コンピュータ時代の日本語私の主張  平成二十年十二月八日更新 (これまでの分は最下段)    「契冲」のホ-ムペ-ジに戻る

「コンピューター時代の日本語」         

 

平成二十年十一月二十一日  横濱中央木鷄クラブ勉強會で講演

 

今晩は。市川 浩で御座います。横濱中央木鷄クラブの皆樣に國語の問題に就いて御話しさせていたゞきます事を有難く思つてをります。國語の問題と申しますと、近頃の若い者は漢字を知らないとか、敬語がなつてをらないとか、ら拔き言葉やカタカナ語の氾濫等が先づ思ひ浮びますが、今囘は少し違つた視點から御話し致したいと思ひます。但しこれは私の獨斷と偏見に基くものでありまして、講演後に質疑應答の時間があるとの事ですので、いろいろ御批判もいたゞきたいと思ひます。

最初に「國語」と日本語との關係を考へて見たいと思ひます。先づ國語は日本語である、これは間違ありません。しかし日本語は國語であるとは限りません。外國人が日本人に話掛けるときの日本語はその外國人の「國語」ではないわけです。一方日本語は英語や中國語等と竝んで世界に存在する「言語」の一つであります。即ち「國語」としての日本語と「言語」としての日本語との間には重なり合はない領域があるといふ事になります。本日はこの重なり合はない領域に就いて考へて見たいと思ひます。「言語」であれば意思疏通の手段といふ特に戰後普及した言語觀ですむ譯です。我々は英語を使ふ場合、特殊な專門家の場合を除けば、少々の文法や語法の誤があつても意思疏通さへ出來ればよく、まして背景にある英國の政治や文學の歴史を踏へたりする必要など殆どありません。しかし「國語」となると意思疏通だけでは濟みません。朝顏を合はせて「おっす」と言へば「お早う」の意思は通ずるけれども、「お早う御座います」ときちんと挨拶できなければ、つまり正しい言葉遣ひができなければ、一人前の大人とは扱つてもらへない。このやうに「國語」と「言語」との重なり合はない部分が即ち文化であり、ここに「國語問題」があると思つていたゞきたいのです。

外國で生れ育つた人を除いて日本語はお母さんのお腹の中から聞き始め、習得に何の苦勞もありません。恰度空氣のやうにいくら吸つても吐いても無料だし、「おぎやあ」と生れて以來、呼吸は寐てゐる間も自動的に出來る、母國語とはそのやうなものです。しかし、放置すれば空氣は惡くもなるし、汚染もされる、正しい呼吸法を行はなければ健康にも惡い。病氣になつて空氣の有難さが分つても遲いのであります。「國語」もまつたく同樣で、特に「國語」が母國語であり、公用語である事の有難さを認識すべきであります。例へばもし英語が公用語となつた場合、英語が出來るか出來ないかで生ずる格差は到底耐へられないでせう。レジュメニも書きましたが、インターネットの發展、EUの擴大、金融のグローバル化、ボーダーレスなど、最早國境は無くなつたと言はれる今日、しかし一方に於て悽慘な民族紛爭は一向に絶えないのであります。その背後には歴史、文化及び言語があり、或る民族、部族が己の歴史、文化、言語と共に生活出來ないことほど不快不和の本となることはありません。飜つて我が國は、遺傳子的には中國大陸系、朝鮮半島系、南方系が略々三分の一づつを占めると言はれるのに、絶えて民族紛爭を見ないのは何故でせうか。それは日本語といふこれら三地方の言語とは全く獨立の言語による文化を共有したからに他ならないと思ふのです。さうであればこそ我々は日本語を絶對に手放してはならない。ところがこれはつい數年前までは何の問題も無い、自明のことと思はれてきたのですが、言語空間の急速な電子化が進む現在、事はそれほど樂觀を許さないのです。現に世界ではおびたゝしい數の言語がここ數年の間に絶滅してゐます。母國語を失つた民族は、「グローバル」な言語を苦痛を以て學習してなほ言語的劣勢を強ひられる。民族紛爭の火種とならない筈はないのです。

