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セルビア系のコソボの少女たち
(ワークショップにて) |
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セルビア系のコソボの子どもたち。掲げているのは、日本のペンフレンドからのプレゼント、あるいはワークショップで習ったばかりの自筆作品 |
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ワークショップで書道を習うアルバニア系のコソボの少年。分断された街、コソヴスカ・ミトロヴィッツァ南側に住む |
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ゴランツィー系コソボ人の子どもたち。コソボ南部から追われ、現在分断された街、コソヴスカ・ミトロヴィッツァの北側で避難生活を送っている |
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コソブスカ・ミトロヴィツァの北側に住むセルビア系の子どもたち。折り紙ワークショップ終了後 |
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コソヴォ/コソヴァの紛争により、近隣のアルバニアやマケドニアに流出した約80万人にのぼる難民が、最近徐々に帰還をはじめています。およそ20万人が未だに旧ユーゴスラヴィア(現在のセルビア・モンテネグロ)内で難民として暮らし、何千人もの人が死の危険にさらされています。NATO空軍の爆撃により、1000人以上の民間人が亡くなり、さらに多数の(正確な数はいまだに不明です)旧ユーゴスラヴィア軍人が戦死しました。
帰還したアルバニア系住民の報復行為により、200人ほどが死傷し、15万人のセルビア系・ロマ系(ジプシー)・ボスニアック系・ゴランツィー系の人々が難民としてコソヴォ/コソヴァを離れることを余儀なくされました。
3万7千人以上のNATO軍と国連平和維持活動スタッフの存在にもかかわらず、民族間の対立が絶え間なく報道されています。
さらにこの民族対立は、プレシェヴォ谷とマケドニアとの国境にも広がっています。(コソボ北東部。コソボを自領であると主張する、セルビアとの境界にあります)
約200万人の旧ユーゴスラヴィアの子どもたちが紛争の恐怖を体験しました。彼らに必要なのは、医療的な治療や食糧、水などだけではありません。精神的な安らぎが必要なのです。学校運営は通常に戻りつつありますが、基本的な文房具さえ不足し、まだまだ充分な授業が行われているとはいえません。
国境なきアーティストたちは、日本の子どもたちからの文房具(スケッチブック・クレヨン・色鉛筆)の寄付活動を行っています。
日本の子どもたちは、スケッチブック・色鉛筆・クレヨンをコソヴォ/コソヴァにいる見知らぬアルバニア系・セルビア系・ロマ族(ジプシー)・ゴランツィー系の友だちに贈りました。日本の子どもたちはスケッチブックのはじめのページに自分の写真を貼って、カラフルな絵を描き、まだ知らぬ友だちへの応援や友情のきずなとしてのちょっとしたメッセージを書きました。
第1回の寄付活動は1999年の秋に行われ、日本の子どもたちの贈りものがコソヴォ/コソヴァの子どもたちの手元に届けられました。活動は今後も継続して行われる予定です。
日本の子どもたちは、文房具を寄付することで、コソヴォ/コソヴァの子どもたちが自分自身を自由に表現し、彼らの純真な反戦感情を絵に表わすことを可能にしました。子どもたちは自分自身を表現することで、芸術が持つ一番重要な働きであるカタルシス(精神の浄化)を達成する機会を得ました。芸術を通してのカタルシスは、心理(精神、感情)の治療にとって本質的なものです。
コソヴォ/コソヴァに住む、アルバニア系・セルビア系・モンテネグロ系・ロマ族(ジプシー)・トルコ系・ボスニアック系・ゴランツィー系…など全ての民族の子どもたちは、絵とメッセージで日本の友だちに返事を書きました。国境なきアーティストたちは、その手紙を日本に持ち帰り、2国間の友情のきずなをつなぎました。
これからも、日本の子どもたちと戦争の犠牲となった子どもたちの芸術表現は、はがき・アルバム・展覧会の開催などを通じて世界に平和を訴えかけるために集められます。
国境なきアーティストたちは、中立な組織です。このページのコソヴォ/コソヴァという表現は、中立性を守るために使われています。コソヴォ(Kosovo)はセルビア語で、コソヴァ(Kosova)はアルバニア語で旧ユーゴスラヴィアのセルビア南部のコソボとメトヒア自治州を表します。
国境なきアーティストたちは、民族間の衝突や紛争が発生している地域に、平和と和解のメッセージを運んできました。許容と共存がこれらの衝突の長期的な解決策なのです。
みなさまの暖かい御協力をお願いいたします。 |
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