ミステリ&SF感想vol.212

2014.07.10

河原町ルヴォワール  円居 挽

ネタバレ感想 2014年発表 (講談社BOX)

[紹介]
 京都の鴨川で、龍樹家の当主・落花が突如発生した濁流に押し流され、水死体となって発見される。その死の謎をめぐって開かれる〈双龍会〉で落花の妹・撫子は、龍樹家と袂を分かち今は青蓮院に属する兄・大和を犯人として告発し、青龍師をつとめる城坂論語と対決することに。一方、龍樹家の龍師・御堂達也と瓶賀流は〈双龍会〉に備えて調べを進めるうちに、青蓮院を率いる京都一の権力者・黄昏卿の秘密の一端をつかむ。そしてついに始まった〈双龍会〉では、大和と論語の鋭い舌鋒を前に、窮地に追い込まれる撫子。果たして起死回生の一手はあるのか……?

[感想]
 本書は『丸太町ルヴォワール』に始まったシリーズの第四作にして、ついにシリーズ完結編となります。ストーリーもさることながら、レギュラーの登場人物たちが大きな魅力となっているこのシリーズですが、完結編らしくというか何というか、本書では――箱裏のあらすじに明記されているので上の[紹介]にも書きましたが――冒頭からいきなりショッキングな展開が用意されており、一気に引き込まれずにはいられません。

 龍樹家の当主・落花の死は関係者に――対立する天親家にさえも――衝撃をもって迎えられ、その中でも落花の妹・撫子の受ける打撃と悲しみはひとしおですが、瓶賀流や御堂達也の力も得てそこから立ち上がり、落花の遺志を継いで宿敵・青蓮院、ひいては黄昏卿を相手に――しかも直接対決するのは兄の大和と元恋人の城坂論語という、因縁の相手との一世一代の大勝負に乗り出す姿が印象的です。

 というわけで、賭博大会〈権々会〉がメインとなっていた前作『今出川ルヴォワール』から原点へ回帰したように、本書では(シリーズでおなじみの)私的裁判〈双龍会〉が物語の中心に据えられており、落花の不可解な死の謎をめぐって龍師たちが繰り広げる、底の知れない丁々発止のやり取りには質量ともに大満足。その中でとりわけ、予想外の(しかし伏線に支えられた)ユニークな趣向が大きな見どころで、今まで以上に予断を許さないものになっています。

 未読の方の興を削がないように気をつけるとあまり書けることがないのですが(苦笑)、とにかく最後にはまたしても作者の仕掛けたあざとくも巧妙な罠に、完全にしてやられてしまいました。そして、〈双龍会〉の決着がついた後の叙情的な幕切れも、また巻末の(シリーズ初の)「あとがき」も、シリーズのファンとしては実に感慨深いものがあります。名残惜しいところではありますが、まさにシリーズの掉尾を飾るにふさわしい一冊といえるでしょう。

2014.03.16読了  [円居 挽]
【関連】 『丸太町ルヴォワール』 『烏丸ルヴォワール』 『今出川ルヴォワール』

鐘楼の蝙蝠 Bats in the Belfry  E・C・R・ロラック

1937年発表 (藤村裕美訳 創元推理文庫211-04)

[紹介]
 作家ブルース・アトルトンはこのところ、ドブレットと名乗る謎の男に執拗に付きまとわれ、苛立っていた。彼の身を案じた友人の頼みを受けて、新聞記者グレンヴィルはドブレットの住む荒れ果てた建物〈鐘楼{ベルフリー}〉を突き止めるが、ドブレットと思しき髭と眼鏡の男に追い払われてしまう。その翌日、空き家になっていた〈鐘楼〉に入り込んだグレンヴィルは、パリへ旅立ったはずのブルースのスーツケースを発見する。調べてみるとブルースは消息を絶っており、通報を受けた警察が建物の調査に乗り出すと、壁の中から首と両手を切断された死体が見つかって……。

[感想]
 『悪魔と警視庁』に続いて*1邦訳された、マクドナルド首席警部を主役とするシリーズの一作ですが、全体的に『悪魔と警視庁』と同じような、面白いところもあるもののやや微妙な印象です。いわゆる本格ミステリらしい謎解きを期待すると拍子抜けで、発端の魅力的な謎とそこから展開されるストーリーの面白さ――マクドナルド首席警部が事件の真相にたどり着くまでの紆余曲折の過程を楽しむべき作品、といったところでしょうか。