ではどうやつて國語を守るか、その鍵は先程申しました國語と言語とが重なり合はない領域にあります。日本語は繩文時代から數千年に亙つて日本人の國語であり續け、それに基く文化を育んできました。よく「言葉は變化する」と言ひますが、易るのは極く表層部に過ぎず、成程流行語は毎年易るが、骨格の語法・文法は殆ど易はつてゐないのです。その中で大きな變化は應神天皇の御世、漢字の傳來で、ここに日本語の書き言葉が成立した事になります。普通一般には書き言葉は話し言葉を記録するものと言はれますが、慥かに漢字の傳來當時は間違なく話し言葉の記録が目的であつた。しかし一旦成立すると書き言葉はそれ自身の發展を遂げるやうになります。事實國語發展の歴史は書き言葉の發展に負ふ所が大きく、國語と日本語が重なり合はない領域の飛躍的な擴大を齎しました。特に漢字は日本語との相性が極めて良く、さうして日本人はこの書き言葉を最大限に愛用して、漢文の訓讀や假名の發明をしてきました。その結果國語は日本の文化を擔ふ最も重要な柱の一つとなり、國語は教養の一つと認識され、幼い頃から漢籍や佛典に親しみ、ラブレターを贈るにも歌を詠み、つい最近まで趣味はと聞かれて漢詩、和歌、俳句に竝んで讀書と答へる人が多かつた事を思ひ出します。序ですが日本語は難しいとされますが、本當に難しいのは漢字の訓み方で、うつかり間違へるとその人の人格まで疑はれるといふ危險性さへ孕んでゐます。古今和歌集を「ここんわかしゅう」などと讀んだら、先づもう御仕舞です。さういふ意味で總理大臣の讀み間違は想像以上の失點となる可能性があります。

さて最近の研究では漢字は視覺から直接腦の認識につながり、假名は一旦聽覺部を經由して腦に傳はるとの事であり、道路の交叉點手前には「とまれ」の文字が書いてありますが、これを「止まれ」と最初の一字を漢字にするだけで、運轉者の認識度が大幅に向上するといふのもこの應用でありすありますます。このやうに書き言葉は視覺を利用しますから、その認識は極めて高速である、聽覺は一歩後れる。さうなると讀む方はどうしても文字を省略したり、發音し易いやうにと流れてゆく。英語でもI willI’llといふ風に短い發音で濟ますやうになる。平安時代中期までは「鶯」は「うぐひす」と發音してゐたが、(エイチ)の音は發聲し難いので語中や語尾のハ行の發音が一齊にワ行に移つてしまつた、鎌倉時代の初期前後の事です。ハ行轉呼といひます。

この事態に對して、書き言葉の方ではそのまゝ「うぐひす」でゆくのか、發音に合はせて「うぐゐす」とするか、選擇を迫られる事になります。この時の選擇の主役が藤原定家でありました。定家は新古今和歌集の撰者となるなど、最高の歌人でありましたが、同時に當時流布してゐた平安中期以前の源氏物語等の寫本の校訂にも大きな功績を殘しました。ところが寫本の中にはこのハ行轉呼に對する態度が一定してゐない。そこで定家は原本に照らし、書き言葉には發音の變化を反映させない方針を決めたのですが、何分にも最高權威者の定家の言ふ事ですから、皆これに從ひ「定家假名遣」として永く流通することになりました。

定家のこの方針は正しかつたと思ひます。何故なら「うぐひす」を「うぐゐす」としたとしても、發聲が後れる事には變りありませんから、やがて例へば「うぎす」と約めることにもなりませう(「僞」の字音假名遣は「ぐゐ」ですが「ぎ」と發聲します)。つまりいくら發音に近い書き方をしても結局は發音がずれてゆきます。しかし「うぐひす」のまゝであれば發音は「うぐゐす」から餘り離れず、恰度錨を下した船が波に動かされても、その動きは一定の範圍に止るやうなものであります。偶然にも、例へばフランス語でも語尾の(エル)が一齊に(ワイ)に易はり、マルセー、ソレイなどがマルセー、ソレイなどとなりましたが、こゝでも文字を易へず、Marseille soleil (エル)のまゝ表記してゐます。定家の決定は良かつたのですが、個々の語の假名遣を決定するに就いては、必ずしも合理的でなかつたのを、江戸時代契沖が理論的に再點檢して元祿八年に「和字正濫鈔」を著はして、今日の歴史的假名遣の基礎が固まり、以來、百年後の本居宣長を始め、平成の今日まで多くの先達の研究で完成に向かつてきたのであります。

