ミステリ&SF感想vol.172

2009.08.21
『奇蹟審問官アーサー 死蝶天国』 『イスタンブールの毒蛇』 『ロング・ドッグ・バイ』 『建築屍材』 『ヘミングウェイごっこ』



奇蹟審問官アーサー 死蝶天国{バグズ・ヘブン}  柄刀 一
 2009年発表 (講談社ノベルス)ネタバレ感想

[紹介と感想]
 奇蹟としか思えない様々な現象を調査して真の奇蹟か否かを判定するヴァチカンの奇蹟審問官、アーサー・クレメンスを謎解き役に据えた『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』の続編*1で、雑誌に掲載された短編3作に書き下ろしの“ボーナストラック”「生まれゆく者へのメッセージ」を加えた連作短編集となっています。
 単なる“探偵”ではない、奇蹟審問官というアーサーの立場により、各篇*2には“奇蹟”と事件という二つの謎が盛り込まれています。もっとも、トリック的な部分は総じてさほど面白味のあるものではなく、短編では比較的あっさり解明されてしまう*3こともあって、特に“奇蹟”を標榜する現象とその真相との落差が目立つのが気になるところです。しかしそれでも、それぞれに工夫が凝らされた“奇蹟”と事件との絡み合いは、なかなかよくできていると思います。

「バグズ・ヘブン」
 人種も宗教も複雑に入り組んだ中央アジアの小さな村。そこに住む女性が幻視や幻聴を体験した後、不思議な“千里眼”の能力を発揮し始めた。その“奇蹟”を調査するために奇蹟審問官アーサー・クレメンスが派遣されるが、当の女性は頭に長い針を刺されて殺害される。ドアも窓も施錠されたほぼ密室状況の現場は、天窓だけが封じられることなく……。
 “奇蹟”の真相には既視感がありますし、密室トリックもあまり見るべきところはありませんが、“奇蹟”と事件が密接に結びついているところはよくできていますし、密室をめぐる犯人側と探偵側のロジックにも興味深いものがあります。そして、最後のオチが実に鮮やかです。

「魔界への十七歩」
 オーストリアの山岳地帯、時おり“白魔{アルプ}の咆哮”と呼ばれる大音響を発する巨大な洞窟のそばに建てられた別荘。招かれたオペラ歌手がその豊かな声量で“白魔の咆哮”を引き起こしたしばらく後、突然銃声が鳴り響く。霰に白く覆われた階段に残る奇妙な足跡の行く先、他に誰もいない離れの中で、別荘の主人が猟銃で撃たれて死んでいたのだ……。
 “奇蹟”の現象が非常に鮮やかなだけに、その真相には(フィクションであることを割り引いても)やや無理が感じられますが、それをある程度納得させるだけの伏線はよくできています。事件の真相は十分に意表を突くもので、“奇蹟”の鮮やかさがそこにうまく組み込まれているところも秀逸です。

「聖なるアンデッド」
 ペルー中部、古代の遺跡近くの教会で長年伝道にたずさわり、老衰死した神父。埋葬の数日後、土砂崩れで再び地表に現れてきたその遺体は、腐敗することなく生前そのままの姿を保ち、聖痕のような染みまで生じていた。一方、遺跡調査のために現地を訪れていた考古学の教授が、“生きている屍”に襲われて食い殺されるという怪事件が発生して……。
 “生きているような遺体”と“生きている屍{リビングデッド}”――似て非なる存在が生み出す、対極的なイメージのコントラストがまず強烈。謎解き以外の部分の比重が大きくなっているようにも思われますが、一部非常にショッキングな真相を含めて、最終的にはすべてがテーマの下にうまくまとまっている感があります。

「生まれゆく者へのメッセージ{バースマーク・テリング}
 ダライ・ラマと同様に転生を繰り返すとされる、チベットの宗教家サムドン・ゲンポ。その新たな“生まれ変わり”を探し求めるチベット僧侶に同行したアーサー・クレメンスは、もう一つの“生まれ変わり”に遭遇する……。
 本書の刊行に際して書き下ろされたボーナストラック的な小品。“日常の謎”に通じる、ある人物の不可解な行動の理由をめぐる謎解きはまずまずですが、“奇蹟”を(直接的には)読者にのみ示すことでアーサーによる“解体”を回避しているところはややあざとく感じられますし、このシリーズの中にあっては違和感を禁じ得ません。

