ミステリ&SF感想vol.171

2009.06.20

密室{ひめむろ}の如き籠るもの  三津田信三

ネタバレ感想 2009年発表 (講談社ノベルス)

[紹介と感想]
 ホラーとミステリを巧みに融合させた〈刀城言耶シリーズ〉の初の短編集で、雑誌に掲載された短編が三篇に、短めの長編といってもいい書き下ろしの表題作を加えた全四篇が収録されています。長編に比べるとやや物足りなく感じられる部分があるのは否めませんが、見方を変えればそれぞれに長編とはやや違った味わいがあるともいってよく、全体的にはまずまずといったところでしょう。

「首切の如き裂くもの」
 元華族の御屋敷町、阿曇目家と籠手家の間にある淋しい行き止まりの路地で、年頃の娘が喉を切り裂かれて殺される事件が相次ぎ、疑いを向けられた籠手家の長男が現場で自殺を遂げたのが一年前。それから何かと怪事が続いてきた路地で、阿曇目家の令嬢が喉を切り裂かれた上に凶器が消失するという奇怪な事件が発生して……。
 怪異の扱いに関してはシリーズ長編を踏襲した形になっており、特に度重なる事件によって強調される“逢魔が刻”の雰囲気はなかなかのものです。が、刀城言耶によって解き明かされるある意味愉快なトリック(←これ自体はまずまずだと思いますが)が、ホラー的な雰囲気とバッティングしているように感じられるのが少々残念なところです。

「迷家の如き動くもの」
 毒消し売りの娘・富子は、商いの途中に訪れた鳥居峠の松の木〈天狗の腰掛け〉で、向かいにある山の中に奇妙な家を目撃した。ところが、その数時間前に同じ場所を通った仲間の美枝は、家など見当たらなかったというのだ。やがて出会った行商人から、人を喰うために動き回る〈迷家〉という化け物の話を聞かされて、二人は恐れおののくが……。
 発端となる“家の消失”という現象はミステリでもしばしば見受けられるものですが、この作品ではそこに怪談めいた話が次々にかぶせられていく構造が非常に興味深いところです。“家の消失”からさらに思わぬ真相を導き出すロジカルな解決は見ごたえがありますが、刀城言耶のある種の“ダメっぷり”がよく表れた結末も印象的。

「隙魔の如き覗くもの」
 多賀子は子供の頃からたびたび、戸の隙間に不思議な幻を目にしてきた。一族に取り憑いた〈隙魔〉が見せるのだという不吉な光景は、多賀子自身に関わる過去や未来の出来事だった――そして今、小学校の教師となった多賀子は校舎の扉の隙間に、校長が鬼に襲われる場面を幻視する。やがて、校長が自宅で殺されたという知らせが……。
 〈隙魔〉という怪異が実在することが前提となっていますが、さりとて事件が〈隙魔〉の仕業だと匂わされるわけでもないという、シリーズ中でもかなり異色の作品。長編に比べると小規模ながら刀城言耶お得意の執拗な推理が展開された末に明かされる、脱力トリックを巧妙に処理した真相が秀逸です。

「密室の如き籠るもの」
 猪丸家の裏庭に迷い込んできた、葦子という名前の他には何も覚えていない奇妙な女は、そのまま猪丸家にとどまって暮らすうちに見つけた自動筆記板を使って、〈狐狗狸さん〉の儀式を行ってみせる。やがて猪丸家の後妻に収まった葦子は、町の評判となった〈狐狗狸さん〉を蔵座敷の二階で行い続けるが、絶対に触れてはならないという不気味な〈赤箱〉が置かれたそこは、猪丸家代々の嫁が何人も急死を遂げた不吉な場所だった。そしてある日、完全な密室状況の蔵座敷で、葦子が何者かに殺害されてしまう……。
 本書の半分以上を占めるこの作品は、〈狐狗狸さん〉と奇怪な〈赤箱〉という怪異絡みのネタを扱いつつも、中心に据えられているのは題名にもあるように“密室”であり、かなりミステリの側に軸を置いた作品となっている感があります。
 とはいえ、作者が多用する*少年視点の描写により、葦子という得体の知れない女性に対する違和感と不安を高め、怪異の気配をにじませていく展開はさすがというべきですし、〈狐狗狸さん〉というわかりやすいネタで読者を引き込むあたりも巧妙。
 もっとも、眼目となるのはやはり事件が起きてからの刀城言耶の推理で、『凶鳥の如き忌むもの』の“人間消失講義”、『首無の如き祟るもの』の“首無し死体講義”に続いて、この種の“講義”の大本命というべき“密室講義”が圧巻。加えて、そこからあっさりと方向転換してしまうのが実に刀城言耶らしいところで、一転して焦点が当てられる事件直前の関係者の行動から、意外な事件の様相が解き明かされていく過程が何ともいえません。
 最終的なホラー色の薄さは、シリーズの作品としてはやや物足りないところですが、なかなかよくできた作品といっていいのではないでしょうか。


