ミステリ&SF感想vol.180

2010.06.13

女王国の城  有栖川有栖

ネタバレ感想 2007年発表 (創元クライム・クラブ)

[紹介]
 理由も告げないまま大学から姿を消した江神部長の身を案じ、アリスとマリア、さらに織田と望月の四人は、江神部長の目的地と思しき宗教団体〈人類協会〉の聖地・神倉に向かう。宇宙人“ぺリパリ”のお告げを受けたという会祖が設立し、会祖の養女・野坂公子が若き〈女王〉として代表を継いだ〈人類協会〉は、神倉に〈城〉と呼ばれる壮麗な総本部を構えていた。その神倉に到着した一行は、一度は〈城〉の厳重な警備に阻まれたものの、翌日になって〈城〉へ招き入れられて江神部長と再会を果たすが、その〈城内〉で事件が起こる。かつて“ぺリパリ”が降り立ったという“聖洞”を監視していた“見守り番”が、何者かに絞殺されたのだ。予想外の事態に、〈人類協会〉は一行を〈城内〉に軟禁し、警察へも連絡しないまま内部で事件を解決しようとするが……。

[感想]
 前作『双頭の悪魔』から実に十五年ぶりとなる、“学生アリス”シリーズの第四長編です。発表された時期と作中の年代がほぼ同期していた前三作よりも、(いわゆる“バブル期”の)時代を感じさせる記述が随所に盛り込まれているのが目を引くところで、当時同じように学生だった身としてはとりわけ、何とも感慨深いものがあります。

 さて、前作では大学に戻ってこないマリアを英都大学推理小説研究会の面々が連れ戻そうとするところから物語が始まっていましたが、今回は江神部長の出奔が発端。もしや次作ではアリスが……という余計な心配はさておいて、行く先が怪しげな新興宗教の聖地というのが不穏なものを感じさせるところ。しかも、マリア視点のパートの存在によって“そちら側”の事情が読者には伝わっていた前作と異なり、江神部長の様子がなかなか見えてこないためにやきもきさせられます。

 〈人類協会〉の会員が住民の大半を占める神倉の〈街〉からして、宇宙人との交流を謳う教義のせいもあってどこか現実離れした雰囲気を漂わせています*1が、その中にあって〈城〉と呼ばれる総本部は厳重な警備によって外界から切り離され、独自のルールに支配されていることをうかがわせる“異世界”。それが事件の発生によってそのまま、石持浅海の諸作品*2などにも通じる人為的なクローズドサークルに転じるあたりは、自然現象によってクローズドサークルが形成された前三作とは一線を画しており、十五年の歳月を経てより“現代的”な風格が導入されているといえるのかもしれません。

 その事件は、かつて宇宙人が現れたという“聖洞”の“見守り番”が殺害された上に監視カメラのビデオテープが持ち去られるというもので、いかにもなダイイング・メッセージも相まって、あたかも“再臨”した宇宙人が殺人を犯したかのような不可解な様相を呈しています。さらに続いて起きる事件が、十一年前に神倉で起きた未解決の密室殺人との奇妙な関連をみせるなど、事件が複合して強力な謎を形成しているのが魅力です。

 隙をついて〈城〉からの“大脱走”が試みられたり、あるいは逆に〈城〉の内部で思わぬ“闖入者”が発見されたりと、一見すると事件とは関係の薄そうな紆余曲折を経て、終盤になるとついに「読者への挑戦」が挿入され、江神部長による謎解きが幕を開けます。真相の一部がやや見えやすくなっているという意味では、必ずしも難易度が高いとはいえないかもしれませんが、それを論理的に示す手順――特に決め手となる事実を提示する手際が周到で、非常に手堅いという印象を与えます。

 宗教団体の内部が舞台ということで注目される動機も印象的なものですし、その延長線上にある、“あるトリック”が使われた理由などは実に秀逸。そして、事件が解決された後に残る謎についても納得のできる真相が用意されているのが見事なところで、十分に満足のいく結末となっています。前半はやや冗長に感じられる部分もあるものの、読み終えてみると決してそうではない、第8回本格ミステリ大賞の受賞も妥当と思える*3傑作です。

