ここの背景画像は「Yellow House素材館」さんからお借りしました。
スウェーデン後継者問題 「人物/ベルナドット/デジレ・クラリ/フェルセン」 (H11.10.21.UP) |
ナポレオンを嫌悪してしたスウェーデン王グスタフ4世は、ナポレオン帝国に対して強硬姿勢を取り続けていた。しかし、スウェーデン国民は相次ぐ戦いにうんざりしており、その国民感情を見て取った将軍達は、1809年3月29日、クーデターを起こしグスタフ4世を退位させる。 後任のカルル13世は老人で、皇太子アウグステンベルクの即位が間近いものと思われていた。ところがその皇太子が1810年6月に脳卒中で急逝したため、次期後継者をめぐりスウェーデンは混乱に陥る。国王に皇太子がなければ隣国のロシアが強引に割り込んでくることは目に見えているが、その候補者となると意見が分かれて収拾がつかない。 その騒ぎで、6月20日、マリー・アントワネットの愛人だったフェルセン伯爵は皇太子毒殺の疑いをかけられ、民衆のリンチに遭い惨殺される(この日は、ヴァレンヌ逃亡でフェルセン伯爵がマリー・アントワネットと別れたちょうど19年後にあたる運命の日)。 ついにカルル13世は亡き皇太子の弟に白羽の矢を立てる決意を固め、その旨をしたためた書簡を使節に託してナポレオンに送った。たまたまその使節に当たったメルネル男爵は、以前にベルナドット元帥の捕虜となったときに受けた親切に対して恩返しする機会を待ち望んでいた。 男爵はパリに到着して、スウェーデン総領事シヌールと雑談の際に、いっそベルナドットを皇太子候補にしたらどうか、という奇策に思い当たる。密かに打診してみると、当人はまさか実現するとは夢にも思っていなかったようだが、スウェーデン国王が同意し、ナポレオンが承諾するならば、という条件付で内諾した。 8月21日、スウェーデン議会は突然の候補者の差し替えに戸惑ったが、国民はベルナドットの軍事・行政面での手腕と、ナポレオンの支持に期待を託して好意的な反応を見せた。議員達は、この候補者がプロテスタントに改宗さえしてくれれば異存はないという意見に傾く。 本人の方は、「かねてから心を惹かれていたルターの教義を受け入れる」と言って、あっさり同調したのみならず、ベルナドットの妻デジレへの罪滅ぼしの意味もあり、ナポレオンも同意した。国王も国民感情に押されて、「要するに悪い奴ではあるまい」という簡単な一言で賛成する。 ここに議会は満場一致でベルナドットを皇太子にした。ベルナドットは、現在まで続くスウェーデン王室の祖となったわけである。 |
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政治パンフレット/新聞 「概要/三部会召集/三部会召集」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
フランス革命期には政治ジャーナリストの原型とも言うべきものが出来上がり、さまざまなパンフレットが書かれました。以下に代表的なものを挙げてみます。(先頭の「パ」はパンフレット、「新」は新聞を表します。) (H12.3.14.UP)
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僧侶階級 「概要/1.革命の原因/階級制度の矛盾」 (H11.11.7.UP) | ||||||||||||||||||
特権階級出身の僧侶は全体の0.1%ほどである。特権階級といっても、構成員の99.9%は「平民」出身である。 | ||||||||||||||||||
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