チェロの最低音の一オクターブ上のCがビオラの最低音。 その五度上がバイオリンの最低音。
2010-04-20 (2) 00:22:13 +0900
設定ミスでユーザ名(From: のあとに書かれる差出人名) を設定せずにメールを送ってしまったので、あわてて直し、 Outlook に言われるまま 「アカウント設定のテスト」を行なったのだが、 ユーザ名が載らない。
しばらく悩み、Outlook をいったん終了させてみたりしたが、 これはそういう仕様のようだ。 普通に自分あてにテストメールを送ってみれば、 差出人名は載っている。
2010-04-19 (1) 23:26:11 +0900
昨年度の三月4日木曜日放送分。 課の題名である「世代間のギャップ」と言われたあと、 「きょうはその2回目ですね」と言われるのが通常なのだが、 この回はなかったと思う。
「思う」と書いたのは、先日、カセットテープの、 これを録音した部分に次のを録音してよいこと、 すなわち、この録音は聞いたこと、を確認する際に気づいたが、 この「いろいろ」に書く時間は、次の録音を開始するまでにとれなかったからである。
2010-04-19 (1) 22:48:32 +0900
やや体調が悪くて横になっていたおとといの土曜日に考えた、 『すのもの「迷いの森」』 を作った。
東西南北に道が出ている図柄のファイルを複数個つくり、 間違った道を選ぶと振り出しに戻るようリンクがはってある。 リンクは、すべて青になるよう、色指定をしている。 ファイル名は、紛らわしいものにしている。 それだけ。
ぼんやり考えていたときは、 最初のページをフレームに分け、 二枚目以降のページを幅・高さ 0 で表示させれば、 それらのページへのリンクが赤い文字になると想像していたのだが、 そうはならないとわかったので、 リンクはすべて色指定することになり、 その結果、何の工夫もないものになってしまった。
最後に紛らわしいファイル名に変えた際は、 自分が混乱してしまいそうになった。 何枚目の地図なのかを仮に表示させてデバッグし、 最後に消せばよい、と気づくのにだいぶ時間がかかった。
付) スーパーファミコン版「ゼルダの伝説」の“迷いの森”が念頭にあったのだが、 あれは迷ったら(確か)東へ行けば必ずきたほうへ戻れるようになっている。 そうしてからまた西へ行けば、必ず最初の画面になる。 これはそうなっていないが、 最初の画面に戻りたければ、ブラウザの戻る機能を使えばよい。
付) ページは tree 状につなぐのがよいと私は思うが、 上あるいは左に常にメニューが出ていて、“枝から枝へ”と移れるサイトがある。 そういったサイトで、ある順番でページをたどると、 隠しページにいたるものは作れないかな、と思ったのがきっかけだった。
2010-04-19 (1) 00:28:38 +0900
アップロードしてから、ファイル名の違いがばれやすいことに気がついた。 0 の並ぶ数を違えてみたのだが、それは失敗だったわけだ。 私の手元では、URL を表示する部分の右にはみ出て、うまく隠れてくれたのだが、 アップロードしたものではそれよりも URL が短くなるのだった。 その前には、文字の上端・下端がそろう acemnorsuvwxz の文字を並べた文字列を作り、 一部を変える、としてみたのだが、そのほうがよかったかな?
2010-04-20 (2) 22:05:17 +0900
きのう、四月14日水曜日放送分で、パートナーの松下クリスさんが、 「how are you finding ...」を英語で「be plus ING form」と言われた。 英語でもこの言い方をするのか、と思ったので、記しておく。 ただし、書き方はこれでいいのかわからない。 「be + ...ing form」などとなるのかも知れない。
タイトル行などで ING と大文字を使ったのは、 (無理にカタカナで書けば)「アイエンジー」と発音されたため。
もちろん、この番組を聞くレベルの人が現在進行形を知らないわけはない。 なぜそこで現在形でなく現在進行形が使われているのか、 を英語で解説されたのである。
2010-04-15 (4) 23:33:00 +0900
DOCOMO の携帯電話を使っているのだが、先日、 iチャネルの最初の画面の一番下に出る「iモード」の広告を見て、 「KITTY SANRIO おまけあり」(キティ&サンリオオマケアリ) をマイメニューに登録した。月額315円。 「けろけろけろっぴ」の「フルパック」(待ち受け画面、メニューなど、 すべてが含まれるもの)がほしかったから。
そのあと、「時計付FLASH待受」なるものがあることを発見。 その中の「アリスキティ」だけがアナログ表示の時計なので、 それもダウンロードした。 懐中時計風で、悪くないのだが、 常に最新の時刻を表示しているとは限らないことに気がついた。 うっかりすると、古い時刻表示を現在時刻とカン違いする可能性がある。 携帯電話そのものの時計表示にはそれはないのに、なんだか惜しい感じ。
全体の「きせかえツール」は、これで三つダウンロードしたことになるが、 待ち受け画面が気に入っても、メニューなどが気に入るとは限らない。 ネットで好きな画像を探してくるか、 自分でカメラで撮るかして、それを待ち受け画面にするほうがよさそうだ。
2010-04-15 (4) 23:04:30 +0900
コマーシャルとは限らないが、毎週、月曜日から木曜日まで、 一つのアナウンスが流れ、それについて聞き取って答える問題が事前に出される。 今週は、日曜日の夕食バイキングのお店で、 きのう14日水曜日放送分では、一人あたりの値段を聞き取った。 正解は「6歳未満は無料、7歳から17歳は10ドル、大人は20ドル」 だったが、17歳の男子高校生は大人の倍は食べると思うぞ。 これではとてもやっていけないだろう。 聞き取り用に作った、作り物のコマーシャルだから、こういうこともある。
2010-04-15 (4) 22:34:00 +0900
四月7日水曜日放送分の Quote ... Unquote で引用されていた句を言ったか書いたか、した人。 テキストには 「George S. Patton (U.S. army general, 1885-1945)」 とあり、杉田敏先生は、 英語の名前は英語式の発音で読まれるのが普通なので、 [pætn] のような発音になるかと思っていたが、 日本語式に「パットン将軍」と読まれた。
付) ついでに:以前、この番組のビニエットは、 会社員の休み時間のおしゃべりが多いと書いたが、 この課は新しくチームに加わった日本人に会社のこと、 チームのメンバーのことを紹介する、といった内容だった。 後半の、最近の不況の影響で、 会社での服装がフォーマルなものに戻りつつある、 というあたりは、おしゃべりに近いものだったが。
2010-04-15 (4) 22:24:20 +0900
cheat の最後の [t] と、sheet の最初の音がつながって、 そう聞こえるのであろう。NHKラジオ「実践ビジネス英語」 の四月8日木曜日放送分のビニエットに出てきた語。
日本語でいう「カンニングペーパー」のこと。
