ミステリ&SF感想vol.204

2013.04.22

猫柳十一弦の失敗 探偵助手五箇条  北山猛邦

ネタバレ感想 2013年発表 (講談社ノベルス)

[紹介]
 “成人までに嫁がぬ女子の在を禁ず”――古い因習の伝わる山間の小村・稲木村にある名家・後鑑家。その四姉妹の末娘・千莉に、戦国時代に非業の死を遂げた姫を名乗る脅迫状が届く。千莉の二十歳の誕生日が迫る中、相談を受けた探偵助手学部の学生・君橋君人と月々守は、見事に事態の解決に成功した……はずだった。だが、ゼミ教官の名探偵・猫柳十一弦は、後鑑家で惨劇が起きると推理し、それを未然に防ぐため、関係者に気づかれないように稲木村に乗り込んだ……。

[感想]
 『猫柳十一弦の後悔』に続く、探偵助手学部・猫柳ゼミの三人を主役としたシリーズ第二弾。前作では孤島での合宿中に起きた事件が扱われましたが、今回も舞台設定は(違った方向に)コテコテ――因習の残る山村を舞台に、村に伝わる伝説に見立てた形で旧家の姉妹が命を狙われるという、そこはかとなく横溝正史パロディ風*1の作品になっています。もっとも、猫柳らが村人たちの中に深く入り込まないこともあって、横溝作品的なおどろおどろしい雰囲気はほとんどありません。

 物語は、後鑑家の末娘・千莉のもとに届いた一通の脅迫状に始まりますが、前回の事件のショックでへこんでいる猫柳の出馬を待つまでもなく、相談を受けた君橋と守が(意外な形で)スピーディに事態を解決し、いきなりの“大団円”を迎えるという異色の展開。しかしそこからがいわば本番で、目次の各章の副題が「大団円」から「真相」「連続殺人」を経て「魅力的な謎」に終わるところにも表れているように、通常のミステリをひっくり返した“さかさまのミステリ”となっているのが本書の大きな特徴です。

 “結末”で始まり“発端”で終わる作品はいくつかあります*2が、本書の場合は殺人事件が起きる前に犯人や動機が推理され、そこから事件発生直前にまで至る経緯――いかにして事件を未然に防ぐか*3――が描かれるという形。単に“さかさま”というよりは、一般的な倒叙ミステリを完全に“裏返して”みせた、“探偵側”の倒叙ミステリと表現するのが適切かもしれませんが、いずれにしてもユニークな構成といえるでしょう。そしてそれを可能とするために、事件そのものもよく考えられていると思います。

 まず、脅迫状から連続見立て殺人という定番の図式が、推理の材料としてうまく使われているのが見逃せません。とりわけ、見立てが一種の“縛り”となって、次に誰がどのような手段で狙われるのかを予測するのに役立っているのが巧妙です。そしてもう一つ、犯人が(とある事情で)直接的な犯行を選択しないために、発動前の機械トリックを解除することが焦点となっているのが秀逸。直接的な犯行に比べて気づかれずに阻止するのが容易になっている*4のはもちろんのこと、通常のミステリでは扱いづらいトリックを効果的に見せてある*5という点でも興味深いものがあります*6

 倒叙ミステリの一種ということで、サプライズが控えめになっているのは致し方ないところでしょうが、それでも終盤にはしっかりとひねりが加えられており、最後まで楽しめます。また物語全体を通じて、副題にもなっている〈探偵助手五箇条〉を背景に“探偵助手のあるべき姿”を規定(?)しつつ、“探偵と助手”たる猫柳と学生たちとの関係にある意味スリリングな要素を加えてあるところに、ニヤリとさせられます。ミステリとしては一風変わった構成だけに、好みの分かれるところかもしれませんが、個人的にはまずまずの良作です。

*1: 『悪魔の手毬唄』『獄門島』といったところでしょうか。
*2: 例えばフィリップ・マクドナルド『ライノクス殺人事件』やC・デイリー・キング『空のオベリスト』など。
*3: 前作『猫柳十一弦の後悔』をお読みになった方はおわかりのように、(以下伏せ字)猫柳十一弦独特の名探偵としての資質(ここまで)がしっかりと生かされているのがうまいところです。と同時に、横溝正史パロディとしては皮肉が利いているというか何というか……。
*4: 某国内作家((作家名)石持浅海(ここまで))の長編((作品名)『君の望む死に方』(ここまで))を連想する方も多いのではないでしょうか。
*5: 歌野晶午『密室殺人ゲーム王手飛車取り』などとはまた違った手法で、面白いと思います。
*6: もちろん、単純にあまり例を見ないということもありますが。