*1: さらにその前に、神学校時代のアーサー・クレメンスの活躍を描いた長編『サタンの僧院』もあります。
*2: 最後の「生まれゆく者へのメッセージ」を除く。
*3: 一つの物語の中に複数の“奇蹟”を並べていき、最後にすべてを解き明かす(前作までのような)長編の方が、このシリーズには適しているように思われます。

2009.05.31読了  [柄刀 一]
【関連】 『サタンの僧院』 『奇蹟審問官アーサー 神の手の不可能殺人』 『月食館の朝と夜』



イスタンブールの毒蛇 The Snake Stone  ジェイソン・グッドウィン
 2007年発表 (和爾桃子訳 ハヤカワ文庫HM347-2)

[紹介]
 1839年、オスマントルコ帝国。スルタンのマフムート二世が重い病に臥し、帝都イスタンブールにも不安が渦巻く中、宦官ヤシムの友人であるギリシア人の八百屋ゲオルギーが、何者かに襲われて重傷を負う。さらに、同じくギリシア人の古本屋の主人が店内で殺害されてしまった。相次ぐ事件はギリシア独立運動と関係があるのか? 一方、フランス人考古学者ルフェーブルと知り合ったヤシムだったが、そのルフェーブルは裕福なギリシア人銀行家を相手に何やら企んでいるらしい。やがて、何者かに追われてひどく怯えた様子で転がり込んできたルフェーブルを、イスタンブールから脱出させようとしたヤシムだったが……。

[感想]
 エドガー賞(アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞)に輝いた『イスタンブールの群狼』に続く、19世紀オスマントルコを舞台とした歴史ミステリのシリーズ第2弾。様々な場所に通じる白人宦官ヤシムを主人公に据えた私立探偵もののようなスタイルで、(歴史を含めた)イスタンブールの街をじっくりと描き出していく作風は、前作からそのまま引き継がれています。

 前作では衰退する帝国を復興すべく改革の大鉈を振るっていたはずが、作中でわずか三年を経て病み衰え死に瀕したスルタンの姿がまず印象的。物語の本筋にさほど関わってくるわけではないものの、(前作でも描かれていたように)スルタン及びその母親〈母后{ヴァリデ}〉の信頼と親愛を得ている主人公ヤシムをはじめとする様々な人々の心に影響を与え、背景に落ちる暗い影として物語に不安な雰囲気を与えています。

 本書でギリシア独立運動が扱われているのも、病によるスルタンの支配力の低下を象徴しているように思われますが、実際にはすでにギリシアの一部はトルコからの独立を果たしている*1ので、これは牽強付会かもしれません。いずれにしても、門外漢としてはトルコとギリシアの思いのほか(?)根深い関係には興味をひかれますし、独立運動に参加していたバイロン卿がクローズアップされているのもなかなか面白いところです*2

 ヤシムを直接厄介ごとに引きずり込むルフェーブル(ともう一人)が考古学者であることで、ヤシムも否応なしに(ギリシアとの関係を含めた)歴史に目を向けることになりますが、山師に近い性格のルフェーブルが残していったものをめぐって物語は“宝探し”のような様相を呈し、その過程で作中の“現在”をも密かに支配する伝統の存在が浮かび上がるなど、前作とは違った側面からイスタンブールという舞台とその歴史に光が当てられていくところがよくできています。

 実をいえば、物語の展開などに前作とかなり似た部分が見受けられるのが多少気になるところではあるのですが、これはマンネリというよりもむしろシリーズのお約束ととらえるのがベターで、前作を楽しめた方ならば本書も安心して読むことができるのは間違いありません。そして、驚天動地とはいかないもののそれなりに意外な事件の決着と、一つの時代の終わりを告げるかのような物語の幕切れという、二つの結末が見事です。

 なお、内容とは関係のない部分で一つ苦言を呈しておきたいのが、前作では通常サイズの文庫本だったものが本書ではやや大ぶりの〈トールサイズ〉に切り替わっている点で、刊行時期の関係で致し方なかったのかもしれませんが、シリーズものについては何とか判型を統一してほしかったところです。

