ミステリ&SF感想vol.119 |
2006.02.14 |
『閘門の足跡』 『人魚とミノタウロス』 『牧師館の死』 『ある閉ざされた雪の山荘で』 『太陽系辺境空域』 |
閘門の足跡 The Footsteps at the Lock ロナルド・A・ノックス | |
1928年発表 (門野 集訳 新樹社) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 『サイロの死体』にも登場した保険会社の探偵・ブリードン夫妻を謎解き役とした黄金期の古典、ストレートな本格ミステリです。事件そのものにまったく派手なところがないこともあって、全体的にかなり地味に感じられますが、数多くの手がかりがばらまかれた上に様々な趣向が盛り込まれ、なかなか面白い作品となっています。
仲のよくない二人とはいえ、発端となるボートでの川下りの旅は、細かな情景描写と相まって傍目には結構のどかなものに感じられます。やがて起きる失踪事件もつかみどころのないもので、物語はそのまま比較的ゆったりとした雰囲気で進んでいきます。しかし、その中で延々と展開される推理は見応えがあります。マイルズとアンジェラのブリードン夫妻に、友人のリーランド警部やアメリカから来た探偵のクァーク氏を加えた“探偵団”の推理合戦は非常に密度が濃く、また少しずつ手がかりが見つかるたびに次々と様相が変わっていくことで、なかなか読者を飽きさせないところも見事です。 ただし、難点もいくつか。まず、(大半の読者にとっての)最大のサプライズが中盤にきてしまっているために、それ以降、ただでさえ地味に感じられる物語が一層盛り上がりを欠いてしまうのがもったいないところです。また、手がかりや趣向があれもこれもと盛り込まれすぎてプロットがかなり複雑なため、読者が自力で推理しようとするにはいささか敷居が高くなっているきらいがあるのも問題かと思います。さらにいえば、一部に見受けられるある種のご都合主義も気になるところです。 とはいえ、フェアプレイを重視した黄金期の古典として、一読の価値はあるのではないでしょうか。 2006.01.19読了 [ロナルド・A・ノックス] |
人魚とミノタウロス 氷川 透 | |
2002年発表 (講談社ノベルス・入手困難) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] 作者と同名の探偵役“氷川透”が登場するシリーズの第4作ですが、以前の作品とは違って、「読者へ」(の挑戦状)において
“この作品はフィクションである”と明言されています。色々と理由はあるのかもしれませんが、前作『最後から二番めの真実』で示された、いわゆる“ゲーデル問題”の解決策としての(擬似)ノンフィクション形式という手法がそれなりに興味深いものだっただけに、ややもったいないようにも感じられます。 さて内容の方はといえば、病院の一室での焼死事件という派手さもさることながら、高校時代に氷川に多大な影響を与えた友人が被害者らしいということで、いわば“氷川透自身の事件”の様相を呈しており、大いに読み応えがあります。たとえ名探偵といえども、親しい人物の死に衝撃を受けるのは当然のことですが、被害者が“顔のない死体”であるせいでいわゆる“バールストン先攻法”を疑わざるを得ない、逆にいえば、友人が被害者を装った殺人犯ではないことを証明するために苦悩を乗り越えて推理せざるを得ない、という状況設定が非常に巧妙です。 その“顔のない死体”の正体はもちろん、殺人犯の正体、ひいては事件全体の真相と不可分となっているわけですが、それらをひとまとめにして解き明かしていくロジックは、シリーズの中でも屈指の出来映え。アクロバティックな飛躍こそ見受けられないものの、膨大なパーツを精緻に組み上げたような解決のロジックは、質量ともに圧倒的です。特に、“顔のない死体”にロジックで挑むという、あまり例を見ない試みは非常に面白いと思います。ただし、一点だけ“穴”があるように見受けられるのが残念なところではありますが。 若干の難もあるとはいえ、“氷川透自身の事件”というテーマに沿った物語は印象深く、またその結末も見事です。少なくとも、今までに読んだ“氷川透シリーズ”の中では最もよくできた作品だと思います。 2006.01.20読了 [氷川 透] |
牧師館の死 Redemption ジル・マゴーン | |