2013.01.15読了  [北山猛邦]
【関連】 『猫柳十一弦の後悔』

キリサキ  田代裕彦

ネタバレ感想 2005年発表 (富士見ミステリー文庫 FM55-04)

[紹介]
 《俺》は死んだ――どのような最期を迎えたのかは記憶にないが、自分が死んだことは自覚している俺の前に現れたのは、死に神のようなフードをかぶった《案内人》だった。“ナヴィ”と名付けた《案内人》によると、俺にはまだ寿命が残っているらしく、まだ現世でやり残したことがある俺を生き返らせてくれるという。だが、俺の体にはすでに別の《誰か》の精神が入っていたために、俺は霧崎いづみという女子高校生の体で生き返る羽目になってしまったのだ。かくして、“霧崎いづみ”の体で新しい生活を送り始めた俺だったが、クラスメイトが世間を騒がす連続殺人犯『キリサキ』に殺害される事件が起きて……。

[感想]
 第3回富士見ヤングミステリー大賞を受賞した『平井骸惚此中ニ有リ』(富士見ミステリー文庫)でデビューし、主にミステリ風味のライトノベルを書いている(らしい)作者による、(一応は*1)非シリーズの長編。“死に神”の手で別人として復活する特殊設定を、『キリサキ』と呼ばれるシリアルキラーの犯行を扱ったサイコサスペンスと組み合わせた、(カバーなどのイラストとは裏腹に)かなりダークな物語となっています。

 死んでしまった主人公の《俺》が、死に神然とした《案内人》ナヴィとのとぼけた会話を経て、女子高校生・霧崎いづみの体で復活する発端は、完全にSF/ファンタジーの展開。しかして現世に戻ってくると、ナヴィの助力も得て“霧崎いづみ”としての生活に順応しながら*2、何とかして自分の体を取り戻そうとする《俺》の前にやがて、《俺》とも決して無縁ではない『キリサキ』の事件が立ちはだかり、物語は一気にミステリ色を強めていきます。

 実際、中盤以降は《俺》の物語に加えて『キリサキ』を追いかける刑事たちの物語も加わって、一部で“某ミステリ*3へのオマージュ?”ともいわれるような状態ですが、面白いのは《俺》の『キリサキ』に対するスタンス。“いづみ”の級友が被害者になったことで事件に関わり、またとある事情で『キリサキ』に個人的な関心もある《俺》ですが、あくまでも自分の体を取り戻すことが優先で、『キリサキ』を追いかけるわけではない――というのが、物語がどこへ向かうのか読者に的を絞らせない効果をあげています。

 そして緊張感が高まった状態で突入するクライマックスに待ち受けているのは、息をもつかせぬ怒涛のようなサプライズの連打。多少は事前に予想できてしまう部分もあるものの、全体としてはなかなか意外ですし、何より真相そのもののインパクトが非常に強烈です。また、同時に明かされる一部のさりげない手がかりも、見せ方が考えられていてよくできていると思います。あまり深く考えずに、示された真相だけをそのまま受け取る限りは、傑作といっても過言ではないかもしれません。

 惜しむらくはその真相が、(気持ちはわからなくもないのですが)いささかやりすぎている感がなきにしもあらず。主人公の《俺》に焦点が絞られているためにあまり目立たなくなっていますが、真相や設定を突き合わせてみると他の人物の言動にかなり不自然なところが生じてしまい、それを補うべき設定が“緩い”ことも相まって、ストーリーの土台が怪しくなっているように思われるのが残念。気にならない方は気にならないかもしれませんが、個人的には何とももったいなく感じられる作品です。

*1: 同じような設定の『シナオシ』(富士見ミステリー文庫)という作品(姉妹編?)が刊行されているようですが……。
*2: 男子高校生の《俺》がいきなり女子高校生になってもほとんど平然としているのは、ライトノベルとしてはいかがなものかとも思いますが(苦笑)、本書の雰囲気ではそうなるのも理解できます。
*3: (作家名)殊能将之(ここまで)の長編(作品名)『ハサミ男』(ここまで)未読なので詳細はわかりませんが……。その後読んでみましたが、確かにかなり似ているように思います。

