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       題王導像
          

                      
  南宋末 汪元量

秦淮浪白蒋山靑,
西望神州草木腥。
江左夷吾甘半壁,
只縁無涙灑新亭。

          
   
**********************
          王導の像に 題す

秦淮 浪 白くして  蒋山 靑く,
西のかた 神州を 望めば  草木 腥
(なまぐさ)し。
江左の夷吾  半壁に 甘んずるは,
只だ  新亭に 涙を灑ぐものの 無かることに  縁
(よ)る。


             ******************

◎ 私感訳註:

※汪元量:南宋の詩人。生没年不詳。字は大有。号して水雲。錢塘の人。南宋の宮廷琴師で、南宋の滅亡後、北方に抑留された。その詩集『水雲集』は南宋の滅亡までを忠実にうたいあげ、宋亡国の詩史と呼ばれる。晩年は西湖の畔に隠棲した。

※題王導像:(晋が胡に滅ぼされた後、江南の地に)東晋の国を盛りたてた宰相・王導の像を詩に詠む。 *この詩は(西)晋が滅んだ後の東晉のことを詠いながら、実際は(北)宋が滅んだ後の南宋のことを言っている。この二者には共通点が多く、古来よく暗喩としてしばしば使われた。晋、宋ともに、北方に興った異民族のために、江南半壁に追いやられ、皇帝を拉致(永嘉の乱、靖康の変)されながらも、江南の地に拠って漢民族の国家を保持し続けた、苦しい歴史の一頁がある。ここでは、当然、東晉のことを言いたいのではなくて南宋のことを言いたい。 ・王導:東晋の宰相。字は茂弘。東晋の基礎を築いた実力者。267年(晉・泰始三年)~330年(東晉・咸和五年)。琅邪(ろうや)の臨沂(りんぎ)の人。東晋の創立に参画し、元帝司馬睿、明帝、成帝の三代の国政を総攬した。江南の貴族と南渡した西晋の貴族とを連係させ、東晋の基礎を築いた。『晉書・列傳・王導』「晉國既建,以(王)爲丞相軍諮祭酒。桓彝(桓階の弟、桓温の父)初過江,見朝廷微弱,謂周顗曰:「我以中州多故,來此欲求全活,而寡弱如此,將何以濟!」憂懼不樂。往見(王),極談世事,還,謂(周)曰:『向見管夷吾,無復憂矣。』過江人士,毎至暇日,相要出新亭飮宴。周顗中坐而歎曰:『風景不殊,舉目有江河之異。」皆相視流涕。惟(王)愀然變色曰:「當共力王室,克復神州,何至作囚相對泣邪!』衆收涙而謝之。」。この部分は、南宋の豪放詞には、常に出てくる部分である。民族の怨念がこもっている部分。しかしながら、ここでは、王導が積極性を発揮した人物とは見ず、江南半壁での安泰を求めた退嬰的な態度をざるを得なかった人心の動向といった状況を詠っている。〔王導に会った後の人物評として、『この前、管仲のような人物に会った。全然憂い歎いていない。』と。長江を南渡して(遁れてきた)人士たちは、)いつも休みの日になると、(長江南岸の建康=南京附近の)新亭に集まって、酒を酌み交わしていた。周顗は、『風景(=風と陽光)は(故国)とは異なってはいないが、目にする川の姿、全てが新たで異なったものである』と言ったので、みんなは、見つめ合って、涙を流した。ひとり、王導だけは、形を改め正して、憤りを見せ『(我々は、)一緒になって王室のために力を尽くして(建設すべきであり)、祖国の故地・神州を恢復させるべきであり、何をめそめそと亡国の民のようになっているのか!(この江南に新天地があるではないか!)』と言ったので、みんなは彼に謝った。〕

※秦淮浪白蒋山青:金陵(建業、南京)を流れる秦淮川は(やや強い)浪が白く(泡立っており)、(南京市の東北にある)鍾山は、青々としている。 ・秦淮:南京市の東南にある川。長江に注ぐ。 ・蒋山:南京市の東北にある山。鍾山のこと。紫金山。 

※西望神州草木腥:(しかしながら)西の方の中原の故地の草木をを眺めれば、(異民族の)腥(なまぐさ)い臭い(が満ちている)。 ・西望:西の方を眺める。建業(南京)から見て西になるともいえる中原の地。 ・神州:中華の地の美称。中原の地を指す。ここでは、失われた国土である中原を指す。 ・腥:腥(なまぐさ)い。華北が異民族に占領され、異民族の国ができたことをいう。、羌や北方の匈奴、羯、鮮卑などは牧畜を業とすることによる。なお、南宋にとっての金は、ツングース系の女真族で、後の満洲民族。

※江左夷吾甘半壁:(現在:南宋の)国土の南半分の名宰相は、半分だけになった祖国に甘んじる(のは)。 ・江左夷吾:国土の南半分の(管仲のような)名宰相。 ・江左:長江下流南岸を指す。長江南岸の旧・呉の国、現・浙江省を指す。ここでは、江南の地のことになる。江南では、長江は南西から北東方向に流れるので、江東、ともいう。 ・夷吾:春秋時代、斉の桓公の名宰相、管仲のこと。夷吾は、管仲の字。ここで、管仲が出てくるのは前出『晉書・列傳・王導』での譬喩「向見管夷吾,無復憂矣。」によったため。 ・甘:あまんじる。 ・半壁:半分になった国土。

※只縁無涙灑新亭:それは、(今=南宋初、靖康之変後では)ただ、もう(東晉の時のように)新亭に亡国の涙を流す者も、いなくなったことによるのだ。 *北宋が滅んだ時は誰も涙を流さなかった。それどころか、臨安(杭州)に逃れて、そこで安逸を貪った。誰も失地恢復を言わなかった。林升の『題臨安邸』「山外靑山樓外樓,西湖歌舞幾時休。暖風薫得遊人醉,
直把杭州作。」はその間の事情と空気を詠っている。 ・只縁:ただ、…による。 ・無涙:涙を流さない。晋の滅亡に際しては 、新亭で涙を流したが、今はだれもいない。 ・灑:そそぐ。 ・新亭:休みごとに集まって歎いた所。建康(現・南京)にある労労亭のこと。辛棄疾の【水龍吟:「渡江天馬南來」や、宋・劉克莊の『賀新郞』「北望神州路,試平章 這場公事,怎生分付? 記得太行山百萬,曾入宗爺駕馭。今把作握蛇騎虎。加去京東豪傑喜,想投戈、下拜真吾父。談笑裡,定齊魯。兩河蕭瑟惟狐兔,問當年 祖生去後,有人來否? 多少新亭揮泪客,誰夢中原塊土?算事業須由人做。」に詳しい。李白にも『勞勞亭』「天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條靑。」や、南宋・陸游の『追感往事』「諸公可歎善謀身,誤國當時豈一秦。不望夷吾出江左,新亭對泣亦無人。」 がある。





◎ 構成について

  韻式は「AAA」。韻脚は「靑腥亭」で、平水韻下平九靑。次の平仄はこの作品のもの。

   
○○●●●○○,(韻)
   ○◎○○●●○。(韻)
   ○●○○○●●,
   ●○○●●○○。(韻)

2004. 8.20
      8.21完
2019.10. 6補

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