2010-04-15 (4) 22:19:51 +0900
先週火曜日の放送分は、電話を通しての会話という設定だったが、 電話越しの声が、ほかの語学番組とは違う音質だった。 手で口を覆うなどの、“手作り”だったのではと想像した。 擬音は、実際の録音物を使っていると思われるときもあるが、 先生とゲストお二人が声を使ったり、 指で机をたたいたりして出していると思われる回もあるので。
あまり聞きやすい音質ではなかった。 NHKのほかの語学番組を聞いていて、 実際の電話よりも音質の劣化が少なくなるよう処理しているな、 と感じたこともある。
2010-04-15 (4) 22:14:16 +0900
ここから先は、これからアップロードする。
2010-04-20 (2) 02:53:42 +0900
本項のタイムスタンプは、後者の加筆部分のタイムスタンプよりも古いが、 それはあとから追加したためである。 タイムスタンプは、順序をつけて並べるためにつけているのであり、 書き始めた日時であることも、書き上げた日時であることもある。
2010-04-11 (0) 01:57:48 +0900
Wikipedia の「ヴィオラ」の項目に
「長い間独奏楽器としてはほとんど無視された存在であったが
」
とあるのを読み、
ウェーバー「魔弾の射手」の、
エンヒェンの「ロマンスとアリア」があるではないか、
と思っていたが、スコアを見たら、Viola obligata なのであった。
訳せば「助奏ビオラ」。
その前の、アガーテの「カヴァティーナ」の独奏チェロは
Violoncello Solo だ。なんだかビオラが差別されているような。
2010-04-11 (0) 01:28:57 +0900
階名で読んで「ソソソドーレーソー」(最後のソはオクターブ低い)。 提示部では Es-dur で、Es 管のホルンが吹くが、 再現部は C-dur なので Es 管のホルンには吹けず、 やむをえず代わりにファゴットが吹くのだと理解し、 いまのホルンでは吹けるんだからホルンに吹かせよう、 と“編曲して”演奏するのが多かった時代もある、と以前に聞いた。 (最近は原曲どおりが多いとも聞く。)
日本語版 Wikipedia で、 ベートーベンが望んだのなら、 「交響曲第三番」第一楽章の再現部にはいってすぐの F 管のホルンのソロのように、 楽器を持ち替えさせてでも吹かせただろう、 という趣旨の文章を見た。
しかし、ベートーベンは楽器を持ち替えさせる場合、 持ち替えのための時間をかなり長くとる。 そのうえ、「第三番」ではホルンが三本のため、 第一ホルンが F 管に持ち替え、ソロを吹き、Es 管に戻るまでの間、 第三と第二が吹き続けることができるのに対し、 「第五番」では前後はほとんど休めないようだ。 (「第三と第二」と書いたのは、 第三ホルンのほうが第二よりも高いか同じ音を吹いているからである。)
「第五番」に話を戻すと、
あの部分のあと、すなわち第二主題が演奏されている間、
ホルンは G を吹き続けるが、これは C 管であるトランペットでも可能(だろう)。
あの部分の前は、再現部開始のあの八つの音に参加したのちは、
ホルンはしばらく休んでいる。
今回発見した、不思議な点は、
オーボエのソロが始まる和音と、その前の和音に、
ホルンだけが参加していないことだ。
後者は減七の和音。
提示部ではホルンのみが Es の音を奏するが、
再現部では Es の音はどの楽器も出さない。
(その場合も「減七」と呼んでいいんだっけ?)
ここからが、しろうとの推理だが、 あのオーボエのソロは、 ホルンが持ち替えることを想定していた段階での時間稼ぎのなごり、 なーんてことはないよね? 実際には、あのオーボエのソロのあと、 第二主題導入に至るまでにもホルンが鳴るところがあり、 特に、崩れ落ちるような八分音符の並びを弦が奏するところで、 もしもホルンが抜けると、かなり音量が落ちてしまうように思う。
付) C-dur なんだから、 C 管であるトランペットに吹かせるわけにはゆかないのか、 と前に書いたような記憶があるが、 grep で「トランペット」を探しても見当たらない……。
2010-04-10 (6) 23:12:59 +0900
ベートーベン「交響曲第五番」は四つの楽章とも、 トランペットは C 管である。 そのパートだけをざっと見たところ、 中央の C のすぐ上の D は出せないらしい、とわかった。
基音は記譜上でチェロの最低音の C, 第二倍音はビオラの最低音の C, 第三倍音はバイオリンの最低音の G, 第四倍音は中央の C, 第五倍音はそのすぐ上の E, 第六倍音はト音記号の由来となった G, 第七倍音はそのすぐ上の B, 第八倍音はそのすぐ上の C, 第九倍音はそのすぐ上の D, ..., となるのではなかったか。
だから、 一オクターブ高くしてよいなら、 あのファゴットのパートはトランペットで演奏可能である。
2010-04-19 (1) 23:16:28 +0900
上で「減七の和音」と書いたのは誤りだった。 低弦などの出す音は As であり、A ではない。 del タグで見せ消ちにしておいた。
第二楽章で、変イ長調からハ長調へ移るところの、フォルティシモの和音にも、 ここと同じ、As, C, Es, Fis からなる和音が現れる。 先日、そこをずっと減七とカン違いしていたことに気づいたとき、 本項に書いた第一楽章のことを思い出し、気がついた。
スコアは、
音楽之友社から 1948 年に出版された「名曲スコア」のを持っているのだが、
山根銀二氏による第二楽章の解説には
「やがてフォルティシモでハ長調の第二次ドミナントの和音が奏され
」
とあるが、この「第二次ドミナント」の意味は、
手元の本と、ネットで少々調べたが、いまの私にはわからない。
2010-04-24 (6) 18:28:55 +0900
提示部でホルンだったものが再現部でファゴットではおかしいとの考えの根底には、 ファゴットではホルンと比べて力不足だ、という考えがあるようにも思える。 しかし、第四楽章のコーダは、まずファゴット二本が旋律を奏し、 次にホルンが同様の旋律を奏して始まる。 ここを見ると、 ベートーベンはファゴットをホルンよりも力の劣った楽器とは思っていなかった、 ともとれる。 ただし、ファゴットがフォルティシモで吹いたあと、 ホルンはピアノで軽々とそれを引き継ぐから、そうではないとも思えるが。 また、ここは、 ファゴットでなくトロンボーンに吹かせることも可能だったのではあるまいか。 (ただし、この旋律には十六分音符が使われており、 第四楽章の中でトロンボーンが十六分音符を奏するところはないので、 不可能と考えられていたのかもしれないが、 モーツァルトの「レクイエム」ではもっと速い音符を吹くので、 不可能ではなかったような気もする。)
2010-04-24 (6) 18:40:44 +0900
「絶対に××はするなよ」と言いたいのに、 「××だけはするなよ」と言うことがある。 たとえば、 「絶対に万引きはするなよ」と言いたいのに 「万引きだけはするなよ」と言う、など。
そう言ってしまった場合、「だけはするなよ」なので、 他のことはすべて容認したことになる?
