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南郷往還探索紀行
2016年5月25日 南郷往還探索チーム
南阿蘇への入り口、南郷往還の北向き山越え古道は廃路となって久しく、危険な場所もあって通り抜けることが出来なくなっている。北向山越え古道の現状を探索するため、12月23日の1回目古道探索調査から4回の現調査を経て、3月21日大津町外牧神社から久木野村足手荒神までの北向山越え南郷往還の古道を踏破できた。探索チームはシニア4人組、足手荒神で安全登山を祈願し、お互い助け合い、限界体力で挑戦した古道探索であった。
1. 南郷往還への道
南郷谷は北に阿蘇中央火口丘、東・南・西は起伏の多い南外輪山に囲まれた湖底盆地である。谷の外に出ようとするには峠によらざるを得なかった。地図に書かれているものだけでも14か所の峠があり、日本でも珍しい例である。
南郷谷は寒冷地という気象条件、僻地という自然条件、火山降灰地帯という三重苦の中にあった。江戸期の南郷の人々は秋の収穫期になると年貢米を馬の背に担わせて上大津の御蔵まで運んでいた。当時の年貢割り当ては、米俵では京桝用いて1俵三斗五升と定められていたが、南郷谷は大津御蔵までの苦役もあり1俵三斗と定められていた。これからも山越えの年貢米納めは村民にとって苦役だったと思われる。
南郷からの道には俵山越えがある。南郷側が七曲り、西原側が扇坂という。この護王峠越えは南郷から熊本城下に出る最短の道であった。加藤清正が熊本・南郷を通じる軍用道路として設定した日向往還でもあり、この峠越えは南郷から年貢米を大津御蔵に納めるための要路でもあった。江戸時代には公道として人々の通行や物資の運搬で賑わっていた。 この時代の南郷往還経路は長六橋ー九品寺ー大江ー保田窪ー道明ー高遊原ー扇坂ー七曲坂ー高森ー竹田であったが、今は熊本・高森線となり俵山をトンネルで抜ける自動車道になっている。
また他に、南郷谷から年貢米を大津御蔵に納めるための近道の間道として北向山越えの南郷往還があった。この往還は外牧村から山道を東に登り、北向山山頂近くの北側を横切りながら長陽村へ通じる人馬が通った道であった。現在この道は天然記念物保護区を経由している上に、現在古道の跡が残っていないところもあり、危険な場所も多く通り抜けが出来ない廃道になっている。
南郷谷から大津までの最短路は長野から戸下に下り、白川・黒川の合流点を渡り、立野に出るコースであるが、ここは極めて急峻な地形をなしており、人馬の通行はできず有史以来通行不能とされていた。明治33年に7年間の難工事の末に高森までの南郷道路が整備され、それまでの南郷往還に代わる南郷と熊本をつなぐ大動脈となった。
その後、北向山トンネルや白川鉄橋による高森線の開通、更に黒川の阿蘇大橋などの建設により戸下険路は重要度を失った。近年集中豪雨により柱状壁の崩壊がおこり、路面が滑落して廃路となったが新しく建設された長陽大橋がその役目を引き継いでいる。
2.南郷往還への関心
これまでに南郷往還に関する残された資料が少なく、このまま古道の歴史を時代とともに埋没させてしまうには惜しい気持ちがあったので探索することにした。
南郷往還関係資料を調べていくうちに、三城祥象氏がすでに廃路となっていた北向山越え南郷往還を踏破し、1990年に刊行した「肥前・筑後 舊道史」の「南郷往還」の中で、「若い浸食谷に遭遇した。石角にしがみつき足先で段を作りながら谷底に入り、そして細い木の根にすがりよじ登る。安堵したのも束の間、またも古い浸食谷。鉄棒が架してあったが、転落したら千尋の谷である。それをすがり棒にして下り上がってことなきを得た。」と述べている。それから四半世紀以上を経た今日、北向山は人の入らぬ原始林(国の天然記念林)であり、すでに古道の痕跡は少ない。中でも北側の浸食谷は風雨で荒れるまま、大きく成長した複数の谷が行く手を阻む、危険極まりないけもの道と考えられるため、無事に踏破するには周到な準備が必要であった。
