このページの背景画像は 「ステンシル絵本」さんからお借りしました。

 きょうは何の日 6月 

最終更新日 平成12年5月31日

6月1日
1794年 バレール、士官学校設置を提案、可決。

6月2日
1790年国民議会、暴動煽動者取締令及び処分令を可決。
1793年 ジロンド派指導者逮捕される。 これにより山岳派に指導権移動。反革命軍、ナントに進撃。

6月3日
1793年 亡命者財産売却法成立。

6月5日
1806年 ルイ・ボナパルトがオランダ王となる。

6月6日
1808年 ジェローム・ボナパルトがウェストファリア王、ミュラがナポリ王となる。

6月7日
1788年 グルノーブルの「屋根瓦の日」

6月8日
1792年  連盟兵二万の募兵を決議。 しかし、即座に国王の拒否権が発動された。
1794年 最高存在の祭典。 祭典の最高責任者ロベスピエールは革命の危機を乗り越えようとした。

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6月10日
1789年 シエイエスの特権身分への最後通告。欠席者は棄権とみなされた。
1793年 共有地分割法。
1794年 プレリアール22日の法令可決による革命裁判所の強化。
6月12日
1790年 法王領アヴィニョンの併合を議決。
1798年 マルタ島占領。

6月13日
1792年 ロランのジロンド派内閣罷免。 ジロンド派はあいつぐ敗戦の責任を取らされた。これにより、フイヤン派内閣成立。

6月14日
1791年 ル・シャプリエ法可決。
1800年 マレンゴの戦い。

6月15日
1796年 ナポリ占領。

6月17日
1789年 国民議会の結成を宣言。

6月18日
1799年 プレリアール30日のクーデター。 圧迫されていたジャコバン派の復活につながった。

6月19日
1789年 三部会の聖職者身分が、僅少差で国民議会に合流を決議。
1790年 貴族制度の廃止を議決。

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6月20日
1789年 三部会の議場閉鎖。「球技場の誓い」。 「憲法が制定され、強固な基礎の上に確立するまでは決して解散しない」の宣言。 
 
1791年 国王一家、パリを脱出(ヴァレンヌ逃亡事件)。 
1792年 パリ人民、テュイルリー宮殿に侵入。ジロンド派の反撃失敗。

6月21日
1791年 国王一家、ヴァレンヌで逮捕。 この事件によりコルドリエ派、議会に共和制宣言を要求。

6月22日
1795年 亡命者キブロン半島に上陸。

6月23日
1789年 親臨会議。第三身分代表、王権に対する反抗の意思を表明。

6月24日
1789年 三部会で、聖職者身分の半数が国民議会に合流。
1793年 「1793年憲法」可決。

6月25日
1789年 三部会で、オルレアン公ら47人の貴族身分も国民議会に合流。
1791年 国王一家、ヴァレンヌからパリに帰る。  このときの心痛でマリー・アントワネットの髪の毛は真っ白になってしまったという。
1793年 ロベスピエール過激派に対する闘争非難する開始。ジャック・ルー、投機業者、買占め業者らを非難する請願文を議会に提出。

6月26日
1794年 フルリュスの勝利。

6月27日
1789年 三部会で、国王が聖職者、貴族両身分に国民議会に合流するように勧告。
1792年 マルセイユの義勇軍、パリに接近。
1797年 亡命者に対する処置の廃止。

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