、〈ゲシュタルトの欠片〉なる幽霊らしき存在が出没し、それをボウガンで消滅させていく探偵のもとに『クロック城』から少女が訪れたかと思えば、その少女を〈真夜中の鍵〉とみなして狩ろうとする集団“SEEM”が現れ――と、序盤だけで何だか満腹になってしまうような設定が盛り込まれています。
その後も、“十一人委員会”だの“ドール家の遺伝子”だの〈インサイド〉だの様々な設定やガジェットが登場するのですが、その大半が主に雰囲気作りのためだけに導入されたように思えてしまうのが残念。実際のところは必ずしもそうでもないのですが、総じて説明/掘り下げが不足したまま終わってしまうので、いかにも“浅い”という印象を与えてしまうのは否めません。それでも、次の『『瑠璃城』殺人事件』にも通じる幻想小説的な雰囲気は、それなりの魅力を備えているようにも思われます。
本書の眼目ともいえるメイントリックについては、残念ながらあまり評価できません。発想には十分に見るべきところがあると思うのですが、やはり真相がかなり見えやすくなっているのが大きな難点です。このトリックについては、解説の有栖川有栖氏も“この作品には大胆な物理的トリックが登場し”
(410頁)と記しているのですが、少なくとも本書に関しては“物理トリック云々”と喧伝されることは決して幸福なことではないように思います(*)。
本書のミステリとしての見どころはむしろ、そのメイントリックが解き明かされた後の怒涛の展開でしょう。思いもよらない真相が次から次へと暴露され、“誰が真の探偵役なのか?”も含めて“解決”の不安定さがスリリングな謎解きを演出しています。そして、最後の最後に明らかにされる真相は、これ以上ないほど奇抜にして凄絶。前述のようにメイントリックには難があるものの、読後は大いに満足させられました。好みの分かれるところはあるかもしれませんが、やはりよくできた作品であると思います。
2007.10.28読了 [北山猛邦]
死者の靴 Dead Man's Shoes
[紹介]
風光明媚な地方都市・キャルベイの海から、地元の居酒屋で働く少年の死体があがった。少年は、州警察のユーヴデイル警部と密会しているのを目撃された後、行方がわからなくなっていたのだ。警察に容疑をかけられた居酒屋の主人から依頼を受けて、弁護士ジョシュア・クランクは死因審問に出席し、狙い通りの評決に持ち込むことに成功する。だが、クランクはなぜかその後もキャルベイの動静から目を離さない。やがて、キャルベイでは再び不審な事件が起こり……。
[感想]
『フォーチュン氏の事件簿』(創元推理文庫)や『フォーチュン氏を呼べ』など、レジナルド(レジー)・フォーチュン氏を探偵役としたシリーズで知られる作者の、もう一人のシリーズ探偵である弁護士ジョシュア・クランクが登場する作品です。フォーチュン氏が比較的オーソドックスな名探偵であるのに対して、クランク氏の方は必ずしも真実を暴くことを目的としていないなどかなり型破りな探偵役となっています。
本書でも、どこかうさんくさい雰囲気の漂う依頼人のために、死因審問を引っかき回してあいまいな評決を引き出すところから始まり、その後もなぜか助手を現地に送り込んで長きにわたって事情を探らせるなど、とらえどころのない活動を続けます。その間、一貫して“無残な死を遂げた不幸な少年のために”といった言葉を口にし続けるのですが、その真意が奈辺にあるのかつかめないまま物語は進んでいきます。
事件の方も、今ひとつはっきりしないものになっています。本書の発端から結末に至る一年余りの間、海辺の小都市・キャルベイ市を舞台に様々な人々が複雑な人間模様を展開した結果、物語も終盤になってようやく事件の様相が見えてくる有様で、決して退屈させられるわけではないのですが、かなり気の長い方以外にはおすすめし難いところがあります。
最後に示される真相は、まずまずといったところ。むしろ、それによって鮮やかに浮かび上がってくるある人物の真の姿が、何より強い印象を残します。そして、すべての狙いを達成して満足げな結末のクランク氏の姿も。というわけで、謎解きそのものではなく、それを通じて人間を浮き彫りにすることに重点を置いたミステリとして、なかなかよくできた作品といえるのではないでしょうか。
神のロジック 人間{ひと}のマジック
[紹介]
11歳のぼく――マモル・ミコガミ――は、荒野の真ん中にぽつんと建設された〈学校{ファシリティ}〉で、他の五人の生徒たち――唯一日本語を話せるフランス生まれのステラ、車椅子に乗った“詩人”ケネス、きりっとした長身にプラチナブロンドの“妃殿下”ケイト、いつも彼女にべったりと付き従う“けらい”ビル、そして誰ともほどよい距離を保つ“ちゅうりつ”ハワード――と共同生活を送っていた。他に〈学校〉にいるのは、“校長先生”シウォード博士と“寮長”ミスタ・パーキンス、食事など生徒たちの世話をするミズ・コットンだけ。そんな特殊な環境で、毎日風変わりな授業を受けていたぼくたちのもとに、新入生がやってくることになったのだが、他の生徒たちは、そのせいで〈学校〉に棲む“邪悪なモノ”が目を覚ますのだという……。