 実際、物語の発端はかなり魅力的で、作家ブルース・アトルトンと家族や友人たちが、(あくまでも頭の体操として)“死体をうまく始末する方法”について議論するところから始まり、あたかもそれが予兆であったかのように、(上の[紹介]に書いた通り)ドブレットなる怪人物の登場とブルースの失踪、そして壁の中からの身元不明の死体の出現と、いやが上にも興味を引かれる展開になっています。

 ここで、マクドナルド首席警部が被害者と犯人の組み合わせについていくつかの可能性を検討しながら、捜査を進めていく……わけですが、死体の身元が比較的あっさりと判明してしまうのが、実にもったいないというか何というか。とはいえ、ある人物の怪しげな行動から浮かび上がる秘密や怪人物ドブレットの暗躍ぶり、さらには犯人の動機に関するマクドナルド首席警部の大胆すぎる仮説*2など、見どころは十分に用意されています。

 その後も、次から次へと事を起こして目先を変えていく作者の手管はかなりのもので、今ひとつ事件の焦点がはっきりしないまま進んでいきながらも、しっかりと読ませます。めまぐるしく物語を動かすことで読者にあまり考える余裕を与えずにおいて、何とも唐突に犯人を明らかにして不意討ちするところまで作者の計算の内なのだとすれば、なかなか巧妙といっていいのではないかと思います。

 いささか反則気味*3な上に面白味のないトリックはさすがにどうかと思いますし、調べられればすぐに露見してしまうところも難点――というわけで、トリックに期待するのはまったくおすすめできませんが、事件が解決された後に待ち受けている、思わずニヤリとさせられる最後の皮肉なオチ(のようなもの)まで含めてストーリーは楽しめる、何だか憎めない(?)作品です。

*1: といっても、およそ一年ぶりになりますが。
*2: 作者は(一応伏せ字)ここにさりげなくミスディレクションを仕掛けて(ここまで)いるような気がしないでもない((以下伏せ字)“アルザス地方で暮らし――グランヴィルです”(151頁)という記述で、子孫が地名をもとに“グレンヴィル”と名乗っているように思わせる狙いがある(ここまで)のではないか)のですが、これは穿ちすぎかもしれません。
*3: 読者への手がかりも一応あるにはありますが、それを(以下伏せ字)マクドナルド首席警部の方が持ち出している(275頁)(ここまで)のは、ちょっとどうなのか。

2014.03.29読了  [E・C・R・ロラック]

五骨の刃 死相学探偵4  三津田信三

ネタバレ感想 2014年発表 (角川ホラー文庫 み2-4)

[紹介]
 友人の峰岸柚璃亜に付き添われて死相学探偵・弦矢俊一郎の事務所を訪れた大学生・管徳代には、禍々しい死相がはっきりと現れていた――怖いもの好きの徳代と柚璃亜は、真夜中に〈無辺館〉に忍び込み、身も凍るような体験をしたという。そこではおよそ半年前、ホラー映画監督・佐官甲子郎が主催する〈恐怖の表現〉展のオープニング・パーティーの最中に、五種類の凶器を用いた無差別連続殺人事件が起こり、ホラー映画の殺人鬼に扮した犯人の正体はいまだ不明のままだった。依頼人を救うべく真相解明に乗り出した俊一郎だったが、無辺館事件の関係者から新たな死者が出て……。

[感想]
 他人の死相を視る“死視”の能力を持つ“死相学探偵”・弦矢俊一郎を主役に据えたホラーミステリの、前作『六蠱の躯』から四年ぶりに刊行された久々のシリーズ第四弾。新刊だからといってまさかここから入る方はいないでしょうが*1、ブランクのある(?)読者に向けたものか、本書の冒頭では、直前に解決した依頼を振り返る形で、俊一郎の死相学探偵としての活動が簡単に説明されています。その中に、シリーズ当初は他人との関わりを大の苦手としていた俊一郎の、(本人としては)大きな成長が見て取れるのが印象深いところです。