2009.04.20読了  [三津田信三]

人事系シンジケート T-REX失踪  鳥飼否宇

2009年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 大手玩具メーカー・トリストイの人事部に所属する若手社員・物部真治は、誰にも話したことのない特殊な能力を人事部長・峯岸史子に見出され、部長直属の特別案件担当として働いていた。そんな真治に、数日前から無断欠勤を続けている海外業務部の田尻優の様子を調べるよう指示が出される。優と仲のよい同僚・東郷麻紀に、社内から送られた誹謗中傷のメールが原因らしいと知らされた真治は、麻紀とともに優の家を訪ねて詳しい事情を聞く。その翌日、今度は新商品〈ハイパーT-REX〉の試作品の盗難事件が発生し、商品開発部長・坂田隆志が人事部に協力を求めてくる。さらに真治は、行方不明になった会長夫人のペット探しまで引き受けることになり……。

[感想]
 擬人化した昆虫の世界で本格ミステリを展開した『昆虫探偵』や、『痙攣的 モンド氏の逆説』に代表される実験的/前衛的な作品群で、すっかりバカミス界に独自の地位を確立した感のある鳥飼否宇ですが、講談社ノベルス初登場となる本書はあまりにもらしからぬ作風*1の、異色としかいいようのない作品となっています。

 今までの作品を読んできた読者としては、大手玩具メーカーという物語の舞台からして違和感を禁じ得ないところですが、さらに開発中の試作品が盗み出されてしまうという企業スパイもののど真ん中を行くような展開には、思わずあっけに取られてしまいます。とはいえ、物語が決してシリアスに流れすぎることはなく、それどころか無断欠勤の事情調査や会長夫人のペット探しといったネタも組み合わされて、全体的に“ゆるい”雰囲気のまま進んでいくところがまた微妙。

 “ゆるい”雰囲気をかもし出しているのはキャラクターも同様で、主人公となる物部真治は特別案件担当というイレギュラーな立場にはあるものの、とある特殊能力を除けば格別変わり者というわけでもない、何の変哲もない会社員。そしてその特殊能力がフルに活用されているかといえばそうでもなく、同僚や友人といった様々な社内のコネクションを通じた調査活動の方に重点が置かれているあたり、肩すかしを喰ったような感覚が拭えません。

 しかし、作中で“人事系シンジケート”と命名されるそのコネクションを生かした仕事ぶりは、次から次に登場する面々がそれぞれに(それなりに)キャラが立っていることもあって、楽しく読むことができます。とりわけ、複数の事件が同時並行で進行する“モジュラー形式”(→こちらを参照)のプロットが採用されていることもあり、多方面からの情報が主人公・真治のもとに集約されていく展開を自然なものとする*2“人事系シンジケート”という体制は、なかなかうまくはまっているように思います。

 “ゆるい”雰囲気に終始する本書ですが、立て続けに発生した三つの事件(?)が一つに収束する解決篇は、さすがに見応えがあります。特に、それだけ取り出すと脱力ものといわざるを得ないペット探しが、意外な形で本筋に絡んでくるあたりは絶妙。また、クライマックスにおける真治の特殊能力ゆえの“困惑”にロジカルな“反転”がかぶさることで、解決がより鮮やかな印象を与えているのが秀逸です。

 作者ならではの奇天烈なトリックや狂気のロジックがみられないのが物足りなくはありますが、先入観を排して公平にみればまずまずといったところの、肩の力を抜いて楽しむべき作品といえるでしょう。