[感想]
西澤保彦が本格ミステリ・マスターズのために書き下ろした本書は、傑作『人格転移の殺人』に通じるところのある、アメリカ(らしき海外)を舞台に風変わりなクローズドサークル内での事件を描いた作品となっています。登場人物も語り手の“ぼく”以外は日本人ではありませんが、舞台が曲がりなりにも“学校”であることで多少なりとも万国共通な雰囲気があり、それほど取っつきにくいものには感じられません。
特に、“学校”としては少人数であることもあってか、生徒たち自身がパワーバランスのようなものを重視している節があり(*1)、結果として生徒たち個人の対人スキルとそこにつながる性格がクローズアップされ、登場人物の大半が日本人でないこともほとんど気にならなくなっています。
しかしその一方で、この〈学校〉という舞台の“学校”としての異様さが、やはり目を引きます。外部に対する閉鎖性、生徒の人数の少なさ、そして独特の“授業”――これらの異様さは当然ながら読者の興味を引きますが、当の生徒たち自身もそこに疑念を抱き、様々にディスカッション――いかにも西澤保彦らしい――を繰り広げるところが非常に面白く感じられます。
その〈学校〉が、新入生の登場を機に“動揺”がもたらされることでホラー/ファンタジー的ともいえる舞台へと姿を変え、やがて堰を切ったかのように惨劇が始まります。クローズドサークル内での連続殺人のサスペンスに加えて、事件の動機がまったく予想もつかないことによるホラー的な恐怖が、物語を非常にスリリングなものにしているところが秀逸です。
そして明かされる真相の衝撃は……とある理由(*2)でやや減じてしまったのが残念ではありますが、すべてを崩壊させてしまうその破壊力は実に強烈です。さらに、その後に待ち受ける何とも切ない結末が絶品。不幸な事情(*2を参照)のせいもあってか、さほど評価されていないような印象も受けるのですが、これは必読の傑作です。
2007.11.04読了 [西澤保彦]
風果つる館の殺人
[紹介]
北アイルランドの辺境、鉱山王クリストファー・ケリイと妻のイングリット、そしてクリストファーとの間に三つ子の娘をもうけた愛人イヴォンヌが同居していた『風果つる館』で、事件は起きた。中庭にある迷路の中で、イヴォンヌが頚動脈を切り裂かれて死んだのだ。だが、死体の周囲には凶器も、犯人らしき人物の足跡も見当たらなかった……。
……それから四十年近くが過ぎ、館の女主人であるイングリットが息を引き取った。イヴォンヌの長女クローディアの養女であるメアリーも、恋人のパトリック・スミスに付き添われ、イングリットの葬儀に出席するために数年ぶりに『風果つる館』に戻ってきた。だが、莫大な財産の行方を定める遺言状が、一族に新たな惨劇を引き起こす……。
[感想]
ジョン・ディクスン・カーのアンリ・バンコランものを下敷きにした、シャルル・ベルトラン予審判事が謎解き役をつとめるシリーズの第三弾。また、「あとがき――あるいは好事家のためのノート」に記されているように、横溝正史『犬神家の一族』へのオマージュ的な作品でもあります。
まず、最初の章である「ある鉱山王一族の歴史」において、舞台となる『風果つる館』とそこに住む大富豪一族の歴史が説明されていますが、奇怪な妻妾同居生活から迷路で起きた惨劇、そして現代の事件の発端となる女主人の臨終に至るまで、正直この章だけで満腹感のようなものを覚えてしまうほどの“コテコテ”ぶり。そしてそこから始まる物語は、前述のように『犬神家の一族』をベースにしたプロットに、得意の不可能犯罪を組み合わせたものになっています。
個々の事件については、真相の一部がやや見えやすくなっているところもあり、不可能犯罪ものとしてもそれほど感心できるものではありません。しかし、事件全体でみるとよく工夫されていると感じさせられる部分があり、特にフーダニットとしてはなかなか面白いものになっているのではないかと思います。また、事件の真相とともに明らかにされる犯人の特異なパーソナリティも印象的です。ただし、ベルトランによる解決の手順や説明には、少々疑問が残る部分があります。
もう一つ残念なのは、小説としていかがなものかと思われるような描写が散見されるところです。例えば350頁~378頁あたりでは、ある人物が地元の警察署長に対して重大な告白を行っているのですが、その場に(語り手であるがゆえに仕方ないとはいえ)パトリック・スミス(パット)が同席しているのは、立場上どう考えてもおかしいでしょう(*1)。また別の場面では、パットがある人物に“貴方からベルトランさんに頼んで”
(462頁)と声をかけられるあたりから、その場にいるはずのベルトランを無視したままのやり取りが展開されています(*2)。プロットの都合による部分もあるかと思うのですが、もう少し何とかしてほしかったところです。
2007.11.08読了 [加賀美雅之]