2010-04-10 (6) 22:53:15 +0900
私の英語力、特に語彙力が向上したとは思えないので、 番組がレベルを下げたのだと思う。
それと、いままでは四回に分けてビニエットを学び、そのあとの二回が復習だったが、 五回と一回に変わったようだ。
Shiga Hiroshi は今年度のビニエットにも登場する。 最初のうちはおずおずと話していたが、 昨年度後半にはかなり流暢な英語で会話に参加していた。 2008 年四月に登場したから、もう二年になるのか。 一年とカン違いしていた。 (テキストは、復習したら捨てようと思っているが、 時間がなくてもう何年もため込んでいる。)
2010-04-10 (6) 03:04:52 +0900
昨日の夜、おととい録音した分まで聞いて、これで追いついたことになる。 今後は、60分テープ一本だけを使い、 「ラジオ英会話」「実践ビジネス英語」とも、 録音して翌日以降にヘッドホンを使わずにスピーカーから音を出して聞こうと思う。
2010-04-10 (6) 03:02:56 +0900
《もし「碍」が新常用漢字にはいったら、「障害物」も「障碍物」に戻るのか?》 と考えたが、「碍」の字は完全に「障碍者」専用とし、 「身体障害」などは現行のまま、ということもありえるんだな。
2010-04-10 (6) 02:59:58 +0900
本文ナシ
2010-04-10 (6) 02:58:31 +0900
伊藤は姓。
2010-04-10 (6) 02:57:16 +0900
越智は姓。
2010-04-10 (6) 02:55:56 +0900
2009年11月07日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の、 島根県立大の女子学生の行方がわからなくなっていた事件。 この紙面は、女性の遺体の頭部がみつかったが、 身元はまだわかっていない、という段階だった。
(行方不明になっている)
《平岡さんが3月に卒業した香川県立高松商業高校(高松市)
の谷岡由大教頭は取材に対し、
「進学クラスの英語実務科に在籍し、
『がんばりやさん』だった。遺体が本人でないことを祈っている」
》。
この教頭先生の気持ちはよくわかるし、私がその立場だったら、 同じように発言するかもしれないが、 「遺体が本人でないことを祈る」ということは、 ほかの人が一人死んでいることを祈ることである。 また、遺体が本人かどうかは、すでに確定したことがらであり、 祈って変えられるものではない。
ほかの宗教のことは知らないが、 キリスト教の旧約聖書・新約聖書を通じて、 目の前の遺体がほかの人の遺体となり、 死んでいたはずの人が生き返った、という奇跡はなかったと思う。
付) この教頭先生の氏名は、どの漢字もほぼ左右対称となっている。 このような名前を縁起がよいと考える人もいるようである。
2010-04-10 (6) 02:17:49 +0900
『「遺体が本人でないことを祈る」ということは、 ほかの人が一人死んでいることを祈ることである』 と書いたのは、考えが足りなかった。 やむをえない事情で亡くなった別人の遺体であってほしい、と祈るなら、 遺体の一部をそこに置いたのが動物であっても、 人間の仕業であっても、人の死そのものを祈ったことにはならないのであった。 (人間がやった場合、やった人は罪を問われるが、 殺人罪には当たらない。)
そのあとの、 「また、遺体が本人かどうかは、すでに確定したことがらであり、 祈って変えられるものではない」はそのままである。
2010-04-11 (0) 02:46:23 +0900
本項は、内容が 《みつかった遺体が別人のものであることを祈ることについて》 とほぼ重なります。その理由は 《修理に出していたパソコン内にあった「いろいろ」とのマージ作業を行なった》 に書きました。
2010-04-28 (3) 02:29:21 +0900
2009年11月7日土曜日づけ朝日新聞大阪本社版 be on Saturday の b9 面、 「勝間和代の人生を変えるコトバ」。 きょうのことばはタイトル行に引用しておいた。
すなわち、私たちが新しい行動習慣や考え方を見につけようとした場合、 いくら他の人から「これが正しいのだから、これをしなさい」 と言われても、なかなかその通りにできないのは、 自分でさまざまなことを試して、 その正しさを消去法で身をもって体験しない限り、 その方法は身につかないからです。
これはもっともだと思うのだが、その次の段落。
例えば、私は水泳を習っていますが、 コーチの言うとおり泳いでも、 どうしても無意識に自分の癖が出て適切でない泳ぎ方をしてしまいます。 それを「その泳ぎ方はこういう理由でよくない」 と繰り返し、繰り返し消去してもらうことで、 初めて、 適切な泳ぎ方が消去法で残るのです。
これは、自分の体験で消去するのではなく、人に消去してもらう、 すなわち、教わっているので、 前の段落に書いてあることの例にはなっていないと思うのだが。
付) 広辞苑第六版によると、体験する・失敗することは、「消去法」に必須ではない。 マイナス点の多いものから順に消してゆき、残ったものを選ぶ、 という意味らしい。 「この大学に入学したのは、受かりそうもない大学を消去法で消していったら、 ここだけが残ったからです」という場合、 受かりそうもない大学を受けて失敗しているとは限らない。 初めからあきらめて受けなかった場合も含まれる。
2010-04-10 (6) 02:03:38 +0900
本項は、内容が 《勝間和代の人生を変えるコトバ>「人は消去法でしか学べない」》 とほぼ重なります。その理由は 《修理に出していたパソコン内にあった「いろいろ」とのマージ作業を行なった》 に書きました。
2010-04-28 (3) 02:34:41 +0900
4日日曜日づけ大阪本社版石川面「あかりをつけましょ〓旧暦に」 (「〓」は八分音符)。
《旧暦のひな祭りを祝うイベントが開かれている
》、
《4日まで
》とあるが、
同じページに載っている「あすの暦」では翌日が
「旧2月21日
」。
旧暦の三月3日ではなく、月遅れでひな祭りをやっているだけなのだ。
自分が記事を書いている面を見ていないのか、それとも、 「旧暦のひな祭りを祝うイベントを、月遅れのひな祭りの日に行なう」 という催しだからこれでいいのか。
2010-04-10 (6) 01:55:24 +0900