ところがここに國語にとつて不幸な事態が出來しました。明治以降の日本人にとつて、西洋文明の「普遍性」が日本文化との比較で、大きな憧れでもあり一方敗北感を抱かせるものでもありました。この普遍性は西洋文明の中核である自然科學の持つものであり、必ずしも西洋文明に普遍性がある譯ではありません。尤も現在の新興國は殆どすべて西洋文明による經濟發展を目指してゐるといふ意味では、西洋文明に一定の普遍性を認めねばなりませんが。しかし結果として普遍性のない日本文化に絶望して西洋文化への融合を求める動きともう一つは日本文化に普遍性を持たせる爲の世界化を目指すといふ二つの考へ方が出てきました。さうした中で、日本語に普遍性を與へるには「僅か二十六文字で全てを表記できる」アルファベットで日本語を表記するに限るとして、ローマ字論が出てきました。これが昭和二十年の敗戰で占領軍の「日本弱體化政策」の一環と言はれる「國語改革」と奇妙に結びついて昭和二十一年十一月十六日、先づ第一段階として、日常使用する漢字を一八五〇字に制限する「當用漢字」と定家以來の假名遣觀を否定して「現代の發音に基く」とする「現代かなづかい」が内閣告示として發令されました。ここで、「當用漢字」は昭和五十六年、「現代かなづかい」は昭和六十一年、それぞれ「常用漢字」、「現代仮名遣い」に改訂されましたが、中身は餘り易はつてゐないので、本日はすべて「當用漢字」、「現代かなづかい」で通すことに致します。

もともと言葉や文字を行政權力が統制する事自體に無理がある上、「當用漢字」、「現代かなづかい」には共に數々の矛楯點があります。問題はそれらへの對應にありました。例を擧げれば限りがありませんが、漢字と假名遣に就てそれぞれ一つづつ申しませう。

先づ漢字ですが一八五〇字では忽ち不足します。當初は假名書きにするか言換へをするとしてゐましたが、「日蝕」を「日しょく」ではさすがに何のことか解らない。そこで内閣告示から十年後の昭和三十一年、「同音の漢字による書き換へ」と稱して、「當用漢字」に含まれない漢字は、音が同じ、或いは字形が似てゐれば「當用漢字」にある漢字で代用する方針を出し、そこで「日蝕」は「日食」と書く事を公認しました。一方「秋」「刀」「魚」は何れも一八五〇字の範圍内に入つてゐますが、「さんま」を「秋刀魚」と書いてはいけないのです。理由は宛字だからといふのですが、「日食」も宛字なのに此方は認めるといふ。

假名遣では「鼻血」は「はなぢ」と書くとなつてゐます。理由は「血・ち」の語意識が殘つてゐるから。ところが「地域」「地球」など「地・ち」の語意識はあるが、「地震」「地面」は「じしん」「じめん」でなければならない。これは「地」の呉音が「ぢ」であり、字音の表記はすべて「ぢ」を「じ」とする原則だからですが、小學校では説明が難しい。そこで「地面」は「じめん」と頭から憶えさせる事になつてゐます。實は歴史的假名遣を否定した理由の一つは、發音と異なる假名書きを頭から憶えさせるのは怪しからんといふ事だつたのを忘れてはなりません。

これらの例から解りますやうに、ダブルスタンダードも何でもあり、兔に角「當用漢字」、「現代かなづかい」が全てを律する、そして既成事實をひたすら積み重ねる。かうした事を日常の言語生活の上で繰返してゐますと、知らず知らずの内にルールが絶對、ルールで許されゝば何でもありといつた風潮が力を持つやうになります。勿論歐米のやうにルール絶對が一つの文化として完結してゐればよいのですが、日本の社會文化はさうではない。嘗てライブドア社が時間外取引で巨額の利益を得たとき、同社は法律的には問題ないとしました。歐米文化ではこれで終はりでせう。しかし日本では當時財政擔當の與謝野さんが「それは美しくない」と言つた。さういふ文化風土なのです。さういふ所で都合の良い時だけルール絶對を持出すのは美しくない。國の國語政策がルール絶對を煽り立てたとまでは申しませんが、少くとも國語と日本語が重なり合はない領域を無視し、意思疏通さへ出來れば好いとする言語觀で、國語の授業時間を短縮し續けた責任は免れません。

文化は先づ修練を積んで習得したものを傳へる中で洗煉されてゆくものですが、修練を積めば積む程奧が深いものでなければ、修練の意味がありません。漢字や假名遣は學べば學ぶ程國語と日本語が重なり合はない領域が廣がる。具體的には、漢字の構造と音や意味の關係、假名遣と語原や文法・語法との關係から、更には制度習慣に至るまで考へが及ぶ喜びが増してこそ學ぶ意欲も出てきます。ところが「當用漢字」や「現代かなづかい」はこの領域を無くして、國語と日本語を一致させる方向ですから、一應習得すればもうその先がない。「者」といふ字は「緒」「煮」「都」など色々な字の部品としても使はれてゐます。康煕字典體といはれる正漢字では、どの字の場合でも「者」に「丶」があるといふ共通の法則性があります。「當用漢字」では「丶」がありません。しかしそれ以外の文字「楮」、「奢」、「覩」などでは「丶」があり、「丶」の有る無しは「當用漢字」にあるか、ないかが唯一の決定要因です。どちらが學びたくなり、どちらが學びたくなくなるか明らかでせう。