*1: 作中でもスルタンが“あのギリシア人ども――アテネの輩などは実際に反旗を翻し(中略)エーゲ海に独立王国を打ち立ておった。ギリシア王国だと!”(34頁)と憤慨していますが、1832年に(領土は限定されているものの)ギリシャ王国が誕生しています(「ギリシャ独立戦争 - Wikipedia」を参照)。
*2: ついでにいえば、前作で狂言回しの役回りをつとめていた英国大使館のコンプストンが、熱烈な“バイロン狂”として再登場しているのも愉快です。

2009.06.05読了  [ジェイソン・グッドウィン]
【関連】 『イスタンブールの群狼』



ロング・ドッグ・バイ  霞 流一
 2009年発表 (理論社ミステリーYA!)ネタバレ感想

[紹介]
 東京郊外の小さな町、浮羅田町で暮らしている俺は犬、名はアロー。このところ町で話題になっているのは、数々の伝説を残して亡くなった町のヒーロー犬・柴犬レノの銅像の前に、ある朝いきなり出現したゴボウの謎。“探偵犬”の俺は、幼い柴犬ボンタから依頼を受けて渋々調査に乗り出すが、そこに待ち受けていたのは何とも不気味な“幽霊犬”の噂に、銅像のある公園で起きたもう一つの怪事件、そして犬の鋭い嗅覚と観察眼でしか気づき得ない不可能状況――“犬密室”の謎だった。俺は町内のエキスパート犬たちの助けを借りて、さらに調査を進めていくが……。

[感想]
 霞流一といえば、デビュー作『おなじ墓のムジナ』に始まり、狐、蛸、馬、蟹など“動物づくし”のミステリを発表していることで知られていますが、大の犬好きである作者がついに“犬”をお題とした*1本書では、今までの作品とは違ってお題である犬たちが主役。同じ犬の視点によるミステリであっても、宮部みゆき『パーフェクト・ブルー』『心とろかすような』(こちらは未読)などと違い、探偵役のアローをはじめ数多くの犬たちが作中に登場し、“犬の世界”を描くことに重点が置かれています。

 謎の解明に人間が一切関与しないのも目を引くところですが、発端となるゴボウの謎のように人間からすれば単なる悪戯でも依頼犬にとっては切実であったり、あるいは“幽霊犬”や“犬密室”のようにそもそも人間には感知し得ない謎であったりと、巧妙な謎の設定が“犬による、犬のための謎解き”に十分な説得力を与えているのが非常に秀逸。結果として本書は、“犬ミステリ”として卓抜なものに仕上がっているといえるでしょう。

 かくして、主役のアローは人間に頼ることなく謎解きに邁進しますが、犬たちの間では“探偵犬”で通っているとはいえ飼い犬の立場であり、人間の探偵役とは違ってその行動に制約が課せられることになります。が、犬の探偵役にとっての最大の障害であるそれを逆手に取って、エキスパート犬たちによる“大脱走”ならぬ“犬脱走”(213頁)という見せ場を作り上げてあるところは、『夕陽はかえる』で“本格ミステリと活劇の融合”という新境地を開いた作者らしいといえます。

 霞流一作品の定番である、消去法による犯人特定の演出がみられないのは寂しい限りですが、探偵が犬で容疑者が人間*2という状況では“名探偵、皆を集めて「さて」と言い”というわけにもいかず、やむを得ないところでしょう。また、人間の描写にあまり重きが置かれていないこともあって、犯人の指摘がほとんどインパクトを生じないのはいささか問題かもしれませんが、そこは活劇によるカタルシスである程度カバーされていますし、様々な手がかりや伏線をつなぎ合わせて解き明かされる真相――“何が起こっていたのか”――はなかなかよくできていると思います。

 そして「理論社ミステリーYA!」というレーベルにふさわしく、発端から解決までの全編が、依頼犬である柴犬ボンタの成長を描くビルドゥングスロマンになっており、結末の“ロング・グッド・バイ”ならぬ“ロング・ドッグ・バイ”も鮮やかな印象を残します。他人に“貴方は一日にどれくらい犬のことを考えています?”と問いかける*3ほど犬好きの作者による、犬好きの方には間違いなくおすすめの快作です。

*1: 『プラットホームに吠える』では“狛犬”が扱われていますが、“犬”そのものがお題とされるのは初めてです。
*2: 状況からみて、明らかに犬には不可能な“犯行”なので、ネタバレにはならないと思います。
*3: 巻末の“霞流八”氏による解説より。

