孤軍奮鬪破圍還, 一百里程壘壁間。 吾劍既摧吾馬斃, 秋風埋骨故鄕山。 ![]() |
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城山
孤軍 奮鬪 圍(かこみ)を 破りて 還(かへ)る,
一百の里程 壘壁(るゐへき)の間。
吾が劍は 既(すで)に摧(くだ)け 吾が馬は 斃(たふ)る,
秋風 骨を埋(うづ)む 故鄕の山。
◎ 私感註釈 *****************
※西道仙:明治の長崎を代表する、活躍の幅の極めて広かった大文化人。天保七年(1836年)~大正二年(1913年)。名は喜大。字は道仙。号は琴石。明治十年西南の役に際して、長崎自由新聞を発行している。この作品は、西郷隆盛の作とも謂われていたが、西道仙自身の長崎自由新聞紙上に彼が発表したものという。(当時の長崎自由新聞の内容については、未確認)
※城山:鹿児島の城山。明治十年(1877年)の西南の役での西郷隆盛自刃の地である城山。明治・山崎泰輔の『西鄕隆盛』「肥水豐山路已窮,墓田歸去覇圖空。半生功罪兩般跡,地底何顏對照公。」
や、英雄の最期を詠うものとしては、項羽(籍)の『垓下歌』「力拔山兮氣蓋世,時不利兮騅不逝。騅不逝兮可奈何,虞兮虞兮奈若何!」
や、燕・荊軻の『易水歌』「風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還。」
南宋・文天祥『正氣歌』「天地有正氣,雜然賦流形。下則爲河嶽,上則爲日星。於人曰浩然,沛乎塞蒼冥。皇路當淸夷,含和吐明庭。時窮節乃見,一一垂丹靑。」
など多い。本サイトでは憂国慨世詩集のページ『碧血の詩篇』
や豪放詞のページ集
がある。
※孤軍奮闘破囲還:孤立した少数の軍勢でよく戦って、包囲を撃ち破って、帰還した。 *田原坂、延岡から転進して、可愛岳を突破し、南下を続けて、終に鹿児島市内にもどってきたことをいう。 ・孤軍:孤立した軍隊。支援の来ない軍隊。薩摩軍のみで、日本全体の軍、官軍と戦うこととなった状況。 ・奮闘:狭くみると延岡での攻防戦。広く見ると「政府に尋問の廉これあり」と義軍の蹶起をした薩軍の行動。 ・破:撃ち破る。延岡での戦闘での反攻。 ・囲:かこみ。包囲攻撃。囲繞。 ・還:(南下して薩摩の方へ)かえる。もどる。
※一百里程塁壁間:百里の行程は、城壁への攻(城)の連続であった。 ・一百:百。百里。約400キロメートル。西南の役の戦闘の歴程。長征の路程をいう。 *「百」も「一百」も、ほぼ同義で、語調で使い分けられているが、「百」は概数ででもある。そのためか、口頭語では「100」は“一百”と言い、「1000」を“一千”と言う。 ・里程:道のり。道程。 ・塁壁:〔るゐへき;lei3bi4●●〕とりでの城壁。とりで。城塞。ここでは、攻城のことをいう。
※吾剣既摧吾馬斃:わたしの剣はもはや既(すで)に砕けて、わたしの馬は斃(たお)れて死んだからには。 *『楚辭』九歌・國殤「操呉戈兮被犀甲,車錯轂兮短兵接。旌蔽日兮敵若雲,矢交墜兮士爭先。凌余陣兮余行,左驂殪兮右刃傷。霾兩輪兮
四馬,援玉
兮撃鳴鼓。天時墜兮威靈怒,嚴殺盡兮棄原野。出不入兮往不反,平原忽兮路超遠。帶長劍兮挾秦弓,首身離兮心不懲。誠既勇兮又以武,終剛強兮不可凌。身既死兮神以靈,魂魄毅兮爲鬼雄。」
を聯想する。西道仙のこの作品も、国殤を詠っている。 *「吾…」の表現があったために、西郷隆盛自身の作と謂われたことがよく分かる。 ・吾剣:わたしの剣。わたしの(執るべき)武器。 ・既:〔き;ji4●〕もはや…からには。とっくに。すでに。 ・摧:〔さい;cui1○〕くだける。くだく。滅ぼす。 ・吾馬:わたしの(戦闘に使うべき)馬。 ・斃:〔へい;bi4●〕たおれて死ぬ。
※秋風埋骨故郷山:秋風の中で、故郷の山に骨を埋めることとしよう。 ・秋風:秋の風。秋の凋落を感じさせる風。秋瑾の『絶命詞』に「秋雨秋風愁殺人!」とあり、『楚辭・九辯』に「悲哉秋之爲氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」や『古詩源』の古歌に「秋風蕭蕭愁殺人,出亦愁,入亦愁。」
とある。清末・章炳麟『獄中贈鄒』「鄒容吾小弟,被髮下瀛洲。快剪刀除辮,乾牛肉作
。英雄一入獄,天地亦悲秋。臨命須
手,乾坤只兩頭。」
。 ・埋骨:骨を埋める。死ぬことをいう。幕末の釋月性の『將東遊題壁』に「男兒立志出郷關,學若無成不復還。埋骨何期墳墓地,人間到處有靑山。」
とある。歴史的事実として見れば、明治十年の秋・九月二十四日に、西郷隆盛が自刃し、薩摩軍が城山において潰滅したことを指す。 ・故郷山:ここでは、薩摩の城山のことになる。
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「還間山」で、平水韻上平十五刪。次の平仄は、この作品のもの。
○○●●●○○,(韻)
●●●○●●○。(韻)
○●●○○●●,
○○●●●○○。(韻)
平成17.5.30 5.31完 平成22.4.20補 |
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