 “死視”の能力や呪術などオカルト要素の存在を前提としながらも、それを含めて――“呪術の論理”の解明といった形で――割り切ってみせる、作者の代表作〈刀城言耶シリーズ〉*2とは一味違ったホラーミステリのシリーズですが、前作『六蠱の躯』ではかなりミステリ寄りになってホラー色がやや減退していたのに対して、本書では序盤に語られる〈無辺館〉での恐怖体験など、ホラーとしても十分に見ごたえがあります。それでいて前作に引き続きミステリ色も濃厚で、ホラーとミステリの両立という点でなかなかよくできた作品に仕上がっていると思います。

 俊一郎のもとに依頼が来る時点ですでに殺人事件が発生しており*3、依頼人に現れた死相もその一環となっていることで、依頼人の死を未然に防ぐために一連の事件全体を解決する必要が生じる――というわけで、事件の犯人探し(及びそれにつながる動機探し)が軸となっていくあたり、完全にミステリのプロットといっても過言ではありませんが、そこに“死視”の能力や〈五骨の刃〉なる呪術が一種の特殊設定として組み込まれる形で、ミステリとホラーが緊密に結びつけられているのがさすがというべきでしょう。

 本書では、俊一郎が視る死相が――それ自体が解かれるべき謎というよりも――“呪術の論理”を解き明かす糸口として扱われているのも興味深いところで、物語後半、(依頼人を含めた)〈無辺館〉の関係者のうち一部にのみ死相が現れることから、その一見ばらばらな“被害者候補”たちの共通点を探し出す、ミッシング・リンクものへと転じていきます。あくまでも被害者候補にとどまることで、共通点を探すための本人への聞き取り調査が可能となっているのがこのシリーズならではですし、手がかりをさりげなくその会話の中に潜ませてあるのが巧妙です。

 そして最後の謎解きは、よく考えられた手順も含めて実に鮮やかです。真相そのものもさることながら、それを隠蔽する数々のミスディレクションがしっかり工夫されており、すべてを見通すのはなかなか困難ではないでしょうか。実をいえば、ミッシング・リンクだけを取り出してみると少々脱力気味のネタではあるのですが、それを支える周到な状況設定によって(脱力させられながらも)納得せざるを得なくなっているのが見逃せないところです。

 シリーズを通じた“敵”の一端が垣間見える一方で、“僕”が今までにない大活躍を見せ、さらにレギュラーに加わる(と思われる)新キャラクターも登場するなど、今後の展開に楽しみを持たせてくれる一作です。

*1: 既刊3冊も(新カバーで)増刷されているようですし。
*2: 『厭魅の如き憑くもの』など。こちらのシリーズでは概して、事件のミステリとしての解決とは別に、ホラー要素が割り切れないものとして残されることになっています。
*3: この点は前作『六蠱の躯』でもそうでしたが。

2014.04.02読了  [三津田信三]

服用禁止 Not to Be Taken  アントニイ・バークリー

ネタバレ感想 1938年発表 (白須清美訳 原書房 ヴィンテージ・ミステリ)

[紹介]
 田舎の村アニーペニーで果樹園を営むダグラス・シーウェルと妻のフランシス。隣家には、引退した電気技師ジョン・ウォーターハウスとその病弱な妻アンジェラが住み、医師のグレン・ブルームとその妹ローナらとともに、親しい付き合いを続けていた。だが、ある日ジョンが突然体調を崩し、そのまま数日後に急死してしまう。主治医のグレンは“病死”と診断したが、村にやってきたジョンの弟シリルは、一同の困惑をよそに当初から“毒殺”の疑いを隠そうともせず、やがて検死審問が開かれることに。そして、遺体から砒素が検出されるに至って……。

[感想]
 アントニイ・バークリーといえば、いわゆる黄金時代の探偵小説作家でありながらも、黄金時代らしからぬところのある独特の作風で知られており、特に本書に先立つ『ジャンピング・ジェニイ』『パニック・パーティ』『試行錯誤』の三作などは、それぞれに何とも型破りな探偵小説となっています。それらに続いて発表された本書も、“読者への挑戦状”まで用意されて一見オーソドックスな探偵小説の体裁ともいえるものの、随所にバークリーらしい味わいがにじみ出ています。