*1: とはいえ、「第四章」などはやや“悪ノリ”しすぎの感もありますが(苦笑)。
*2: 『アイルランドの薔薇』『月の扉』『水の迷宮』など。
*3: ただし、個人的には受賞を逃した三津田信三『首無の如き祟るもの』の方が好みですが。

2010.04.14読了  [有栖川有栖]
【関連】 『月光ゲーム Yの悲劇'88』 『孤島パズル』 『双頭の悪魔』 / 『江神二郎の洞察』

虚擬街頭漂流記  寵物先生(ミスターペッツ)

ネタバレ感想 2009年発表 (玉田 誠訳 文藝春秋)

[紹介]
 2020年、台湾・台北市。数年前の大地震で崩壊して復興もままならないかつての繁華街・西門町{シーメンテイン}を、仮想空間内のショッピングモール「ヴァーチャストリート」として再現する政府の計画が、ようやく完成に近づいていた。開発を担当した有限公司ミラージュシスは、2008年当時の西門町の街並みを仮想空間に構築し、その中では募集された数多くのテスト要員たちが様々な体験をしていた。だがある日、システムに何らかの異常が発生し、ミラージュシスの顔露華{イエンルーホア}と上司の何彦山{ホーヤンシヤン}は調査のため、他のテスト要員がログアウトして誰もいないはずの“西門町”を歩き回る。そして発見されたのは、不可解な死を遂げて横たわるテスト要員の“死体”だった……。

[感想]
 台湾の作家・寵物先生(ミスターペッツ)による、第1回島田荘司推理小説賞*1受賞作。近未来の台湾を舞台とし、仮想空間内での殺人を扱ったSFミステリであると同時に、中心となる殺人事件を取り巻くように様々な謎を配し、「序章 臍帯」にも示唆されている親と子の繋がりというテーマを見事に浮かび上がらせていく傑作です。

 まず目を引くのはやはり、「ヴァーチャストリート」と名づけられた仮想空間で、“現在”(2008年)の台北市・西門町*2をそのまま再現したものでありながら、作中の年代が近未来(2020年)とされて“未来からみた過去”となっているだけでなく、現実の西門町が大地震で崩壊した後に復興も断念されたという設定により、作中に込められている“在りし日の西門町”に対する郷愁の一端が、西門町になじみの薄い日本人読者にも伝わりやすくなっているように思います。

 その「ヴァーチャストリート」を開発中のスタッフである顔露華をヒロインとして進んでいく物語は、それぞれ「第一部 フーダニット」「第二部 ハウダニット」「第三部 ホワイダニット」と題された三部に分かれており、殺人事件の容疑者・犯行手段・動機に順次焦点が当てられる構成が面白いところ。事件の謎がいわば多角的に解き明かされていく過程そのものにも興味深いものがありますが、それを通じて仮想空間という現場の特異性が改めて印象づけられるようになっているのも巧妙です。

 さらに、前述のように中心となる殺人事件を取り巻く謎が用意され、それらが一体となって強力に物語を引っ張っていくのが非常に見事です。実のところ、仕掛けのある程度の部分までは(作中で明かされるよりも前に)見抜くことも不可能ではないのですが、それはおそらく作者にとっても想定の範囲内。むしろ、仕掛けのある程度の部分が早めに明らかになることで、最後の最後まで伏せられていた意外な真相と、それによって描き出される胸を打つ構図が際立っているといえるのではないでしょうか。

 そして物語の幕を引く、ミステリとしての仕掛けをも巧みに取り込んで美しくまとまった結末が圧巻。巻末の島田荘司氏の選評*3にもあるように「二十一世紀本格」の概念(→島田荘司 編『21世紀本格』を参照)に合致しているだけでなく、“謎”と“物語”がしっかりと結びついて感動を生み出すことに成功している、受賞も納得の傑作です。