2009.06.21読了  [霞 流一]



建築屍材  門前典之
 2001年発表 (東京創元社・入手困難ネタバレ感想

[紹介]
 名古屋市内に建築中の江津電気ビル。ある夜そこに入り込んだ浮浪者が発見した、バラバラに切断されてナンバリングされた三人分の死体は、その後跡形もなく消失してしまう。そして同じ夜、現場で目撃された不審な人影は、追い詰められたはずの密室から忽然と姿を消した。一方、江津電気社長とその秘書、そして一見関係のなさそうな高校教師の三人がそれぞれ行方不明となっていることが判明し、それぞれの自宅に切断された小指が送りつけられる。建築現場で目撃されたバラバラ死体との関連が疑われるが、警察の徹底的な調査にもかかわらず何も見つからないまま、屋上でコンクリートの仕上げをしていた職人が刺殺され、生乾きのコンクリート上には犯人の足跡が……。

[感想]
 『唖吼の輪廻』で第7回鮎川哲也賞の最終候補となり、それを改題して自主出版した『死の命題』(新風舎)*1が一部で話題を呼んだ作者による、第11回鮎川哲也賞受賞作。題名の通り、建築に関する専門的な知識*2を存分に生かした建築ミステリであり、また作中のあらゆる要素が奇怪な謎と解決に奉仕する、よくも悪くも(?)本格ミステリらしい作品といえるでしょう。

 巻頭にビルの(1Fから4Fの)図面が配され、ほぼ全編においてそのビルが物語の中心に据えられているところなど、“館ものミステリ”に通じるところがあるように思われますが、本書では舞台となるビルがいまだ完成途上にあるというのが最大の特徴。そのため、コンクリートや石膏ボードといった素材から、壁や柱などの具体的な構造、そして“どのような手順で建物を完成させていくか”という工程に至るまで、建築作業全般に焦点が当てられており、一般的な“館ものミステリ”とは一線を画しています。

 結果として、作中に盛り込まれた建築関係の薀蓄は膨大な量となっており、建築にあまり興味の持てない読者にとってはやや敷居の高い作品といえるかもしれませんが、個人的には十分に許容範囲内。次々に発生する事件と絡めて説明がなされる場合も多く、薀蓄を無理矢理読まされているという印象はさほどありませんし、おなじみの“死体を建築現場のコンクリートの中に埋める”というネタが実行不能という話などは、ミステリファンにとって一読の価値があるのではないかと思います。

 そしてその舞台で展開されるミステリネタについては、三人分の死体の消失、密室状況からの人間消失、コンクリート上に残された犯人の不自然な足跡、そして“姿なき犯人”による殺人という四つの主要な謎に、さらに細かな謎がいくつもぶら下がっていく形の、これでもかといわんばかりに大量の謎の連打が実に強烈。それぞれに工夫の凝らされた不可能状況もさることながら、事件全体が奇妙にちぐはぐで不可解な様相を呈しているのが面白いところです。

 これら複雑怪奇な“謎と解決”と、それを支える建築関係の蘊蓄とが本書の大半を占めている分、それらの隙間を埋める程度にとどまっている物語部分の弱さ――登場人物、特に語り手の印象の薄さも含めて――は、少々気になるところではあります。また肝心の“謎と解決”にしても、いささか専門的な知識に頼りすぎているきらいがある*3のは確かですし、ある程度仕方ないとはいえ煩雑に感じられる部分がある――特にコンクリート上の足跡の謎に関して――のも難点でしょう。

 それでも、ついに完成をみたビルにおいて解決の幕が開くという趣向は印象的ですし、立て続けに明らかにされる真相はいずれもよく考えられていると思います。とりわけ、メインの謎である死体消失の盲点を突いた真相は――無理が感じられる部分もあるものの――やはり秀逸。加えて、犯人の動機――というよりも歪なロジックが衝撃的で、いい意味で開いた口がふさがりません。好みが分かれるのは間違いありませんが、読み終えてみると鮎川哲也賞受賞にも納得できる、“本格ミステリ”にこだわった一作です。

*1: 2010年に改稿・改題され『屍の命題』(原書房)として刊行。
*2: 巻末の「選考経過」によれば、作者は建設会社勤務とのこと。
*3: ただし、その分手がかりもかなりしっかりと示されており、十分にフェアといっていいように思います。