なお、南郷往還探索ルートと標高図を図1と図2に示す。
分け入れば 人待ち顔の やぶ椿 ○生
3.北向山越え南郷往還紀行
3月21日晴れ。大津町外牧神社(葉山城跡)の石垣の下にある「南郷往還入口」の案内板から山道に入る。暫く急な坂道を進むと道は左に折れ、登りつめた所に山の神を祀った祠があり、ここで境目集落のカラオケ店の前から登って来た林道と合流した。 合流した林道に沿って右に折れた林の中の道を登って行くと、やがて右前方から登って来た林道と合流し、釣り針状に左に転向して道を東に進む、山稜の背中を直進していることが分かる。林の中を進むとやがて右手が明るく開けてきた。山稜の南側に出てきたのである。(写真 1. 2.3.4 )
左前方に円錐形の山が見える所で右後方から来た林道と合流しそのまま林道を直進して登る。暫らく登って行くと前方右より小流を伴って道が下って来る。道は扇坂(俵山峠約600m手前)より蛇曲りしながら下り来る道である。林道に沿って右側には小流の流れがあるが、今の季節は水量が少なく水枯れした所もあった。また、小流が林道を横切って左の谷に流れている所が3か所あったが、当時の水場になっていたと思われる。現在小流は林道の下に埋設されたコルゲート管の中を流れており、注意しないと見逃してしまう。(写真 5.6 )
扇坂から下って来た道と小流に合流し、小流は林道を横切って左手の山の窪地に流れ落ち、渓流となって山稜北側の真下にある岩戸神社の一の滝に落ちて行くはずである。水量が少ないためか滝の音は樹林を通して聞こえてはこなかった。この辺りが「飛佛」(とんぼとけ)であろう。しばらく登坂を行くと、外牧神社から約5キロ上って来た山稜の最高点(標高516m)と思われるところに出た。山頂周辺は草山、茅や葛や藤が立塞がる藪の中である。林道脇には「是より狩猟禁止区」の掲示板が立っている。林道の行き止りは藪が切り拓かれた広場になっていて陽が射して展望も良く、風が通る気持ちが良い休憩場所である。 (写真 7.8.9.10 )
1.瀬田から見た北向山 2.瀬田から見た岩戸神社の森と飛佛
3.南郷往還入口(外牧神社) 4.飛佛手前の林道脇に駐車
5.俵山からの谷川が林道を横切る 6.林道から谷川の上流を望む
7.飛佛付近の谷川は冬場で涸れていた 8.林道終点の拓かれた広場
9.広場から北向山を望む 10.広場の上に北向山への分岐路がある
広場の南詰めには背丈以上の藪を切り開いた南進する凹道が取りついている。その道を少し登ると右折する凹道に出遭うが、そのまま暫らく直進すると開かれた丘の上に出た。展望のきく林道の三叉路で、ここから手前の林道を左折しても、50m程下って林道を左折しても岩戸神社の駐車場へ下りて行ける。往還古道に出るには三叉路を右折し北向山山頂への道を行く。暫らく林道を進むと先ほどの右折する凹道からの間道が右手斜面から下りてきた。林道の左手は雑木林の深い谷である。林道が行き止り、そこから右折して北向山山頂への進路をとり、雑木林の急斜面を少し登ったところで左手に隠れた狭い古道が現れた。ここからが名にし負う南郷往還の「北向山路」である。(写真 11.12 )
北向山北側の山腹を貫く山道の左手は深い谷が迫り、右手は滑り落ちそうな山の斜面が続く原始林の中の廃道である。狭く途切れがちな山道を東に暫らく進むと最初の崩壊谷に遭遇した。岩角や木の根に掴まり足場を確保しながら谷に下り、落下した石と木の根を手掛かりに谷をよじ登った。三城氏が36年前にすでに廃路になっていた北向山越え南郷往還を踏破された状態から更に崩壊谷は発達して危険度ははるかに増している。
三度目の古い崩壊谷に遭遇した。谷の両側には石積みが残っており、当時丸太橋が架けられた橋台かと思われる。谷には古いロープが渡してあったが、ここは危険なため下流に下って迂回が必要であった。この迂回途中に鉄棒が対岸から突き出ていた。左手に下る谷底は300m下の白川に達する千尋の谷である。36年前には備え付けの鉄製のすがり棒で上り下りしたようであるが、今はその残材が無残に滑落して谷に埋まっている。石と木の根を掴んで這うように谷を越え、無事谷渡りした対岸から背後の谷を振り返ると、深い絶壁の谷となっており背筋が寒くなった。最も危険な難所であった。 (写真 13.14.15.16 )
