私の主張 平成二十六年四月二十四日更新 (これまでの分は最下段) 「契冲」のホ-ムペ-ジに戻る
憲法改正と表記の保存(「國語國字」第二百號 平成二十五年十一月三日)
參議院選擧は自民黨の壓勝に了り、謂はゆる參議院のねぢれ現象が解消せられ、憲法の改正にも本格的な取組が始らうとしてゐる。但し之には一方で、現存唯一と言へる正字・正かなの公式文書である日本國憲法が改正と同時に新字・新かなへの表記變更を餘儀なくされるといふ問題がある。之までの經緯からすれば、内閣法制局は昭和二十七年四月四日附の内閣閣甲第十六号依命通知「公用文作成の要領」を嚴格に運用してをり、國會の審議を經た法律案の表記に就ても屡變更を求めてゐる。憲法改正は國會が發議するが、正式の改正案となる段階で議院法制局の手により事務的處理として漢字、假名遣が現代表記に改正される可能性が高い。實際の條文とは異り、改正の問題點とは認識されず、從つて議論、報道の對象にもならない虞すらある。
自民黨は昨年四月「日本国憲法改正草案」を發表し、特に前文の全てを書き換へ、日本の歴史や文化の尊重を強調したとしてゐる。然るにその表記は全面的に現代表記に改めてをり、これに關しては新保祐司教授が既にその翌月の産經新聞「正論」で、歴史と傳統の尊重を謳ふ、その文章が「現代仮名遣い」といふ日本の歴史と傳統に反するもので書かれるのは、グロテスクであると指摘されてゐる。
當協議會としては總力を擧げてこれに呼應した活動を展開すべきであり、恐らくこれが國語改革論爭最後の舞臺と思はれるのである。特に今囘の自民黨の改正草案では「表現の自由」に就て、現第二十一條第一項の「集會、結社及び出版、その他一切の表現の自由は、これを保障する」をそのまま踏襲するが、これに加へ第二項として「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認められない」を新設するとしてゐる。
現在は憲法の表記に反して新字・新かなで表記しても當然憲法違反にはならない。一方、正字・正かな表記は憲法の表記に合致するにも拘らず、新聞社は受附けないし、出版社から新かなでの印刷製本を半ば強要される例も少くない。これから類推すれば、草案通り憲法改正の曉には、新聞社、出版社からの壓力が更に強まるだけでなく、憲法の表記を否定するのは憲法違反、少くとも憲法輕視に當るといつた攻撃や、延いて國語表記を正字・正かなに戻さうとすること自體「公益及び公の秩序を害することを目的」としてゐるとの非難が生ずる可能性さへないとは言へない。勿論裁判になれば、勝訴できようし、徒らに恐れる必要はないものの、無用の防戰に追はれて活動し難くなることは間違ひない。現憲法の正字・正かな表記の死守を訴へる所以である。
この戰ひに勝利する爲には今日殆ど既成事實となつた、「現代仮名遣い」、「常用漢字」及び「公用文作成の要領」が日本の歴史や傳統と相容れないことへの再認識、即ち國語に關する正しい「歴史認識」の確立が必要である。以下私論を述べて御參考に供したい。
國語の歴史を概觀すると、繩文末期成立とされる國語は、恰度水田稻作の普及に絶大な效果を齎らし、豐葦原瑞穗國の彌生時代を現出した。言靈の助くる國、幸はふ國と語り繼がれた所以であらう。その後約千五百年もの長い無文字時代を經て、漢字の傳來以後漢字文化の吸收に努める一方、訓讀や假名文字の發明などを積み重ねて、記・紀、萬葉から古今集、源氏物語に至る國風文化の獨立と繁榮を實現した。鎌倉時代初期に謂はゆるハ行轉呼といふ音韻變化に際して、當時最高の文化指導者であつた藤原定家は文字表記の音韻追隨を拒否して書き言葉の獨立を主張し、假名遣の概念を初めて打出した。定家假名遣と呼ばれるこの表記法は、定家の和歌に於ける絶對的な權威とも相俟つて、その決定手順になほ不備は遺つたものの、博く用ゐられた。約五百年後の元祿時代、難波の僧契沖が和漢梵に亙る研鑽の結果、いろは四十七文字を字母とし、音韻に依らず「曩篇」即ち古文獻を基礎とする假名遣を提唱するに及んで、定家の主張した書き言葉の獨立が歴史的假名遣として名實共に實現したのである。その後の三百年はその補充、補遺に費やされ、平成に至り漸く完成に至るが、就中本居宣長による字音假名遣の體系化が特筆される。尤もこれも宣長の學問的名聲の故に補遺、修正に二百年を要したと言へる。