*1: 台湾の皇冠文化出版有限公司主催による、“中国語で書かれた未発表の本格ミステリー長篇を募る新人賞”とのこと。詳しくは、「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 台湾ミステリ情報」を参照。
*2: 作中で描かれる西門町の風景を“体験”するには、Dokutaさんによる「寵物先生『虚擬街頭漂流記』 西門町@Googleストリートビュー」が便利です。
*3: 余談ですが、選評の中で“並立するオンライン、オフライン、両世界の内部を往き来する小説が現れることは時代の必然であった。日本の小説界にもこうした作例は数を増しつつあり(中略)こうした作例が、SF小説のジャンルよりも、本格ミステリーのジャンルに先陣を切って現れていることがまず興味深く(後略)とあるのは、やはり岡嶋二人の傑作『クラインの壺』のことでしょうか。

2010.04.18読了

増補版 三度目ならばABC  岡嶋二人

ネタバレ感想 2010年刊 (講談社文庫 お35-29)

[紹介と感想]
 テレビのワイドショーの中で放映される、事件の再現ドラマの制作を担当する下請けプロダクションの社員、織田貞夫{おださだお}と土佐美郷{とさみさと}――上から読んでも下から読んでも同じ名前の通称“山本山コンビ”――を探偵役としたユーモラスな連作短編集で、1984年に刊行された元本『三度目ならばABC』に、単行本未収録だった「はい、チーズ!」を追加した増補版となっています。

 事件がワイドショーの題材として扱われる関係上、捜査がすでにある程度進展して事件の様相もおおむね定まったところから物語が始まるのが特徴で、それをひっくり返す過程が大きな見どころ。短編ということもあって、最終的にどこに着地するかが見えやすくなっているのは確かですが、どのようにしてそこに到達するか――わずかな綻びを足がかりに“ダミーの真相”を突き崩していく過程には、アリバイ崩しに通じる面白さがあります。そしてまた、“ダミーの真相”を支えるトリッキーなアイデアも魅力です。

 なお、薬丸岳氏による「増補版解説」でも言及されているように、“岡島二人”の舞台裏を綴った井上夢人のエッセイ『おかしな二人』の中で、本書に収録された一部の作品*について創作過程が詳しく明かされていますので、興味のある方はぜひそちらもお読み下さい。

「三度目ならばABC」
 金曜日の夜、住宅地でライフルが発砲される事件が二週続けて発生する。被害者は軽傷を負った一人だけだったが、マスコミが“金曜日のライフル魔”と命名するなど注目を集める中、三週目についに死者が発生する。美郷は計画殺人だと主張するが、厚いカーテンのかかった窓越しに被害者を狙うのは困難で……。
 作中にアガサ・クリスティ『ABC殺人事件』ネタバレがありますので、そちらを未読の方はご注意下さい。
 “影さえも映らない厚いカーテン越しに撃たれた被害者”という不可能状況が、美郷の主張する計画殺人説の障害となっていますが、そのトリックもさることながら、真相解明に至る“気づき”がなかなか巧妙です。
 ちなみに、作中に登場する“デンスケ”(21頁)とは、取材用可搬型テープレコーダーの通称(→「デンスケ (録音機) - Wikipedia」を参照)。

「電話だけが知っている」
 イラストレーターが仕事場で、電話のコードで絞殺された事件。その電話機に残された指紋を証拠に、知人である自動車のセールスマンが容疑者として逮捕されたが、現場には入ったこともないという容疑者は、犯行時刻には自宅にいて間違い電話がかかってきたというアリバイを主張しているらしいのだが……。
 今となっては何が謎なのかわかりにくいところもあるかもしれませんが、いわゆる“黒電話”(→「黒電話 - Wikipedia」を参照)の時代――電話機が文字通りの“固定電話”だった頃の話。指紋が残っていれば電話機に触れたことが確実である一方、犯行時刻に自宅で間違い電話を受けたというのが事実ならばアリバイが成立することになります。トリックはさほどでもありませんが、真相を示唆する実に鮮やかな手がかりが見事です。