崩壊谷を渡って暫らく行くと、新たな崩壊谷が行く手に現れてきた。しかし、古道は谷の手前で90度近く右に迂回している。右折した上り斜面の山道は山肌を呈し、途中数本の倒木が古道を塞いでいる。そのまま進むと蛇曲りして登って行く急斜面が現れ、20m程のストロークを6回程つづら折りに上り、登りつめた所で崩壊谷を渡った。苔むした石に足を滑らせないように急斜面を登ってやっと対岸にたどり着いた。 (写真 17.18 )
最後の五つ目の浸食谷を渡ると山道は苔むした石原から落ち葉の積もる土道に変わった。つづら折りの古道を登って行くと巨石が鎮座する原始林の広い高台に出た。原始林の背後には標高797mの北向山山頂がみえる。ここで遅い昼食をとった。(写真 19.20 )
11.分岐路を進むと作業道は行き止まり 12.行き止まりを少し上ると左に往還道
13.往時の古道の雰囲気を残す 14.崩壊した道路に石積みの痕跡がある
15.古道は大きく崩壊した崩壊谷で寸断 16.下流に迂回して谷を渡る
17.山道をつづら折りに上って行く 18.古い崩壊谷の急斜面を登る
19.原生林の高台 20.眼下に高森線鉄橋、長陽大橋が見える
そこから比較的古道の面影を残す緩やかな山道が続く。北向山北側の山腹を東進しているのである。左手の木々の間から眼下に南阿蘇鉄道橋、長陽大橋、阿蘇大橋が雛壇状に見える。この辺りまで来ると幹回りが3.5mを越える古代杉の並木が続き、静寂の中で往時を偲ぶことができる。朽ちた巨木が倒木となり道を塞ぐ所もあった。道幅2m程の平坦な道が続く、左手の谷側には道幅確保のための高さ3mを超える石垣が築かれており、往時の遺構として残っている。(写真 21.22 )
しかし、右手山側からの転石や土砂の崩壊が進み、この先、この古道も時代に埋もれて人の通わぬ廃道となり、この北向山は有史以前の原始の山に戻っていくのであろう。更に東進すると「国の天然記念物林」の警看板があり、近くに右手の山を登って行くと北向山山頂に至るとの標識もある。暫らくそのまま古道を直進すると前方が開け明るくなった。北向山の東端近くを横切り南側に到達したのであろう。ここは南郷往還の「北向山路」の北向山越えの地点で、標高650mの「松の曲り」ある。ここで古道は120度釣り針状に右へ曲がり、巨石の前を下りながら東進から西進に転向して下って行く。 (写真 23.24.)
北向山の南側は萱や葛や藤が立塞がる藪原である。原生林で暗く閉ざされた北側に比べると南側は阿蘇五岳が眺望でき明るく開放感に満ちている。
北向山の南側を西進しながら緩やかに下って行くと南の方角の足手荒神から山稜の中腹を上がって来た林道に直角に合流する。この林道は久木野方向からの北向山越え南郷往還の本道である。本道に沿って左折して下って行くと近くに栃木方面から西進して登って来た林道と合流するが、今回はそのまま本道を南進して足手荒神まで下って行った。 (写真 25.26)
北向山南側を麓から見上げると北向山の東端は原生林が繁り、絶壁状の急斜面となって白川に迫っている。西端は俵山と手を結んでいる。 (写真 27.28)
21.巨大杉は崖側にあり古道を保護 22.道幅確保の石垣の遺構が残る
23.古道が鋭角に曲がる(松の曲り) 24.北向山南側は古道の雰囲気がある
25.南斜面越に阿蘇五岳が展望できる 26.久木野の足手荒神に下る古道
27.俵山と連なる北向山 28.北向山の東端は急斜面で白川に
もとより、南郷往還の栃木からの古道は白川を吊り橋で渡って樹林の中を抜け、北向山南斜面の藪原を西進して登り、本道に合流するのであるが、白川左岸一帯が杉の植林に開墾されており、古道の探索は困難であった。また、柏野から同じ南斜面の藪原を登り上がり、本道に合流する古道も、複数ある林道の中から探索できなかった。
