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わたしのまち
(コソヴスカ・ミトロヴィッツァ)
ミタル・ゴリアク(8歳) |
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わたしのまち
(コソヴスカ・ミトロヴィッツァ)
ヨヴァン・ムラッジョヴィッチ
(10歳) |
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わたしのまち 〜アルヴァニア人が私の家を燃やした
ハイディヒ・ラビエ(ロマ族)
(11歳) |
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わたしのまち
(コソヴスカ・ミトロヴィッツァ)
ハティツェ・ブトゥツィ(9歳) |
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橋は人と人とをつなぐものですが...
コソヴスカ・ミトロヴィッツァ(KOSOV@北部)では違います。そこでは橋と有刺鉄線とフランス軍が2つの民族(主にムスリムのアルバニア人と東方正教徒のセルビア人)を民族間の憎悪と相互の殺し合いから引き離しています。
ミトロヴィッツァの橋がベルリンの壁崩壊のちょうど10年後に架けられたという事実は人類の歴史にとって非常に重要であり、21世紀がどのようになるのかというヒントを私たちに与えてくれるかもしれません。イデオロギーにかわって、民族意識や価値観が衝突する世紀となることを。
国境なきアーティストたちは、中立な組織です。このページのコソヴォ/コソヴァという表現は、中立性を守るために使われています。コソヴォ(Kosovo)はセルビア語で、コソヴァ(Kosova)はアルバニア語で旧ユーゴスラヴィア(現在のセルビア・モンテネグロ)のセルビア南部のコソボとメトヒア自治州を表します。
コソヴスカ・ミトロヴィッツァの両側で行われた国境なきアーティストたちのアートワークショップでは、徹底した中立性が保たれました。その間1000人以上のアルバニア系(南側)、セルビア系、モンテネグロ系、ゴランツィー系、ロマ族(ジプシー)、トルコ系、イスラム教徒であるスラヴ系(北側)が同じように日本の書道や折り紙を習い、日本の子ども達のメッセージに応えました。
また、コソヴスカ・ミトロヴィッツァの子どもたちには、「わたしのまち」を描いてもらいました。
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