 語り手(記述者)である果樹園主の隣人が砒素中毒で急死するという、きわめてシンプルな事件が扱われた作品ですが、当初は病死と診断されるのは“お約束”としても、遺体から砒素が検出されるまでには紆余曲折があるなど。かなり地味な印象の事件の割にひねられたプロットで読ませてくれるのがさすが。特に検死審問が始まってからは、(具体的なところは伏せておきますが)相次ぐ意表を突いた展開に目が離せません。

 また、それを支えているしっかりした人物描写も見逃せないところで、事態をややこしくするのに一役買っている、語り手をはじめとした登場人物たちのちょっとした(余計な)行動が、その人物像からみて決して不自然な印象を与えることなく、物語に組み込まれているのが巧妙。と同時に、物語が進むにつれて、関係者たちの隠された一面が次々と明らかになっていき、事態がさらに混沌を深めていくのが大きな見どころです。

 最終章の手前、エアポケットに入ったかのように物語が落ち着いたタイミングで、“ある啓示”が語り手ダグラスに訪れるとともに、“読者の前に証拠はすべて提示された”と“読者への挑戦状”が挿入されていますが、この“挑戦状”自体が少々くせもののように思われます*1し、続く最終章での圧巻の謎解きで明かされる皮肉で意外な真相は、実に見事。そして、同じくバークリーの某作品を連想させる何ともいえない結末が印象に残ります*2

 個人的には、バークリーの作品をある程度読んでからの方がより楽しめるのではないかと思いますので、バークリーの“最初の一冊”としてはあまりおすすめできないのですが、逆にバークリーのファンには間違いなくおすすめの一作です。

*1: “読者への挑戦状”でさえも、ありきたりではなくバークリー流といった感じです。
*2: このあたり、「盤面の不敵~アントニイ・バークリー『服用禁止』(執筆者:ストラングル・成田) - 翻訳ミステリー大賞シンジケート」“バークリーはバークリーだった。”という一文に心から同意です。

2014.04.17読了  [アントニイ・バークリー]

遠まわりする雛  米澤穂信

ネタバレ感想 2007年発表 (角川文庫 よ23-4)

[紹介と感想]
 〈古典部シリーズ〉第四作の本書は、シリーズ初の短編集。
 個々の作品が発表順ではなく作中の時系列に沿って配列されることで、一学期から春休みまでの古典部の一年間が順を追って紹介される形になっており*1、その中で古典部の四人――とりわけ千反田えると折木奉太郎の関係が微妙に変化していく様子が、シリーズとしての大きな見どころです。
 また、「あとがき」にも書かれている*2ように、短編集であることをうまく利用して、ミステリとしても(やや小粒ではあるものの)バラエティに富んだ内容になっているのも面白いところで、そちらの意味でも楽しめる作品集といえるでしょう。
 個人的ベストは、「心あたりのある者は」

「やるべきことなら手短に」
 四月の終わりの放課後。折木奉太郎は入部した古典部にも顔を出さず、忘れてきた宿題を居残りで片付けようとしていたが、福部里志から学校の怪談を聞かされる。音楽室でピアノがひとりでに音楽を奏でていたというのだ。〈神山高校にもあった七不思議、その二〉だと喜ぶ里志に、奉太郎は……。
 奉太郎が音楽室の怪談の謎を解く話……かと思いきや、いきなり奇妙な方向に転じているのがユニーク。正直なところ、謎とその真相そのものはさほどでもないのですが、キャラクターを生かしたひねりが加えられることで、面白い作品に仕上がっています。

「大罪を犯す」
 平和な五時限目の雰囲気をぶち壊すように、突然隣の教室から聞こえてきたのは、数学教師が何やら癇癪を起こしたと思しき声だった。と、驚いたことに、そこで千反田えるの珍しく怒った声が。後でなぜ怒ったのか聞いてみると、どういうわけか数学教師が授業の進度を間違えていたらしいのだが……。
 普段から温厚で鷹揚な千反田えるが“なぜ怒ったのか?”に始まり、その原因となったささやかな謎を解き明かすエピソード。謎解きはたわいもないといえばたわいもないものですが、そこから先が印象的ではあります。