私達が正漢字、歴史的假名遣の復活を訴へるのは當にこの點にあるのです。しかし「當用漢字」「現代かなづかい」が普及してしまつた現在、それは最早不可能ではないかといふ反論があるでせう。それへの御答に代へて二つの實例を御話します。

一つは石井勳先生が開發なさいました石井式漢字教育であります。石井先生は漢字は幼兒程憶える能力が高い事を科學的に實證されましたが、これは先程申しました漢字は視覺から直接腦の認識に到達するといふ現在の知見と符合してゐます。この事は書き言葉の教育はカタカナか平假名かは別として「かな先習」といふ今までの常識を破つて、「漢字先習」こそが最も效果的であるといふ事を意味します。歴史的にも日本人が先づ漢字を學び、後に假名を發明したのですから或意味當然でもあります。石井式漢字教育は多くの幼稚園で行はれて效果を擧げてゐますが、これを義務教育に於ても採用し、今の教育漢字よりずつと多くの漢字を遙かに容易に習得させるべきであります。

もう一つはモンゴルの國字問題です。モンゴルでは古くパスパ文字、ジンギスカン文字とも言ひますが、これがありましたが、ソ聯領となつてロシア語が文字と共に強制されてきました。ソ聯崩潰で獨立を恢復したのを期にこのパスパ文字を復活させ、一時は街の標識もすべこれに改めましたが、最近は永年慣れたロシア文字も半分くらゐ復活してゐるさうです。ではパスパ文字復活は失敗したかといふと、小學校の一年からのパスパ文字教育が年を逐うて順次高學年に廣がり、着實に成果が擧つてゐるとの事であります。正漢字も歴史的假名遣も小學校一年から順に教へてゆけば九年後には、義務教育全期間をカバー出來るのです。

このやうに正漢字や歴史的假名遣の復活は決して不可能でないばかりか、早く復活させないとIT環境の劇的な變貌に取り殘される懼れがあります。現在正漢字・歴史的假名遣、更には文語表現のパソコン入力は、私が開發した「契冲」に依つて辛うじて對應が出來ますが、相次ぐ外國製OSの改訂でそれも年々對應が難しくなつてゐます。日本にはかういふ漢字、假名遣があるのだといふ事情を早く世界に發信してゆく必要があると申上げて終りと致します。御清聽有難う御座いましたましたす。で、きませんすになるとととるとになるとすふふのですますがますが出しましたしましたqした。。した。

市 川   

昭和六年生れ

平成五年 有限會社申申閣設立。

正假名遣對應日本語IME「契冲」を開發。

國語問題協議會常任理事、文語の苑幹事、契冲研究會理事。

 

これまでの私の主張(ホームページ掲載分)日附降順

上代特殊假名遣臆見 ―日本語變換ソフトからの管見―「國語國字」平成十九年二月二十三日(第百八十七號)に掲載

正字・正かなの印刷環境 ――「東京グラフィックス」平成十八年十二月號(Vol.45 No.561)に掲載

教育再生への視點  ――「當用漢字」、「現代かなづかい」告示六十年に思ふ――

桶谷秀昭著「日本人の遺訓」を讀みて(文語の苑「侃侃院」)

「契冲」正字・正かな發信のために「國語國字」第百八十五號(平成十七年十一月十一日)

忘れられる歴史的假名遣   「假名遣腕試し」に思ふ−「國語國字」第百八十四號(平成十七年十月十日)

朱鷺、信天翁、歴史的假名遣

「契冲」の獨白――字音假名遣を考へる――(「月曜評論」平成十六年四月號掲載)

パソコン歴史的假名遣で甦れ!言靈 (『致知』平成十六年三月號(通卷三四四號))

    法律と國語

國語問題最近の十年を顧みての戰略提案

 文語の苑掲載文二篇

電腦時代を支へる契冲・宣長の偉業

昭和の最高傑作 愛國百人一首飜刻  たまのまひゞき  出版に協力して

文字鏡契冲と國語問題

文化と歴史的假名遣