*1: もっとも、“物語の舞台から登場人物から、何だかテレビドラマをノベライズしたような風格”「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » T-REX失踪―人事系シンジケート / 鳥飼 否宇」より)という意見をみると、碇卯人名義でテレビドラマ『相棒』のノベライズを発表している作者の一面が表れた作品といえるのかもしれません。
*2: その一方で、社内の極秘であるはずの情報が、個人的なコネクションを通じてあっさり流されているところが気になりますが、これは展開上致し方ないところでしょうか。

2009.04.24読了  [鳥飼否宇]

イスタンブールの群狼 The Janissary Tree  ジェイソン・グッドウィン

2006年発表 (和爾桃子訳 ハヤカワ文庫HM347-1)

[紹介]
 1836年、オスマントルコ帝国の都イスタンブール。スルタンのマフムート二世は衰退する帝国を復興させるべく、軍事を中心に近代化を推し進めていたが、その要となる帝国近衛新軍に変事が発生する。スルタン臨席の閲兵式を間近に控える中、優秀な四人の士官が突然失踪し、次々に無残な死体となって発見されたのだ。事件の早期解決を望む陸軍司令官は、スルタンの覚えもめでたく聡明で鳴る宦官ヤシムに調査を託す。やがて浮かび上がってきたのは、かつては欧州最強と謳われながらも堕落し、ついには帝国の近代化を阻む厄介者として討伐されるに至った軍団イェニチェリの残党だった……。

[感想]
 2007年アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長編賞に輝いた、十九世紀のオスマントルコが舞台の歴史ミステリで、市街から王宮、そして男子禁制のハレムに至るまで、イスタンブールを独り自由に歩き回る白人宦官ヤシムを主人公とした、異色の私立探偵もの*1といったところでしょうか。もっとも、「訳者あとがき」“いちおう人間の主役はいるが、あくまで街の引き立て役。よくて狂言回しでしかない。”と記されているように、本書の真の主役はイスタンブールの街そのものとなっています。

 まず目を引くのが頻繁な場面転換で、全編が132もの章に区切られた構成によってストーリーが断片化され、慣れるまでは特に読みづらく感じられる部分もある反面、それぞれの章で描き出される情景がいわばモザイクの一片となり、その集積によって形作られるイスタンブールという舞台をより強く印象づけている感があります*2。もちろんそれは、“上”から“下”まであらゆる場所に通じているといっても過言ではない主人公ヤシムに負うところも大きく、その行く先々で様々な姿を見せるイスタンブールの街はエキゾティックな魅力に満ちています。

 加えて、ヨーロッパとアジア(中東)の双方にまたがる立地条件を一因とする民族と文化の多様性も見逃せないところで、それを象徴するかのようにバラエティに富んだ出自――フランス、ポーランド、ロシア、ギリシア、スーダン、アルバニアなど――の人物たちがごく自然に登場し、それぞれに物語を彩っているのも本書の大きな魅力です。それに対してイスタンブール(オスマントルコ帝国)の伝統的な文化を紹介するという狙いの一端か、ヤシム自身が見事な料理の腕を振るう場面が再三描かれているのも見どころでしょう。

 また、衰退しつつある帝国という“獲物”に各国が狙いを定め、時のスルタンは急速に近代化を推し進めて対抗を図るという時代設定が絶妙で、文化的のみならず歴史的にも生じている伝統と変革のせめぎあいが本書の重要なテーマといえます。中心となる事件――近代化された軍隊の士官を襲った惨劇の陰に、実に三百年以上にわたる権勢の果てに滅ぼされたイェニチェリ軍団の残党が浮かび上がるという構図もまたその一環で、このあたりはもともとオスマントルコ史を専門とする歴史家である作者ならではといったところです。

 その一方で、幾度も身に迫る危険をかいくぐりながら、少しずつ、しかし着実に事件の背後に横たわる陰謀に迫っていく主人公・ヤシムの活躍は痛快。宦官という特殊な境遇ゆえの苦悩がキャラクターに厚みを加えつつ、その苦悩を和らげる(宦官らしからぬ(?))ロマンスが用意されているあたりも定番といってよく、安心して楽しく読むことができる快作といっていいのではないでしょうか。

