■<1> ■<2> ■<3> ■<4> ■<5> ■<6> ■<7> ■<8> ■<9> ■<10> ■<11> ■<12> |
serial | |||
狂気と凶器<10> | |||
腕を嵌めて勢い大きく踏み込んだ赤いコートがまたも鋭く翻る。右に引いた大剣の切っ先が魔力の収束に耐え切れずブレながらも水平な半円を描いて空を疾り、刹那、猛烈な衝撃が狭くない通路を埋めて席捲した。 シャレにならないレベルの魔力が一気に放出され、悪魔狩りに背を向けて必死に逃げるモスマンの背中を襲う。縦横無尽に大気を引き裂いた衝撃波をマトモに食らった妖獣の翅が千切れ、ずんぐりした身体がぐちゃと床に突っ伏した。 その足から放り出された黒い銃が回転しながら床を滑ると、悪魔狩りが顔を顰めてまた舌打ちする。確か拳銃って意外とデリケートなモンで、あまり乱暴に扱うとすぐ弾詰まり(ジャム)を起こすはずだ。 ぶすぶすと煙を上げる自分の腕より大事なのかよ、それが。 そこで、手の回復を待ち息を潜めていたカラスが、滑る拳銃に追い縋り錫杖の先端でそれを掬い上げる。ガツ! と金属同士の激突する、妙に人為的な音が通路に木霊すと、悪魔狩りはついに天を仰いで「SHIT!!!!!!!!!」と唸った。 やーい。ざまぁみろっ! 軽くサラスの手を握ってからすぐに離し、俺は跳ね起きて走り出した。悪魔狩りの注意はあの黒い拳銃に向いている。多分、今がチャンスだ。 杖に掬われて宙に浮いた鉄塊を奪還すべく、赤色も走る。途中、ひっくり返ってもがいているモスマンを蹴飛ばして壁に叩き付けるのを忘れない辺りが、こいつらしいと言えばこいつらしい。 弧を描き落下して来る拳銃に狙いを定めたカラスが、「はぁっ!」とわざとらしくも猛々しく気合を入れて錫杖を突き出した。カラスも判ってるな、いい性格してるよ、俺の仲魔! とほくそ笑んだ瞬間、赤色が床に沈んだ。 跳び込んで床を掴み、縮んだ身体に引き寄せられる長い足。刹那で跳ね上がりぐんと伸びたブーツの爪先が、落下する黒に襲いかかろうと空を切り裂いた錫杖の先端に激突し、蹴り折られて木片を散らした杖とよろめいたカラス。そして、物言わぬ鉄塊は。 倒立の体勢から綺麗に直立に戻ろうとする赤色の胸に抱かれ、柔らかく跳ね返り、真っ直ぐ伸ばした左手にぴたりと嵌った。 「Jackpot!」 永遠の咆哮が耳を劈く。 俺はそれでも止まらなかった。もう止まれない。止まる必要も理由もない。避ける間もなくカラスの胸に、胴に、足に腕に食い付く鉛弾。間断なく弾け続ける血色の花に黒装束が埋め尽くされ、激しく痙攣しながらその場にぐしゃりと倒れる。 頽るカラスに向いたままの悪魔狩りに、傷ついたモスマンが異様なまでに腹部を膨らませて突進した。それをちらりと横目で確認しつつ白い銃を引き抜いた赤色の腕が交差し、左から襲い掛かろうとする胴体を撃たれた、瞬間、モスマンは腹腔に溜めていた可燃性のガスを一息で全て吐き出した。 断末魔に放たれた悲鳴ではない炎が、天井まで立ち上がり赤色を朱色で塗り潰す。しかしまたも放射状に爆発した衝撃波が火炎と熱風を打ち消し、倒れたカラスとモスマンの亡骸を壁に叩き突けた。 もう、嫌だ。 目の前が赤色に染まる。「死」の色だ。 悲鳴を含んだ詠唱に呼応して大気中の水分が凝結し、累々と打ち捨てられた仲魔の屍を巻き込み次々床に突き刺さっては砕け散る。始めのふたつ、みっつは軽いサイドステップで避けたものの、その数の多さに赤色は避ける事をすぐに止め、抜いた大剣を振るって氷柱を叩き割った。 俺の氷結魔法が途切れるのと前後して、サラスの練った衝撃系上級魔法が悪魔狩りの肩に食い付き、突き刺さる大気の刃がその赤色を切り裂いて赤を吹き上げる。上空から叩き突ける余波が床に倒れたクシナダを吹き飛ばし、パワーを薙ぎ払い、でも俺は攻撃を辞めない。 もう、何もかも麻痺してる。終わってる。きっと俺たちはみんな狂ってしまったに違いない。でなければ、倒れた仲魔を放置して、あまつさえ、その「身体」をこんな風に扱えるはずがない。 闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え闘え闘え闘え闘え。 HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! 狂気の呪文。狂喜の呪文。誰も彼も正気じゃねー。闘え。闘え。それがダメなら抗え。抗えよ。「死」を捻じ伏せて滅ぼせ、消し去れ、恐怖に恐怖し跪いて屈服させろ。それがダメなら。
お終いだよ?
