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悲陳陶 | |
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唐・杜甫 |
孟冬十郡良家子,
血作陳陶澤中水。
野曠天淸無戰聲,
四萬義軍同日死。
群胡歸來血洗箭,
仍唱胡歌飮都市。
都人回面向北啼,
日夜更望官軍至。
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陳陶 を悲しむ
孟冬 十郡良家 の子,
血は陳陶 澤 中の水 と作 る。
野 曠 く 天清 くして戰聲 無く,
四萬の義軍同日 に死す。
群胡 歸 り來 りて 血もて箭 を洗ひ,
仍 ほ胡歌 を唱 ひて 都市に飲む。
都人面 を回 らして 北に向かひて啼 き,
日夜 更に官軍の至 るを 望む。
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◎ 私感註釈
※杜甫:盛唐の詩人。712年(先天元年)~770年(大暦五年)。字は子美。居処によって、少陵と号する。工部員外郎という官職から、工部と呼ぶ。晩唐の杜牧に対して、老杜と呼ぶ。さらに後世、詩聖と称える。鞏県(現・河南省)の人。官に志すが容れられず、安禄山の乱やその後の諸乱に遭って、流浪の一生を送った。そのため、詩風は時期によって複雑な感情を込めた悲痛な社会描写のものになる。
※悲陳陶:陳陶斜での(敗戦を)悲しむ。 ・陳陶:地名。陳陶斜のことで、陳陶沢ともいう。安禄山の乱時の激戦(?)地。長安の西北・咸陽附近にある。ただし、『中国歴史地図集』第五冊 隋・唐・五代十国時期(中国地図出版社)41ページ「長安附近」にはない。『中国史稿地図集』下冊(郭沫若主編 中国地図出版社)19-20ページ「安禄山之乱」にはない。また、『中国軍事史略』中巻(高鋭主編 軍事科学出版社)79-80ページ「肅宗平叛」にもない。『舊唐書』『新唐書』を現在看ているが、見付けられない。蛇足になるが、陳陶は人名で、晩唐の詩人名でもある。
※孟冬十郡良家子:(至德元年(756年)の)陰暦十月に(秦中=現・陝西省の中部)の各郡の民間人の子弟(から徴兵した兵士)の。 ・孟冬:陰暦十月。冬の初め。現行太陽暦では十一月中旬頃。ここでは、唐朝・第九代皇帝・玄宗の第三子である皇太子(=第十代皇帝・肅宗、=李亨)が安禄山(・史思明)の叛乱軍に対して鎮定のための戦闘を指揮し、軍を展開していた時の至德元年(756年)の十月のことになる。 ・十郡:秦中(現・陝西省の中部平原地区。関中)の各郡を指す。 ・良家子:民間人の子弟(から徴兵した兵士)。「良家」は、よい家柄の意で、良家の子息は、本来、兵士にはならなかった。(発生した時期は分からないが、中国語の)諺に「好人不当兵,好鉄不打釘〕(良い人間は兵士にならないし、良い鉄は釘にはしない)というのがある。当時も杜甫自身の『石壕吏』「暮投石壕邨,有吏夜捉人。老翁逾墻走,老婦出門看。吏呼一何怒,婦啼一何苦。聽婦前致詞,三男鄴城戍。一男附書至,二男新戰死。存者且偸生,死者長已矣。室中更無人,惟有乳下孫。有孫母未去,出入無完裙。老嫗力雖衰,請從吏夜歸。急應河陽役,猶得備晨炊。夜久語聲絶,如聞泣幽咽。天明登前途,獨與老翁別。」からでも、貧窮層からの苛酷な徴兵がなされていたさまがわかる。
※血作陳陶沢中水:(良家の子弟兵)の血は(流されて)、陳陶沢(ちんとうたく)の沢の中の水と化してしまった。 ・作:(…と)なる。
※野曠天清無戦声:(陳陶斜の)平原は広々として、空は清々しいが、(戦闘で兵士が全て戦死したために)戦いの物音が途絶えて静かで。 ・曠:〔kuang4●〕遮る物が無く明らかなさま。果てしなく広々としている。広い。空(むな)しい。 ・無戦声:戦闘が終わった後の(兵士が全滅・戦死したことに因って起こった)静寂をいう。
