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 5.王制転覆  

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5.王制転覆
  1. 立法議会 1791年の憲法を基に新たしい議会「立法議会」が誕生しました。しかし、議会内外でそれぞれの思惑が交錯し、フランスは揺れつづけます。
  2. 国外の脅威と戦争ビルニッツ宣言や亡命貴族などの脅威から、フランスは戦争へと巻き込まれていきます。その中でただひとり、ロペスピエールだけが反戦を唱えますが、聞き入られません。
  3. 祖国の危機フランスは敗戦が続きます。議会は「祖国は危機にある」宣言を出しました。ロベスピエールの活躍により国民は愛国心に燃え、革命は次の重大な局面に向かっていきます。
  4. 8月10日の革命今までの革命の中途半端な成果に納得できない民衆は再び蜂起します。そして、彼らは王権の停止を要求し、それは実行されました。この蜂起は革命の大きな区切りとなりました。
  5. 9月虐殺外敵や反革命派に対する恐怖から、民衆はパリの監獄を襲い、反革命派の疑いのある囚人を虐殺します。そして、その興奮の中、フランスはヨーロッパ随一の軍隊プロシア軍をヴァルミーで破ります

iii.祖国の危機

一言で説明すると…フランスは敗戦が続きます。議会は「祖国は危機にある」宣言を出しました。ロベスピエールの活躍により国民は愛国心に燃え、革命は次の重大な局面に向かっていきます。

敗戦

ロベスピエールの危惧はすぐ現実のものとなりました。

フランス軍はオーストリア軍を発見しただけで退却しました。当時のフランス軍はほぼ半数の将校が亡命しており、不在でしたから指揮系統がめちゃくちゃでした。
残って指揮にあたった将校達も貴族で、革命のために本気で戦う気などありませんでした。むしろ、国王の側に立って、敗戦による革命の転覆を狙っていたのです。

また、マリー・アントワネットは敵側に作戦図を渡していましたから、作戦は筒抜けです。勝てるはずがありません。

敗戦続きのため、主戦論者のジロンド派に対する不信感も生じてきました。

この戦争のできない軍の状況でひとつ特筆すべき点があります。欠けていた将校のポストに実力のある者をどんどん抜擢していったのです。また、年金や勲章も身分の別なく功労のあった者に与えられ、兵士の給料も増額しました。 これにより、将校と兵士との間に信頼が回復され、規律と軍人精神も復活しました。軍は段段再建されていきました。
また、ナポレオン・ボナパルトの異常なスピード昇進がなされたのも、このような背景があったからです。


再び拒否権発動

5月27日「拒否僧侶追放」の法案が信心深い国王の拒否権で採決されませんでした。内務大臣ロランは国王を非難し、王位を奪取することをほのめかしました。

6月8日 二万人の義勇兵募集の法案も拒否権にあいました。

6月13日  ジロンド派の宣戦布告内閣は戦争の責任を取らされ、また、国王の不況を買って罷免になり、フイヤン派がまた政権を握りました。

このように再三にわたり議会が国王の拒否権にあい、権威を無視されていることにパリ市民は反発しました。 革命のシンボル「自由の帽子」

6月20日 国王に反省を求めようとして、テュイルリー宮殿に向かいました。国王が暴徒から自由の帽子(赤のふちなし帽)を受け取り愛嬌をふりまいたりして、一応何事もなくこの事件は終わりました。

祖国の危機

7月に入り、プロシアの将軍ブラウンシュヴァイク公の指揮するプロシア軍が宣戦に加わり、国境の緊張が急に高まりました。

7月11日、議会は
「多くの軍隊がわが国の国境に向かっている。自由を恐れる全ての者が、フランスの憲法に反対して武器を取っている。
諸君、祖国は危機にある」
という非常事態宣言をしました。

その前日(7月10日)、この宣言を阻止できなかったフイヤン内閣は辞職しました。
ジロンド派は、政権が目の前に来たのを見て、密かに国王と連絡を取り始め、今度は共和主義を攻撃し、王の権利剥奪に反対しました。(「おいおい」と言いたくなるような日和見です。)

行進するマルセイユの連盟兵その頃、バスチーユ陥落3周年和記念する「連盟祭」に参加するため、各地から連盟兵が集まってきました。

7月30日にはマルセイユの連盟兵が到着しました。彼らはルージェ・ド・リールの作った「いざ、祖国の子よる光栄の日は来た」という出だしで始まる「ラ・マルセイエーズ」を高々に歌いました。後のフランス国歌です。

ロベスピエールの活躍が再開しました。彼は祖国の危機宣言に燃え立っている連盟兵に呼びかけました。

「病気の根源までさかのぼろう。……我々の病気の主な原因は行政権と立法権にある」

つまり、こうです。

・議会に請願書を出して、王権の停止と国民主権を勝ち取ろう。
・国民を能動市民と受動市民とに分けるのを止め、全ての国民に選挙権を与えよう。
普通選挙によって新たな憲法制定会議(「国民公会」)を選出しよう。


ブラウンシュヴァイク公の宣言 Brunswick

プロシアの将軍ブラウンシュヴァイク公が、マリー・アントワネットの強い要請を聞き入れて、フランス国民を威圧する宣言をしました。

「プロシア・オーストリア両国はフランスの内省に干渉しない。しかし、王室にたとえわずかでも危害が与えられたら、パリを完全に破壊し、見せしめとなるような復讐を行う」

これを受け取ったフランス国民は怒りました。タイミングは最悪でした。威圧するどころか、火に油とガソリンを注ぐようなものだったのです。


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ii.国外の脅威と戦争 v.9月虐殺
iii.祖国の危機