明治維新により、博く海外、特に西歐の文化の吸收が必須となり、國語も新しい文體が求められたが、謂はゆる言文一致體は期待通りの效果を發揮せず、長い試行を歴て大正末期に漸く口語體として完成した。その成功の主因は、書き言葉として、大量の果實を内包する文語體との整合性を計つたことにあり、その過程で歴史的假名遣が果した役割は極めて大きいものがある。
ここまで國語書き言葉の歴史は、音韻記述といふ當初の役割から次第に獨立した言語文化への發展の歴史であつたといふ見方を述べて來たが、このことは定家や契沖など偉大な先人の功績も然ることながら、書き言葉のもう一つの要素である漢字の性質が與つてゐると考へられる。嘗ては「漢字文化圈」の特質として、あの廣い漢土の地方地方により發音は千差萬別であるけれども、漢字といふ文字を共有することにより、大國の行政を可能としたことが擧げられてゐたことを想起するまでもなく、漢字は音韻から獨立したことにより大きな文化的な力を發揮したのである。その漢字を漢字かな交り文として利用する國語書き言葉が獨立を志向するのは實は當然と言へるのである。
このやうな國語書き言葉の歴史に對して、戰後の「國語改革」が持つ意味を、その歴史から振返ると、慶應二年前島密による「漢字御廢止之儀」及び明治三十一年上田萬年らの「國語改良會」に始まる「綴字改良」の運動が、文部省を動かし、同三十三年からは國語教科書での謂はゆる「棒引き假名遣」の採用、同三十五年に國語調査委員會の開設となり、文字は音標文字の採用、文章は言文一致體の採用を目指すと表明するに至つたのが、その淵源であると言へる。
文字の方はしかし森鴎外の「假名遣に關する意見」に代表される、假名遣改訂に對する反對論が起り、同四十一年「棒引き假名遣」は廢止となつた。それでもこの「音標文字の採用」は、昭和四十一年第八期國語審議會第一囘總會に於ける中村梅吉文部大臣の「今後の御審議に當りましては當然のことながら國語の表記は、漢字かな交り文によることを前提とし、」との挨拶により、漸くその呪縛から脱れるまで、六十四年間に亙り國語政策の中核の地位を保ち續けた。
一方文章の方は言文一致體が上述の如く結局論理的文章として適應することができず、官製の國語調査委員會ではなく、森鴎外、夏目漱石、芥川龍之介など在野の努力により口語體が成立するに及び「言文一致體の採用」は事實上廢案となつた。然るに當にその時期、大正十三年文部省はあらう事か、「假名遣改定案」を發表したのである。これは表記を音韻に從はせるもので、その結果文語假名遣との整合性を害ふものであつたから、忽ち反對論が起り、翌同十四年實施を斷念せざるを得なかつた。「棒引き假名遣」に續き二度に亙る表音化の挫折は二十年後の「現代かなづかい」に於て「建議」といふ強力な行政權力を國語審議會に付與することになる。
敗戰直後の昭和二十一年十一月十六日、「現代かなづかい」と「當用漢字表」とが内閣告示された。行政府内の規則として發布されてゐるが、實際には「音標文字の採用」に向けた第一段階として、かなりの強制力を有するものであつた。而もこの「段階的改革」の故を以て理論上或いは實用上不都合の指摘に對しては專ら之を默殺したのである。
しかし前述の中村文相の發言により「音標文字の採用」が事實上否定された以上、「現代かなづかい」と「當用漢字」はその前段階としての立場ではなく、漢字かな交り文の國語書き言葉としての價値を問はれることになつた。
