ミステリ&SF感想vol.188

2011.07.25

鏡の中は日曜日  殊能将之

ネタバレ感想 2001年/2002年発表 (講談社文庫 し68-4)

[紹介]
 “ぼくは自らが罪人であることを、まったく完璧な記憶力をもって、思い出したのだ”――名探偵・石動戯作のもとに、愛読するミステリ作家・鮎井郁介が雑誌連載をほぼ終えながら執筆を中断した未完の作品、『梵貝荘事件』に絡んだ依頼が舞い込む。鮎井が発表した小説は、事件を解決する名探偵・水城優臣の存在も含めすべて現実の出来事であり、『梵貝荘事件』の中で描かれている、十四年前に鎌倉の梵貝荘で起きた殺人事件を再調査するというのが依頼の内容だった――フランスの詩人マラルメを研究する文学者・瑞門龍司郎が建てた、法螺貝のような形をした梵貝荘。招待客がそこを訪れた夜、奇妙な殺人事件が発生したが、名探偵・水城優臣によって事件は鮮やかに解決された――はずだった……。

[感想]
 殊能将之の第四長編にして、『美濃牛』『黒い仏』に続いて名探偵・石動戯作が登場するシリーズ第三作。『美濃牛』では横溝オマージュ、次の『黒い仏』は○○ネタのミステリでしたが、本書は巻末に「参考・引用文献」として綾辻行人の〈館シリーズ〉*1が挙げられているように、作者らしくひねくれた“館もの”ミステリとなっています。

 物語は上の[紹介]にも書いたように、おなじみのシリーズ探偵・石動戯作が風変わりな依頼を受けるところから始まる――わけではなく、その前に「第一章」として名前もわからない“ぼく”の物語が置かれているのですが、これが非常に効果的。語り手の“ぼく”はどうやら大人でありながら精神的に幼い子供に返ってしまった様子で、“ぼく”の身近な人物も含めて周囲の何もかもが単純化された描写が続く中、時おり差し挟まれる記憶の断片や鏡との奇妙な“対話”が、何ともいえない不安感をかき立てていきます。

 この「第一章」を読み進めていくと、何が起こっているのか少しずつ見えてくる部分もありますが、しかし肝心な部分はまったく明かされることのないまま、やがて(その後の顛末も含めて)何ともショッキングな出来事が発生し、読者を深い混迷に陥れて“ぼく”の物語は幕を閉じてしまいます。“本題”であるはずの“梵貝荘事件”に踏み込む前に、読者に対して強烈な謎が提示されているのも面白いところですが、(お読みになればお分かりのように)それが作中の時間軸でいえば最後にあたる、物語の事実上の“結末”となっている構成もユニークです。

 続く「第二章」は、石動戯作による“梵貝荘事件”の再調査を中心とした【現在】と、十四年前の“梵貝荘事件”の顛末――名探偵・水城優臣による解決まで――を描いた【過去】とが交互に繰り返されるおなじみの構成*2【現在】の再調査そのものはやや面白味に欠ける感がありますが、【過去】の登場人物たちの14年という歳月を経た“その後”は印象的。一方“館もの”のパロディめいた【過去】は、正直なところトリックなどにはあまり見るべきところがないとはいえ、真相の“ある部分”はなかなかのインパクトを備えています。

 “『梵貝荘事件』がなぜ〈水城優臣最後の事件〉と銘打たれているのか”も含めて、すべての謎が解き明かされる「第三章」は圧巻。ある程度予想がついてしまう部分もありますが、最後に明かされるぬけぬけとしたトリックには思わず唖然とさせられます。さらに、“名探偵という存在”について考えさせられつつもニヤリとせずにはいられない結末は愉快。そして、“過去”と“現在”が交錯し邂逅する物語の果てに、すでに語られた“未来”が新たな感慨をもって浮かび上がってくるところなど、実に見事といえるでしょう。

*
『樒/榁』

 鮎井郁介による名探偵・水城優臣シリーズの中編「天狗の斧」――香川県は飯七温泉の高見旅館に招かれた水城と鮎井は、近くにある天狗塚での天狗の目撃、神社のご神体である“天狗の斧”の盗難、そして内側から閂のかかった旅館の一室での密室殺人と、相次ぐ事件に遭遇するが……「樒」
 ――そして十六年後、飯七温泉を訪れて高見旅館に宿泊した石動戯作だったが、そこで奇妙な事件が発生する。奇しくも十六年前に事件が起きた同じ部屋で、扉が内側から閂をかけられて開かず、中にいるはずの宿泊客が外からの呼びかけにこたえない。やがて開かれた密室の中には……「榁」