「三人の夫を持つ亜矢子」
 三人の夫を持つ女として知られる有名女優・本間亜矢子だったが、その一人が殺害されてしまった。その死体は、山中に乗り捨てられていた車のトランクから発見され、持ち主である戸籍上の夫・本間鉄郎に疑いがかかる。鉄郎は車が盗まれたと主張するが、現場の状況から鉄郎の狂言という可能性が強まり……。
 例によって美郷の思いつきで車の盗難が狂言でないことを証明しようとするものの、思いがけず強固な不可能状況に突き当たる――という展開が面白いところ。そして、“バカミス”に近い味わいをも漂わせる豪快なトリックが何ともいえません。

「七人の容疑者」
 女子大生誘拐事件を取材中、買ったばかりのカメラを盗まれてご機嫌斜めの美郷は、取材で会った七人の中にカメラを盗んだ犯人がいると確信し、経緯を振り返る。事件は、女子大生が誘拐されてその父親に身代金が要求され、指示に従った父親らがまんまと犯人に身代金を奪われた、というものだったが……。
 自分のカメラを盗まれた美郷が珍しく事件そっちのけになっているのが目を引きますが、それでいていつの間にか事件の推理に転じていくのがうまいところです。そして、解決につながる“ある疑問”が面白いと思います。

「十番館の殺人」
 ホテル「十番館」で行われた仮装パーティーの席上、突然の停電による暗闇の中で、ドラキュラの扮装をした経営者が、狼男に扮した客にナイフで刺し殺された。扉を開けて逃げ出した犯人は階段から転落死して、事件は決着した――ところが、再現ドラマのカメラテストはなぜかたびたび行き詰まってしまい……。
 再現ドラマという設定が巧みに生かされた快作。事件を忠実に再現しようとすると次々に矛盾が浮かび上がってくる趣向が非常に秀逸ですし、“山本山コンビ”のみならず役者たちまで加わってディスカッションとなっていくのが面白いところです。そして仮装パーティーという状況ゆえに、“「なんだか、変だなあ」(中略)狼男が首を傾げた。”という具合にシュールな光景が展開されているのが愉快です。

「プールの底に花一輪」
 会員制スイミング・クラブのプールで深夜、会員の女性が溺死しているのが発見された。全裸にされた被害者は、手足をロープで縛られた上に、潜水用の重りを体にくくりつけられて、プールの底に沈められていたのだ。酔ってクラブのラウンジで寝込んでいたという専属コーチが、容疑者として逮捕されたが……。
 トリックには面白いところもあるものの、残念ながらさほどのものとはいえません。それよりも終盤の展開が見どころでしょうか。

「はい、チーズ!」
 有名な写真家が、青酸カリで毒殺される事件が発生する。その助手の話では、被害者はこのところ誰かに命を狙われていると怯えていたという。やがて被害者のスタジオから、自身が撮影して密かに隠し持っていたらしいネガフィルムが発見されたのだが、そこに写っていたのは……?
 “山本山コンビ”による謎解きの過程がシリーズの定型からはだいぶ外れている、異色の作品。ある部分がかなり見え見えになっているのが難点といえば難点ですが、それを補うように予想外の方向へ進んでいくプロットが実に巧みです。そしてこれまた鮮やかな手がかりに脱帽です。

*: 肝心の『おかしな二人』が発掘できないので確認できませんが、「電話だけが知っている」「三人の夫を持つ亜矢子」だったと思います。

2010.04.29(再)読了  [岡嶋二人]

片眼の猿  道尾秀介

ネタバレ感想 2007年発表 (新潮文庫 み40-2)