7日水曜日づけ大阪本社版「生活」面に、
「介護疲れ 置いてってゃ」という見出しがある。
あまり使われない、/tya/ をあらわす「てゃ」
が方言を写すのに使われているのかと思い、
本文を読んだが、見当たらない。似た言い回しは、写真の説明に
《「ストレスをここに置いていく」と話す介護者も
》とあるのみ。
まさかと思うのだが、「置いてってや」の「や」 を小書きにしたもの? これが「あり」なら、「俺の勝ちや」の「や」 を小書きにした「俺の勝ちゃ」もありになってしまいそうな気がする。 あるいは、 「テャ」「テュ」「テョ」は日本語の音(おと) としてまだ認められていない、ということか。
《十河朋子
》と署名あり。
2010-04-10 (6) 01:41:46 +0900
3月29日月曜日づけ大阪本社版「歌壇」。
《渺茫たる葡萄農園(ヴィニヤード)
より吹いてくる春風うららイースター・サンデー
》という、
郷隼人氏の歌が載っているが、
ことしの復活祭は四月4日だった。
ふつう、この欄の和歌も俳句も、その季節に詠んだものが投稿されるから、
掲載は季節よりやや遅れる。
イースター・サンデーは復活祭の日曜日でほぼ間違いない。
別に、昨年詠んだ歌を送っても、
あるいは季節を先取りして詠んでもいいのだが、ちょっと気になる。
選んだ馬場あき子氏の評は
「葡萄園から吹いてくる春風によって一気に雰囲気が醸成され、
復活祭の気分が生れる
」とあるのみ。
選者がすべてのことに通じているわけにはゆかないので、 ことしの復活祭がいつの日曜日かを知らなくても別に構わないと思うが。
付)ふと気になったのだが、この「葡萄農園」とは、
「ヨハネによる福音書」第15章の
《わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である
》(口語訳)
以下を踏まえているのだろうか? これは、
最後の晩餐でイエスが弟子たちに語ったことの一つであり、
ぶどうはイエスにつながっている信徒たちを意味する。
ここには vineyard という語は現れないが、
「マルコによる福音書」第12章などのぶどう園のたとえでは、
欽定訳には vineyard という語が現れる。
この語の発音は「ヴィニャード」である。
2010-04-10 (6) 01:16:30 +0900
3月29日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版(石川版)のテレビ面で、
HABテレビの8時からの「スーパーモーニング」のところに
《紅白歌手が激白
》とある。
「激白」ってことは「紅」じゃないんだね、などとくだらないことは言わないように。
2010-04-10 (6) 01:13:09 +0900
8日木曜日づけ大阪本社版「声」の、
神戸市兵庫区の主婦、笹直美さんの「夢のよう ピアノに打ち込む」に
《ほぼ弾けるほうになった「エリーゼのために」と、
まだ四苦八苦している「乙女の祈り」の譜面の定価はともに35円、
「ソナチネ」の教則本は300円
》と、
買ったときの値段が書かれているのだが、
「ソナチネ」は「教則本」と呼ばれただろうか?
「バイエル」や「チェルニー」は教則本と呼ばれるが、 「ソナチネ」は曲集なので、そうは呼ばれなかったような記憶が……。
2010-04-10 (6) 01:02:44 +0900
アップロード後、Wikipedia を見てみた。 「ソナチネ」は小さなソナタという意味だから、 これだけではどの曲をさすのか、本当はわからない。 しかし、少なくとも日本で、ピアノの初学者が「ソナチネ」 と言ったら、全音楽譜出版社から「ソナチネアルバム」 というタイトルで出ているものと同じ曲集のことであろう。 全音の楽譜の最後のページに載っているカタログでは、 「練習曲・テクニック」が一つのジャンルであり、 その下に「複音楽」「古典」「ロマン」などと続いてゆく。 「ソナチネアルバム」は「古典」に分類されている。 ツェルニーやハノンは「練習曲・テクニック」に含まれる。
(上で「チェルニー」と書いてしまったが、 手元の楽譜の巻末カタログでは「ツェルニー」となっている。 私が習ったときもそうだったかな……。 「30番」がかろうじて終わり、「40番」の一曲目あたりで、 これは絶対にひけない、と思ったころ、ピアノのある実家を離れたので、 私のピアノの練習はそこでとまっている。)
2010-04-11 (0) 01:46:03 +0900
……と私は思うのだが。大人が常に持っていれば、 子どもはいたずらできない。
7日水曜日づけ朝日新聞大阪本社版社会面の記事を見て。 子どもがいじっても簡単には火が出ないような構造にすべきだという意見と、 それに対する業界側の反対が報じられている。
2010-04-09 (5) 02:30:09 +0900
そういう可能性もあるな。 《時間も神の創造物なので、神には「同時性」は意味がない?》 について、また考えてみた。
2010-04-09 (5) 01:46:32 +0900
2010-04-08 (4) 02:18:00 +0900
T9入力方式については 《ローマ字入力の影響か、カナ入力時も「促音は次の字を重ねる」と指が誤動作》 を参照。 そこに書いたのと似た現象である。
注) ローマ字入力でカナを入力する際に 「きんようび」と打つ最も楽な方法は kinnyoubi とキーを打つことである。 最上段のキーを使う kin'youbi よりもこのほうが楽。 もっとも、最近は、kinyoubi と打って「きにょうび」が出ても、 変換すると「金曜日」になるようにできていることが多いが。
2010-04-08 (4) 02:12:39 +0900
T9入力方式については 《ローマ字入力の影響か、カナ入力時も「促音は次の字を重ねる」と指が誤動作》 を参照。
いま宇宙にいる山崎直子氏のことを考えていて、ふと、 アポロ11号のアームストロング船長のことを思い出し、 Wikipedia を見たくなり、 携帯電話に「アームストロング」と入力しようとした。 すると、最後の濁点を打つ前の状態「アームストロンク」の段階で、 「按摩してるわけ」が候補にあがった。 濁点を打つと「按摩してるんが」。ちょっとおもしろかった。
2010-04-08 (4) 02:06:11 +0900
確か、福音書と詩篇は別に読んでいるから抜いて、 それ以外を通読しよう、と決めて読み始めたのだった。