 なお、ロバート・ファン・ヒューリック〈ディー判事シリーズ〉(ハヤカワ・ミステリ版)と同様、和爾桃子氏による“訳者あとがき”の充実ぶりは特筆もので、歴史・文化・人物の各方面から比較的なじみの薄い舞台を掘り下げて紹介し、さらには作中に登場する“トライプ・スープ”*3のレシピまで掲載するという熱意に脱帽です。

*1: 他にイスラム世界を舞台とした私立探偵ものとしては、ジョージ・アレック・エフィンジャーの『重力が衰えるとき』に始まる三部作くらいしか思い浮かびません。
*2: 本書の構成に関しては、“また、本書の原題は『イェニチェリの木(The Janisaary Tree)』です。(中略)本書の細切れのパラグラフという構成は、あたかも細かい枝葉が中央に集まってあたかも一本の木という全体図が明らかになる樹形図のようなものを思い起こさせます。”「『イスタンブールの群狼』(ジェイソン・グッドウィン/ハヤカワ文庫) - 三軒茶屋 別館」より)という見方もあり、なるほどと思わされます。
*3: 牛の第二胃(トライプ)を材料とした伝統的なスープ。

2009.05.03読了  [ジェイソン・グッドウィン]
【関連】 『イスタンブールの毒蛇』

ツィス  広瀬 正

ネタバレ感想 1971年発表 (集英社文庫 ひ2-2)

[紹介]
 その始まりは神奈川県C市での、鋭敏な聴覚を持つ一人の女性の訴えだった。どこかから絶え間なく、謎のツィス音――二点嬰ハ音が聴こえてくるというのだ。単なる耳鳴りではないかとも思われたのだが、実際に精密な測定器でツィス音が計測されるとともに、同様の訴えが相次ぐ。そして、当初は局所的な現象にとどまっていたそれが、日を追って強度を高めるとともにその規模も次第に拡大し、やがて首都圏にまで波及する未曾有の大公害となってしまった。原因不明の騒音により日常生活は変貌を余儀なくされ、ついには……。

[感想]
 本書は『マイナス・ゼロ』に続く広瀬正の第二長編で、次第に強まっていく原因不明の騒音を題材に、それが人々の生活と心理に大きな影響を与えていく様子を丁寧に描いたユニークな災害パニックSFです。

 地震や洪水、火災などとは違った、人類が未体験の災害*1を描くことができるのがSFの強みで、彗星の地球への衝突(ニーヴン&パーネル『悪魔のハンマー』)、交通や通信を遮断する“雲”の発生(小松左京『首都消失』)、さらには特殊な星系における2000年ぶりの“夜”の到来(アイザック・アシモフ「夜来たる」)など、様々なものがあります。それらに比べると本書の“ツィス音”はかなり地味ともいえますが、出版当時に表面化してきた騒音問題という“現実”をデフォルメしたような効果が興味深いところです。

 まず「イントロダクション」で、精神科医・秋葉憲一が受けた訴えによって初めて認識された“ツィス音”は、音響学の権威・日比野教授によって(その原因は解明できないまでも)どのような現象なのかが徹底的に調査され、被害レベルが上昇していくことが予測されます。そのあたりの情報がテレビの特別番組を通じて逐一発信されていくことで、人々が来るべき事態に対応する準備を整えていく一方、静かなパニックが緩やかに引き起こされていくところが本書の最大の見どころでしょう。

 そして、中盤あたりから物語の中心に据えられるイラストレーター・榊英秀が、病気のせいで聴覚を失った人物だというのが非常に秀逸な設定で、“ツィス音”現象の影響が様々な形で日常生活に波及していく様子が、“ツィス音”から切り離された“傍観者”の視点から冷静かつ客観的に描き出されています。もちろん、“ツィス音”が聴こえなくとも社会全体の変化と無縁ではいられませんが、それが聴覚障害者ゆえの不便さを解消する――榊にとって好都合ともいえる方向であるために、他の人々とのコントラストによって強く印象づけられる感があります。

 災害パニックものでは、ある意味主役ともいえる災害そのものが何らかの“終息”を迎える*2という形で、結末がある程度類型化される傾向があるかと思います。本書もその例に漏れず、(目次にも表れているように)最後には“ツィス音”現象そのものの“結末”が待ち受けていますが、そこに至る演出はなかなか気が利いています。そしてそれ以上に、何ともいえない読後感をもたらすとともに、テーマを改めて強く意識させる、ひねりの加えられた結末が見事です。