[紹介]
 探偵事務所『ファントム』の所長であり、“特技”を生かして盗聴を専門とする探偵の俺――三梨幸一郎は、楽器メーカーの依頼により中途採用の社員を装って社内に入り込み、ライバル社にデザインを流している産業スパイの調査を続けていた。その最中に、常にサングラスをかけている同業者・夏川冬絵の存在を知った三梨は、彼女を『ファントム』にスカウトすることにした。三梨の自宅兼事務所のある〈ローズ・フラット〉の住人たちとも顔を合わせるなど、新たな職場になじんでいく冬絵だったが、その矢先に調査中のライバル社で殺人が行われるところを“耳にした”三梨は、ある疑念を……。

[感想]
 道尾秀介の第5長編となる本書は、これ以前の作品――とりわけ代表作ともいえる『向日葵の咲かない夏』『シャドウ』などとは打って変わって、一見するとかなり明るい雰囲気の作品となっているのが目を引きます。全編が私立探偵の“俺”こと三梨幸一郎の一人称で綴られ、軽妙な会話と細かい章立てでテンポよく進んでいく物語は、“軽ハードボイルド”といった趣です。

 しかし決して“軽い”だけの物語でないことは、色々な意味で“特殊な耳”の持ち主である主人公・三梨の造形や、かつてのパートナー・秋絵を自殺で失ったというその辛い過去などからも明らか……なのですが、そのあたりは序盤から折に触れて匂わされながらも、ハードボイルド調の語りの中で詳細までは明言されることなくぼかされており*1、それ自体が読者にとっての謎の一つとなって物語を引っ張る機能を担っています。

 本書ではさらに、新たに三梨のパートナーとなる冬絵が抱える秘密などがそこに重ねられることで、いわば“和声”の形で主題をしっかりと支えることになっているのが面白いところ。その分、産業スパイ疑惑から殺人へと至る事件の扱いがやや軽くなっているのはご愛嬌としても、その流れで浮かび上がってくる“ある真相”はなかなか意外ですし、それがまた“片眼の猿”の寓話に象徴される主題につながっていくところなどは巧妙です。

 ただし、主題と手法との関係という点では必ずしも成功しているとはいえない――より正確にいえば、手法がちぐはぐに感じられるところが大で、主題を際立たせるための演出としても今ひとつ効果的でないように思えてしまうのが残念なところです。少々ネタバレ気味になりますが、(以下、一部伏せ字)伏線とミスディレクションとのバランスに難があるなどの理由で、うまく読者を“騙す”にまでは至っていない――いたずらに真相を伏せてあるだけのようにも思える――部分が多々あり、サプライズ/カタルシスが弱くなっているのは否めません(ここまで)*2

 もちろん、佐々木敦氏の解説でも紹介されているように“自分が描きたいのは“人間”であって、ミステリという形式はそのために選び取られているに過ぎない”というのが作者の意図するところであるとすれば、ミステリ的な仕掛けの部分を取り沙汰しても仕方ないともいえるわけですが、そうであるにしても本書において“ミステリという形式”があまり功を奏しているとはいいがたいのが正直なところです。

 というわけで、個人的には少々釈然としないところもあるのですが、あまりミステリ的な要素にとらわれることなく、〈ローズ・フラット〉の住人たちを含めて魅力的なキャラクターが織りなす物語を素直に楽しみつつ、その中で描き出されていく主題に思いをはせるのが吉かと思われます。

*1: このあたりについては、「『片眼の猿―One-eyed monkeys』(道尾秀介/新潮文庫) - 三軒茶屋 別館」“主人公のハードボイルド的な一人称視点で語られて、しかもその主人公に身体的な特徴があるがゆえに偏見と相対するかの如きフィルタのかかった文体で読者に物語が届けられていて”という見方になるほどと思わされます。
*2: 「taipeimonochrome ミステリっぽい本とプログレっぽい音樂 » 片眼の猿 / 道尾秀介」で指摘されているように、“あまりに着地點が甘いような氣もする”ということもありますが……。

2010.05.08読了  [道尾秀介]

舞面真面{まいつらまとも}とお面の女  野﨑まど

ネタバレ感想 2010年発表 (メディアワークス文庫 の1-2)