今回の南郷往還の探索は、4回の予備探索を重ねた末に完全踏破できたもので、その詳細については、「南郷往還探索記」に詳しく記しているので、参考にされたい。
摘み残す 古道の脇の 蕗の薹 ○生
南郷往還探索チーム(石橋和生、宮村重範、上野和親、浦川義修)
* 参考文献 (1)三城祥象 肥前・筑後舊道史
(2)本田秀行 阿蘇南郷谷史覚書(株)博文舎
追伸:
3月20日の5回目の南郷往還の探索を終えた日から25日後、熊本地震の発生により南阿蘇の美しい
山野は大きく崩壊しました。 この瞬間この紀行文は過去のものとなりましたが、地震前の最後の南郷
往還の姿を留めた貴重な資料となりました
地震が収束した後に南郷往還をたどる機会があれば、新しいその後の南郷往還の姿を紹介したいと思
と思います。
☆☆☆☆ ☆☆☆☆
南郷往還探索記
昭和30年代の後半から40年代の初めの学生時代、山岳部に所属しており、私は阿蘇は高岳、楢尾岳、根子岳などにロッククライミングに通ったものだ。当時 立野には長陽大橋はなく、この橋の下を道路が通っていて路線バスも走っていた。川沿いには一軒の温泉旅館があり、この旅館の真向かいにうっそうとした原生林が眺められ、この山が北向山原生林だ。この北向山の中腹を江戸期に阿蘇南郷の人達が年貢米を馬に乗せ、大津の倉まで運ぶ道路が通じていたと知ったのは会社の先輩 K・I さんからの呼びかけのあった 2015年の秋のことだった。
K・I さんから『この道路は天然記念物保護区を通っているが、沢の崩壊等で道路が寸断され、荒れ果てた状態で昔の往還跡が現在どのような状況にあるか一緒に調査しないか』との誘いがあり、この提案に興味を持った4名(70代2名、60代2名)で早速探索することになった。
2015年11月7日 熊本市内の居酒屋で初会合を開き、今から 35年前の昭和 55年の記録(肥後・筑後の旧街道史) 三城祥象氏の紀行文、立野付近の地形図を参考資料として久木野ー北向山ー飛沸ー外牧ルートの探索を開始することになった。
1.第 1 回現地探索
2015年12月5日 外牧 岩戸温泉 午前 9 時集合
メンバー K・I、S・M、Y・U、K・U 4名
岩戸温泉センターは老朽化により休館中だった。ここからすぐ近くの岩戸渓谷駐車場に移動、駐車場は10台ほど駐車可能で立派なトイレも併設されていた。岩戸渓谷 一の滝、二の滝を経由して岩戸神社に到達、南郷往還探索の安全を祈願、神社は巨大な柱状節理の岩で覆われていた。滝の裏側を岸壁沿いに東方に進み、岩の切れ間から直登して外牧からの往還道に這い上がった。この道路は作業作業道路になっている。南側上方に俵山の扇坂道路のガードレールを見て東へ進むと小高い丘の上で作業道路は行き止まりになる。ここは結構広場になっており、南側に北向山原生林が望める。ここで昼食をとり北向き山往還の進入路を探すも藪漕ぎの連続で立野ダム工事現場近くの林道に出た。白川沿いの林道を下流へ下り、途中 発電所送水管を跨ぎ岩戸渓谷駐車場に戻った。歩行歩数 15.000歩
岩戸渓谷駐車場 9:45 −−岩戸神社 10:08 −−作業道出会い 11:18−−
作業道終端 11:38ーー岩戸駐車場 14:55
経路図 A−B−C−D−H−I−A (図 1 参照)
図 1 立野・北向山付近 地形図
第 1 回現地探索 写真
2015年12月 5日 メンバー K・I、S・M、Y・U、K・U 4名
岩戸渓谷駐車場 二の滝
岩戸神社 滝壺周辺の柱状節理の岸壁
作業道行き止まりの広場から北向山を見る
2.第 2 回現地探索
2015年12月26日 JR 立野駅 午前 9 時集合
メンバー K・I、S・M、 2名
経路 栃の木 M付近
久木野 G-F付近(地図 1 参照)