*1: H.G.ウェルズ『宇宙戦争』に代表される異星人の襲来も、広義の災害ととらえることができるかもしれません。
*2: 現象が持続したまま“災害”から“定常状態”に変じるものも含めて。

2009.05.14読了  [広瀬 正]

弁護側の証人  小泉喜美子

ネタバレ感想 1963年発表 (集英社文庫 こ5-3)

[紹介]
 ストリッパーとしてキャバレーで踊っていた漣子は、客として訪れた八島財閥の御曹司・杉彦に見初められ、知り合って一ヶ月も経たないうちに結婚することになった。杉彦は、放蕩を続けた末に会社の金を使い込むなど一族のもてあまし者ともいわれていたが、漣子は心から愛する夫を立ち直らせることを決意し、八島家での新たな生活に飛び込んでいく。しかしある夜、八島家の当主である義父・龍之助が撲殺されたことで、事態は急変してしまった。幸福な新婚生活を奪い去られた漣子は、真犯人を見出して下された判決を覆すべく、親友に紹介された清家弁護士とともに調査を続け、ついに法廷に新たな証人が召喚されることになったのだが……。

[感想]
 傑作と謳われながらも入手困難となって久しかった小泉喜美子のデビュー作で、今回の復刊に当たって作家や評論家など錚々たる面々*1絶賛――いわく、“『弁護側の証人』を読む、それはすなわち、極上の魔法を体験するということである。”(綾辻行人氏)、“ダメ男の王子様と、戦うシンデレラ。起死回生の逆転愛が待ち受ける必読の名作。”(法月綸太郎氏)など――が帯に付されているのが目を引きます。

 四十年以上も前に発表された作品だけあって、さすがに台詞の言い回しなどディテールには古びて感じられる箇所もありますが、“玉の輿に乗ったヒロインが試練に遭遇する”という骨格は王道*2ともいえるもので、時代を超えて読者を引き込む力を備えています。そして、“身分違い”の結婚にも何ら臆することなく、判決に対して“今となって、ぼくらになにができるというんだ?(中略)今さら、きみ一人が何を……”と投げやりになる夫の言葉にも、迷うことなく“わたしは決してあきらめないわ”と言い切る、“戦うシンデレラ”という評にふさわしいヒロインの造形もまた魅力的です。

 物語は、クライマックスの一つともいえる引き離された夫婦の印象的なやり取りに始まり、その後は(B.S.バリンジャー『歯と爪』などと同様に)事件発生までと事件発生以後とを交互に描いていくことで、終盤近くまで事件の詳しい状況を伏せたまま進んでいく構成となっています。とりわけ事件発生以後のパートでは、読者のみが事件の核心を知らされないという何とももどかしい状態で、読者の興味を引きつける上では実に効果的といえるでしょう。

 物語が進むにつれて、八島家の資産をめぐる関係者の思惑があらわになっていくあたりは定番ともいえますが、杉彦の妻となった漣子のかつての境遇のみならず、一人息子でありながら“一族のもてあまし者”とされてきた杉彦自身の微妙な立場が、八島家の事情をより複雑にしているところが巧妙で、一族の確執と漣子の不安が深まる中でついに事件の発生へと至る展開は非常にスリリングです。

 一方、事件の真犯人を追い求める漣子と清家弁護士の努力が実を結び、ついに“弁護側の証人”が法廷に登場する場面――その鮮烈な衝撃は特筆ものですし、新たな証言をもとに事件が違った姿に再構成されていく過程は見ごたえ十分。加えて、“弁護側の証人”の存在そのものが浮かび上がらせる、さりげなくも重いテーマも見逃せないところではないでしょうか。

 実をいえば、古典とはいかないまでも古い作品であるだけに、今となってはメイントリックが多少見えやすくなっているきらいもあるのですが、よく考えられたものであることは間違いありませんし、物語と緊密に結びついてその結末を印象深いものにしているのが見事です。ミステリ史の中で、いわば歴史的価値のある作品であるのも確かですが、決してそれだけに終わらない、評判に違わぬ傑作です。

*1: 我孫子武丸・綾辻行人・宇江佐真理・千街晶之・貫井徳郎・法月綸太郎の各氏。
*2: 例えば、作中でも言及されているダフネ・デュ・モーリア『レベッカ』など。

2009.05.21読了