 もともとは講談社ノベルス20周年記念の“密室本”として刊行された〈石動戯作シリーズ〉第四作で、それぞれ「樒」「榁」と題された*3二篇の中編(短編?)からなる、一冊としてはかなり短い作品だということもあって、『鏡の中は日曜日』が文庫化される際に併録されたものです。ストレートな続編でこそないものの、『鏡の中は日曜日』の内容を受けて書かれた作品なので、必ず順番通りにお読みください

 まず「樒」は、事件の割にかなり“引き伸ばし感”がないでもないですが(苦笑)、その分『鏡の中は日曜日』中の『梵貝荘事件』よりも鮎井郁介自身について――とりわけ執筆時点の“作家・鮎井郁介”について筆が割かれているのが興味深いところで、『鏡の中は日曜日』を補完する形で名探偵とワトソン役との関係が掘り下げられています。密室殺人の真相は、ある意味で某海外長編のうまいバリエーションといったところですが、そこはかとなく作者らしい味わいが。そして目撃された天狗の正体には、さすがに苦笑せずにいられません。

 一方の「榁」では、まず「樒」から十六年を経た飯七温泉の“変貌”に驚かされ、続いて二つのエピソードの思わぬ関連にニヤリとさせられます*4。こちらの事件はたわいもないといえばたわいもないものですが、“同じ密室に異なる解決”という趣向はまずまず。そして「樒」と重ね合わせてみると、二人の名探偵のコントラストが印象に残ります。

*1: 第1作『十角館の殺人』から、本書の発表時点ですでに刊行されていた第6作『黒猫館の殺人』まで。これらを先に読んでおいた方が、本書をより楽しめると思います。
*2: とはいえ、【現在】の主役である石動が事件を“現実”として知るより先に“虚構”として――鮎井郁介による『梵貝荘事件』として知っていたことで、石動の意識に引きずられるように“虚構の中に入り込む”ような感覚が強まっているのは、特筆すべきところかもしれません。
*3: いうまでもないことでしょうが、それぞれの漢字の旁{つくり}に趣向が。
*4: 『美濃牛』からこのシリーズを読んでいないと、今ひとつ釈然としないものがあるかもしれませんが……。

2011.03.26読了  [殊能将之]

小説家の作り方  野﨑まど

ネタバレ感想 2011年発表 (メディアワークス文庫 の1-4)

[紹介]
 駆け出しの作家・物実が初めて受け取ったファンレター。紫依代という名の差出人は、小説の書き方を教えてほしいという奇妙な頼みを持ちかけてきた。これまでに五万冊の本を読んだという彼女は、“この世で一番面白い小説”のアイデアを思いついたものの、自分ではほとんど文章を書いたことがないためにそれを形にできず、困っているのだという。かくして物実は、世間知らずでどこかずれている女子大生・紫を相手に、“小説教室”を始めることになったのだが――“この世で一番面白い小説”のアイデアこそ教えてもらえないものの、回を重ねて“小説教室”が佳境に入ってきたその時、物実は思わぬ事態に遭遇して……。

[感想]
 映画制作記がサスペンスへと変貌するデビュー作『[映]アムリタ』、奇妙な遺言の謎を中心に据えた『舞面真面とお面の女』、そして“永遠の命”と殺人事件を組み合わせた『死なない生徒殺人事件』と、ライトノベル風の物語にミステリ的な要素や手法を取り入れた作品を発表してきた作者ですが、その最新作である本書は、一見したところミステリ色の薄い異色の(?)作品となっています。何せ話のメインが、どうやってもミステリとは結びつかなさそうな“小説教室”ですから……。

 その“小説教室”をユニークなものにしているのが、これまでほとんど文章を書いたことがない“生徒”が、いきなり“この世で一番面白い小説”を書こうとするという極端な設定です。そのために、“生徒”である紫はなかなか実際に執筆するまでには至らず、“小説の書き方”についての(おそらくは)初歩的な講義が――作者らしいとぼけた味わいのやり取りを交えながら――続いていくわけですが、それを通して読者もまた“小説とはどういうものなのか”を意識させられることになるのが巧妙です。

