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          贈呉晗

                                蔡希陶








               




祿



******

                  呉晗に 贈る

書は 天祿閣に 歸し

人は 首陽山に 在り


      **********

◎ 私感註釈:

※呉晗:北京市副市長。歴史学者。1909年~1969年。『退田』、『平冤獄』や海瑞を描いた彼の著作『海瑞罷官』、雑文集『三家村札記』がもとで、「三家村反党集団」とされ、迫害されて死んだ。これが文革の端緒の一となったことは有名。

※書歸天祿閣:書物は図書館に売って。 *呉晗の妻が病気になり、治療のために現金が必要となったため、持っていた稀覯本を精華大学図書館に売ったことをいう。 ・書:書物。 ・歸:帰す。ここでは売るの意。 ・天祿閣:ここでは図書館を指す。

※人在首陽山:(その)人は、節義を貫いて死んだ。呉晗は節義を貫いた高士であり、ちょうど殷の伯夷、叔齊が周の粟(禄)を食むのを拒んで、首陽山で薇(ゼンマイ)を採って食べ、やがて飢えて死んだという故事中の人物と同じようになった。 ・人:ここでは呉晗を指す。 ・在:(場所)に。 ・首陽山:殷の高士の伯夷と叔齊が、新たな王朝の周の粟を食むのを拒んで、首陽山に入り薇を採って食べて、やがて飢えて死んだ、そのところ。場所についてはこちらを参照。『史記・伯夷列伝』の古註によると、首陽山は、河東蒲阪の華山の北で河曲の中にある。また、首陽山は、隴西の始めにある。また、洛陽の東北の首陽山に(弟の)夷齊の祠がある。偃師県の西北。また、清源県の首陽山で、岐陽の西北にある。……とまだまだ伝えられている。東晉・陶潛の『擬古』九首其八に「少時壯且厲,撫劍獨行遊。誰言行遊近,張掖至幽州。饑食首陽,渇飮易水流。不見相知人,惟見古時丘。路邊兩高墳,伯牙與莊周。此士難再得,吾行欲何求。」、中唐・白居易の『訪陶公舊宅』に「垢塵不汚玉,靈鳳不啄羶。嗚呼陶靖節,生彼晉宋間。心實有所守,口終不能言。永惟孤竹子,拂衣首陽山。夷齊各一身,窮餓未爲難。先生有五男,與之同飢寒。腸中食不充,身上衣不完。連徴竟不起,斯可謂眞賢。」と多い。我が国では、後花園天皇の『賜足利義政』に「殘民爭採首陽,處處閉廬關竹扉。詩興吟酸春二月,滿城紅緑爲誰肥。」とあり、山田方谷の『詠伯夷叔齊』に「剪商計就竟戎衣,宇宙茫茫孰識非。君去中原幾周武,春風吹老首陽。」とある。




◎ 構成について:

  挽聯。聯。この作品の平仄は次の通り。


    ○○○●●,
    ○●●○○。
                   

2003.10.29完
     11.22補
2011.10.12補


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