※四万義軍同日死:四万の正義の軍勢(=打倒夷狄を掲げた唐朝の良家の子弟兵を始めとする唐王朝軍)は、その日の内に死んでしまった。 ・義軍:正義のために起こすいくさ。正義のための軍勢。国のために身命を捧げた正義の軍隊。義兵。ここでは、後出・官軍と指す所は同じ。 ・同日:同じ日に。
※群胡帰来血洗箭:異民族の軍勢(=えびすの軍勢、=賊軍)は、血で矢を洗って、もどってき。(群胡 歸り來りて 血もて箭を洗ひ)/異民族の軍勢はもどってきて、矢に附いた血を洗って。(群胡 歸り來り 血 箭を洗ひ) ・群胡:異民族の軍勢。安禄山はソグド人と突厥(系)との混血で、史思明は突厥系の異民族。 ・血洗箭:血で矢を洗う(血もて箭を洗ふ=「以血洗箭」)。また、箭に附いた血を洗う。前者の方が強烈であり、後者はありきたりの解釈。 ・箭:〔せん;jian4●〕矢。
※仍唱胡歌飲都市:その上に、異民族の歌を長安の街でうたっている。 ・仍:〔じょう;reng2○〕その上に。依然として。いまなお。相変わらず。重ね重ね。なお。 ・胡歌:えびすの歌。(西方)異民族の歌。安禄山側の兵士が歌う歌のこと。 ・都市:ここでは、長安の街を指す。
※都人回面向北啼:長安の人々は、北の方(の肅宗のいる霊武)に顔を振り向けて、涙を流し声をあげて)泣く。 ・都人:長安の人々。 ・回面:顔を振り向ける。 ・向北:北の方に向かって。長安より見て北北西500キロメートルのところにある対安禄山勢力への戦闘を展開していた唐朝第十代皇帝・肅宗の駐在していた霊武(現・寧夏回族自治区霊武市)の方向。或いは、戦場であった陳陶斜の方角。通常、前者の意。 ・啼:(涙を流し声をあげて)泣く。
※日夜更望官軍至:日夜、朝廷の軍勢が到着しないかと、待ち望んでいる。南宋・楊萬里の『初入淮河』に「中原父老莫空談,逢着王人訴不堪。卻是歸鴻不能語,一年一度到江南。」とあり、南宋・范成大の『州橋』に「州橋南北是天街,父老年年等駕迴。忍涙失聲詢使者,幾時眞有六軍來。」
とあり、南宋・陸游の『夜讀范至能攬轡録言中原父老見使者多揮涕感其事作絶句』に「 公卿有黨排宗澤,帷幄無人用岳飛。遺老不應知此恨,亦逢漢節解沾衣。」
、辛棄疾の「渡江天馬南來,幾人眞是經綸手。 長安父老,新亭風景,可憐依舊。」
や陸游の『書事』「關中父老望王師,想見壺漿滿路時。寂寞西溪衰草裏,斷碑猶有少陵詩。」
、張孝祥の「六州歌頭」「聞道中原遺老,常南望,羽葆霓旌」
とある。 ・官軍:朝廷の軍勢。政府方の軍隊。ここでは唐朝の軍勢を謂う。 ・至:物事や場所に着く。達する。いたる。蛇足になるが、「到」は、場所に歩みおよぶ。いたる。
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◎ 構成について
韻式は、「aaaaa」(或いは「aaaa b」、「aaaa a'」)。これは四聯(八句)ではあるが、律詩の要件である頷聯・頸聯での対句の構成がなされておらず、(また、押韻では(律詩の要件の)一韻到底ではなくて、換韻されている)。これらのことからこの詩は律詩ではなかろう。韻脚は「子水死 市至」で、平水韻上声四紙(子水死市)、去声四寘(至)。この作品の平仄は、次の通り。
●○●●○○●,(韻)
●●○○●○●。(韻)
●●○○○●○,
●●●○○●●。(韻)
○○○○●●●,
○●○○●○●。(韻)
○○○●●●○,
●●●◎○○●。(韻)
2012.12.20 12.21 12.22 12.23 |
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