 その延長線上において、“小説教室”のゴールとなるべき“この世で一番面白い小説”にも焦点が当てられることになるのは当然ですが、当の紫はそのアイデアをうまく伝えることができず、具体的にどんなものを書こうとしているのかはわからないまま。しかし紫の“教師”という以前に自身が小説家である物実が、(これも紫とは違った形でずれたキャラクターの)担当編集者とも緊張感に欠けた議論(苦笑)を交わしつつ、小説家にとって“決して届かぬ高み”ともいえるそれに少しでも近づこうと独自に考えを深める姿は印象的です。

 かくして、物語はどこかのんびりとした雰囲気で進んでいきますが、そこは作者のことですからそのまますんなりと終わるはずもなく、終盤になると一転してスリリングな展開に突入する……のですが、個人的にはやや微妙に感じられてしまったのが残念。実のところ、“小説の書き方”から“このネタ”へ持ってくるというのはまったくの予想外でしたし、普通に読み流していた描写が巧みな伏線だったことにも驚かされたのですが、肝心のネタにどこか既視感を覚えてしまったのがつらいところ。

 もっとも本書に関しては、作者自身があまりサプライズを狙っていないように思えなくもない*1のですが、今ひとつ衝撃の少ない、よくも悪くも予定調和的な印象の強い結末に、少々物足りない思いが残ってしまったのは否めません。とはいえ、そのあたりを安定した作風*2の表れととらえることもできるのは確かですし、最後まで十分に楽しく読むことができる作品なのも間違いないところでしょう。

*1: これはちょっと贔屓目なのかもしれませんが……。
*2: 「『小説家の作り方』(野崎まど/メディアワークス文庫) - 三軒茶屋 別館」の、“そうしたテーマ(注:一応ここでは伏せておきます)は1作目から4作目まで一貫しているといえます。”との指摘に同感です。

2011.03.28読了  [野﨑まど]

ディーン牧師の事件簿 The Mysteries of Reverend Dean  ハル・ホワイト

2008年発表 (高橋まり子訳 創元推理文庫220-03)

[紹介と感想]
 密室や不可能犯罪を好む本格ミステリマニアである作者*1のデビュー作で、80歳を迎えて退任した元牧師サディアス・ディーンを探偵役とした不可能犯罪ものの短編集で、現代の作品であるにもかかわらず(よくも悪くも)クラシックな味わいが大きな特徴となっています。
 まず目を引くのは探偵役の造形で、元牧師ということで篤い信仰心が根底にあるのはもちろんですが、妻に先立たれて愛犬のみを家族とした引退生活の孤独さが折に触れて顔をのぞかせるのが印象的で、(おそらくは)その反動で事件に遭遇するたびにノリノリ(?)になってしまうのも微笑ましく感じられます*2
 しかしながら、ミステリとしての目玉となるべき不可能状況――そのトリックには難があるのが残念なところ。作者と同じく不可能犯罪ものを書いている現代の海外作家であるポール・アルテの作品についてもいえることですが、少なくとも不可能犯罪トリックに関しては日本の作品の方が進歩している/洗練されているといっても過言ではなく、トリックに期待して本書を読むのはあまりおすすめできません。さらに、人間味あふれる物語とミステリ部分――とりわけトリック――が乖離した印象を与えてしまい、読後感がやや微妙なものになっているのも難しいところです。
 個人的ベストは、強烈なバカトリックが光る「ガレージ密室の謎」

「足跡のない連続殺人」 Murder at an Island Mansion
 ベッドから窓に向かう泥の足跡が残された部屋の中、不気味な予言めいたメモを握りしめて急死した父親。そして屋敷を相続することになった五人の子供たちは、メモの内容そのままに、相次いで“足跡のない殺人”の犠牲になっていく。屋敷に招待されたディーンは、不可解な事件の謎に挑むが……。
 いかにもミステリマニアらしい予言の内容は笑えるところですが、読んでいる途中で覚えた嫌な予感(苦笑)そのままの、“脱力”を通り越した“がっかりトリック”には言葉もありません。

「四階から消えた狙撃者」 Murder from the Fourth Floor
 ディーンとマーク・スモール刑事の目の前で、銃撃されて負傷した男。どうやら被害者と別居中の妻が、近くのアパートメントの四階にある自室からライフルを撃ったらしいのだが、マークが駆けつけてみると、狙撃者は火薬の臭いと薬莢だけを部屋に残して、出入り不可能な建物から姿を消していた……。
 若いマークとディーンが事件を通じて次第に深めていく、年齢や立場を超えた友情のようなものが見どころ。ミステリとしては、トリックがやたらに複雑かつ面白味に欠けるのが難点。(一応伏せ字)“困難は分割せよ”という格言(?)がありますが、あまり分割しすぎるのも考えもの(ここまで)、ということで。ただし、最後に明かされる強引な“気づき”はユニークです。