「現代かなづかい」の「まえがき」の第一項には「このかなづかいは、大體、現代語音にもとづいて、現代語をかなで書きあらわす場合の準則を示したものである」とあり、昭和六十一年内閣告示の「現代仮名遣い」の「前書き」の第一項でも「この仮名遣いは、語を現代語の音韻に従つて書き表すことを原則とし、」とあり、孰れも「現代語音」又は「現代語の音韻」即ち時代を限定せず、常に「今どんな發音をしてゐるか」だけに從ふことを前提としてゐる。これは前述した古文獻を基礎とする歴史的假名遣を否定するのみならず、國語書き言葉の獨立と發展を抛棄するものであることは明らかである。
同樣に「當用漢字表」の「まえがき」は「法令・公用文書・新聞・雜誌および一般社會で、使用する漢字の範圍を示す」とし、昭和五十六年内閣告示の「常用漢字表」の「前書き」も「現代の國語を書き表す場合の漢字使用の目安」とあり、「範圍」外の使用禁止から、「目安」への緩和を示すものの、「今どう書くか」のみを考へてゐるに過ぎない。
これら要するに「音標文字の採用」を金科玉條とし、西洋言語學がその前提とする「文字は音聲言語の記録手段に過ぎず」に盲從した「現代」表記が過去と未來を全く無視し、國語書き言葉の獨立と發展の歴史を抹殺する點こそが新保教授の言はれた「日本の歴史と傳統に反する」ことの實態であり、而もこの現代表記の普及に盡力して來たのは外ならぬ日本人自身であつたことも亦事實である。
憲法は慥かに米國の強制があつたが、表記は傳統の存續を確保して今日に至つてゐる。然るにその公布から僅か十三日後に「現代かなづかい」と「當用漢字表」を告示し、更には昭和二十七年講和條約發效の二十四日前に「公用文作成の要領」を國語審議會の「建議」に基き通知したことは、憲法に確保された國語表記を否定し、國家の主權恢復に伴ふ國語書き言葉の獨立復活の芽を摘み、當に國是として日本の歴史と傳統の抹殺を進めたことを物語つてゐる。
戰後の「國語改革」に對する批判はこのことを原點として、一般の理解を求めなければならない。その上で先づ「公用文作成の要領」を改正し、憲法の正字・正かな表記を確保すべきである。さうしてこの實現は必ずや世論を喚起し、國語書き言葉獨立論に基く、「現代仮名遣い」、「常用漢字字表」廢止に向けての活動を活溌化せしめ、「日本を取戻す」ことを可能にするであらう。
市 川 浩
昭和六年生れ
平成五年 有限會社申申閣設立。
正假名遣對應日本語IME「契冲」を開發。
國語問題協議會常任理事、文語の苑幹事、契冲研究會理事。
これまでの私の主張(ホームページ掲載分)日附降順
和字正濫鈔の序に見る契沖の假名遣論の本質(契沖研究會「理」第十七號 平成二十五年五月二十五日)
古典の日の制定に寄せて 「東京グラフィックス」第六百三十五號
平成二十五年一月號
−正字・正かな運動實踐のために−(二)「國語國字」第百九十七號(平成二十四年四月二十五日)
―正字・正かな運動實踐のためにー(一) 「國語國字」第百九十三號(平成二十二年四月一日)
論語臆解 「國語國字」第百九十三號(平成二十二年四月一日)
上代特殊假名遣臆見 ―日本語變換ソフトからの管見―「國語國字」平成十九年二月二十三日(第百八十七號)に掲載
正字・正かなの印刷環境 ――「東京グラフィックス」平成十八年十二月號(Vol.45 No.561)に掲載
教育再生への視點 ――「當用漢字」、「現代かなづかい」告示六十年に思ふ――
桶谷秀昭著「日本人の遺訓」を讀みて(文語の苑「侃侃院」)
「契冲」正字・正かな發信のために−「國語國字」第百八十五號(平成十七年十一月十一日)
忘れられる歴史的假名遣 「假名遣腕試し」に思ふ−「國語國字」第百八十四號(平成十七年十月十日)
「契冲」の獨白――字音假名遣を考へる――(「月曜評論」平成十六年四月號掲載)
パソコン歴史的假名遣で甦れ!言靈
(『致知』平成十六年三月號(通卷三四四號))
文語の苑掲載文二篇
昭和の最高傑作 愛國百人一首飜刻 たまのまひゞき
出版に協力して