2009.06.24読了  [門前典之]



ヘミングウェイごっこ The Hemingway Hoax  ジョー・ホールドマン
 1990年発表 (大森 望訳 ハヤカワ文庫SF1699)ネタバレ感想

[紹介]
 ヘミングウェイが専門の大学教員ジョン・ベアドは、バーで論文を執筆中に詐欺師キャッスルと出会い、1922年にリヨン駅構内で紛失したヘミングウェイの未発表原稿の贋作に手を染めることになる。タイプライターや紙など入念に当時の材料を揃える一方で、研究の成果と持ち前の異常な記憶力を駆使して原稿の内容についての構想を練るジョンだったが、そんな中、目の前にヘミングウェイその人が出現して贋作をやめるように要求してきたのだ……。

[感想]
 本書は、『終わりなき戦い』などで知られるSF作家ジョー・ホールドマンが、アマチュアのヘミングウェイ研究家という“もう一つの顔”を前面に押し出した作品で、紛失したヘミングウェイの未発表原稿をめぐるコン・ゲーム小説に始まりながら、それが次第に奇妙な時間SFへ発展していくという、異色の取り合わせが何ともいえません。

 まず冒頭、主人公のジョン・ベアドが出会ったばかりの詐欺師キャッスルに乗せられて贋作を企てるようになる経緯は、少々展開がスムーズにいきすぎるようにも思われますが、それだけ“ヘミングウェイの未発表小説の“創作””が研究者にとって魅力的なプロジェクトであることは理解できますし、巻末の「訳者あとがき」で紹介されている作者自身の本書執筆の動機*1がそれを補強しているのが面白く感じられます。

 いずれにしても、ヘミングウェイの贋作に関する部分に力が注がれているのは門外漢*2の目にも明らかで、現存するヘミングウェイの原稿に合わせて当時のタイプライターに細かく改造を施す*3といった物質的側面もさることながら、ジョンが手がかりをもとに文体にも気を配りつつ原稿の内容を“創作”していく過程が圧巻です。残念ながら、そのパスティーシュとしての出来ばえを評する資格は私にはありませんが、試行錯誤による内容の変遷などはなかなか興味深いものがあります。

 贋作計画が少しずつ進行する中、早い段階から“タイム・パトロール”ものの気配を漂わせていた物語は、中盤あたりになって本格的に時間SFへと舵を切り始めます。いきなり〈ヘミングウェイ〉が登場するという半ばギャグめいた場面には苦笑せざるを得ませんが、その章の最後に待ち受ける唐突な出来事、そしてその後のある意味大胆な展開には唖然とさせられるところがあり、時間SFとしてはかなりユニークなものといえるでしょう。

 贋作で大儲けを目論むジョンの妻リナとキャッスルによる企みと、“タイム・パトロール”による介入とが交錯する物語後半はまったく予断を許すことなく、クライマックスに至っては何とも凄まじい混沌「訳者あとがき」には“よく読んでみると時間SF的にはきっちり説明がつくように書かれている。”とあるものの、読解力不足のせいもあってかなり難解な印象を受けてしまいますが、むしろ辻褄が合わなさそうな破天荒さが本書独特の魅力となっている感があります。

 どこからどう見ても奇天烈な作品でありながら、スピーディな展開や随所に漂うユーモアによって、高いリーダビリティが備わっているのが見事。ヘミングウェイの著作を読み込んでいる方がより楽しめるのは確かでしょうが、そうでなくとも十分に面白く読むことができると思いますし、何ともいえない奇妙で愉快な味わいには一読の価値があるといえるのではないでしょうか。

*1: “ヘミングウェイの贋作をしようとする男の話を書けば、法に触れる心配なしにパスティーシュが書けるじゃないか。”との思いつきが発端とのことで、主人公のジョンと作者の姿が重なり合ってメタフィクション的な様相も呈しています。
*2: 恥ずかしながら、いわゆる文学作品というものはろくに読んだことがないもので、ヘミングウェイも例に漏れず未読です。
*3: それを強調するかのように、時おりタイプ打ちした原稿がそのまま作中に挿入されているのも目を引きます。

2009.06.29読了  [ジョー・ホールドマン]


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