2013.01.30読了  [田代裕彦]

小鬼の市 The Goblin Market  ヘレン・マクロイ

ネタバレ感想 1943年発表 (駒月雅子訳 創元推理文庫168-08)

[紹介]
 第二次大戦の最中、カリブ海の島国サンタ・テレサにたどり着いたアメリカ人フィリップ・スタークは、手持ちの金が底を突いたところで、オクシデンタル通信社の記者ピーター・ハロランが事故死したことを知り、その後釜として仕事を得ることができた。だが、前任者ハロランの死をめぐる不審な状況を調べ始めたスタークは、ハロランが残した断片的な手がかり――書きかけの原稿、本社宛の電文、そして“小鬼の市”(ゴブリン・マーケット)という謎の言葉に出くわす。どうやらハロランは、危険な特ダネをつかんでいたらしいのだ。それを追いかけるスタークの前に、正体不明の暴漢、どこか怪しげな人物たち、さらに新たな死体までが出現して……。

[感想]
 『幽霊の2/3』『殺す者と殺される者』『暗い鏡の中に』と、長らく絶版だった有名作の復刊が相次いだヘレン・マクロイの、本邦初訳となる第六長編。比較的オーソドックスな本格ミステリだった前作『家蝿とカナリア』とは打って変わって、謀略サスペンス色が前面に出されていることをはじめ、色々な意味でかなりの異色作といっていいように思います。というわけで、マクロイの最初の一冊としてはおすすめできないところがありますが、十分に面白い作品ではあります。

 物語の舞台となるのは、カリブ海に浮かぶ島国サンタ・テレサ。多くのミステリで見慣れた欧米とは様子の違う“異国”の雰囲気がしっかりと伝わってくるのは、後にかの名作「東洋趣味{シノワズリ}*1『歌うダイアモンド』収録)をものしたマクロイならではといえるかもしれません*2。そしてその、激戦地からはだいぶ離れているはずのサンタ・テレサにまで、戦火の余波が微妙に影を落としているのが見逃せないところで、発表当時の時代を映した興味深い作品となっています。

 その中で、放浪の末に新聞記者の職を得た主人公スタークは、前任者ハロランの不審な“事故死”を調べるうちに暗号めいた手がかりを見出し、事件に巻き込まれていくことになります。かくして物語は、ハロランの死の原因となった重大な秘密を大きな謎として、暴漢による襲撃など活劇場面も交えつつ、サスペンスフルに進んでいきます。スタークを取り巻く人物たちも、警察署長も含めてどこか疑わしい者ばかり、なのですが……。かなり難しいかと思いますが、帯やカバー、扉などの紹介文に目を通さない方が、本書をより楽しめると思います。

 というのも、例えば帯では(一応伏せ字)“ウィリング博士とウリサール署長、夢の共演”と謳われているように、本書の趣向の一つである“二大探偵の共演”――シリーズ探偵であるベイジル・ウィリング博士はいうまでもなく、警察署長ミゲル・ウリサール警部も後の『ひとりで歩く女』で探偵役をつとめています――が紹介文で明かされているため、ウリサール警部に疑念を向けにくくなっている(ここまで)など、作者の狙った効果が減じてしまうきらいがあるからで、何とももったいないところです。

 それでも、オカルトじみた薄気味悪いネタなども盛り込んで、終盤までしっかりと読ませるマクロイの筆力はさすがというよりほかありません。そしてクライマックスでの謎解きは、暗号(?)の解明こそフェアとはいいがたい部分もある*3ものの、それを足がかりにした真相の解明はなかなかよくできていると思います。本格ミステリを期待するとやや物足りなく感じられるのは否めませんが、ニヤリとさせられる結末も含めて楽しめる作品です。とりあえずマクロイのファンは必読でしょう。

*1: 別訳「燕京綺譚」(早川書房編集部 編『51番目の密室』などに収録)の方が有名かもしれません。
*2: もっとも、本書で再三言及される“日本式の武術”には苦笑を禁じ得ないところがありますが。
*3: やや特殊な知識が必要になるという意味で。

2013.02.05読了  [ヘレン・マクロイ]

猫間地獄のわらべ歌  幡 大介

ネタバレ感想 2012年発表 (講談社文庫 は102-1)