2010-04-08 (4) 02:04:46 +0900
「とんでもない」で一語だそうだから、 「とんでもありません」となるのは破格ということになるが、 つい言ってしまう。そういう例はほかにないかと考えていて。
2010-04-08 (4) 02:02:31 +0900
「ありが・たいが」となり、「ありがたいが」と同音、というだけ。
2010-04-08 (4) 02:00:49 +0900
本文ナシ
2010-04-08 (4) 02:00:04 +0900
先日、ラジオのニュースで「孵卵器(ふらんき)」ということばを聞いて。
2010-04-08 (4) 01:57:38 +0900
「見てみる」で、「試しに見る」の意味になるのだから、 「見てみてみよ」の略である「見てみてみ」は「み」が多すぎるのだが、 「見てみる」が一つの語と理解され、 「〜てみる」の形であることが忘れられ、「見てみてみ」が生まれるのだろう。
命令形の「見てみろ」「見てみよ」が、 やや荒っぽい感じを与えることも影響するか。
2010-04-08 (4) 01:54:20 +0900
iモードのニュース一覧に、最近、 「みんなの意見を投票しよう!」というのがはいるようになった。 先日、そこに「小学生に注意されたことは?」という質問があったのだが、 「いつ」と明記されていないのだ。
小学生だったとき、同級生や、 上級生に注意されなかった人がいるとは思えない。 分校で、児童は一人だけ、というような学校でない限り。
2010-04-08 (4) 01:43:23 +0900
淀川長治氏だったと記憶しているが、 東京に出てきて鉄道に乗ろうとしたが「日暮里」の読み方がわからず、 切符を売る窓口で「ひぐれさと一枚」と言ってしまった、という話。 いまは、自動券売機だから、読み方はわからなくても切符が買える。
その話には、 「どちらのホームの電車に乗ればよいのですか」 と聞いたところ、「どちらも行きますよ」 と言われたという話が続いていたような記憶がある。
2010-04-08 (4) 01:37:20 +0900
《山崎直子宇宙飛行士の無事を祈って「チョコレート断ち」します》 と宣言しましたが、きのうの朝、うっかり、 テーブルの上に出されていたチョコレート入りのパンを食べてしまいました。 しかたがないので、アルコール飲料断ちに変更します。
打ち上げのときは、サイゼリヤで一杯やって帰ってきたところでしたが、 そのあとは飲んでいませんので、これで有効ということにしてください。 なお、山崎直子さんは18日に帰還の予定だそうですので、 それまでならアルコール飲料なしですごせるでしょう。
2010-04-08 (4) 01:14:04 +0900
最初、間違えてそちらで「ラジオ英会話」を録音していて、 混信もあるし、変だなあ、と感じていた。 ふとダイヤルを見ると 700 KHz をこえており、 これは東京の放送ではないと気がつき、「実践ビジネス英語」 がある水曜日からの放送は東京の周波数で録音した。
ところが、いまテキストの周波数一覧を見てみても、どの局だったのかわからない。 東京の 693 kHz をこえ、810 kHz 未満というと、 札幌の 747 kHz, 北見の 702 kHz, 秋田の 774 kHz, 広島の 702 kHz だけだから、 可能性があるのは 774 kHz の秋田だけだろうが……。 次回はまた、デジタルチューナーつきの Walkman を持ってゆこう。 (今回だけ、持ってゆかなかった。)
付) 810 kHz は、AFN Tokyo の周波数である。 (昔のくせでつい FEN と私は言ってしまうが。)
2010-04-08 (4) 00:36:20 +0900
前項に書いた、昨年度三月末の再放送、 すなわち七月最終週のビニエットを聞いていてあらためて実感したのだが、 昨年度は、後半になってやさしくなったような気がする。 七月最終週のビニエット「Working Poor」は、 経済の問題なので、私には苦手な単語も出てきていた。 三月号テキストに、九月から三月までのビニエットのタイトル一覧が載っているが、 それを見て思い出すと、ビジネスや経済に関する話題が、 昨年度後半には減ったようである。
2010-04-08 (4) 00:25:43 +0900
昨年度三月最後の週は、昨年七月末に放送された、 三回からなる短いレッスンの再放送だった。
《NHK「実践ビジネス英語」の練習問題の、ポーズの長さが九月から変わった》 を覚えていたので、「これはきっと Daily Quiz のポーズが短いぞ」 と覚悟していたら、その通りだった。
三月24日水曜日放送分の「Quote ... Unquote」は Antoine de Saint-Exupéry のことば。 杉田敏先生はこの人名を日本語式に発音されたが、 なんど聞いても「サンテグジェペリー」に聞こえる。 「サンテグジュペリ」が普通の音写だろう。 Google で「サンテグジェペリ」が 139 件、「サンテグジェペリー」は 1 件。 「サンテグジュペリ」は約 77,500 件。 最初に Wikipedia のページがきているが、 その見出しの表記は「サン=テグジュペリ」と「=」を入れている。
三月26日金曜日放送分は、昨年度の放送の最後にあたったわけだが、 特別なごあいさつはなかった。
付) この最終週は、学会研修で実家に滞在中、 実家にあるラジカセを借りて録音したものだったことを思い出した。 他の回と比べて、音質が異なり、音とびもしていて、テープのせいかと思っていたが、 どうやら、実家のラジカセのせいだ。 次回の帰京の際は、クリーニングテープも持ってゆくか。
2010-04-07 (3) 23:01:29 +0900
16勝5敗。トリプルスコア以上の差を》とあるが
5日月曜日づけ大阪本社版の将棋、「第68期名人戦」。
《対戦成績は森内の16勝5敗。
トリプルスコア以上の差をつけられている藤井にとっては難敵だ
》
とあるが、トリプルスコアとは、得点を争う競技において、
相手の三倍の点を得ていることを言うのがもともとの意味のはずだ。
勝敗の数についても言うのだろうか。
相手に一勝すると得点一、と解釈すればそうなるが。
《大川慎太郎
》と署名あり。
囲碁・将棋は斜め読みするだけなのだが、ふと気になって。
2010-04-06 (2) 02:05:26 +0900