[紹介]
 工学部の大学院生・舞面真面は、年の暮れに叔父の影面{かげとも}からの呼び出しを受け、山中の邸宅に赴く。そこで頼まれたのは、真面の曾祖父にあたるかつての舞面財閥の長・彼面{かのも}が残したという奇妙な遺言――“箱を解き 石を解き 面を解け”という謎の言葉――の解明だった。大学で民俗学を専攻する従姉妹の水面{みなも}、そして影面の依頼を受けた興信所の調査員・三隅とともに遺言の謎に挑んでいく真面だったが、やがてその前に現れたのは謎めいた振る舞いをみせるお面を被った少女。そして思わぬ方向に向かい始めた調査の結果は……?。

[感想]
 『[映]アムリタ』で第16回電撃小説大賞〈メディアワークス文庫賞〉を受賞してデビューした作者の第2作。このメディアワークス文庫は、同じアスキー・メディアワークスのライトノベルのレーベルである電撃文庫に対して、ライトノベルと一般文芸の中間的な位置づけとされている*1ようで、帯に“『革新的』ミステリ”というキャッチコピーが付された本書も、ライトノベル風ミステリといった感じの作品となっています。

 あくまでも個人的なイメージとして、ライトノベルのライトノベルたる所以は、視野の絞り込みと密度の低さ、ひいては周辺にあるはずの“現実”の希薄な存在感*2――といったあたりにあるのではないかと考えているのですが、それは本書もまた同様。そして、そのようなライトノベル風のスタイルによるどこか浮世離れした雰囲気は、ミステリとはいえ殺伐とした事件が起こるわけでもなく、主人公らが比較的淡々と遺言の謎に挑むストーリーに合致している感があります。

 登場人物たちの中でひときわ目を引くのはやはり“お面の少女”ですが、常にお面を被ったまま、年齢に似合わぬ古風な口調でしゃべるかと思えば、現代の少女らしい(?)言動――“AneCan”のあたりなどは思わず苦笑――もみせるその愉快なキャラクターもまた、ライトノベル的世界であるがゆえにそのまま存在し続けることができる*3ように思われます。いずれにしても、熱意が空回り気味のお手伝いさんなど他のキャラクターとも相まって、オフビートで緩やかな物語が展開されていくのは魅力です。

 さて、物語の本題となるのは奇妙な遺言の謎――より正確にいえば、森博嗣『封印再度』などを思わせる遺言と物品のセットからなる謎で、シンプルにすぎて物語を引っ張るにはいささか訴求力に欠けるところがなくもないのですが、終盤ついに示されるその解釈には意表を突かれる部分もあり、まずまず面白いものになっていると思います。そして最後に用意されているのは、ある意味で人を食った結末。似たような趣向の前例もありますし、人によっては好みの分かれるところかとも思いますが、個人的には十分に“アリ”。

 実のところ、物語そのものと同様に作者の狙いも今ひとつとらえどころがないという印象ではあるのですが、類似の趣向の前例と比べてみると、必ずしもサプライズを意図したものではなく、どちらかといえば少々ひねくれた企みの産物であるように思われます――というのは考えすぎなのかもしれませんが、なかなか楽しめる作品ではありました。

*1: “これまでライトノベルをメインとしてきた同社の娯楽文庫レーベル「電撃文庫」より転換を図り、一般文芸に門戸を広げる。対象となる読者層は、一般文芸読者や、ライトノベルを卒業する人が中心となる。”「メディアワークス文庫 - Wikipedia」より)
*2: 少々物足りなく感じられる部分はありますが、必ずしも否定的な意識があるわけではないので、あしからず。
 余談ですが、ライトノベルがSFやファンタジーの要素と比較的相性がいいのは、周辺の“現実”が希薄であるがゆえの自由度の高さ――極論すれば、ごく狭い範囲でのみつじつまを合わせればすむ――によるものではないかと思われます。
*3: より“現実”的な物語であれば、少女の自宅まで訪ねておきながら、少女のお面のことを家族に一切問いたださない(178頁~180頁)というのは、いただけないところではあります。

2010.05.11読了  [野﨑まど]