[紹介]
 天明年間。江戸の猫間藩下屋敷内、内側から扉に留め金がかけられた書物蔵で、御広敷番が切腹を果たしているのが見つかった。藩主の愛妾・和泉ノ方は不祥事を恐れ、“外部の何者かが御広敷番を殺した”と解決するよう御使番・藤島内侍之佑に命じる。かくして内侍之佑は徒目付・水島静馬とともに、“密室破り”に頭を悩ますことに……。一方、遠く離れた猫間藩の国許では、凄惨な首切り殺人が相次いで発生し、さらにそれを予見していたかのような不気味なわらべ歌がはやっていたのだが……。

[感想]
 筒井康隆『富豪刑事』へのオマージュ〈大富豪同心シリーズ〉など、ユニークな時代小説で知られる(らしい)作者による、「2013本格ミステリ・ベスト10」で第14位に堂々ランクインを果たした“時代小説+(メタ)ミステリ”の怪作。東野圭吾『名探偵の掟』などを思い起こさせるほどに(主にミステリの)パロディ色が強いこともあり、好みは大きく分かれそうではありますが、心の広い方にはぜひ一読をおすすめしたい作品です。

 時代小説の体裁を取った物語の中に、“密室”、“首切り”、“童謡殺人”、“館もの”などミステリのガジェットが盛り込まれた時代ミステリであると同時に、例えば冒頭の“密室破り”が主の命によって自殺を殺人に偽装するという、いわば“不可能犯罪なき不可能解決”となっているのをはじめ、ミステリの“お約束”を踏まえた上で、そこに(時代小説でなければ成立しがたい)ひねりを加えたメタミステリに仕立てられているのが本書の大きな見どころでしょう。

 もっとも、時代が時代だけに*1本来であればミステリの何たるかを知っている人物など存在しないわけで、そのままではメタミステリになりようがないのですが、本書ではところどころにメタレベルの会話*2が挿入され、そこで時代や立場を無視したミステリ談義が交わされることで、時代小説とメタミステリの間の“橋渡し”とされているのが実に面白いところ。これは少々無粋に映るかもしれませんが、単純に時代ミステリとして読むだけでは伝わりにくいメタミステリ的趣向を読者に意識させるのに、大きく貢献しているといっていいのではないでしょうか*3

 さて、江戸の下屋敷での“密室”事件に始まる物語は、最後に“密室破り”が完成するまでの間に、国許での奇怪な“童謡殺人”、思わず苦笑を禁じ得ない前代未聞の『読者への挑戦状』、さらに江戸の一風変わった“館”での殺人事件が挟み込まれ、短編を寄せ集めたような特異な構成になっています。度肝を抜くような大トリックこそありませんが、バラエティに富んだ事件はいずれも魅力的ですし、時代や舞台をうまく生かした仕掛けの数々はなかなかよくできていると思います。

 そして、一見すると……というよりも見るからにバラバラな事件が、物語が進むにつれてある“一つの線”に沿ってまとめられていくのが秀逸。いわゆる〈連鎖式〉のような仕掛けとはだいぶ趣が異なりますが、ある意味では(メタ)ミステリとしても十分に興味深いところがあります。さらに謎解きの後には、何から何まで一件落着といわんばかりの見事な結末が用意され、さわやかな余韻を残します。破天荒にして痛快、個人的には大いに気に入りました。

 なお、巻末の細谷正充氏による解説は、やや内容に触れすぎている感がありますので、本篇読了後にお読みになることをおすすめします(特に444頁以降はご注意を)。

*1: 作中でも言及されている(66頁)ように、エドガー・アラン・ポー「モルグ街の殺人」が発表されるより50年以上も前の話になります。
 なお、「モルグ街の殺人」を未読の方は、本書より先にそちらを読んでおくことをおすすめします(→「モルグ街の殺人事件 佐々木直次郎訳」(青空文庫))。
*2: “密室……などという言葉は、この時代には、なかったのではないかと推察いたしまするが”“左様であろうな”(35頁)といった具合に。
*3: さらにいえば、いわゆる“特殊ルール本格”でのルール説明に通じるところもあるというか、“登場人物がミステリの用語や概念を把握していることを前提とした時代小説”であることが明示されているともいえます。
 それによって、ミステリ読者にはなじみの深い“密室”などの言葉が当たり前に使われながら物語が進んでいくことで、(主にミステリ読者にとって)読みやすくなっているのは確かでしょう(田中啓文「忠臣蔵の密室」(芦辺拓・他『密室と奇蹟』収録)での“これは、『閉じたる場』にござる”(同書90頁)のような工夫も面白いとは思いますが)。