「不吉なカリブ海クルーズ」 Murder on a Caribbean Cruise
 カリブ海クルーズに参加することになったディーンは、船上で30代半ばの男女四人のグループと知り合い、親交を深めていく。だがある夜、突如現れた正体不明の怪人物がグループに襲いかかり、一人を甲板から海に突き落としてしまう。さらに船室では自殺に見せかけた密室殺人が起こり……。
 一言でいえばやりすぎ。自殺に見せかける計画にしては、いくら何でも不要な細工が目立ちます。密室トリック解明の手がかりなどは面白いと思うのですが……。

「聖餐式の予告殺人」 Murder at the Lord's Table
 ディーンの旧友・ラグズデール牧師が、このところ奇妙な体験に悩まされているという。礼拝に現れた天使やイエス・キリストを思わせる風貌の男たちが、牧師に向かって警告するかのように聖書の一節を口にするというのだ。やがて牧師は、教会での聖餐式の最中に毒殺されてしまった……。
 全体的にフェアプレイの意識が薄いように思われる作者ですが、この作品ではそれが最も顕著((以下伏せ字)犯人の手袋(ここまで)など、一体どこに出てきたのでしょうか*3)。トリックにもあまり見るべきところはありません。

「血の気の多い密室」 Murder in a Sealed Loft
 三つもの鍵が取り付けられたドアを壊してアトリエの中に入ってみると、そこで絵を描いていたはずの女性は心臓を刺され、血だらけになって死んでいた。そして厳重な密室状態のアトリエの中に、犯人の姿はなかったのだ。しかし、現場に残された血液にはおかしなところがあって……。
 かなり雑然としているのでわかりにくくなっていますが、よくよく考えてみると、ややひねった狙いにはニヤリとさせられるところもありますし、一部の“日常の謎”的な要素もなかなか面白いと思います。本書の中ではまずまずの部類に入るといっていいでしょう。

「ガレージ密室の謎」 Murder at the Fall Festival
 鍵のかかったガレージの中で殺されていた男。しかし、それ以前にガレージの中に誰もいないのが確認されてから死体が発見されるまでの間、扉の一つは車でふさがれて出入りできず、もう一つの扉は目撃者がずっと目にしており、被害者がガレージに入る機会はなかったのだが……。
 あらすじだけ見ると地味に感じられるかもしれませんが、インパクトのあるバカトリックが二つも盛り込まれた怪作です。一つは実行の際のイメージが笑えますし、もう一つは何から何まで(いい意味で)おかしい*4空前絶後のバカトリックで、これだけでも本書は一読の価値があるといっていいのではないでしょうか。

*1: 作者の公式サイト「Hal White - Locked-Room Mysteries and Impossible Crimes」を参照。福井健太氏による本書の解説でも触れられていますが、“おすすめの不可能犯罪もの”として『金田一少年の事件簿』『探偵学園Q』まで挙げられているのがすごいところです。
*2: 一方で、「『ディーン牧師の事件簿』(ハル・ホワイト/創元推理文庫) - 三軒茶屋 別館」の、“思うに、名探偵特有の観察眼は孤独ゆえの達観に支えられている部分があるのではないでしょうか。”との指摘には、なるほどと思わされます。
*3: それどころか、作中の(以下伏せ字)“お二人とも左手の薬指に指輪をはめていらっしゃいますね。”(222頁)(ここまで)という記述は、(以下伏せ字)(少なくともそれまでは)犯人が手袋をはめていなかった(ここまで)ことを示すものですから、どうにも釈然としないものが残ります。
*4: この探偵役でこのトリックという“組み合わせの妙”(苦笑)も、トリックのおかしさを一層強調している感があります。

2011.04.06読了

七人の鬼ごっこ  三津田信三

ネタバレ感想 2011年発表 (光文社)

[紹介]
 “だぁーれまさんがぁ、こぉーろしたぁ……”――混線らしき子供の奇妙な歌声とともに「西東京生命の電話」にかかってきた一本の電話。自殺を考えているという電話の主は、相談員を相手に子供の頃の思い出を語り、当時一緒に遊んだ幼馴染たちにも久々に電話をかけてみたというのだが……やがて、電話を受けたかつての幼馴染たちが、一人、また一人と命を落としていく。事件に巻き込まれたホラーミステリ作家・速水晃一は、事件に深く関わっていると思われる子供時代の出来事――とある神社で遊んだ“だるまさんがころんだ”の記憶を懸命に呼び起こそうとするが……。

