斷頭今日意如何? 創業艱難百戰多。 此去泉臺招舊部, 旌旗十萬斬閻羅。 |
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梅嶺三章の一
斷頭 今日 意 如何,
創業の艱難 百戰 多し。
此を去りて 泉臺に 舊部を 招じ,
旌旗 十萬 閻羅を斬らん。
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◎ 私感註釈
※陳毅:中華人民共和国建国前後の将領、十大元帥の一。無産階級(プロレタリア)革命家、軍事家、政治家、中国人民解放軍創始者兼指導者の一、の称号がある。字は仲弘。四川省楽至県の人。曽て、勤労学生としてフランスに留学後、その地で中国人留学生による愛国運動に参加したことに因り強制送還。帰国後、中国共産党に入党。南昌蜂起に参加して井崗山(せいこうざん)に退く。後、抗日戦争時期前には南方で遊撃(ゲリラ)戦を展開。この詩はその時のもの。文化大革命の時期は、所謂「四人幇」(四人組)によって抑えられ、「二月逆流」(反革命の運動)の首謀者の一とされた。死後(葬儀会場に於いて毛沢東により)名誉は恢復された。1901年〜1972年。
※梅嶺三章:(江西省大庾県と広東省南雄県の境界の大庾嶺(だいゆれい)にある)梅嶺(遊撃根拠地)での(決死の覚悟を詠った)詩三首。これはその一。 *1936年(民国二十五年)冬(1936年11月〜12月)、梅嶺で国民党政府軍により遊撃(ゲリラ)根拠地を一ヶ月以上昼夜に亘り攻囲されて潰滅の危機に瀕し、身は傷病のための床にあって、死を覚悟したときの詩。なお、西安事件(中国では西安事変という)が勃発したため、国民党政府軍が撤退し、助かった。『梅嶺』詩三首のうちの一つめ。自註「一九三六年冬,梅山被圍。余傷病伏叢莽間二十餘日,慮不得脱,得詩三首留衣底,旋圍解。」が附けられている。 ・梅嶺:大庾嶺。五嶺の一で、江西省大庾県南と広東省南雄県北の境界にある。小梅関があるがその近くか。なお、その当時、紅軍主力は陝西省北部(呉起鎮→延安)へと脱出していた。
※斷頭今日意如何:今、首を斬られるのが、どうしたというのだ。 *死を恐れずに見つめている。両宋・李清照の『烏江』「生當作人傑,死亦爲鬼雄。至今思項秩C不肯過江東。」のような決意を謂う。 ・斷頭:うちくび。首を切りおとすこと。くびきり。抗日戦争時期やそれ以前は青竜刀で、また、農村部では押し切りで首を切ったという(劉胡蘭の故実)。刈頸斷頭や斷頭裂腹を思ったか。或いは、作者はフランス留学からも分かるとおりフランスの歴史にも通暁しており、断頭台の断頭も意識しているのか。 ・意:思い。心。 ・如何:どのようであるか。いかが。どうしようか。どうするか。いかん。(対処・処置などの方法を問う)。明・劉基に絶句「人生無百歳,百歳復如何。古來英雄士,各已歸山阿。」がある。この陳毅の詩は、恐らく明・劉基の詩(人生に百歳は無く、百歳がまた、どうしたというのか。昔よりの英雄人物は、今はすでに皆、山の隈(くま)の墓場で眠っているのではないか=人は死ぬ。必ず死ぬ。長寿、短命とどうしていうのか。古来の英雄も皆、墓場に帰っているではないか)というのが頭にあったことだろう。二十六年後、老舎は『祝話劇豐收・一』で「問君擧酒意如何?但願今年話劇多!圖畫~州新面貌:英雄人物好山河。」(『人民日報』1962年2月7日掲載 『老舎旧体詩輯注』183ページ 中国国際広播出版社 2000年北京)とする。
※創業艱難百戰多:建国の礎(いしずえ)の苦難である、戦闘は続く。 ・創業:建国の基礎をつくる。また、事業を始める。ここは、前者の意。 *(蛇足になるが、革命は、ある意味では破壊的な行動になるが、作者は起義(蜂起)や革命根拠地での活動、遊撃(ゲリラ)戦などが、創業=建国の基礎をつくることと理解していたのには、(後になって詩句に手を入れたのでなければ)その炯眼には恐れ驚く。また『梅嶺三章之三』では「自由花」と自由を希求していたことには前後の歴史を知っている者には深い感動を呼び起こすことだろう)。 ・艱難:〔かんなん;jian1nan2○○〕苦しみ。困難な目にあうこと。難儀。つらい目にあうこと。なやみ。苦労をすること。 ・百戰:百度の戦い。多くの戦い。1936年(民国二十五年)当時まで、作者が経てきた戦闘。