1988年発表 (高橋なお子訳 創元推理文庫112-03) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] デビュー作『パーフェクト・マッチ』に続いてロイド首席警部とジュディ・ヒル部長刑事を主役とした作品で、牧師館で起きた殺人が扱われており、A.クリスティ『牧師館の殺人』(こちらは未読)の現代版とも評されているようです。
状況からみて家庭内の殺人という様相が濃く、しかもそれぞれに動機があるということで、比較的単純な事件であるように思えますが、捜査は一筋縄ではいきません。主な容疑者となる家族たちは互いにかばい合い、事件の真相はその証言の奥深くに隠されています。幾重にも重なって真相を覆い隠すベールが、丹念な捜査によって一枚ずつはがされていく過程は、実に読み応えがありますし、誰が誰を、どのようにかばっているかを通じて、登場人物たちの心情がくっきりと浮かび上がってくるところもよくできています。 問題となるのが容疑者たちのアリバイであり、しかもかなり複雑な状況となっているために、全体像を把握しにくいのは否めませんが、じっくり腰を据えて確認しながら読む価値はあると思います。解決は非常に鮮やかですし、最後の最後に示されるオチも見事。やや地味ではありますが、なかなかの佳作といっていいでしょう。 ただ、物語の脇筋となるロイドとジュディの関係は、印象深くはあるものの、時に本筋の流れを遮っているようにも感じられます。現代的な作品ではある程度必要とされるのかもしれませんが、個人的にはもう少し削った方がいいのではないかと思います。 2006.01.23読了 [ジル・マゴーン] |
ある閉ざされた雪の山荘で 東野圭吾 | |
1992年発表 (講談社文庫 ひ17-12) | ネタバレ感想 |
[紹介] [感想] いわゆる“雪の山荘”(あるいは“嵐の山荘”)もののミステリですが、状況設定はきわめて異色で、かなりの変化球といっていいでしょう。何せ、舞台となるペンションは実際に外部から隔離されているわけではなくあくまでも仮想の“雪の山荘”であり、しかもその中で“殺人劇”が展開されるという、虚構性を前面に押し出したものになっているのですから。しかし裏を返せば、“雪の山荘”というミステリ特有のご都合主義的な設定と、現実世界との折り合いをうまくつけた、見方によっては現実的なアプローチともいえるように思います。
そして本書では、リアリズム的演出を求める指示によって芝居の配役(人間関係)が作中の現実の通りと設定されることで、作中の“現実”と“虚構”(=芝居)とが重ね合わされてほぼ一体化しています。稽古はきちんとした台本に沿ったものではなく、最小限の初期設定によるシミュレーションに近いものになっており、“現実”を芝居として扱うことで逆に虚構の設定にある程度の“現実感”が備わっているところが巧妙です。 また、“現実”を芝居として扱う設定に歩調を合わせるかのように、メインのパートでは登場人物たちの描写は客観的なものにとどまり、あたかも読者を観客の位置に据えて芝居が行われているようなスタイルとなっています。ただ、それだけではどうしても読者に対して不親切になってしまうところがあるので、随所に登場人物の一人・久我和幸の視点でのパートが挿入され、その内面、つまり芝居の“外側”にあたる部分が補われています。特に、久我は七人の中でただ一人劇団〈水滸〉に所属していない“異分子”であるため、他の登場人物の紹介などが自然に行われているところは見逃すべきではないでしょう。ちなみに、久我のパーソナリティには、客観的な描写と主観的な描写とで大きなギャップがあり、思わずニヤリとさせられます。 やがて“事件”が起き始めると、“現実”と“虚構”の一体化はますます促進されていきます。また、殺人事件が、現実に起きているかもしれないという疑念が生じているにもかかわらず、演出家からの指示が登場人物たちを強く縛り、仮想の“雪の山荘”という設定がそのまま維持され続けるのもうまいところです。 最後に明らかになる真相は、本書以降のミステリを読み込んだ方にとっては驚きはそれほどでもないかもしれませんが、非常によくできたものだと思います。結末の処理は人によって好みが分かれるかとは思いますが、作者の技巧が存分に発揮された傑作といっていいでしょう。 2006.01.31再読了 [東野圭吾] |
太陽系辺境空域 Tales of Known Space ラリイ・ニーヴン |
1975年発表 (小隅 黎訳 ハヤカワ文庫SF348・入手困難) |
[紹介と感想]
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