[感想]
 他のシリーズとはつながりのなさそうな単発の長編ですが、作者お得意のホラーミステリとなっているのはもちろんのこと、〈三津田信三シリーズ〉*1を思わせるある種の“メタ趣向”や、〈刀城言耶シリーズ〉*2さながらの“後半に大展開される迷走推理”*3など、三津田信三らしい味わいは十分。その一方でマニアックなところはあまり感じられず、今まで三津田信三を手に取ったことのない読者におすすめしやすい“入門篇”ともいえそうです。

 他の作品に比べると怪異がさほど前面には出されていないのが一つの特徴で、かつての幼馴染たちが次々と命を落としていく連続殺人事件を中心に据えた物語は、一見するとかなりミステリ寄り。事件の捜査に当たる警察関係者が再三顔を出してくるところも、あくまで“現実”ベースの物語という印象を強めていますし、無邪気に遊んでいた子供時代と対比される幼馴染たちの現在の生活――そこに“不況”が影を落としているあたりなど、三津田信三らしからぬ(?)社会派風の視点さえうかがえます。

 一方、時おり断片的に挿入される“だるまさんがころんだ”の場面などは、短いながらも不吉で忌まわしい雰囲気を漂わせています。“だるまさんがころんだ”を“~ころした”とする言い換えはベタといえばベタ*4ですが、一人ずつ“鬼”に捕らえられていくという遊びの様相が、相次いで死んでいく幼馴染たちの姿と重ね合わされることで、事件の不条理さが強調されているのも巧妙で、“封印された記憶”の秘密と相まってサイコスリラー風味も織り交ぜつつ、物語は次第に作者らしくホラーの方向へと舵を切っていきます。

 終盤になると一転して、ダイイングメッセージ(?)なども絡めながら、前述のように〈刀城言耶シリーズ〉ばりの怒涛の推理が開陳されますが、やや切れ味が劣るように感じられるのは否めないところ。もっとも、この“迷走推理”は最終的な解決の説得力を高めるために他の仮説を一つ一つ否定してみせるという意味合いが強く、一般的な“消去法推理”のようにきっちりしたものとはやや性格を異にするものといえるでしょう。いずれにしても、真相を見抜くのはかなり困難だと思われ、サプライズを求める読者にとっては満足できるものではないでしょうか。

 意外な真相もさることながら、印象的なのは謎が解かれた後に残される“闇”で、それが本書をこれまでの作品とは一味違ったものとしている感があります。そして、その深い“闇”に対して用意され、ある種のカタルシスをもたらしてくれる最後の一文がなかなかに鮮やか。全体としては、新規読者の獲得を目指して“一般向け”に近づけたような節もあり、その分やや物足りなく感じられるところがないでもないですが、手堅くまとめた作品であることは確かでしょう。

*1: 『忌館 ホラー作家の棲む家』など。
*2: 『厭魅の如き憑くもの』など。
*3: 「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 七人の鬼ごっこ / 三津田信三」より。
*4: 少なくとも泡坂妻夫「だるまさんがころんだ」『奇術探偵 曾我佳城全集』収録)にありますし、おそらく他にも前例があるのではないでしょうか。

2011.04.16読了  [三津田信三]

N・Aの扉  飛鳥部勝則

ネタバレ感想 1999年発表 (新潟日報事業社)

[紹介]
 美術ミステリーを書いて『本格探偵小説大賞』を受賞し、作家としてデビューすることになった速水成文こと石塚成文は、授賞式の席上で大学時代の後輩・田村正輝と再会する。浜崎茂という筆名でホラー作家として活動しているという田村は、奇妙な“幽霊談”――《本格推理の幽霊》の話を語り始めた……。
 ……浜崎茂こと田村正輝は、中学時代の同級生・川合和重にデビュー作『儀式』を送った。田村と川合はかつて、それぞれが書いた小説を互いに批評し合っていたのだ。昔が懐かしくなった田村は、連絡も取らずに川合の家を訪ねてみたが、あいにく不在だった川合の代わりにその娘だという美少女が現れて……。