前項に関連。
もしも「碍」を新常用漢字に入れる場合、 「障碍者」「身体障碍」などに専用の漢字にするのか、 それとも、昔は「障碍」と書いていて当用漢字・常用漢字の制限のため 「障害」と書き直していたもの --- 例えば「障害物」「障害競走」など --- をすべて「障碍」に戻すのか。
大事な点だと思うが、いままで気づいていなかった。 朝日新聞のこの問題に関する記事では、見た記憶がない。
2010-04-06 (2) 01:51:35 +0900
5日月曜日づけ朝日新聞大阪本社版文化面 《「障害者」か「障碍者」か》、 《「『碍』を常用漢字に」 追加求め意見相次ぐ》。 「碍」は常用漢字外なので、「がい」とふりがながある。
《大阪府吹田市は昨年末、
障害者に替わる呼称を市民らから募集した。
障害は人ではなく社会にあり、
障害という表現を人に使うのはふさわしくないとの判断からだ
》
とあるのだが、この判断は
「障害者」という語の構成法をねじまげて解釈していると思う。
あるいは、
障害物の意味での「障害」は理解できても、
身体障害の意味の「障害」を理解できていないのか。
《白石明彦
》と署名あり。
2010-04-06 (2) 01:25:50 +0900
GLOBE はあまり関心がないので読み流しているが、
5日月曜日づけは、《郷富佐子
》という署名が目にはいったので、
彼女が書いたものだけ、少しは読んだ。
しかし、横組みでありながら、英文《have a go,mate
》の組み方がおかしい。
カンマの次には空白をおくべきだ。
なんだか残念。
ところで、郷富佐子氏の紹介が
《マニラ、ローマ特派員などを経てGLOBE記者
》
となっている。前に
《朝日新聞>郷富佐子記者は GLOBE 副編集長になったんだ》
を書いたのだが。
2010-04-06 (2) 01:00:26 +0900
三月最後の週は三日間だけの短いレッスンの再放送、 ということは頭にはいっていたので、 その前の、実質的に最後のレッスンは当然、六回にわたって放送されると思って、 三月19日金曜日の放送分を聞いていた。 最初にビニエットを聞き終わったとき、 一つのレッスンのビニエットが終わったときのみに流れる音楽が流れたので、 三回めのつもりで四回めのテープを聞いたのかと思ってしまった。 しかし、私は、最近、初めてビニエットを聞く際、 テキストの人名(発言者名)の部分だけは見ながら聞いている。 だから、別の日のビニエットを聞いたのならまず間違いなく気がつくはずで、 おかしいなと思いつつテキストを確認すると、 この、最後のレッスンも、三日間だけの短いものなのであった。
そういえば、 一つ前のレッスンの Graffiti Corner の巻末の解説を見たとき、 次がないようで、ちょっと変だと思ったっけ。
一回めと二回めのビニエットを聞き返す機会はもうないとわかったので、 残っていたテープをもう一度聞いた。
松下クリスさんが、本文中の「Flat is the new up.」について、 Internet で「56,000,000 hits」と(英語で)話しておられたが、 Google でみると 「flat is the new up」は約 55,500,000 件、 「"flat is the new up"」は約 73,000 件。 引用符で囲まずに検索されたのでは、と思われる。
一年の最後は、 “この不況の中で、この会社の成長はフラットだった、 みなさん、ありがとう”という“めでたい”話で終わっているが、 この番組のビニエットは、前にもここに書いたように、 社員のおしゃべりばかりなので、ちょっとおかしな気もするのであった。
最後の先生のあいさつはいつもの通りだった。 松下クリスさんは、「Good-by,」でちょっと止まってから、 「and please join us again.」と続けられた。
2010-04-05 (1) 23:07:35 +0900
いまの季節に、 三週間ほどあとの気候になったことは、十分ニュースになる、 ということであろう。 旧暦だと、 同じ月日でも年によって、 太陽の運行から決まる季節と四週間のずれがありえるわけで、(以下略)。
2010-04-05 (1) 19:30:26 +0900
「ティ」「ディ」には、 「語末にきた場合、『ティー』『ディー』と長音で発音されることがある」 という注意書きが必要な気がする。
2010-04-05 (1) 19:17:05 +0900
前項に関連して、ニュースを見聞きしていると。 「ケネディ宇宙センター」から打ち上げられるのだが、 「ケネディ」を「ケネディー」と読むアナウンサーが多い。
2010-04-05 (1) 19:13:13 +0900
無事に帰還されることを祈って、 地上に戻られるか、死亡が確定するまで、 好物の一つであるチョコレートを断つことにしました。
《朝日新聞>角野直子氏の写真がダダAに似ているように見えた》 参照。(「角野直子」は「山崎直子」さんの旧氏名。)
付) いろいろなニュースを見るようにしていますが、 帰還がいつの予定なのかがわからないので、 お茶断ちはやめにしました。
付) これで、いま断っているのは 「コーヒー」「てんぷら」「土瓶蒸し」「チョコレート」 の四つです。
2010-04-05 (1) 19:08:25 +0900
3日土曜日づけ大阪本社版生活面の、 落合恵子の随筆「積極的その日暮らし」の中で。 二度目は正しく「グループ」と書いている。
2010-04-04 (0) 03:21:17 +0900
確か大学入試の受験勉強をしていた時代に、 気晴らしのため買った鉛筆画の書き方の本に、 欧米での鉛筆の削り方が載っていた。洋書の翻訳だったからである。 左手に持つ鉛筆は、削りたいほうを手前にして逆手に握る。 そして、右手に持ったナイフを手前に動かして削るのである。 そこには訳注として、これは欧米式であり、日本人はまねる必要がない、とあった。
右手用の小刀でまねしたことがあるが、刃の向きが逆で、削れない。 右手で鉛筆を、左手で小刀を持てば削れるが、 間違って右手を切りそうで、こわくてあまり試していない。
2010-04-04 (0) 03:10:27 +0900
2日金曜日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の、
前日の入社式などを扱った写真入りの記事。
三菱鉛筆本社で行なわれた、