一回目の探索で南郷往還の北向山分岐点を見つけることが出来ず、反対側の南郷谷からのルート探索を行った。南郷からは栃の木ルートと久木野ルートがある。先に栃の木ルートを探索する。栃の木神社から白川まで下り川の渡し跡を探す。当時吊り橋が架かっていたとのことであるが現在は無い。橋台らしき物あり。対岸に迂回して白川発電所導水取り入れ口、高森線線路付近を探索するが杉の植林等により痕跡見つけられず。 次に久木野方面の探索する。俵山峠近くの足手荒神さんのすぐ下に北向山方面に向かう作業道路があった。上に俵山峠の道路、右下に俵山バイパスの新道を見て西方に進む。しばらく行くと栃の木方面から登ってくる作業道路と合流した。この合流点から原生林へ向かうがなかなか進入路が見当たらない。あちこち探索の末、イノシシ捕獲用の檻の後方の枯れた萱の生い茂った先に道らしきものが見えた。迂回して回り込み道幅 2mの道路が現れた。この道路が往還道に間違いないと確信した。この進入路を確認し、次回の探索時の目印としてピンクのテープを木の枝に結わえ足手荒神さんの駐車場へ引き返した。
第 2 回現地探索 写真
栃の木神社 栃の木からの白川渡し
対岸から橋台跡を見る 白川発電所の取水路取り入れ口
俵山峠近くの足手荒神さん 右下に県道28号俵山バイパス
下から登ってくる栃の木ルートと合流 合流点の先にイノシシ捕獲用檻
3.第 3 回現地探索
2016年 1月23日 栃の木ホテルアソシエート 午前 9 時集合
メンバー K・I、S・M、Y・U、K・U 4名
経路 足手荒神 G−作業道合流点 F−北向山往還道 D、E の途中まで(図 1 参照)
3 回目の探索は一泊二日の計画で今までの経過から北向山の貫通を予定していた。ところが この日から全国的に数十年に一度と言われる寒波襲来が予想され、ここ熊本も積雪、道路凍結が懸念された。当日の早朝はまだ天候は晴れの状態であったが、ホテルを解約し行けるところまで探索し、天候を見て引き上げることにした。
前回の調査を踏まえ久木野の足手荒神駐車場に車を止め、右下に県道28号線、南郷谷、阿蘇五岳を眺め栃の木ルートとの合流点まで進んだ。合流点からしばらく進むと大岩の所で道は鋭角に折れ曲がり上にあがって行く。さらに進むと北向山尾根筋と南郷往還道に分岐し原生林の中に突入した。道路は所々崖崩れで寸断し注意して進む。巨大杉は崖側に植えられ道路の崩壊を防いでいる。大きな杉の幹回りは約3.5m程もある。営林署の天然記念物指定の警告看板が掲示されていた。更に進むと第一回目の探索で昼食休憩した広場が見えてきた。しかしながら ここで西の空が真っ黒な雲に覆われ、天候の急変を知らせる兆候に気づいた。小雪交じりの雨、風が吹き、このまま進むのは困難と判断し遅くなった昼食をとり引き返した。翌日は県南、天草他で予報通りの大雪となった。 歩行歩数16,000歩
第 3 回現地探索 写真
足手荒神駐車場 南郷往還道への分岐路
右下に南郷谷を眺め進む 栃の木ルートとの合流点
大岩の所で鋭角に折れ曲がって上がる 北向き山尾根筋と南郷往還の分岐点
(解り難い箇所)
所々 寸断した道を進む 崩壊した沢を注意して進む
杉は崖側に植えられ道の崩壊を防ぐ 営林署の警告看板
荒れた道を進む 崩壊した沢は5,6 箇所あり
向こう側に作業道行き止まりの広場
4.第 4 回現地探索
2016年 2月11日 岩戸渓谷駐車場 午前 9 時集合
メンバー K・I、S・M、 2名
経路 岩戸渓谷駐車場 A−白川発電所鉄管上端部 I−H-
作業道終端広場 Dー北向山往還道分岐ー作業終端広場 D−飛沸 C−
境目
・外牧 K-岩戸渓谷駐車場 A
(地図 1 参照)
今回は岩戸渓谷駐車場から白川発電所水路上端部を通る林道を進み、作業終端の広場から南郷往還分岐路の探索を目的とした。駐車場から白川発電所用水路取り入れ口までは立派な林道が整備されている。これから先は細い山道にになり、立野付近を左下に見て測量杭を目印に東へ進む。途中 北向山登山の標識、駐車場への標識を見つけホッとする。杉の伐採により解り難い箇所があったが沢を上って行くと作業終端広場に出た。ここで往還道の探索を開始した。広場を少し下った所に北向山登山の表示板が木に括りつけてある。この標識から登山道路に入り、南郷往還への分岐を探し上って行くと俵山の風車が突然現れた。