BLAME!! 後先考えず呪文を連発したサラスが息切れしたのを感じながら、俺は残り少ない魔力を惜しげもなく使ってひとつの呪文を紡ぐ。威力は高いけど発動までが遅い物理系魔法を的確に相手に叩き込みたいなら絶対に仲魔の協力が必要で、だから俺は、小さく口の中で「頼む」と呟いた。 承知。と答えたのは、オセ。緑のマントが翻り、風のように俺を追い抜く。それから、御意に。と答えたのはオオクニヌシ。ヌシもまた、オセを追って俺の脇を駆け抜けた。 「Let’s Rock!」 そしてその俺たちに答えたのは。 血色のコート。死色のコート。赤色の魔人。旋廻する銀が虚空に螺旋を描き出し、こちらも旋廻した銀で螺旋を描いたオセの双剣を跳ね上げた。 上空に逃げた切っ先を強引に急落させようと、オセが上腕を撓ませる。その刹那の隙にも回転を止めない赤色の刃が滑らかな曲線を宙に刷き、落下し踊る銀髪を捉えようとした一対の剣を再度上空へと突き上げる。 ガアン! 硬い、重い金属同士が反発し合う篭った音と、飛び散る火花。ついに一本の剣をその手から弾かれたオセはしかし、果敢にも残った一刀を腕力で捻じ伏せ、回転を止めた赤色の肩目掛けて力任せに振り下ろした。 獣が咆哮する。猛獣が二匹だ。飽和し血の匂いに満ちた空気が激震、緊張と狂気が上限を突き抜けて爆裂した。 立派な体躯。短くて気持ちのいい毛に覆われた、俺には優しいオセの腕の筋肉が限界まで盛り上がり、床ごと粉砕する勢いの斬撃を垂直に叩き降ろす。いくらなんでも至近距離で繰り出されたこの一撃を避けるのは無理だと俺の方がほくそ笑んだ、瞬間、悪魔狩りの唇にもまた物騒な笑みが浮かんだ。 火花と轟音。赤色魔人の長身が、がくりと沈む。しかし次には手にした黒い獣が轟然と咆哮し、叩き下ろす勢いを「逸らされた」オセの胸板が爆ぜ、緑色のマントが鮮血に染まり千切れ飛んだ。 既に何も感じない。ううん。感じる暇がない。 どうすりゃいいんだよ。本当は。姑息な手を使って急襲しても、正面から正攻法で力押ししても、結局、こうなのかよ。 オセの一撃があいつに与えたダメージは、その切っ先が斜めに顎を掠った、小さな傷ひとつ。あいつは、振り下ろされる刃を避けもせずに巨剣の刀身を水平に寝かせて左腕で支え、鋼同士が激突した瞬間に身を沈めて衝撃を逃がしながら柄を押し上げ、オセの剣圧、その殆どを刃の上で滑らせたんだ。 しかも、刀身を支える手には拳銃。押す力を逃がされて踏鞴を踏む間もなく、数え切れない弾丸がオセの身体を吹き飛ばした。 回避と攻撃は紙一重。 ではなく、全部が、闘うため。攻撃。 闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え闘え闘え闘え闘え。 HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! 狂気の呪文。 そうする事でしか自分の輪郭が保てないのか、あの赤色は。なんて浅ましい。なんて刹那。悪魔を食い潰し、食い荒らし、それでようやく生きてるのか、あんたは。 だから悪魔狩り。自滅の道を威風堂々と突き進む。いつか全てがなくなったら。いつか闘う事が出来なくなったら。あんたは静かに狂い死ぬだろう。 静かに。全てを理解し。正しく。刹那を終えるのか。 だから、あいつは、恐い。 判っているのに、戸惑いも迷いもなく全てを自分の手で決めて、あの赤色は進む。 なんのために。 背後へ数歩よろめいたオセの身体がどうと床に倒れる。その背から、その胸から冗談みたいに溢れる鮮血を蹴立てたヌシが、悪魔狩りの間合いに踏み込んだ。 振り下ろされる一太刀を、左腕で跳ね上げられた刀身が受け止め上空へ弾き返す。すぐさま銃撃。しかしヌシはそれを見切っていたのか、流れる切っ先に習って斜め後方へ一旦退避した。 立ち上がった赤色が剣と銃とを構えるまでの瞬間を突いて、またもやサラスが衝撃を放ち、悪魔狩りの長身がぐらりと揺れる。避け切れないのか、それとも避ける気さえないのか、渦巻く大気の亀裂がその腕と胸に大きな爪痕を残した。 噴出す赤が踊る銀色に飛沫を散らす。ああ、あのコントラストは綺麗だ、とか凄く場違いな事を思いながら、俺は魔力を集めた右手を背中に隠し、再度斬り結んだヌシと魔人に肉薄した。 袈裟懸けに赤色を襲ったヌシの剣先が水平に倒れ、首筋を抉る斬撃へと変化する。滅茶苦茶だ。ブレながらも流れた切っ先が悪魔狩りの頬を斜に舐め上げ、高い鼻梁に浅い傷を穿った。 あいつは、いつからかずっと笑っていた。本当に楽しそうに。愉しそうに。生き物のように蠢くコートの裾が薄暗い通路の只中に赤い軌跡を描き、伸ばされた左腕の先端で黒い銃口が深紅の炎を上げて吼え、逆手に握った巨剣の刃が弧を描いて振り抜かれると、刀身にべったり付着していた誰かの鮮血が中空に飛び散った。 そして俺は、見た。 銀色の睫に縁取られた双眸が、零度の炎を宿した蒼から……死色の真紅(あか)に様変わりしたのを。
HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!