《新入社員が鉛筆を小刀で削る「鉛筆けずり入社式」
》
の写真も載っている。
よく見ると、この新入社員は、左手で小刀を持っている。
小刀の刃のつき方も、右手用とは反対である。
写真が裏焼きでないことは、 テーブルの上に右手用の小刀も置かれていること、 指導に当たっていると思われる男性の左手首に腕時計が見えること、 などからほぼ間違いないといってよいだろう。 (もしも裏焼きだったら、テーブルの上の小刀が左手用、となる。)
ところで、ここで削っている鉛筆は Hi-uni ではない。 自社で最高の鉛筆を使わせないのか。
2010-04-04 (0) 03:05:53 +0900
1日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版第一面の、
中の面の記事の紹介に「廃熱利用 プチ発電広がる
」とある。
記事そのものを見ると、
「プチ発電
」は最初のほうにあるだけで、あとは使われていない。
「溝呂木佐季
」と署名があるから、
この記者がつけた呼び名だろうか。
この「プチ」はフランス語の petit からきているのだろうが、 ほかの言い方を試みてみた。 「小発電」では意味が伝わりにくい。 「小規模発電」は一文字長くなる。 「ミニ発電」はどうもしっくりこないし、 実際にそう呼ばれているように理解されかねない。 そこで気づいたことは、 正式なネーミングでは使われることがないのが「プチ」 の強みなのではないか、と思えてきた。
「プチトマト」はあるけどね。
2010-04-04 (0) 02:56:03 +0900
三月12日金曜日放送の、 NHKラジオ「実践ビジネス英語」の Listening Challenge に、 Company Code を聞き取る問いが含まれていた。 テキストにある正解は「HS778904」なのだが、 この中の終わりから二文字目を、問題文を読んだ人も、 杉田敏先生も「オウ」と読んでいた。 しかし、テキスト解答の文字は明らかに数字の 0 である。 品名 Code の「CF0012」「CF0121」では、0 は zero と読まれていた。
数字の「0」は「オウ」と読むのか「zero」と読むのか、また、 「オウ」と聞こえた場合、「0」と「O」のどちらを書き取ればよいのか、 という疑問がわく。
最近は、英語の講座のテキストはこの番組のものしか買っていないが、 ビニエット本文でも、数字がはいってくると読み方がわからない場合がある。 この番組を聞くだけの力があるなら、聞き取ってメモすればいいだけのことだが。
ところで、杉田敏先生は「Listening Challenge」 を日本語として「リスニング・チャレンジ」と発音しておられるようである。 ただし、「グ」は鼻濁音化している。 (たぶんそちらが多数派だと思うけど。)
2010-04-04 (0) 00:30:19 +0900
2010-04-03 (6) 03:15:02 +0900
1日木曜日づけ朝日新聞大阪本社版の、 株式会社三菱ケミカルホールディングスの全面広告。 「協奏しよう。」という文句が書かれており、 四台の緑色のグランドピアノが
← | ↑ |
↓ | → |
四台のピアノの協奏といえば、 バッハの「四台のチェンバロのための協奏曲」が思い浮かぶが、 コンサートで演奏するときは、こうは置かないだろう。 二台のピアノのときは舞台と平行に、向かい合って置くから、 それが前後に二列になるのではあるまいか。
それはともかく、演奏者たちだけが音楽を楽しむ場合は、 どのように並ぶのだろう? 考えたことがなかった。 弦楽四重奏は、ステージでは横に四人並ぶが、 演奏者たちだけが楽しむ場合は、 四人が
↓ | ||
→ | ← | |
↑ |
2010-04-03 (6) 02:56:54 +0900
きょうが聖金曜日なので、カラヤン指揮のCDを聞いている。
2010-04-02 (5) 23:12:21 +0900
減五度、あるいは増四度。
2010-04-02 (5) 03:21:57 +0900
三月10日水曜日放送分のNHKラジオ「実践ビジネス英語」で、 アシスタントの松下クリスさんが 「..., be careful of the pronounciation of "hierarchy", "hierarchical", the first vowel sounds are different from the katakana version.」 と注意しておられた。
日本語の「ヒエラルキー」とは異なり、[ai] と発音されるわけだが、 広辞苑第六版で「ヒエラルキー」をひくと「ヒエラルヒー」を見よとあり、 「ヒエラルヒー」の項目にはドイツ語 Hierarchie からの外来語と記されている。 岩波国語辞典第三版は「ヒエラルキー」を見出しにあげ、 ドイツ語の Hierarchie からとしている。 独和辞典で Hierarchie をひくと、発音は(カナで書けば)ヒエラルヒー。 羅和辞典には hierarchia という語が載っており、 つづり字がギリシア語風なので希英辞典を見たが、 hieros が「聖なる」なのはわかったが、 archi.. は何なんだろう? archangelos は archangel だよな……。 archiereus は high priest のこと。
話を元に戻すと、 日本語で「ヒエラルキー」という以上、 katakana version と表現するのは間違ってはいないが、 日本語にはいったときに“ローマ字読み”されたのではなく、 なまっているのは英語のほう、ということは指摘されてもよさそうなところだ。 **語から英語にはいった際に発音が変わった、 日本語のほうが本来の音を残している、と。
COD はラテン語・ギリシア語が起源としている。
2010-04-01 (4) 21:34:31 +0900
きのう、調べてみたら、たまっているのは90分テープが2本。11回分だった。
2010-04-01 (4) 20:49:58 +0900
「恵子」は「けいこ」で、この「けい」は標準語では /ke:/ と発音される。 「圭以子」と書いた場合、「け・い・こ」と別の漢字だから、 /keiko/ と発音しなければならないのだろうか? それとも、 かなで「けいこ」と書いたのと同じで、/ke:ko/ と発音してもよい?
「代宇子」と書いて「ようこ」と読ませる場合は?