人馬で荷物を運ぶ道がこんな坂道のはずはないと下ってあちこち見渡すとピンクのテープが木の枝に結わえてあるのが見えた。その先に崩れかけた往還道が水平に続いているのが見えた。ここが北向山と往還の分岐点であるが標識等何もない。しばらく進むと大きく崩壊した沢に出くわした。ロープが二本渡してあるがここを渡るのは危険。下流に迂回して渡り、赤紐を木の枝に結わえ次回探索の目印とした。ここから作業終端広場まで引き返すと、ちゃんとした往還道分岐路入口が広場のすぐ先にあるのが分かった。次回探索の北向山貫通がやっと見えてきた。作業道終端の広場から飛沸=境目ー外牧と往還道を歩き岩戸駐車場着は午後 4時を回っていた。 歩行歩数は 23,000歩となった。
第 4 回現地探索 写真
岩戸渓谷駐車場 今回は右の林道を進む
発電所までは立派な道路が続く 発電所水路取り入れ口
山道に入る 左下に立野付近を望む
駐車所方面の」標識 北向山登山の標識
作業道終端広場 北向山登山の標識
南郷往還分岐点 大きく崩壊した沢
5.第 5 回現地探索
2016年 3月20日 栃の木ホテルアソシエート 午前 9 時集合
メンバー K・I、S・M、Y・U、K・U 4名
経路 飛沸 L-作業道路終端広場 D-E-F-久木野足手荒神 G(図 1 参照)
過去4回の探索により北向山の地形、道路の分岐点が判明していたので、飛沸から久木野へ貫通を目指した。小型4駆に分乗して4回目探索で歩いた外牧、境目の往還道を進み飛沸近くの道路脇に駐車した。しばらく歩くと俵山方面から流れてくる谷川に遭遇。渇水期で水の流れはない。この谷川は鳥獣保護区域の看板に飛沸の谷川と記載されている。一回目に探索した岩戸神社経由で合流した地点を通過する。南に俵山峠扇坂道路のガードレールを見ながら進むと程なく作業道終端広場に到達した。この広場の少し上がった右側に立派な往還道分岐が草に隠れている。しばらく進むと道路は行き止まりになるが、少し上に登ると北向山登山道路と南郷往還の分岐路となる。標識等何もないので解り難い箇所である。ここから北向山原生林に入って行く。やがて前回踏査した大きく崩壊した沢に出る。崩壊した道路取付け部には石積みの痕跡が、また下に迂回した沢には道路補強に使用されていたのか錆びた鋼材が突出していた。この沢を渡った次の沢で道に迷った。沢を渡った後往還道に出会うまで危険な崖を這い登り、大変苦労した。どこを間違えたのか確認するため、間違えた沢の所まで引き返した。この沢を渡るには6回程ジグザグに沢の脇を登って渡るように道が続いていた。下から見るとこの道路が折れ曲がりながら上がっているのが見づらい。しかも草木が道路に生い茂って更に解り難かった。このため坂の下の方で沢に直進し渡ってしまったのが間違いであった。良く見るとこの沢は3回目の久木野からの探索で渡った沢で天候の悪化により引き返した場所であった。これ以降は数か所 沢の崩れた所があったが3回目の探索時に通った原生林の中を進み、久木野の足手荒神まで難なく到達した。なお 新たに原生林の中の往還道で道路幅確保の石積みが杉の巨木と一緒に残っているのを確認した。 本日の歩行歩数 15,000歩
第 5 回現地探索 写真
栃の木神社から北向山を望む 飛沸近くの道路脇に駐車
飛沸の谷川 鳥獣保護区域図
作業道終端の広場 広場のすぐ先に往還道入口がある
分岐路を進むと作業道終点 少し上がると左に南郷往還道
原生林の中を進む 大きく崩壊した沢(対岸より撮影)
崩壊した道路端部に石積みの痕跡 錆びた鋼材(道路の補強)
下流に迂回して渡る 次の沢は渡る前にジグザグに上がる
ここまで上がって沢を渡る 巨大な杉の幹回りは約3.5mあった
沢の崩壊箇所は5,6カ所あり 眼下に長陽大橋、高森線鉄橋
石積みで道路幅確保の跡 天然記念物の看板
北向山尾根筋と往還の分岐点 鋭角に折れ曲がって上がる(松の曲り)
栃の木方面ルートと合流点 原生林を抜けると視界が開ける
北側に阿蘇の山を見て進む 眼下に俵山トンネル(県道28号線)