杜曲西南弔牧之冢 | ![]() |
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清・王士禛 |
兩枝仙桂氣凌雲, 落魄江湖杜司勳。 今日終南山色裏, 小桃花下一孤墳。 |
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兩枝 の仙桂 氣 雲を凌 ぎ,
江湖 に落魄 す杜 司勳 。
今日 終南山色 の裏 ,
小桃 花下 の 一孤墳。
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◎ 私感訳註:
※王士禛:清代初期の詩人、文学者。1634年(明・崇禎七年)~1711年(洪煕五十年)。現・山東省新城県の人。字は貽上、また子眞、号して漁洋。士禎と名を賜る。(王漁洋と呼ばれることも多い)。
大きな地図で見る杜曲鎮
※杜曲西南弔牧之冢:杜曲の西南にある杜牧之(=杜牧)の塚を弔(とむら)って(の詩作)。 ・杜曲:古地名であり、現代の地名。陝西省長安(京兆府万年・現・西安)の南12キロメートル。現・西安市長安区東少陵原の東南端。杜曲鎮。曲江の南12キロメートルのところ。杜牧の号の基となったであろう樊川が南北流れる。かつて名門の杜一族が住んでいたところ。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)40-41ページ「唐 京畿道 関内道」、「長安附近」にある。また、各種の現代西安地図にある。 ・牧之:杜牧のこと。牧之は字。晩唐の詩人。803年(貞元十九年)~852年(大中六年)。号して樊川。京兆府萬年県(現・陝西省西安市)の人。進士になった後、中書舍人となる。杜牧の詩はこちらに多い。 ・冢:〔ちょう;zhong3●〕つか。土を盛り上げたた大きな墓。=塚。(常用漢字字体・JIS第1水準では「塚」)。
※両枝仙桂気凌雲:(ここには、その昔、杜牧が在世の頃は)二本の月桂樹のにおいが、雲よりも高く上がっていたが。 ・仙桂:月桂樹。転じて、他人の子を褒めて言うことば。ここは、前者の意。杜牧が在世のころにあった樹木。晩唐・杜牧の『贈終南蘭若僧』に「北闕南山是故鄕,兩枝仙桂一時芳。休公都不知名姓,始覺禪門氣味長。」とある。 ・気:におい。かおり。 ・凌雲:雲よりも高く上がる。雲をしのぐ。うき世から超越する。ここは、前者の意。
※落魄江湖杜司勲:(その月桂樹の天に届く香りに反して、)杜司勲(=杜牧)は、おちぶれて各地を放浪していた。 ・落魄:〔らくはく;luo4po4●●〕おちぶれる。 ・江湖:〔かうこ;jiang1hu2○○〕本来の意は、大きな川や湖。転じて、世の中。国内の各地。民間。ここは、後者の意。(蛇足になるが、現代語でも後者の意)。晩唐・杜牧の『遣懷』に「落魄江南載酒行,楚腰腸斷掌中輕。十年一覺揚州夢,贏得靑樓薄倖名。」とある。 ・落魄江湖:落ちぶれて各地を放浪する。=流落江湖。杜牧は各地の地方長官(黄州・池州・睦州・湖州の刺史)を歴任したことを謂う。 ・杜司勲:杜郎中。杜牧のこと。 ・司勲:官名。周官の名。唐では郎中とする。杜牧は、大中五年(851年)に郎中となることに因る。
※今日終南山色裏:今(=王士禎が訪れた時)、終南山の景色の中(=杜牧の郷里=墓所である杜曲)で。 *杜曲は長安の南にあり、そのまた南に終南山がある。長安から南に向かって杜曲に来た作者にとっては、その前方に終南山が聳えている光景が広がっている。 ・終南山:山名。長安(現・西安)の南方40キロメートルのところにある2604メートルの高山。『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)40-41ページ「唐京畿道関内道」では、秦嶺山脈を終南山としている。秦嶺山脈は長安西南方から南方にかけての、現在の終南山を含む大山脈。盛唐・王維の『送別』に「下馬飮君酒,問君何所之。君言不得意,歸臥南山陲。但去莫復問,白雲無盡時。」とあり、盛唐・祖詠の『終南望餘雪』に「終南陰嶺秀,積雪浮雲端。林表明霽色,城中增暮寒。」
とあり、晩唐・李拯の『退朝望終南山』に「紫宸朝罷綴鴛鸞,丹鳳樓前駐馬看。惟有終南山色在,晴明依舊滿長安。」
とあり、唐~・韋莊の『晏起』に「爾來中酒起常遲,臥看南山改舊詩。開戸日高春寂寂,數聲啼鳥上花枝。」
とある。なお、唐詩以前の東晉・陶潛の『飮酒』二十首其五に「結廬在人境,而無車馬喧。問君何能爾,心遠地自偏。采菊東籬下,悠然見南山。山氣日夕佳,飛鳥相與還。此中有眞意,欲辨已忘言。」
では、廬山を指す。 ・裏:中。うち。
※小桃花下一孤墳:小さな桃の木の花の下に、ぽつんと一つだけ土を高く盛り上げた墓(があるだけで自然のさまもすっかり変わってしまった)。 ・小桃花:小さな桃の木。王士禎が訪れた時に目にした樹木。 ・墳:〔ふん;fen2○〕土を高く盛り上げた墓。はか。詩題での「冢」(=塚)と表現したところに同じ。ここで「墳」とするのは押韻(雲・勳・墳:平水韻上平十二文)のため。
◎ 構成について
2013.1.5 1.6 1.7 1.8 |
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