また、このことについて、中国の読者の方から次のような御教示をいただいた。「『創業の百戰』とは、中国の近代が歩んだ戦乱の歴史で、阿片(アヘン)戦争、太平天国の乱、ロシアとの領土紛争、日清戦争、戊戌の変法・政変、義和団・八ヶ国聯合軍の北京占領。(列強による各地の租借(ドイツ:膠州湾、ロシア:旅順・大連、イギリス:威海衛・九竜半島、フランス:広州湾、アメリカ:門戸開放宣言…))、義和団の乱、(辛亥革命・中華民国の成立、第一次世界大戦と日本の二十一ヶ条の要求、五四運動)、北伐、第一次国共合作、北伐の再開、満州事変…とうち続く戦乱で渾沌とした中にあった中国が、安定した国家を目指して革命の道を歩んだ、その苦難に満ちた歴程を指す」とのことである。(なお、この詩は、西安事件が起こる直前に作られた。この詩ができたすぐ後、西安事件、蘆溝橋事件と日華事変(抗日戦争)、第二次国共合作、国共内戦…と続く)。唐・王昌齡の『從軍行』に「青海長雲暗雪山,孤城遙望玉門關。黄沙百戰穿金甲,不破樓蘭終不還。」とあり、清初・呉偉業の『虞兮』に「千夫辟易楚重瞳,仁謹居然百戰中。博得美人心肯死,項王此處是英雄。」とある。
※此去泉台招舊部:ここ(この世)を去って黄泉(よみ)の国で、曾て率いていた部下を招き(集めて)。 ・此去:ここを去ること。王建の『渡遼水』の「渡遼水,此去咸陽五千里。來時父母知隔生,重著衣裳如送死。亦有白骨歸咸陽,營家各與題本ク。身在應無回渡日,駐馬相看遼水傍。」や、劉綺莊の『揚州送人』に「桂楫木蘭舟,楓江竹箭流。故人從此去,望遠不勝愁。落日低帆影,歸風引櫂謳。思君折楊柳,涙盡武昌樓。」などがある。 ・泉臺:〔せんだい;quan2tai2○○〕死後の地下の世界にあるというたかどの。死者はここに登って望郷の思いに駆られるという。あの世。墓。ここでは、「泉下」「泉壤」「泉路」「泉界」と意味は似たり寄ったりだが、平仄上○○とすべきところなので前掲の例はどれも使えない(前掲の例は○●)。それ故こうなった。 ・舊部:曾て率いていた部下。かつての部下。 ・部:軍隊の組み分け。統(す)べる。
※旌旗十萬斬閻羅:軍旗を立てた十万の軍勢で、閻魔大王(国民党・南京国民政府主席の蒋介石)を斬り殺そう。 ・旌旗:〔せいき;jing1qi2○○〕旗の総称。旗さしもの。軍旗。唐・王昌齡の『梁苑』に「梁園秋竹古時煙,城外風悲欲暮天。萬乘旌旗何處在,平臺賓客有誰誰憐。」とあり、北宋・曾鞏の『虞美人草』に「鴻門玉斗紛如雪,十萬降兵夜流血。咸陽宮殿三月紅,覇業已隨煙燼滅。剛強必死仁義王,陰陵失道非天亡。英雄本學萬人敵,何用屑屑悲紅粧。三軍散盡旌旗倒,玉帳佳人坐中老。」とある。 ・十萬:(旌旗が挙がっている)十万の軍勢のこと。「十万」は、軍隊編制上の実数ではないが、幾ら詩的誇張としても「百萬」とはできない。「百萬」は皇帝が率いる軍隊を表す。同時代人では、瑞金会議以後の毛沢東しか使えない。毛沢東は、『人民解放軍佔領南京』で「鍾山風雨起蒼黄,百萬雄師過大江。虎踞龍盤今勝昔,天翻地覆慨而慷。宜將剩勇追窮寇,不可沽名學覇王。天若有情天亦老,人間正道是滄桑。」と使う。金の皇帝・完顏亮は『呉山』で「萬里車書盡混同,江南豈有別疆封。提兵百萬西湖上,立馬呉山第一峰。」と使い、 明の皇帝・太祖・朱元璋は『無題』「殺盡江南百萬兵,腰間寶劍血猶腥。山僧不識英雄漢,只顧嘵嘵問姓名。」と使う。そのことを陳毅はよく知った上で「十萬」とした。明末/清初・鄭成功の『出師討滿夷自瓜州至金陵』に「縞素臨江誓滅胡,雄師十萬氣呑呉。試看天塹投鞭渡,不信中原不姓朱。」とある。 ・斬:〔ざん;zhan3●〕刀で切る。切り離す。きり殺す。 ・閻羅:〔えんら;yan2luo2〕地獄の王。閻魔。梵語yamaraja訳音。人の生前の罪を判定して罰を加えるという。閻王。閻羅王。えんまさま。ここでは、国民党や南京国民政府主席の蒋介石を暗に喩える。
◎ 構成について
韻式は「AAA」。韻脚は「何多羅」で、平水韻下平五歌。平仄はこの作品のもの。
●○○●●○○,(韻)
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○○●●●○○。(韻)
2009.6.26 |
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