[感想]
 本書は、地方紙・新潟日報の関連会社である新潟日報事業社から刊行された、『殉教カテリナ車輪』『バベル消滅』に続く飛鳥部勝則の第三作で、『バベル消滅』“表裏の関係にある”*1とはいえそちらとはだいぶ趣の違う、というより飛鳥部作品の中でも一際異彩を放つ一冊。時に私小説であり、時に幻想小説であり、時に評論であり、時にエッセイである――という内容は、普通にミステリを期待される向きにはおすすめしがたいものがありますが、物語の根底には作者なりの“本格推理への想い”がうかがえます。

 “ゴースト・ストーリーを語ろう。”という印象的な一文に始まる物語はまず、鮎川哲也賞を受賞した作者自身を彷彿とさせる新進ミステリ作家を主人公とした、私小説風の一幕へ。実在の作家(を思わせる人物)も登場する授賞式の様子*2もさることながら、受賞した側の主人公・石塚の胸中、さらには授賞式の席上で再会した後輩・田村とのやり取り――巻頭を飾る油絵にまつわる会話や本格推理談義など――が、なかなか興味深いものになっています。そして“本題”の“本格推理の幽霊”の話が持ち出されるのですが……。

 その語り手――少年時代に本格推理の創作に熱中していた田村にとって、本格推理とは旧友・川合との思い出と結びついた郷愁の対象であり、飛鳥部作品ではおなじみともいえる不思議な美少女との奇妙な交流を通じて、かつて創作した本格推理作品に思いを馳せること自体、“過去の亡霊”を呼び起こすような行為といえるかもしれません。しかしそれだけにとどまらず、すでに散逸してしまったというそれらの作品は不在のまま、それについての川合による批評文のみが作中に盛り込まれているのが本書の面白いところ。

 “架空の作品についての書評”というアイデアは新しいものではありません*3が、時にミステリとしてのネタ*4にまで具体的に踏み込んだ川合の批評は、田村の語るあらすじを補完する形で“不在の作品の虚像”を――というよりもやはり“本格推理の幽霊”として、読者の脳裏に(ある程度まで)浮かび上がらせるのが秀逸。さらにいえば、本書の終盤に(一応伏せ字)挿入されている唯一の田村の作品『それからの孤島』に対して、川合による批評文の方が不在となっていることで、ある種の“虚実の反転”(ここまで)を生じているのもユニークです。

 本書はいわゆるメタミステリよろしく“ミステリをテーマとした作品”ではあるものの、物語の内容そのものは(一部を除いて)ミステリとして成立しているとはいえないのが異色作たる所以です。しかしながら、最後の最後にさらりと示唆されている作者の狙いは、十分にミステリ的といえるものではないでしょうか。そしてそれを一種の“真相”としてとらえるならば、本書は“メタ視点でのミステリ”――あるいは“メタ視点でのみ成立するミステリ”*5――ということもできるように思います。

 いずれにしても、何とも奇妙な作品であることは確かで、前述のように普通のミステリのファンにはなかなかおすすめできない作品ではありますが、飛鳥部作品の熱心なファンはもちろんのこと、そうでなくともミステリの評論に興味のある読者にとっては*6、一読の価値はあるのではないでしょうか。

*1: 『バベル消滅』「あとがき ゴシック・リヴァイヴァルあるいは塔・螺旋・廃墟について」(単行本版;角川文庫版にも収録)より。
 ただし唯一思い当たる関連は、(あまり意味がないような気がしますが一応伏せ字)本書に登場する田村正の境遇(中学校の教員であり、藤川という女子生徒がいる)が、『バベル消滅』の登場人物である田村正と重なること(ここまで)くらいです。
*2: その当時選考委員の一人だった有栖川有栖氏は、創元推理文庫版『殉教カテリナ車輪』の解説に、“この授賞式の様子は第三作『N・Aの扉』の冒頭でほとんど脚色なしで描かれており”と記しています。
*3: 例えば、スタニスワフ・レム『完全な真空』(→Wikipedia)などが知られています(私は未読ですが)。
*4: 後の飛鳥部作品に流用されているものも見受けられ、飛鳥部ファンとしてはニヤリとさせられるところも。
*5: これもまた、“本格推理の幽霊”の一つの形といっていいように思います。
*6: もう一つ付け加えるならば、いわゆる“四大奇書”――小栗虫太郎『黒死館殺人事件』・夢野久作『ドグラ・マグラ』・中井英夫『虚無への供物』・竹本健治『匣の中の失楽』が好きだという方には、比較的受け入れられやすいところがあるかもしれません。

2011.05.11読了  [飛鳥部勝則]