2010-04-01 (4) 02:10:19 +0900
「現金つかみ取り!」みたいなもの。
2010-04-01 (4) 02:08:43 +0900
《有限集合の間の対応は行列に、その合成は積に対応。ただし要素は真と偽》 の続きである。 同値関係に対応する行列は、明らかに対角成分が 1 であり、対称行列である。 もしも a 〜 b, b 〜 c なら、 a 行 b 列と b 行 c 列は 1 である。よって、積の a 行 c 列も 1 となる。 a 行 b 列と b 行 c 列とがともに 1 であるような b が存在しない場合、 積の a 行 c 列は 0 となる。 ({0, 1} はブール代数であったことに注意。)
1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 |
1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 |
1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 |
0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 |
確かに
|
| = |
|
2010-04-01 (4) 01:54:04 +0900
同じ同値類に属するものをまとめて書けば、行列は、たとえば次のようになる。 (書いていないところは 0 である。)
1 | 1 | 1 | |||
1 | 1 | 1 | |||
1 | 1 | 1 | |||
1 | |||||
1 | 1 | ||||
1 | 1 |
i 番めの元と j 番めの元を入れ替えると、次の行列 --- 逆行列はそれ自身に等しい --- で共役をとることになる。
1 | 1 | 1 | 1 | i | 1 | 1 | 1 | 1 | j | 1 | 1 | 1 | 1 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||||||||||
. | ||||||||||||||
. | ||||||||||||||
1 | ||||||||||||||
i | 0 | 1 | ||||||||||||
1 | ||||||||||||||
. | ||||||||||||||
. | ||||||||||||||
1 | ||||||||||||||
j | 1 | 0 | ||||||||||||
1 | ||||||||||||||
. | ||||||||||||||
. | ||||||||||||||
1 |
A2 = A のとき (P-1AP)2 = (P-1AP)(P-1AP) = P-1A2P = P-1AP となり、共役 P-1AP も、 二乗がそれ自身に等しい。
任意の置換は互換の積で書けるから、(以下略)。
2010-04-02 (5) 23:35:26 +0900
別に遺体が笑うわけではないからおかしくはないが、 驚く人がいるだろうな。
2010-04-01 (4) 01:53:00 +0900
現代かなづかいの「おおおかやま」は、 「おおお」と「お」が三つつながるのが珍しい。 それと、「おおお、かやま」(「かやま」は姓)と同じかなの並びになる。
2010-04-01 (4) 01:50:48 +0900
「本日」と「日本」のように、全く違う意味になってしまうものは多い。 ここでは、意味が似通っているが違うのが、おもしろいと思う。 (「流血」はからだの外を血が流れること。 「血流」はからだの中を血がながれること。)
2010-04-01 (4) 01:47:26 +0900
高齢者の健康状態を調べるための用紙を見た。正確には覚えていないが、 次のような質問文があった。
似た意味になる文章をあげてみよう。
《動詞+「せる・させる」+「ということをしなくなった」で活用形を“節約”》 には、「掃かせるということをしなくなった」は 「掃かせなくなった」でいいではないか、と書いた。
しかし、ここでは「電話をかけますか?」とすると、 いますぐかけますか、の意味にとられそうだ。 一番長い、「かけるということをしますか?」か、 次に長い「かけることがありますか?」としないと、 本来の質問の意味にならないだろう。 (そういう行為ができるかどうかを問うているのである。)
2010-04-01 (4) 01:38:45 +0900
「電話番号を調べて電話をかけますか?」は、 電話をかけるときは必ず電話番号を調べますか? の意味にもなるだろう。
2010-04-08 (4) 01:09:17 +0900
「きょうは肝休めだ」というか、 「あすは肝休めの日だ」といえばよい。
2010-04-01 (4) 01:37:01 +0900
昨年度の「ラジオ英会話」で、 日本語訳、英語の順での英単語の説明に使われていて、 私は「集結する」だと思ったら、次に読まれた英単語は「終結する」 の意味だった。
2010-04-01 (4) 01:33:58 +0900
……と決めたらどうだろう? 「あと二塁打だけが出ればサイクルヒット」 という場面で三塁打にできそうな打球が飛んだ場合、 サイクルヒットを狙って二塁で止まる人と、 個人記録よりもチームが勝つことが優先と考えて三塁まで走る人がいる。 三塁まで走った人が損しないよう、 「三塁打は二塁打の代用になる」との特別ルールを設けたらどうか。
ただし、フェンスを越えた本塁打で三塁打の代用ができるのはまずかろう。 最もむずかしいのが三塁打と言われているからである。 ランニング本塁打は三塁打の代用になってもいいと思うけど。
2010-04-01 (4) 01:26:25 +0900
本文ナシ
2010-04-01 (4) 01:25:10 +0900
前者はくしゃみ、後者は居眠り。
2010-04-01 (4) 00:58:14 +0900
致命傷を負ったあと、 「呪いの黄金を得るために」(渡辺護訳)とは言うが。 指環について語るのは森の小鳥の声である。 一方、森の小鳥は呪いのことは語らない。 ジークフリートが指環には呪いがかかっていると知るのはいつ?
2010-04-01 (4) 00:52:02 +0900
いまざっとリブレットに目を通したところ、 フリッカはヴォータンとブリュンヒルデにジークムントの味方をすることを禁じ、 彼の剣が砕けるようにと言い残して去ってゆくが、 フンディングの槍を砕くなとは言っていないようである。
ヴォータンがジークムントの剣とフンディングの槍の両方を砕いたら、 あとは格闘になっていたのだろうか?
2010-04-01 (4) 00:45:57 +0900
《時間も神の創造物なので、神には「同時性」は意味がない?》 を書いたあと、また考えた。
われわれ被造物は、 時間と空間の四次元の世界の中で、ある位置関係にあるAとBとの間には、 因果関係がないと考える。 たとえば、Aから光速で進んでもBに達し得ない場合がそうである。 しかし、神は時間と空間とを支配されるので、 そのような場合でも、 どちらかをどちらかの原因とすることが可能なのではあるまいか。
私の信じるところでは、神は歴史に働きかける。 そのとき、あとの時代に人間が起こしたことをふまえて、 前の時代の人々に働きかけることがないとは言えないのではあるまいか?
2010-04-01 (4) 00:36:23 +0900
《ローマ字回文>「okiru Yuriko」(起きる百合子)》 は前に書いた。
2010-04-01 (4) 00:30:39 +0900
英語では bronze である。
ジーニアス英和辞典で bronze をひくと bronze medal が用例に挙がっているが、 訳文は「青銅のメダル」である。
2010-04-01 (4) 00:26:50 +0900
本文ナシ
2010-04-01 (4) 00:22:27 +0900
後者は、雨が続くので晴天になることを願ったがやまない場合。
2010-04-01 (4) 00:19:07 +0900
III で、もう戻れないところまできて、アナキンは変貌したパルパティーン議長、 すなわちダース・シディアスの前にひれ伏すが、そうではなく、 I の終わり近くで、元老院の新しい議長に選出された、 ナブー選出のパルパティーン議員に、 母親を奴隷の境遇から解放してくれるよう懇願していたら、 どうなったであろうか。 お金で解決できそうな問題だ、ということは前からここに書いている。
パルパティーンは、 そのころから、アナキンの母親に対する感情、 さらにはパドメに対する感情を自身の野望のために利用できると考え、 あえて自分からは言い出さなかったのか。
2010-04-01 (4) 00:07:06 +0900