「正体見たり」
 折木奉太郎ら古典部総勢四名は、山間の温泉地、伊原摩耶花の親戚が営む民宿へ合宿にやってきた。だが、宿に伝わる幽霊話を聞かされたせいなのか、夜中に摩耶花と千反田えるが、窓から見える向かいの部屋に幽霊らしき影を見かけたという。えるとともにその謎を解くことになった奉太郎は……。
 合宿という非日常で遭遇した幽霊譚。といっても、その正体である“枯れ尾花”は比較的わかりやすいかと思われますが、問題となるのは“なぜ?”で、そこに焦点を当てることで何ともいえない後味を残しているのが秀逸です。

「心あたりのある者は」
 放課後、古典部の部室にいた千反田えると折木奉太郎は、そこで奇妙な校内放送を耳にする。いわく、“十月三十一日、駅前の巧文堂で買い物をした心あたりのある者は、至急、職員室の柴崎のところまで来なさい”――行きがかりから奉太郎は、その放送の意味について推理することになり……。
 ハリイ・ケメルマン「九マイルは遠すぎる」の“奉太郎流変奏曲”――というのは“簡単に理屈をつけることはできない”ことを証明するのが目的*3だからですが、案に相違して思いもよらない結論にたどり着いてしまうのが愉快。結末も実にしゃれています。

「あきましておめでとう」
 正月、千反田えると折木奉太郎は、伊原摩耶花がアルバイトをする神社へ初詣に訪れた。社務所で手伝いを頼まれて納屋まで物を取りに来た二人は、手違いでその中に閉じ込められてしまう。大声で助けを呼べない事情もあり、こっそりと納屋から脱出する方法を模索する二人だったが……。
 ジャック・フットレル「十三号独房の問題」の系譜を継ぐ、いわば“ミッションクリア型”のミステリ*4。二人で納屋に閉じ込められた(ある意味)スリリングな状況も楽しい(?)ところですが、意表を突いた伏線を利用する解決策がお見事です。

「手作りチョコレート事件」
 伊原摩耶花がチョコレートを福部里志に受け取ってもらえなかった、昨年のバレンタインデー。今年こそはと気合いを入れる摩耶花は、千反田えるの協力も得て立派な手作りチョコレートを完成させるが、古典部の部室に置いてあったチョコレートは、わずかな時間の間に盗まれてしまったのだ……。
 あらすじでお分かりのように、里志と摩耶花の関係を中心に据えた作品。もちろん意図的だと思われますが、読者に対してはかなり見えやすく書かれているのがくせものというか何というか、最後に残された真相はなかなか強烈です。

「遠まわりする雛」
 千反田えるの地元の神社で行われる生き雛祭りで、えるが演じる雛に傘を差しかける傘持ちの役を引き受けた折木奉太郎。だが、止めてもらったはずの橋の工事がなぜか行われていたため、生き雛一行が歩くはずだった道筋が使えないことに。やむなく予定より遠まわりすることで片はついたが……。
 「手作りチョコレート事件」と対をなすように、奉太郎とえるの関係に重点が置かれた作品で、謎解きはこれもさほどでもないのですが、ちょっとした趣向が用意された解決場面がよくできています。そして印象に残る幕切れも。

*1: 長編と合わせると、『氷菓』序盤→「やるべきことなら手短に」『氷菓』残り→「大罪を犯す」「正体見たり」『愚者のエンドロール』『クドリャフカの順番』「心あたりのある者は」以降、という順番になります。
*2: “今回は短篇集ということで、さまざまなシチュエーションを使うことができました。そのためミステリの趣向もいろいろなものを試しています。”(410頁)
*3: 白状してしまうと、「九マイルは遠すぎる」の内容はかなり忘れてしまっているのですが(恥)、さすがにこういう目的ではなかったような……。
*4: 適当にでっち上げた言葉ですが、「十三号独房の問題」のような脱獄ものや一部の誘拐ものなど、“(ある種の)不可能状況をいかにして攻略するか”を主眼とした作品で、ハウダニットの時制(しばしば視点も)をずらした形ともいえると思います。

2014.04.25読了  [米澤穂信]
【関連】 『氷菓』 『愚者のエンドロール』 『クドリャフカの順番』