狂ったように哄笑した悪魔狩りの長身が、捻じ切れる勢いで旋回する。 真っ直ぐ伸ばされた長い腕の先端に握られていたはずの鋼色が正しく水平に大きな弧を描いて回転しながら空を引き裂き、飛び退ったヌシの腕と胸を真一文字に引き裂いた。 放たれた巨剣の一撃で胴体を抉られたオオクニヌシが、口の端から鮮血混じりの泡を吐き、仰け反って、そのまま床に沈む。 ああ、これでお終いかよ。本当にお終いだ。俺は俺が滑稽で、そんな俺を信じてくれた仲魔が滑稽で、げたげた笑いながら背に隠していた右腕を悪魔狩りの顔面目掛けて突き出した。 直前、赤いコートの背中をサラスが羽交い絞めにする。しかしその呪縛からさえ、死色はあっさりと抜け出した。 背に張り付いたサラスの脛を踵で後ろに蹴り上げながら、身体を二つに折る事で女神を前方に投げ出す。変形した一本背負いか。結果、俺の渾身の一撃は吹っ飛んで来たサラスを避けるために大きく軌道を逸らし、悪魔狩りの遥か頭上で通路の天井が崩落して、不発に終わった。 背中から床に叩きつけられそうなサラスを咄嗟に抱きとめ転がった俺の足先で、床が弾ける。目を回しているんだろう女神を乱暴に突き飛ばして、連続する銃撃から辛くも逃げつつ、俺は、悔しくて、情けなくて、ぎりぎりと歯を食いしばり、唸った。 逃げて。逃げて。逃げて。逃げて。逃げて。逃げて。逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて。 結局俺は逃げるだけなのか? 全てから。 俺を呑みこんだこの世界の全てから。 俺は、逃げるだけなのか! そう思った。諦めたのかもしれない。流されて、逃げて、それが嫌で自分で決めたはずなのに、結局、その決定は仲魔を危険に曝しただけだったのを。 後悔したのかもしれない。
闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え。闘え闘え闘え闘え闘え。 HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY! HURRY!
BLAME!!
無様に床を転がって赤色との間合いを取り、斃れ伏す仲魔の間で手足を縮めた俺の肩を弾丸が抉る。痛い。熱い。気持ちが悪い。気分が悪い。俺は両手で頭を抱え、床に座り込んだままがくがく震え出した。 「どうした、少年。愉しませてくれるんじゃなかったのか? それでお終いか? お前がここまで来られたのは、お前の力じゃなく取り巻きの力なのか?」 こつこつとブーツの踵を鳴らしながら、悪魔狩りが俺に近付いて来る。一歩一歩確実に迫る「死」の象徴に、俺は心底恐怖し怯え、震え、食いしばった歯の隙間から低い唸り声を発して、ただ、見つめてくる蒼を…睨み返した。 「くだらねぇな、つまらねぇ。 退屈な遊びの時間は」 数メートルまで俺に近付いた悪魔狩りの足が止まるのと同時に、それまで床に倒れていたはずのサラスが跳ね起き、俺と赤色の間に、何か叫びながら割って入る。 「何も判らないくせに! 何も知らないくせに! 主様が今まで何を考えて、どうしてこのトウキョウを歩き回ったのか、何も、判ってあげようとしないくせに! それに、わたしたちは! 主様が本当は何も決められなかったのだとしても、ただ流されていたのだとしても、例え、…誰かに操られていたのだとしても、主様が、わたしたちを頼ってくれると言うのなら、最後までお供する!」 「…お終いだ」 小さくなった俺を庇うように両手を広げたサラスの背中が、赤く弾けた。
|
■<1> ■<2> ■<3> ■<4> ■<5> ■<6> ■<7> ■<8> ■<9> ■<10> ■<11> ■<12> |