2013.02.12読了  [幡 大介]
【関連】 『股旅探偵 上州呪い村』

クドリャフカの順番  米澤穂信

ネタバレ感想 2005年発表 (角川文庫 よ23-3)

[紹介]
 いよいよ始まる神山高校の文化祭。千反田える、福部里志、伊原摩耶花、そして折木奉太郎の四人が所属する古典部では、無事に完成した文集『氷菓』を販売する予定だったが、三十部のはずが手違いで二百部も印刷してしまい、頭を抱える羽目に。費用を回収するためにできるだけ多くの部数を売りきろうと、古典部員たちは文化祭の最中にもあれこれと奮闘する。一方その頃、文化祭に参加している様々な部活動で、奇妙な盗難事件が相次いでいた。碁石、タロットカード、水鉄砲といった小道具が盗まれ、代わりに「十文字」と名乗る正体不明の犯人からのメッセージが残されていたのだ……。

[感想]
 〈古典部シリーズ〉の第三作である本書では、これまでの二作で少しずつ進められてきた、文集『氷菓』を製作して発行するという古典部の(本来の)活動の集大成として、三日間にわたる文化祭の顛末が描かれています。もちろん古典部の活動のみに焦点が当てられているわけではなく、ほぼ奉太郎の視点のみだったこれまでの作品とは違って古典部を構成する四人の視点で物語が進んでいくこともあり、幅広く祝祭の雰囲気が楽しめる作品となっています。

 古典部にとっては晴れの舞台となる文化祭ですが、手違いで山積みの文集というトラブルを抱えて始まるのが(傍から見れば)面白いところ。里志は各種のイベントに参加して古典部を宣伝し、摩耶花は所属する漫画研究会での委託販売を模索し、えるは各方面への交渉に当たり、奉太郎は売り子に精を出す(?)――という具合に、その対処法は四者四様ですが、いずれにしても、“いかにして文集を売りきるか”というゲーム的要素*1が加わった物語は非常に魅力的です。

 クイズ大会やお料理コンテストといった楽しいイベント、あるいは漫画研究会での“対決”など、印象に残る出来事が次々と描かれていく中で、次第に浮かび上がってくるのがメインの謎である“「十文字」事件”。作中でも言及されているように、某有名海外古典*2を下敷きにしたものですが、“事件”とはいえ高校生が扱える程度に深刻ではなく、なおかつ文化祭ならではの事件*3に仕立てられているのがお見事。もちろんそこには巧妙なひねりも加えられていて、よくできた謎になっています。

 さらに、謎解きと物語が緊密に結びつけられているのが作者の真骨頂。文集を売るために古典部の知名度を上げるという、“謎解きの動機”がしっかりしているのもさることながら、多視点での叙述をうまく生かして、必要な情報の断片を古典部員“それぞれの物語”の中に分散させて組み込んであるのが秀逸。結果として、『氷菓』終盤の“推理合戦”とも『愚者のエンドロール』の“多重解決”とも異なる、どこか“少年探偵団”風の探偵活動になっているのが味わい深いところです。

 その断片的な情報が、思わぬ形で次第に一つにまとまっていく展開は実に見ごたえあり。そして最後の最後に明かされる真相が、本書の多視点描写で初めて描かれた里志や摩耶花の内面――そこに生じるある種の屈託と微妙に共鳴して印象を強めているあたり、青春ミステリとして非常に充実していると思います。とまれ、祝祭の幕切れはこの上なく爽やかで、読み終えて大いに満足。特に前二作を読んでいれば感慨もひとしおの傑作です。

*1: 売り場に座ったままの奉太郎に訪れる“わらしべプロトコル”も、物語を進めるのに不可欠というだけでなく、ゲーム的な興味をも備えたものといえるでしょう。
*2: 先に読んでおいた方がより楽しめるのではないかとも思いますが、一応伏せておきます。→(作家名)アガサ・クリスティ(ここまで)の長編(作品名)『ABC殺人事件』(ここまで)
*3: 少なくとも、それぞれの部活が揃って活動する機会でなければ成立しがたいように思います。

2013.03.01読了  [米澤穂信]
【関連】 『氷菓』 『愚者のエンドロール』 『遠まわりする雛』